おもしろ駅探訪(過去記事) [鉄道(実物)]
過去に掲載しました「おもしろ駅探訪」シリーズの閲覧場所で、
今月は「三島」駅を追加しました。
<「三島」駅 2013年2月4日>
ここは、面白い点が色々有ります。
<その1: 駅の移設>
昔丹那トンネルが出来る前、初代の「三島」駅は御殿場回りの東海道本線上に有りました。
16年の工事期間を要した丹那トンネルが昭和9年(1934年)に開通して、現在の東海道本線上に2代目の「三島」駅が作られ、
初代「三島」駅は「下土狩(しもとがり)」駅と名前を変え、現在に至っています。
「三島」からは伊豆箱根鉄道・駿豆(すんず)線が出ていますが
時を同じくして、ルートを付け替えました。
(当時の名前は駿豆鉄道)
こちらが現在の「下土狩」で、
駅前の道を20分程歩くと、「三島」に着くそうです。
今は1面2線だけのローカル駅で、
駅に隣接したコミュニティセンターの敷地が怪しい気もしますが、
駿豆鉄道線の遺構は、分からず仕舞いでした。
昭和3年の地図を見ますと、赤矢印が初代「三島」駅で、当時の駿豆鉄道線が水色矢印の所ではないか?と思われます。
当然ながら、現在の東海道本線はまだ有りません。
(国際日本文化研究センター 所蔵地図データベースより)
<その2: 直直デッドセクション>
JRの特急「踊り子」は赤点線のルートを通り、伊豆箱根鉄道に乗り入れますが
伊豆箱根鉄道と繋がる渡り線の上には
こんな標識が有り
良く見ますと、小さなデッドセクションになっていました。
両路線の電流混触を防ぐため、とウィキペディアには有りますが昭和25年に国鉄の乗り入れが始まった頃、駿豆鉄道は600Vでしたので必須だったのではないでしょうか?
<その3: 新駅第一号>
三島大社を模した南口駅舎(工事中)に対し
こちらは新幹線側の北口ですが、
東海道新幹線の開業当初、駅は無かったそうです。
5年後に新幹線の新駅第一号として開設された、との事。
<「熱海」駅 2013年1月26日>
現在に至るまでの歴史的経緯が、面白いです。
大正12年(1923年)までは、熱海鉄道と言う軽便鉄道が走っていました。
駅前には、その頃使われた7号機関車が展示されています。
重心を低くして走行を安定させるため、平たいシルエットを持ち
小田原~熱海間を2時間40分掛けて走りました。
関東大震災により、熱海鉄道は壊滅的被害を受けて廃止され
7号機関車は転々とした後、国鉄鷹取工場に標本車として保存されていたそうです。
熱海鉄道の後は国府津(こうづ)から官営の熱海線が建設され大正14年(1925年)、熱海まで延伸されました。
16年の工事期間を要した丹那トンネルが昭和9年(1934年)に開通し、漸く東海道本線の駅になった訳です。
そして昭和62年(1987年)国鉄の分割民営化により、静岡県に有る東海道本線の駅としては唯一、JR東日本が管轄する事になりました。
<「黒磯」駅 2013年1月7日>
ここは交直切替駅のため、それに関する特殊な施設を見る事が出来ます。
こちらは上野方の自由通路から見た駅構内で(上が青森方)
左端は新幹線高架、その下に片面ホームの1番線、その隣が島式ホームの2番線と3番線、中線、一番右が島式ホームの
4番と5番線です。 観察した所では、
1番線は、「宇都宮」方面の普通列車
2番線は、下り貨物の釜付け替え
3番線も、「宇都宮」方面の普通列車
中線は、機関車溜まりへ向かうための機回し用
4番線は、「郡山」方面の普通列車
5番線は、上り貨物の釜付け替え
に使われている様でした。
上の図は、或るホームページに掲載された物を真似たのですが、正確性は追及しないで下さいね(こんな感じ?レベル)
見てお分かりの様に、構内は交直流を切り替えるため数多くのセクションに分かれており、セクション境界の架線に設けられた絶縁部を、セクションインシュレーターと言うそうです。
矢印の間が絶縁部分で、レイアウトで言う所の絶縁ジョイントに当たるのでしょうか
交直切替はこちらの「交直切替断路器」で行い、
スイッチは上の段に有り(箱の後ろ)、下の駆動装置のロッドが上下する事により反転する仕組みでした。
この施設は上野方に置かれスイッチを3つ持ちますが、青森方には5つのスイッチを持つ断路器も有りました。
それではこれから、交直切替の様子を見て行きましょう。
①5番線に、金太郎君が牽く上り貨物が入って来ました。
その時スイッチは、左側の交流電源側に倒れていて、
線路前方に有る架線電源識別標識(矢印)は、橙色横2灯表示(交流20KV加圧)になっています。
②金太郎君が切り離され
③しばらくするとスイッチが、ギーっと言う音と共に1秒程かけて右の直流電源側に反転しました。
その時架線電源識別標識は、紫色縦2灯表示(直流1500V)に変わっています。
④すると今度は、桃太郎君がバックでやって来て
⑤貨物と連結し、出発準備が整いました
黒磯駅を通過する交直両用列車の車上切替デッドセクションも有り、こちらは下り線側の終端部を駅の外から撮った所です。
(赤白縞の標識 後方は直流機溜まり)
架線も撮りましたが、見栄えがしないですね~(^^;
<「大網」駅 2012年12月27日>
ここは線路付け替えのため、駅が西方に移されました。
旧駅の跡は公園になっていて、腕木式信号機の根元に見えますマンションの辺りが現在の駅です。
丁度、「大網」始発の「成東」行き列車が通過して行きました。
看板には駅の由来も載っていますが、
移動が必要になった経緯を、以下に補足します。
「大網」は明治29年、房総鉄道と言う私鉄の始発駅として出来明治40年に国有化された時点では、3方面に伸ばした路線網(現在の外房線、東金線の一部)の中核になっていました。
国有化された後も、大原から先にレールは伸びて行きましたが、「千葉」から外房方面へ直通する列車は「大網」でスイッチバックしなければならない状況が続いたのです。
そこで、昭和47年に駅を西方へ600m程移し、スイッチバックを解消する工事が行われました(最初から2番目の図)。
現在の「大網」駅はV字形になっていて、
外房線と東金線のホームは連絡通路で繋がっています。
外房線「千葉」方の下り線から東金線への分岐部分(矢印)を、 1枚パチリ
こちらは旧「大網」駅から「安房鴨川」方面に伸びていた線路の末端部で
その先は、レールが撤去されていました。
調べますと平成9年まで、貨物列車用の短絡線として使われていたそうです。
<富士急行「富士山」駅 2012年11月16日>
ここは平地のスイッチバック駅です(旧名は「富士吉田」)。
左端が河口湖線、その右側が大月線の線路で
反対側の終端部には、駅ビルも有りました。
内部は2面3線構造で、2番線に下り列車、3番線に上り列車が入る様です。
「大月」から乗って来ました下り列車の1200形マッターホルン号2連は2番線に入って客扱いした後、シーサスを渡り河口湖線に転線し、
「河口湖」始発の「大月」行き1000形2連は3番線に入線して、折り返しシーサスを渡って大月線に入って行きました。
例外的に、JRのホリデー快速河口湖号は6両編成のため
上り/下り列車とも、ホームが長い3番線に入ります。
駅ビルの正面には鳥居が設けられていましたが、これは後述のこの駅の昔の名前から来たものなのでしょうか?
駅前には名物の吉田うどんのお店も有りましたが、残念ながら開店時間には早過ぎました
最後にこの駅がスイッチバック構造になった理由ですが、ウィキで調べました所、明治時代の馬車鉄道は「富士山」のもっと先へ延びていたからだそうです。
また河口湖線が出来たのは、戦後になってからとの事。
<「(東武)柏」駅 2012年8月28日>
ここは平地のスイッチバック駅です。
架線柱の右側が東武野田線、左側がJR常磐線の線路で
反対側の終端部は、こんな感じでした。
内部は2面4線構造で降車ホームは無く、ラッシュ時は混雑して大変なのではないでしょうか?
1番・2番線は「大宮」方面、3番・4番線は「船橋」方面に区分けされていました。
「柏」を跨いで「船橋」~「大宮」方面を直通する列車は構内配線の関係で2番・3番線に入線しますが、それ専用と言う訳でもなく当駅始発列車も使います。
例えばこれは3番線に停車中の6時14分発「船橋」行きですが、当駅始発でした。
因みに野田線の列車は、どれを撮っても8000系6連です
一方2番線の「運河」行きは、当駅を跨いで運行される列車で
「船橋」を5時47分に出発し、「柏」に6時17分着
そして、6時37分に出発して行きました。
<「太田」駅 2012年8月15日>
ここはホームが少し変わっていて、3面6線構造なのに1番から
10番線まで有るのですが、その訳は
伊勢崎線の運転系統がここで分断され、「太田」~「伊勢崎」の区間列車専用ホーム(7番~10番)が1番~4番ホームの先に設けられている、と言うのが種明かしです。
確かに放送で「乗り換えは2番線の伊勢崎寄りにお進み下さい」と言うより、「~8番線にお進み下さい」と言い切った方が分かり易い、と思いました。
こちらは周辺のJR(黒い線)と東武鉄道(カラーの線)の路線図
そしてこちらが、東武の運転系統図です。
地方都市の私鉄駅としてはかなり立派な「太田」駅ですが、
北関東随一の工業都市の玄関口となればさも有りなん、と納得しました(因みにJRは無く、東武鉄道のみの駅)。
コンコース内に設けられたホーム案内板はこんな感じ、そして
こちらは1番ホームと7番ホームの境に有る案内板で、この先に浅草方面の列車が発着します。
丁度9番線には13時43分発、「伊勢崎」行き普通800系3連が入線していて
隣の4番線に到着した13時31分発「赤城」行き特急から降りたお客さんが、乗り換えていました。
<「綾瀬」駅 2012年8月8日>
ここはJR東ではなく、東京メトロの管轄駅です。
東京メトロが綾瀬車両基地を作る時、北千住~綾瀬~北綾瀬の路線を自前で建設したのでそうなった様ですが、常磐線が複線だった1971年(昭和46年)までは国鉄の駅でした。
駅の看板は、こんな形で
券売機は、左隅にJR仕様の物が2台有りますが
残りは、全て東京メトロ仕様です。
そして東京メトロの券売機には、こんなボタンが有りました。
東京メトロの初乗り運賃は160円なのですが、JR東との協定により、「綾瀬」~「北千住」間はJR側に合わせて130円です。
中は2面4線構造で、「北綾瀬」への区間列車用に上りホームを延長した0番線ホームが有りました。
上り線ホームの「亀有」寄りから「北千住」方面を見た所、
同じ場所で振り返ると、0番線ホームです。
<「飯田橋」駅 2012年7月8日>
ここは幾つも面白い点が有ります。
(1)5つの路線(内4本は地下鉄)の接続駅
(2)構内は3つの区に跨り、8層構造
(3)東西南北が揃う
接続する5つの路線は
①JR総武線
②東京メトロ東西線
③東京メトロ有楽町線
④東京メトロ南北線
⑤都営地下鉄大江戸線
の順に作られました。
副都心の渋谷/新宿/池袋でも地下鉄は3本ですから、ここは「大手町」(地下鉄5本)に次ぐ規模、と言う事になり
また、東西線と南北線が接続する唯一の駅です。
駅の有る場所は千代田区/新宿区/文京区の境界に当たり、JR総武線の駅は千代田区に属しますが、
②東京メトロ東西線は 千代田区
③東京メトロ有楽町線は 新宿区
④東京メトロ南北線も 新宿区
⑤都営地下鉄大江戸線は文京区
に分散して作られました。
地上の2層に対して、地下は6層構造になっています。
まずは総武線ですが、やって来ました列車は日曜の5時なので総武線ではなく、中央線の「東京」行きでした。
(飯田橋でも客扱いします)
次に東西線ですが、東葉高速線直通「東葉勝田台」行きの05系10連をパチリ(動画から切り出しましたので、色合いが変?)
3番目の南北線は1面2線構造でホームゲートが有るため、
列車は撮れませんでした
次の有楽町線も1面2線構造でホームゲートも付いていますが、こちらは後付けタイプのため
やって来ました、「和光市」行き10000系10連をパチリ
最後は、一番深い所に有る大江戸線です。 中は1面2線で、「都庁前」行き12-000系8連の出発を、後撃ちしました。
<西武園周辺 2012年6月29日、7月4日>
ここは狭いエリアの中に西武鉄道の4つの支線が集まり、3つの終着駅が有ります。
略図を拡大しますと、これだけのレジャースポットが有りました。
まず「西所沢」11時12分発、「池袋」始発の準急「西武球場前」行き新2000系10連が、狭山線に進入する所から始めます。
こちらは1本後の、11時27分「西所沢」始発「西武球場前」行き新2000系4連で、これに乗って行きました。
狭山線終点「西武球場前」駅の「西所沢」方末端部で、単線から6本の線路が分岐し
中は3面6線構造で、全てのホームが20m級10連用です。
次は「西武球場前」から新交通システムの山口線(レオライナー)に乗り、「西武遊園地」へ向かいました。
昔バッテリーカーの時に乗った記憶は有りますが、その後のミニSL時代は記憶に有る様な無い様な、はっきりしません(^^;
列車は4両編成で、無人ではなくワンマン運転です。
「西武遊園地」駅に着いた所ですが、
中は1面3線構造で、
1番線には、多摩湖線「小平」行きの新2000系4連が停まっていました。
駅前の階段を上がりますと、正面が「西武園ゆうえんち」の中央ゲートです。
「西武遊園地」から10分ほど歩いて、西武園線の「西武園」駅に着きました。 競輪場の有る北口は殺風景ですが
南口は、普通の佇まいです。
中は2面3線構造で、通常は2番線が使われ、右端の1番線は競輪の有る時だけ使われる様でした。
列車は、新101系4連です(終点「武蔵村山」にて撮影)。
<JR鶴見線「浅野」、「海芝浦」駅 2012年6月24日>
「浅野」は鶴見線(本線)の途中駅であると共に、
海芝浦支線の起点で、支線用のホームはカーブ上に有るため三角形をしています(線路配置は略図レベル)。
鶴見寄りから見ました左端が本線ホーム、中央が3番ホーム、右端が4番ホームで
カーブはかなりきついため、
電車のドアとホームの隙間が広目です。
(列車は「鶴見」発「海芝浦」行き、205系1100番台3連)
この列車に乗り「海芝浦」まで行きましたが、途中の「新芝浦」を過ぎますと某社の敷地に入り、線路も単線になりました。
「浅野」から4分ほどで「海芝浦」に到着
ホームは片面1線で、すぐ横は京浜運河です。
「海芝浦」駅もその会社の持ち物で、駅舎(通用門?)の外側に守衛さんが仁王立ちしていました(^^;
社員か関係者以外は駅を出る事は出来ません(駅外側に有る、自動券売機を利用する事は可能)が、駅の前方に某社が作った公園が有り、
一般人も、列車の出発時刻まで過ごす事が出来ます。
<JR鶴見線「武蔵白石」、「大川」駅 2012年6月20日>
「武蔵白石」は鶴見線(本線)の途中駅であると共に、
大川支線の起点なのですが、現在ここからは「大川」行き列車に乗れないのです。
1996年(平成8年)に、「大川」行きのホーム(赤い線の部分)が撤去されてしまったのですが、その理由は
大川支線専用のクモハ12形(17メートル級両運車)が引退し、後を継いだ103系の走行に4番線が支障するから、との事。
今でも大川支線の起点なので0キロポストを探しましたが、草が茂っていて見付けられませんでした
「大川」へ行くため、一つ隣の「安善」駅へ戻ります。
「安善」とは、安田財閥創業者の安田善次郎の名前に由来するそうで、駅に隣接して米軍の貯油施設が有り、横田基地向けの「米タン」が居ました。
「安善」駅の先で上り線に転線後、大川支線に分岐しますので、下り本線とは別の出発信号(右下)が有ります。
205系1100番台3連が「武蔵白石」をかすめ、超低速で終点「大川」駅(左下)へ進入する所をパチリ
構内には片面1線のホームと、
無人の駅舎
そして、使われていない側線が何本も有りました。
駅の周りは工場ばかりで、民家やお店は一軒も有りません。
この列車は8時49分発「鶴見」行きですが、次は17時24分まで無い、という超閑散ぶりです
<西武鉄道池袋線「飯能」駅 2012年6月11日>
ここは、平地のスイッチバック駅です。
右手が「池袋」方(複線)、左端が「西武秩父」方(単線)、そして
ホームの反対側は、先の方で行き止まりになっていました。
かつてはE851が牽引するセメント輸送列車も、ここで方向転換していたのでしょうか?
内部は3面4線構造で1番線から5番線まで有り、
9時49分始発の「池袋」行き急行30000系10連が
1番線ホームから出発する所です。
次は武蔵丘車両基地から出庫して来た2000系ですが、動画の出来が良く有りませんでしたので、使えそうな静止画を切り出しました。
4番線に入線し、9時59分始発の「池袋」行き準急になります。
<「寄居」駅 2012年6月7日>
ここは八高線/秩父鉄道/東武東上線が集まる駅で、改札口が自由通路上の1箇所のため、その中に八高線と東上線用の跨線橋が設けられています。
①唯一の改札口で、駅管轄が秩父鉄道のため、鉄道会社間の乗り換え改札口は有りません。
②改札口右手の券売機で、個々の線名が書かれています
(後から気付きましたが、駅構内の見取り図が有りましたね)
③八高線ホームから撮りました駅本屋と、秩父鉄道ホーム用の階段です。
④八高線用の跨線橋とエレベータです。
⑤八高線用の跨線橋内部です。
⑥東上線用の跨線橋内部です。 乗り換え改札口の代わりに、簡易ICカードリーダが有りました。
おまけは、3線同時着発の動画です。
最初から意図していた訳では無く、8時11分発の下り「三峰口」行きの秩父鉄道が到着する所を撮っていましたら偶然、東上線もやって来て、撮れてしまいました。
撮り終わって駅に戻りかけましたら、今度は八高線が発進して来ましたので、慌てて撮った次第です(^^;
後で時刻表を調べました所、秩父鉄道は8時10分着/11分発、東上線は8時11分着、八高線は8時11分発でした。
<西武鉄道池袋線「池袋」駅 2012年5月29日>
ここの特急列車ホームは、一風変わっています。
駅内部は4面4線構造ですが、小田急の様に特急列車ホームが独立しておらず、一般列車と直列停車する形になっていました。
右端がくだんの7番線ですが、
上の写真位置前方に一般列車が、後方に特急が入ります。
特急の入線から出発までを時系列に撮りましたが、ラッシュ時と言う事で人波が多く、後半コンデジの不調も有り、画像の出来は今ひとつですがご勘弁下さい m(__)m
まず、目白寄りの側線で待機していた特急ちちぶが
専用ホームに入線した所です。
特急の発車前に2本、同ホーム着発の列車が有りました。
こちらが1本目の、8時14分発「保谷」行き各停3000系8連で
2本目は、回送になる2000系8連です。 この辺からコンデジが絶不調に 特急との距離は、車両1両分程度でしょうか?
そして8時30分、「西武秩父」行き特急ちちぶ10000系7連が出発して行きました。
実はこの画像、1本前の7時30分発の画像でして、8時30分に撮りました方はコンデジ不調のため、写っていませんでした
また、8時30分の直前に隣の6番線に到着した列車からの下車客でホームがごった返していた、と言う別の事情も有ります。
<「小竹向原」駅 2012年5月15日>
駅の場所が練馬区小竹(こたけ)町と板橋区向原(むかいはら)に跨るため、この名前になったそうです。
家から近いので、またまた原チャリで行って来ました
普段利用されない方も、数年前この駅が原因となって何日間もダイヤが乱れ、マスコミを賑わしたのを覚えてらっしゃるのでは ないでしょうか?
ここは4系統の列車が離合集散する地下鉄のジャンクションで、それを聞いただけで早くもトラブルの予感が...
路線数は東京メトロ有楽町線/副都心線、西武有楽町線の3本になり、「小竹向原」から「池袋」までの間は2層式の地下複々線(有楽町線が上)です。
また、「和光市」「小竹向原」の間は唯の複線ですが、東京メトロ有楽町線と副都心線の共用扱い、との事。
構内配線はこんな感じになっており、
一番目の系統図と合わせて御覧頂くとお分かりの様に、駅右手において一部系統の列車が平面交差する 事になります。
結果、運転調整しずらい欠点が生じ、その対策用にダンパー線区間を設けた、との事。
ダンパーとは緩衝装置の意味で、遅れが生じた時はこの区間に列車を退避させ、次の列車を駅に進入・客扱い出来る様にするためのものだそうです(6線構造になっていますね)。
これだけ準備しても2008年の副都心線開業時には、慢性的な遅れが生じ、連日マスコミを賑わせました。
流石に最近は運転指令も慣れて来たのか、マスコミに取り上げられる事も無くなった様です
ホームは2面4線構造で、方向統合されていました。
こちらは上りホーム1番線で、列車は副都心線「渋谷」行き各停東京メトロ7000系8連の最後尾ですが、
副都心線内はワンマン運転になるため、車掌さんはここで下車します。
同じく1番線ですが、今度は有楽町線「新木場」行きの東京メトロ10000系10連で、
有楽町線はワンマン運転せず、車掌さんは乗ったままでした。
こちらは2番線の、副都心線「渋谷」行き急行の東武50070系 10連で(やはり車掌さんは、下車していますね)、
急行は、「池袋」までの途中駅「千川」「要町」を通過します。
時刻は日曜日の6時台でしたが、電車は引っ切り無しにやって来ました。
<東急「蒲田」駅 2012年4月23日>
2路線が発着する、頭端式ホームのターミナル駅です。
この構造の駅は阪急「梅田」が有名ですが、東京の私鉄には中々無いので取り上げました。
東京ではここ以外に、西武「国分寺」も2路線の発着駅ですが、きれいな櫛形構造にはなっていません。
ホーム先端から撮った、1番線に停車中の池上線「五反田」行き7000系(2代目)3連です。
池上線・多摩川線ともワンマン運転のため、ホームに安全柵が設置されていました(降車ホームには無い様です)。
その右手に2番線、降車ホーム、3番線と続きますが、一番右の4番線はカメラに入りませんので、
そこだけ別に、降車ホームの根元側から撮りました。
停まっているのは多摩川線「多摩川」行き7700系3連で、
前身の7000系(初代)共々、地方私鉄で良く見かけますね
多摩川線は元の目蒲線(目黒~蒲田)の一部で、その目蒲線は東急発祥の路線だそうです。
2000年に「目蒲線」が「目黒線」と「多摩川線」に分かれるまで路線網はこんな感じでしたが、
その後、この様に変わりました。
田園調布~日吉間は複々線になっています。
<小田急江ノ島線「藤沢」駅 2012年4月11日>
平地のスイッチバック駅です。
ホーム有効長は1番線が10両、その他は6両でした。
右端の特急が入線しているのが1番線、中央が2番/3番線、左端の普通列車が居る所が4番線です。
新宿方面からの急行が、東海道本線(右手)をオーバークロスし1番線に進入する所を撮りました。
左端の線が片瀬江ノ島への線、その右手は2本に分岐し、片瀬江ノ島方からの上り線と新宿方面への上り線になります。
(右端は、保線車両用の引込み線)
平地駅をスイッチバックにする場合は何かしらの理由が有る訳ですが、調べますと当時の鉄道省の指導によるものでした。
「藤沢」に進入してそのまま「片瀬江ノ島」へ向かうと、江ノ電と同じ経路になってしまうので別ルートにするためスイッチバックにせざるを得なかったとの事です。
<JR飯田線「豊橋」駅 2012年3月18日>
右手ホーム右側の3番線に名鉄が発着しますが、JRとの間に乗り換え改札口が有りません(精算出札の窓口は有ります)。
飯田線前身の豊川鉄道の時代から、豊橋駅共同使用の歴史が有るためでしょうか?
<JR飯田線「小和田(こわだ)」駅 2012年3月18日>
秘境駅ランキング2位で車が通れる道が無いとの事。 ホームに「三県境界駅」の表示が有りました(左端の柱下部)。
駅の有る場所は静岡県、川向こうが愛知県、そして右手方向がすぐ長野県だそうです。
<JR篠ノ井線「姨捨」駅 2012年3月16日>
最近、数が少なくなった山岳スイッチバック駅で、実際の線路はもっと多いのですが、主な構造はこんな感じでした。
(上が平面図で、下は立体図)
列車交換のためホームに下りて写真を撮る時間が出来ましたが、生憎の雨で視界が効きません
雨に煙る善光寺平と左下が本線で、
ここへ来る途中も天気が良ければ日本三大車窓の善光寺平を堪能出来ます。
(長野方面から乗る場合は、進行方向左側に座ると良いです)
<JR磐越西線「会津若松」駅 2011年9月3日>
平地のスイッチバック駅で、磐越西線の列車が会津若松の先へ行く場合、ここでスイッチバックが必要になります。
「SLばんえつ物語」は、スイッチバックせずここが終点で新潟へ折り返します(釜の方向転換と、付け替えはしますが)。
郡山行き快速「あいづライナー」485系6連もここ始発で、
(列車後方が、ホーム頭端です)
郡山~喜多方の直通列車が、スイッチバックしていました。
<秩父鉄道「小前田(おまえだ)」駅 2011年7月15日>
寄居の2駅手前(羽生寄り)に有りますが、
車内アナウンスは「次は、おまえだ おまえだ です」と言うのでしょうか?
手前が駅舎に続くホームで、下り(三峰口方面)列車が止まる様です。 奥に見えるホームは、上り(羽生方面)用でした。
2本のホームは向かい合わせではなく筋交いに配置され、後で調べましたら「千鳥式ホーム」と言うのだそうです。 この配置のメリットは、タブレット交換が楽との事でした。
<JR指宿枕崎線「枕崎」駅 2011年1月26日>
以前は「日本最南端始発・終着駅」だったのですが、沖縄の那覇にモノレールが出来ましたので、「JR」が追加されたそうです。
因みに「JR日本最南端の駅」は、同線の「西大山」です。
<伊予鉄道「古町(こまち)」駅 2010年12月16日>
鉄道線の高浜線と軌道線の接続駅で、鉄道線/軌道線両方の車庫が有りました。
写っているのは、鉄道線の700系(元京王電鉄5000系)で、
軌道線の方はこの付近、単線の専用軌道です。
手前のホームは軌道線用で、赤い矢印の様に軌道線と鉄道線が平面交差していました。
写真では分かりにくいのですが、右手側に何本も有る鉄道線の線路を、単線の軌道線の線路が斜めに横切る構図です。
他所では中々見られない光景ですが、鉄道線の電圧が600Vで軌道線と同じ、というのが種明かしでした
今月は「三島」駅を追加しました。
<「三島」駅 2013年2月4日>
ここは、面白い点が色々有ります。
<その1: 駅の移設>
昔丹那トンネルが出来る前、初代の「三島」駅は御殿場回りの東海道本線上に有りました。
16年の工事期間を要した丹那トンネルが昭和9年(1934年)に開通して、現在の東海道本線上に2代目の「三島」駅が作られ、
初代「三島」駅は「下土狩(しもとがり)」駅と名前を変え、現在に至っています。
「三島」からは伊豆箱根鉄道・駿豆(すんず)線が出ていますが
時を同じくして、ルートを付け替えました。
(当時の名前は駿豆鉄道)
こちらが現在の「下土狩」で、
駅前の道を20分程歩くと、「三島」に着くそうです。
今は1面2線だけのローカル駅で、
駅に隣接したコミュニティセンターの敷地が怪しい気もしますが、
駿豆鉄道線の遺構は、分からず仕舞いでした。
昭和3年の地図を見ますと、赤矢印が初代「三島」駅で、当時の駿豆鉄道線が水色矢印の所ではないか?と思われます。
当然ながら、現在の東海道本線はまだ有りません。
(国際日本文化研究センター 所蔵地図データベースより)
<その2: 直直デッドセクション>
JRの特急「踊り子」は赤点線のルートを通り、伊豆箱根鉄道に乗り入れますが
伊豆箱根鉄道と繋がる渡り線の上には
こんな標識が有り
良く見ますと、小さなデッドセクションになっていました。
両路線の電流混触を防ぐため、とウィキペディアには有りますが昭和25年に国鉄の乗り入れが始まった頃、駿豆鉄道は600Vでしたので必須だったのではないでしょうか?
<その3: 新駅第一号>
三島大社を模した南口駅舎(工事中)に対し
こちらは新幹線側の北口ですが、
東海道新幹線の開業当初、駅は無かったそうです。
5年後に新幹線の新駅第一号として開設された、との事。
<「熱海」駅 2013年1月26日>
現在に至るまでの歴史的経緯が、面白いです。
大正12年(1923年)までは、熱海鉄道と言う軽便鉄道が走っていました。
駅前には、その頃使われた7号機関車が展示されています。
重心を低くして走行を安定させるため、平たいシルエットを持ち
小田原~熱海間を2時間40分掛けて走りました。
関東大震災により、熱海鉄道は壊滅的被害を受けて廃止され
7号機関車は転々とした後、国鉄鷹取工場に標本車として保存されていたそうです。
熱海鉄道の後は国府津(こうづ)から官営の熱海線が建設され大正14年(1925年)、熱海まで延伸されました。
16年の工事期間を要した丹那トンネルが昭和9年(1934年)に開通し、漸く東海道本線の駅になった訳です。
そして昭和62年(1987年)国鉄の分割民営化により、静岡県に有る東海道本線の駅としては唯一、JR東日本が管轄する事になりました。
<「黒磯」駅 2013年1月7日>
ここは交直切替駅のため、それに関する特殊な施設を見る事が出来ます。
こちらは上野方の自由通路から見た駅構内で(上が青森方)
左端は新幹線高架、その下に片面ホームの1番線、その隣が島式ホームの2番線と3番線、中線、一番右が島式ホームの
4番と5番線です。 観察した所では、
1番線は、「宇都宮」方面の普通列車
2番線は、下り貨物の釜付け替え
3番線も、「宇都宮」方面の普通列車
中線は、機関車溜まりへ向かうための機回し用
4番線は、「郡山」方面の普通列車
5番線は、上り貨物の釜付け替え
に使われている様でした。
上の図は、或るホームページに掲載された物を真似たのですが、正確性は追及しないで下さいね(こんな感じ?レベル)
見てお分かりの様に、構内は交直流を切り替えるため数多くのセクションに分かれており、セクション境界の架線に設けられた絶縁部を、セクションインシュレーターと言うそうです。
矢印の間が絶縁部分で、レイアウトで言う所の絶縁ジョイントに当たるのでしょうか
交直切替はこちらの「交直切替断路器」で行い、
スイッチは上の段に有り(箱の後ろ)、下の駆動装置のロッドが上下する事により反転する仕組みでした。
この施設は上野方に置かれスイッチを3つ持ちますが、青森方には5つのスイッチを持つ断路器も有りました。
それではこれから、交直切替の様子を見て行きましょう。
①5番線に、金太郎君が牽く上り貨物が入って来ました。
その時スイッチは、左側の交流電源側に倒れていて、
線路前方に有る架線電源識別標識(矢印)は、橙色横2灯表示(交流20KV加圧)になっています。
②金太郎君が切り離され
③しばらくするとスイッチが、ギーっと言う音と共に1秒程かけて右の直流電源側に反転しました。
その時架線電源識別標識は、紫色縦2灯表示(直流1500V)に変わっています。
④すると今度は、桃太郎君がバックでやって来て
⑤貨物と連結し、出発準備が整いました
黒磯駅を通過する交直両用列車の車上切替デッドセクションも有り、こちらは下り線側の終端部を駅の外から撮った所です。
(赤白縞の標識 後方は直流機溜まり)
架線も撮りましたが、見栄えがしないですね~(^^;
<「大網」駅 2012年12月27日>
ここは線路付け替えのため、駅が西方に移されました。
旧駅の跡は公園になっていて、腕木式信号機の根元に見えますマンションの辺りが現在の駅です。
丁度、「大網」始発の「成東」行き列車が通過して行きました。
看板には駅の由来も載っていますが、
移動が必要になった経緯を、以下に補足します。
「大網」は明治29年、房総鉄道と言う私鉄の始発駅として出来明治40年に国有化された時点では、3方面に伸ばした路線網(現在の外房線、東金線の一部)の中核になっていました。
国有化された後も、大原から先にレールは伸びて行きましたが、「千葉」から外房方面へ直通する列車は「大網」でスイッチバックしなければならない状況が続いたのです。
そこで、昭和47年に駅を西方へ600m程移し、スイッチバックを解消する工事が行われました(最初から2番目の図)。
現在の「大網」駅はV字形になっていて、
外房線と東金線のホームは連絡通路で繋がっています。
外房線「千葉」方の下り線から東金線への分岐部分(矢印)を、 1枚パチリ
こちらは旧「大網」駅から「安房鴨川」方面に伸びていた線路の末端部で
その先は、レールが撤去されていました。
調べますと平成9年まで、貨物列車用の短絡線として使われていたそうです。
<富士急行「富士山」駅 2012年11月16日>
ここは平地のスイッチバック駅です(旧名は「富士吉田」)。
左端が河口湖線、その右側が大月線の線路で
反対側の終端部には、駅ビルも有りました。
内部は2面3線構造で、2番線に下り列車、3番線に上り列車が入る様です。
「大月」から乗って来ました下り列車の1200形マッターホルン号2連は2番線に入って客扱いした後、シーサスを渡り河口湖線に転線し、
「河口湖」始発の「大月」行き1000形2連は3番線に入線して、折り返しシーサスを渡って大月線に入って行きました。
例外的に、JRのホリデー快速河口湖号は6両編成のため
上り/下り列車とも、ホームが長い3番線に入ります。
駅ビルの正面には鳥居が設けられていましたが、これは後述のこの駅の昔の名前から来たものなのでしょうか?
駅前には名物の吉田うどんのお店も有りましたが、残念ながら開店時間には早過ぎました
最後にこの駅がスイッチバック構造になった理由ですが、ウィキで調べました所、明治時代の馬車鉄道は「富士山」のもっと先へ延びていたからだそうです。
また河口湖線が出来たのは、戦後になってからとの事。
<「(東武)柏」駅 2012年8月28日>
ここは平地のスイッチバック駅です。
架線柱の右側が東武野田線、左側がJR常磐線の線路で
反対側の終端部は、こんな感じでした。
内部は2面4線構造で降車ホームは無く、ラッシュ時は混雑して大変なのではないでしょうか?
1番・2番線は「大宮」方面、3番・4番線は「船橋」方面に区分けされていました。
「柏」を跨いで「船橋」~「大宮」方面を直通する列車は構内配線の関係で2番・3番線に入線しますが、それ専用と言う訳でもなく当駅始発列車も使います。
例えばこれは3番線に停車中の6時14分発「船橋」行きですが、当駅始発でした。
因みに野田線の列車は、どれを撮っても8000系6連です
一方2番線の「運河」行きは、当駅を跨いで運行される列車で
「船橋」を5時47分に出発し、「柏」に6時17分着
そして、6時37分に出発して行きました。
<「太田」駅 2012年8月15日>
ここはホームが少し変わっていて、3面6線構造なのに1番から
10番線まで有るのですが、その訳は
伊勢崎線の運転系統がここで分断され、「太田」~「伊勢崎」の区間列車専用ホーム(7番~10番)が1番~4番ホームの先に設けられている、と言うのが種明かしです。
確かに放送で「乗り換えは2番線の伊勢崎寄りにお進み下さい」と言うより、「~8番線にお進み下さい」と言い切った方が分かり易い、と思いました。
こちらは周辺のJR(黒い線)と東武鉄道(カラーの線)の路線図
そしてこちらが、東武の運転系統図です。
地方都市の私鉄駅としてはかなり立派な「太田」駅ですが、
北関東随一の工業都市の玄関口となればさも有りなん、と納得しました(因みにJRは無く、東武鉄道のみの駅)。
コンコース内に設けられたホーム案内板はこんな感じ、そして
こちらは1番ホームと7番ホームの境に有る案内板で、この先に浅草方面の列車が発着します。
丁度9番線には13時43分発、「伊勢崎」行き普通800系3連が入線していて
隣の4番線に到着した13時31分発「赤城」行き特急から降りたお客さんが、乗り換えていました。
<「綾瀬」駅 2012年8月8日>
ここはJR東ではなく、東京メトロの管轄駅です。
東京メトロが綾瀬車両基地を作る時、北千住~綾瀬~北綾瀬の路線を自前で建設したのでそうなった様ですが、常磐線が複線だった1971年(昭和46年)までは国鉄の駅でした。
駅の看板は、こんな形で
券売機は、左隅にJR仕様の物が2台有りますが
残りは、全て東京メトロ仕様です。
そして東京メトロの券売機には、こんなボタンが有りました。
東京メトロの初乗り運賃は160円なのですが、JR東との協定により、「綾瀬」~「北千住」間はJR側に合わせて130円です。
中は2面4線構造で、「北綾瀬」への区間列車用に上りホームを延長した0番線ホームが有りました。
上り線ホームの「亀有」寄りから「北千住」方面を見た所、
同じ場所で振り返ると、0番線ホームです。
<「飯田橋」駅 2012年7月8日>
ここは幾つも面白い点が有ります。
(1)5つの路線(内4本は地下鉄)の接続駅
(2)構内は3つの区に跨り、8層構造
(3)東西南北が揃う
接続する5つの路線は
①JR総武線
②東京メトロ東西線
③東京メトロ有楽町線
④東京メトロ南北線
⑤都営地下鉄大江戸線
の順に作られました。
副都心の渋谷/新宿/池袋でも地下鉄は3本ですから、ここは「大手町」(地下鉄5本)に次ぐ規模、と言う事になり
また、東西線と南北線が接続する唯一の駅です。
駅の有る場所は千代田区/新宿区/文京区の境界に当たり、JR総武線の駅は千代田区に属しますが、
②東京メトロ東西線は 千代田区
③東京メトロ有楽町線は 新宿区
④東京メトロ南北線も 新宿区
⑤都営地下鉄大江戸線は文京区
に分散して作られました。
地上の2層に対して、地下は6層構造になっています。
まずは総武線ですが、やって来ました列車は日曜の5時なので総武線ではなく、中央線の「東京」行きでした。
(飯田橋でも客扱いします)
次に東西線ですが、東葉高速線直通「東葉勝田台」行きの05系10連をパチリ(動画から切り出しましたので、色合いが変?)
3番目の南北線は1面2線構造でホームゲートが有るため、
列車は撮れませんでした
次の有楽町線も1面2線構造でホームゲートも付いていますが、こちらは後付けタイプのため
やって来ました、「和光市」行き10000系10連をパチリ
最後は、一番深い所に有る大江戸線です。 中は1面2線で、「都庁前」行き12-000系8連の出発を、後撃ちしました。
<西武園周辺 2012年6月29日、7月4日>
ここは狭いエリアの中に西武鉄道の4つの支線が集まり、3つの終着駅が有ります。
略図を拡大しますと、これだけのレジャースポットが有りました。
まず「西所沢」11時12分発、「池袋」始発の準急「西武球場前」行き新2000系10連が、狭山線に進入する所から始めます。
こちらは1本後の、11時27分「西所沢」始発「西武球場前」行き新2000系4連で、これに乗って行きました。
狭山線終点「西武球場前」駅の「西所沢」方末端部で、単線から6本の線路が分岐し
中は3面6線構造で、全てのホームが20m級10連用です。
次は「西武球場前」から新交通システムの山口線(レオライナー)に乗り、「西武遊園地」へ向かいました。
昔バッテリーカーの時に乗った記憶は有りますが、その後のミニSL時代は記憶に有る様な無い様な、はっきりしません(^^;
列車は4両編成で、無人ではなくワンマン運転です。
「西武遊園地」駅に着いた所ですが、
中は1面3線構造で、
1番線には、多摩湖線「小平」行きの新2000系4連が停まっていました。
駅前の階段を上がりますと、正面が「西武園ゆうえんち」の中央ゲートです。
「西武遊園地」から10分ほど歩いて、西武園線の「西武園」駅に着きました。 競輪場の有る北口は殺風景ですが
南口は、普通の佇まいです。
中は2面3線構造で、通常は2番線が使われ、右端の1番線は競輪の有る時だけ使われる様でした。
列車は、新101系4連です(終点「武蔵村山」にて撮影)。
<JR鶴見線「浅野」、「海芝浦」駅 2012年6月24日>
「浅野」は鶴見線(本線)の途中駅であると共に、
海芝浦支線の起点で、支線用のホームはカーブ上に有るため三角形をしています(線路配置は略図レベル)。
鶴見寄りから見ました左端が本線ホーム、中央が3番ホーム、右端が4番ホームで
カーブはかなりきついため、
電車のドアとホームの隙間が広目です。
(列車は「鶴見」発「海芝浦」行き、205系1100番台3連)
この列車に乗り「海芝浦」まで行きましたが、途中の「新芝浦」を過ぎますと某社の敷地に入り、線路も単線になりました。
「浅野」から4分ほどで「海芝浦」に到着
ホームは片面1線で、すぐ横は京浜運河です。
「海芝浦」駅もその会社の持ち物で、駅舎(通用門?)の外側に守衛さんが仁王立ちしていました(^^;
社員か関係者以外は駅を出る事は出来ません(駅外側に有る、自動券売機を利用する事は可能)が、駅の前方に某社が作った公園が有り、
一般人も、列車の出発時刻まで過ごす事が出来ます。
<JR鶴見線「武蔵白石」、「大川」駅 2012年6月20日>
「武蔵白石」は鶴見線(本線)の途中駅であると共に、
大川支線の起点なのですが、現在ここからは「大川」行き列車に乗れないのです。
1996年(平成8年)に、「大川」行きのホーム(赤い線の部分)が撤去されてしまったのですが、その理由は
大川支線専用のクモハ12形(17メートル級両運車)が引退し、後を継いだ103系の走行に4番線が支障するから、との事。
今でも大川支線の起点なので0キロポストを探しましたが、草が茂っていて見付けられませんでした
「大川」へ行くため、一つ隣の「安善」駅へ戻ります。
「安善」とは、安田財閥創業者の安田善次郎の名前に由来するそうで、駅に隣接して米軍の貯油施設が有り、横田基地向けの「米タン」が居ました。
「安善」駅の先で上り線に転線後、大川支線に分岐しますので、下り本線とは別の出発信号(右下)が有ります。
205系1100番台3連が「武蔵白石」をかすめ、超低速で終点「大川」駅(左下)へ進入する所をパチリ
構内には片面1線のホームと、
無人の駅舎
そして、使われていない側線が何本も有りました。
駅の周りは工場ばかりで、民家やお店は一軒も有りません。
この列車は8時49分発「鶴見」行きですが、次は17時24分まで無い、という超閑散ぶりです
<西武鉄道池袋線「飯能」駅 2012年6月11日>
ここは、平地のスイッチバック駅です。
右手が「池袋」方(複線)、左端が「西武秩父」方(単線)、そして
ホームの反対側は、先の方で行き止まりになっていました。
かつてはE851が牽引するセメント輸送列車も、ここで方向転換していたのでしょうか?
内部は3面4線構造で1番線から5番線まで有り、
9時49分始発の「池袋」行き急行30000系10連が
1番線ホームから出発する所です。
次は武蔵丘車両基地から出庫して来た2000系ですが、動画の出来が良く有りませんでしたので、使えそうな静止画を切り出しました。
4番線に入線し、9時59分始発の「池袋」行き準急になります。
<「寄居」駅 2012年6月7日>
ここは八高線/秩父鉄道/東武東上線が集まる駅で、改札口が自由通路上の1箇所のため、その中に八高線と東上線用の跨線橋が設けられています。
①唯一の改札口で、駅管轄が秩父鉄道のため、鉄道会社間の乗り換え改札口は有りません。
②改札口右手の券売機で、個々の線名が書かれています
(後から気付きましたが、駅構内の見取り図が有りましたね)
③八高線ホームから撮りました駅本屋と、秩父鉄道ホーム用の階段です。
④八高線用の跨線橋とエレベータです。
⑤八高線用の跨線橋内部です。
⑥東上線用の跨線橋内部です。 乗り換え改札口の代わりに、簡易ICカードリーダが有りました。
おまけは、3線同時着発の動画です。
最初から意図していた訳では無く、8時11分発の下り「三峰口」行きの秩父鉄道が到着する所を撮っていましたら偶然、東上線もやって来て、撮れてしまいました。
撮り終わって駅に戻りかけましたら、今度は八高線が発進して来ましたので、慌てて撮った次第です(^^;
後で時刻表を調べました所、秩父鉄道は8時10分着/11分発、東上線は8時11分着、八高線は8時11分発でした。
<西武鉄道池袋線「池袋」駅 2012年5月29日>
ここの特急列車ホームは、一風変わっています。
駅内部は4面4線構造ですが、小田急の様に特急列車ホームが独立しておらず、一般列車と直列停車する形になっていました。
右端がくだんの7番線ですが、
上の写真位置前方に一般列車が、後方に特急が入ります。
特急の入線から出発までを時系列に撮りましたが、ラッシュ時と言う事で人波が多く、後半コンデジの不調も有り、画像の出来は今ひとつですがご勘弁下さい m(__)m
まず、目白寄りの側線で待機していた特急ちちぶが
専用ホームに入線した所です。
特急の発車前に2本、同ホーム着発の列車が有りました。
こちらが1本目の、8時14分発「保谷」行き各停3000系8連で
2本目は、回送になる2000系8連です。 この辺からコンデジが絶不調に 特急との距離は、車両1両分程度でしょうか?
そして8時30分、「西武秩父」行き特急ちちぶ10000系7連が出発して行きました。
実はこの画像、1本前の7時30分発の画像でして、8時30分に撮りました方はコンデジ不調のため、写っていませんでした
また、8時30分の直前に隣の6番線に到着した列車からの下車客でホームがごった返していた、と言う別の事情も有ります。
<「小竹向原」駅 2012年5月15日>
駅の場所が練馬区小竹(こたけ)町と板橋区向原(むかいはら)に跨るため、この名前になったそうです。
家から近いので、またまた原チャリで行って来ました
普段利用されない方も、数年前この駅が原因となって何日間もダイヤが乱れ、マスコミを賑わしたのを覚えてらっしゃるのでは ないでしょうか?
ここは4系統の列車が離合集散する地下鉄のジャンクションで、それを聞いただけで早くもトラブルの予感が...
路線数は東京メトロ有楽町線/副都心線、西武有楽町線の3本になり、「小竹向原」から「池袋」までの間は2層式の地下複々線(有楽町線が上)です。
また、「和光市」「小竹向原」の間は唯の複線ですが、東京メトロ有楽町線と副都心線の共用扱い、との事。
構内配線はこんな感じになっており、
一番目の系統図と合わせて御覧頂くとお分かりの様に、駅右手において一部系統の列車が平面交差する 事になります。
結果、運転調整しずらい欠点が生じ、その対策用にダンパー線区間を設けた、との事。
ダンパーとは緩衝装置の意味で、遅れが生じた時はこの区間に列車を退避させ、次の列車を駅に進入・客扱い出来る様にするためのものだそうです(6線構造になっていますね)。
これだけ準備しても2008年の副都心線開業時には、慢性的な遅れが生じ、連日マスコミを賑わせました。
流石に最近は運転指令も慣れて来たのか、マスコミに取り上げられる事も無くなった様です
ホームは2面4線構造で、方向統合されていました。
こちらは上りホーム1番線で、列車は副都心線「渋谷」行き各停東京メトロ7000系8連の最後尾ですが、
副都心線内はワンマン運転になるため、車掌さんはここで下車します。
同じく1番線ですが、今度は有楽町線「新木場」行きの東京メトロ10000系10連で、
有楽町線はワンマン運転せず、車掌さんは乗ったままでした。
こちらは2番線の、副都心線「渋谷」行き急行の東武50070系 10連で(やはり車掌さんは、下車していますね)、
急行は、「池袋」までの途中駅「千川」「要町」を通過します。
時刻は日曜日の6時台でしたが、電車は引っ切り無しにやって来ました。
<東急「蒲田」駅 2012年4月23日>
2路線が発着する、頭端式ホームのターミナル駅です。
この構造の駅は阪急「梅田」が有名ですが、東京の私鉄には中々無いので取り上げました。
東京ではここ以外に、西武「国分寺」も2路線の発着駅ですが、きれいな櫛形構造にはなっていません。
ホーム先端から撮った、1番線に停車中の池上線「五反田」行き7000系(2代目)3連です。
池上線・多摩川線ともワンマン運転のため、ホームに安全柵が設置されていました(降車ホームには無い様です)。
その右手に2番線、降車ホーム、3番線と続きますが、一番右の4番線はカメラに入りませんので、
そこだけ別に、降車ホームの根元側から撮りました。
停まっているのは多摩川線「多摩川」行き7700系3連で、
前身の7000系(初代)共々、地方私鉄で良く見かけますね
多摩川線は元の目蒲線(目黒~蒲田)の一部で、その目蒲線は東急発祥の路線だそうです。
2000年に「目蒲線」が「目黒線」と「多摩川線」に分かれるまで路線網はこんな感じでしたが、
その後、この様に変わりました。
田園調布~日吉間は複々線になっています。
<小田急江ノ島線「藤沢」駅 2012年4月11日>
平地のスイッチバック駅です。
ホーム有効長は1番線が10両、その他は6両でした。
右端の特急が入線しているのが1番線、中央が2番/3番線、左端の普通列車が居る所が4番線です。
新宿方面からの急行が、東海道本線(右手)をオーバークロスし1番線に進入する所を撮りました。
左端の線が片瀬江ノ島への線、その右手は2本に分岐し、片瀬江ノ島方からの上り線と新宿方面への上り線になります。
(右端は、保線車両用の引込み線)
平地駅をスイッチバックにする場合は何かしらの理由が有る訳ですが、調べますと当時の鉄道省の指導によるものでした。
「藤沢」に進入してそのまま「片瀬江ノ島」へ向かうと、江ノ電と同じ経路になってしまうので別ルートにするためスイッチバックにせざるを得なかったとの事です。
<JR飯田線「豊橋」駅 2012年3月18日>
右手ホーム右側の3番線に名鉄が発着しますが、JRとの間に乗り換え改札口が有りません(精算出札の窓口は有ります)。
飯田線前身の豊川鉄道の時代から、豊橋駅共同使用の歴史が有るためでしょうか?
<JR飯田線「小和田(こわだ)」駅 2012年3月18日>
秘境駅ランキング2位で車が通れる道が無いとの事。 ホームに「三県境界駅」の表示が有りました(左端の柱下部)。
駅の有る場所は静岡県、川向こうが愛知県、そして右手方向がすぐ長野県だそうです。
<JR篠ノ井線「姨捨」駅 2012年3月16日>
最近、数が少なくなった山岳スイッチバック駅で、実際の線路はもっと多いのですが、主な構造はこんな感じでした。
(上が平面図で、下は立体図)
列車交換のためホームに下りて写真を撮る時間が出来ましたが、生憎の雨で視界が効きません
雨に煙る善光寺平と左下が本線で、
ここへ来る途中も天気が良ければ日本三大車窓の善光寺平を堪能出来ます。
(長野方面から乗る場合は、進行方向左側に座ると良いです)
<JR磐越西線「会津若松」駅 2011年9月3日>
平地のスイッチバック駅で、磐越西線の列車が会津若松の先へ行く場合、ここでスイッチバックが必要になります。
「SLばんえつ物語」は、スイッチバックせずここが終点で新潟へ折り返します(釜の方向転換と、付け替えはしますが)。
郡山行き快速「あいづライナー」485系6連もここ始発で、
(列車後方が、ホーム頭端です)
郡山~喜多方の直通列車が、スイッチバックしていました。
<秩父鉄道「小前田(おまえだ)」駅 2011年7月15日>
寄居の2駅手前(羽生寄り)に有りますが、
車内アナウンスは「次は、おまえだ おまえだ です」と言うのでしょうか?
手前が駅舎に続くホームで、下り(三峰口方面)列車が止まる様です。 奥に見えるホームは、上り(羽生方面)用でした。
2本のホームは向かい合わせではなく筋交いに配置され、後で調べましたら「千鳥式ホーム」と言うのだそうです。 この配置のメリットは、タブレット交換が楽との事でした。
<JR指宿枕崎線「枕崎」駅 2011年1月26日>
以前は「日本最南端始発・終着駅」だったのですが、沖縄の那覇にモノレールが出来ましたので、「JR」が追加されたそうです。
因みに「JR日本最南端の駅」は、同線の「西大山」です。
<伊予鉄道「古町(こまち)」駅 2010年12月16日>
鉄道線の高浜線と軌道線の接続駅で、鉄道線/軌道線両方の車庫が有りました。
写っているのは、鉄道線の700系(元京王電鉄5000系)で、
軌道線の方はこの付近、単線の専用軌道です。
手前のホームは軌道線用で、赤い矢印の様に軌道線と鉄道線が平面交差していました。
写真では分かりにくいのですが、右手側に何本も有る鉄道線の線路を、単線の軌道線の線路が斜めに横切る構図です。
他所では中々見られない光景ですが、鉄道線の電圧が600Vで軌道線と同じ、というのが種明かしでした
あおたけさん nice! ありがとうございます。
by 常武鉄道 (2013-02-01 08:56)
tochiさん nice! ありがとうございます。
by 常武鉄道 (2013-02-01 08:57)
ネオ・アッキーさん nice! ありがとうございます。
by 常武鉄道 (2013-02-01 17:09)