おもしろ駅探訪(過去記事その3) [鉄道(実物)]
過去に掲載しました「おもしろ駅探訪」シリーズのアーカイブ③で2015年3月~2015年10月までの記事を集めました。
<大和西大寺 2015年10月25日>
奈良県に有る近鉄の拠点駅の一つで、
(画像は2015年6月29日に撮影)
奈良線/京都線/橿原線3線が集まるジャンクションです。
こちらが駅北口で、コンコースは2階に有るため、構内の広さに比べると小ぶりな建て屋でした。
内部は3面5線構造で、何と言ってもここの特徴は駅の両側に平面交差が有る点です(ポイント数は全部で28器も)。
京都線と橿原線は直通運転しており、結果として奈良線との
交差支障が頻発する事に...
(図は概略レベルで、橋上駅舎・跨線橋は省略)
「大阪難波」方の配線はまだ可愛いもので、
(2番のりば端から奈良線の阪神1000系8連を後撃ち)
(踏み切り脇から京都線に入る8000系6連を後撃ち)
それに引き換え「近鉄奈良」方は車庫に入る線路も有るため、鬼の様にレールが交錯していました。
架線ビーム長から、その広さがお分かり頂けますでしょうか?
(左は奈良線8600系、右は橿原線8810系)
次は何時もの様に、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
その前に「大阪難波」方からの全景を(左端2番~右端6番)。
(列車は3番のりばの「京都」行き特急22000系4連)
<1番のりば>
京都線経由橿原線直通「橿原神宮前」行き急行8800系6連
京都線・橿原線経由天理線直通「天理」行き8810系4連
<2番のりば>
奈良線「近鉄奈良」行き準急8600系8連
<3番のりば>
橿原線経由京都線直通「京都」行き急行8600系6連(後撃ち)
「近鉄奈良」始発「京都」行き特急23000系6連(後撃ち)
<4番のりば>
「大阪難波」行き快速急行9020系8連(後撃ち)で、4番のりば(右)側のドアが先に開き、続いて5番(左)側も開きました。
表示板もこんな感じで、
奈良線で大阪方面へ向かう乗客が多いのかもしれませんね。
<5番のりば>
50000系「しまかぜ」の後撃ちで、車庫から出て来て信号待ちしている所を撮りました。
多分「京都」へ回送され、10時0分始発「賢島」行き特急に充当されるのではないかと思います。
<6番のりば>
撮影は朝8時台でしたが、発着列車は有りませんでした。
隣の5番のりば(左)は、橿原線経由京都線直通「京都」行き9200系4連(京都線に残る同系唯一の編成9208F)です。
次は検車区のスナップを少々。
検車区はどこでもそうですがフェンスに遮られ、中々良い構図で撮れませんでした
フェンスのわずかな隙間から撮ったのがこちら...
最後は駅名の元となった西大寺で
平城京の東端に東大寺、西端に西大寺が有ります。
<二本木 2015年9月17日>
新潟県内では唯一現役の山岳スイッチバック駅で
(画像は2015年6月29日に撮影)
元はJR信越本線の駅でしたが今年3月14日に北陸新幹線の開業に伴い、えちごトキめき鉄道(ETR)妙高はねうまラインに移管されています。
構内配線はこんな感じ(例によって概略レベル)で
ご覧の様に駅前は、すぐ急坂の崖でした。
それでは早速、登坂パターンのスイッチバックの様子から見て行きます。
①「妙高高原」行きET127系4連が本線を登って来て
②引込み線に入り一旦停車(右側が妙高高原方の本線)
③ポイントが替わり、バックで駅に向かい
(手前の運転室はワンマンなので無人)
④1番線に入線
⑤客扱い後、「妙高高原」に向け出発し
⑥本線を登って行きました。
ここだけ望遠にし忘れてます m(__)m
次は、同時進入のパターンを撮りました。
①まず「妙高高原」行き2連が引込み線に入り
②次に「妙高高原」方の本線を「直江津」行き4連が下って来て一旦停止
③「妙高高原」行きが先発し、「直江津」行きが追随並走
④そのままの距離を保って駅へ進入
⑤2番線(左)に「直江津」行き、1番線(右)に「妙高高原」行きが停車して客扱い
⑥「直江津」行きが先に後進して出発(こちら側に運転士さんが居て、横窓から後方を確認しながらバックします)
⑦本線を外れ
⑧引込み線に入って一旦停止
⑨ポイントが替わり、直江津方の本線を下って行きました。
因みに引込み線のシェルターは木造で水平に建てられており
奥の妙高高原方本線(上り勾配)とはこれだけの高低差が
最後は「妙高高原」行列車の最後部から撮った、スイッチバック配線です。
(①駅 ②妙高高原方本線 ③直江津方本線 ④引込み線)
<秋田 2015年8月25日>
(画像は、2013年1月6日、2015年4月7日、
2015年6月27日に撮影)
ここでは新幹線と在来線が車止め越しに対面する光景が見られ
そう言えば、この形どこかで見た様な気がしたのですが...
2013年3月6日に掲載しました「箱根湯本」駅も、小規模ながら似た様な構造でした
11番線に停車中のE6系7連(後撃ち)は到着列車で、
出発は主に12番線からだそうです(こちらも後撃ち)。
その12番線と前方の8番線を一緒にパチリ
次は在来線ホーム側から見た乗換改札口で、新幹線の切符を持っていないと向こう側へは行けません。
在来線ホームには当駅以北の奥羽本線列車が入線し、
<7番線>「青森」行き普通701系3連(後撃ち)
<8番線>「青森」行き特急「つがる7号」485系4連
を見掛けました。
同じ場所から、右手の在来線ホーム(1番~6番)を撮影。
7・8/11・12番線ホームは、駅ビル(右手建屋)から一番遠い場所に有るのが分かりますね。
それからホーム反対端まで移動し、「東京」方面の新幹線々路(赤い線)をパチリ
新幹線の線路は在来線に囲まれていますので、前方に2箇所両者の平面交差が有るのですが、遠くて撮れませんでした
(例によって概略レベルの図です)
以前、川崎工場長さんから「羽前千歳」のケース
以外に標準軌と狭軌の平面交差が有るか質問を受けましたが漸く回答出来ました
次は恒例の各線を発着する列車の画像で、初めに南端からの構内全景です(左端の2番線から右に12番線まで)。
<1番線>
ここだけ切り欠きホームになっていて
男鹿線直通「男鹿」行きキハ40形2連をパチリ
<2番線>
キヤE193系検測車3連
<2番線(左)と3番線の間の中線>
北(前方)へ向かうカモレ(運転停車中)
<3番線>
羽越本線「新潟」行き特急「いなほ14号」E653系7連
<4番線>
男鹿線直通「男鹿」行きキハ40系5連
<5番線>
管理人が「青森」から乗って来ました特急「つがる2号」がここに入線したのですが、撮り忘れました(^^;
<6番線>
奥羽本線「新庄」行き701系3連です。
<青森 2015年8月13日>
(画像は2015年6月26日、27日に撮影)
この駅で奥羽本線/津軽線と青い森鉄道がY字分岐しますが両者を結ぶ短絡線(奥羽本線貨物支線)が設けられています。
そのデルタ線を、反時計方向に周って見ました。
①陸橋上から撮ったもので、左側は青い森鉄道の複線、右側が奥羽本線/津軽線です。
ちょうど「青森」駅へ向かうキハ110形が来ましたのでパチリ
調べたら、「青森」15時54分始発「大湊」行き快速「しもきた」が青森車両センターを出庫して来た所、と分かりました。
②「新青森」始発「函館」行き特急「スーパー白鳥19号」789系8連が、「青森」駅(左手)へ向かいます。
③滝内信号所横の千刈踏切から東方を見た所で、
左から津軽線/青森車両センターへの小運転線/奥羽本線、そして右端が奥羽本線貨物支線。
④青森信号場から見た短絡線(↓)と青い森鉄道線(右手)で、
ちょうど「青森」行きの701系2連が差し掛かりました。
因みに青森信号場は元の青森操車場で、現在もカモレの釜の付け替えと運転士さんの交換が行われるとか
日本海縦貫線経由で北海道と北陸・関西方面を結ぶカモレは、ここで方向転換する訳ですね。
⑤1周して駅に戻り、次はエキナカのレポートを...
3面6線(左から1番~6番線)の構内を北端から見た所で、
終着駅ですがホームは頭端式ではなく、
港の方まで線路が延びていました。
そして恒例の、各線を発着する列車達です。
<1番線>
青い森鉄道「八戸」行き703系2連
<2番線>
奥羽本線「弘前」行き701系3連
<3番線>
入線列車が有りませんでしたので、雪を捨てる側溝?をパチリ
<4番線>
津軽線「蟹田」行き701系3連
<5番線>
「函館」行き特急「白鳥17号」485系6連
<6番線>
「新青森」行き特急「スーパー白鳥24号」789系8連
最後はホーム北端の青函連絡船乗り場へ続く連絡橋で、
その先には八甲田丸が保存されていました。
船内への引込み線は3本有るんですね。
<板谷 2015年7月5日>
ここには奥羽本線の山岳スイッチバック遺構が有り、
(画像は2015年4月8日に撮影)
SL当時は板谷峠を越えるのに、4駅連続してスイッチバックが必要だったそうで、運転士さん達の苦労が偲ばれます。
(各駅の高低差は、正確ではありません m(__)m)
「福島」方から見た本線上の現在の駅で、雪からポイントを守るためシェルターに覆われていました。
ここは無人駅で駅舎は無く、そのかわりに待合室とトイレ小屋(手前)が有ります。
中は2面2線で、「福島」行き719系5000番台2連をパチリ
反対側の「新庄」方は上り勾配になり、赤い線部分はスイッチバック時代の水平な引き込み線跡。
下は旧駅前の商店に飾られていた写真で、引込み線(矢印)も写っていました(釜はEF71)。
交流複線電化時代のもので、ヘッドマークに「スイッチバック」の文字が...
この列車は①一旦引込み線に入ってから②バックして駅に入り③客扱い後、本線に戻って勾配を登り始めた所と思われます。
(配線図は概略レベル)
次は反対の「福島」方で、
駅を出るとすぐ下り勾配になり
勾配標は、下り36パーミルを示していました。
左の旧駅に続く水平な線路と比較し、右手本線の傾斜が分かりますでしょうか。
こちらも旧駅前の商店に飾られていた写真で、特急「つばさ」485系6連が登って来た所。
この列車はスイッチバックせず、通過扱いだったのでは?
時代を遡りますと、直流単線電化の時代も有り
その当時も、優等列車は通過可能でした。
さらに前の非電化時代は駅を通過出来ない線形で、
そこに投入されたのがE10形(青梅鉄道公園にて撮影)。
登坂時の排煙を避けるため、こちら側が正位だそうです。
(機関士さんは、後ろを向いての運転になりますが)
次は現代に戻り、旧駅跡を訪ねてみました。
こちらは以前有ったシーサスを覆うスノーシェルターで、
その左方に旧駅ホーム(現在は保線車両の留置用)や
駅前広場、旧駅舎(プレハブ?)が残っていました。
最後に坂を下って行く「つばさ」E3系2000番台7連の姿と
その後撃ちです。
<羽前千歳 2015年6月17日>
(画像は2015年4月7日に撮影)
南方から並行して来た山形新幹線・奥羽本線(標準軌)と仙山線(狭軌)はこの駅手前で平面交差し、左右が入れ替わります。
(南側から撮影)
ここは無人駅で跨線橋から直接ホームへ行く事が出来
ご覧の通り、駅舎も有りませんでした。
ホーム南端から見た構内全景で、左が奥羽本線(1番線)、右が仙山線(2番線)です。
まず、跨線橋の辺りから奥羽本線下り「新庄」行き普通701系(標準軌仕様の5500番台車)2連を、
そしてホーム南端から、仙山線「山形」行き普通E721系4連を撮りました。
その仙山線列車が平面交差部に差し掛かり
横断中の図
左手には冒進を防ぐための安全側線が有ります。
そして通過完了しました。
次は駅を出て、南側の踏切から平面交差部を見てみます。
交差なのにポイントマシンが4つ付いていましたので拡大した所、こんな仕組みになっていて 赤・黒線部分が可動式でした。
この状態だと、奥羽本線側が通行可能ですね。
やがて踏切が鳴り、「新庄」行きの特急「つばさ137号」E3系2000番台7連がやって来ました(先頭がピンボケに...)
交差部を可動式にする理由を調べても分かりませんでしたが、東京近辺(「飯能、萩山)にも有る事が分かりましたので、何れ
再訪してみようと思います(両駅とも過去記事有り)。
<福島 2015年6月9日>
(画像は2015年4月7日、8日に撮影)
山形新幹線は新在直通方式のミニ新幹線として開業したため、フル規格の東北新幹線と分岐する「福島」駅では珍しい光景が見られます。
<その1 単線分岐>
東北・上越新幹線は「大宮」にて複線分岐するのに対し、
「福島」の分岐は単線で、ダイヤ編成上のボトルネックに(^^;
さらに詳しく描いたのが下の図。 東京方面に向かう列車は山形新幹線が配線構造上14番線にしか入線出来ませんので、
アクロバティックなやり方で連結していました。
こちらは「新青森」方で①単線の山形新幹線、②東北新幹線を上り「東京」行き「やまびこ」がやって来ます。
「やまびこ」E2系10連は上り本線から下り本線に転線し逆走
続いて下り副本線に進入
最後に退避線の14番線に入線しました。
ホーム「東京」寄りに停車&連結器カバーを開いて、「つばさ」の到着を待ちます。
ホームには連結位置を示すこんな看板が...
もう一つ
数分後、山形新幹線「つばさ」E3系2000番台7連が到着。
走りながら連結器カバーを開き、
「やまびこ」後部に連結しました。
「やまびこ」到着が遅れた場合、「つばさ」は駅手前で抑止するのでしょうか?
こちらはホームの「東京」方で、左(14番線)が上り「東京」行き先頭部、右(13番線)は下り「仙台」行き(両方とも「やまびこ」)最後部です。
「仙台」行きが先に出発し、
続いて「東京」行きが反対方向に出発。
再び下り本線を逆走した後、上り本線に転線して行きました。
この間、下り本線は通過不能になりますのでダイヤを組む際の制約に...
<その2 デッドセクション>
新幹線は交流25キロボルトですが奥羽本線は20キロボルトの電圧ですから、境界にデッドセクションが有ります。
駅から20分ほど歩いて、目標の跨線橋に着きました。
①がセクションインシュレータ、②が交交デッドセクション標識
こちらは跨線橋の上から見た所で、
さらに反対側から撮った①です。
境界部の線路には剣山の親玉の様なものが敷かれていましたが、用途は分かりませんでした。
上り「東京」行き「つばさ」がやって来ましたのでパチリ
複線を逆走している様に見えますが、ここは山形新幹線(左)と奥羽本線(右)の単線並列区間で、
列車はデッドセクションをノッチオフで通過します。
<名鉄岐阜 2015年5月25日>
(画像は2015年3月29日に撮影)
ここは名古屋本線の終点でかつ、各務原(かがみがはら)線の起点ですが、2線は分離されていて渡り線も有りません。
以前「(西武)国分寺」駅を取り上げた際、
元々別会社(川越鉄道、多摩湖鉄道)の駅だったためこの様な形になったと書きましたが、「名鉄岐阜」も同じ理由です。
1面2線の各務原線ホームが歴史的には最も古く
2面4線の名古屋本線の方は、後から作られました。
この駅が現在の形になるまでの経緯を以下に触れますが、誤りなど有りましたらご容赦下さい m(__)m
1914年(大正3年)、東海道本線駅の横に、美濃電気軌道の「新岐阜」駅が開業したのが始まりです。
ついで1928年(昭和3年)、現在の「名鉄岐阜」駅が有る所に各務原鉄道の「長住町(ながずみちょう)」駅が出来、
1948年(昭和23年)、名古屋本線の駅を現在の場所へ移設し2代目「新岐阜」駅に統合
そして2005年(平成17年)「名鉄岐阜」に改称し、現在の姿になりました。
最後は恒例の、各線を発着する列車のオンパレードで、まずは名古屋本線から始めます。
<1番線>
こちらが終端部
そしてホーム反対側の先端部から見た「豊橋」行き快速特急2200系6連
こちらは、「豊橋」行き快速特急1000系6連がJR高架線下の単線部分に差し掛かる所(3番線から撮影)で、
高架の右手にはJR「岐阜」駅が見えました。
<2番線>
左側が2番線(右は3番線)の終端部
「中部国際空港」行き特急2300系4連+1700系2連
こちらはホーム先端側から見た1700系の先頭部
<3番線>
「豊橋」行き急行3500系(2代)6連(終端部側から)
こちらは「須ヶ口」行き普通6800系2連の出発後撃ち
(何れも、2番線から撮影)
<4番線>
終端部と
「須ヶ口」行き普通1800系2連
次は各務原線に移り、まず終端部側から見た構内全景です。
<5番線>
初めに終端部
次はホーム先端から見た「犬山」行き普通1380系4連(左)
振り返って「犬山」方をパチリ
<6番線>
こちらが終端部
管理人が「新鵜沼」から乗って来ました急行1800系2連は、
後発の「犬山」行き普通になりました。
<過去に存在した7番線>
上の画像右端の側線は、2005年(平成17年)まで美濃町線に直通する列車が停まる7番線で、
路面電車タイプの車両に合わせ、ホームが一段低くなっているのが分かりますね。
次は先端側から見た連接タイプのモ880形で、上2枚の画像はネットから借用致しました m(__)m
600ボルトの美濃町線に対し各務原線は1500ボルトなので、複電圧車が投入されていたそうです。
<新鵜沼 2015年5月21日>
ここは犬山線と各務原(かがみがはら)線の終点で、興味深い所が多々有ります。
構内は1番・2番線が通過、3~5番線は終端形ホームになり
各務原線の列車は1番・2番線を使用(「犬山」まで乗り入れ)、
犬山線の方は当駅始発で、3~5番線に入線していました。
ホームがカーブした経緯は以下の通りで、誤りが有りましたら
ご容赦下さい m(__)m
1926年(大正15年)、省営高山線「鵜沼」駅の前に、名鉄の「新鵜沼」駅が開業
続いて1927年(昭和2年)、各務原鉄道の「東鵜沼」駅が出来
1931年(昭和6年)、駅名を「新鵜沼」に統合
1964年(昭和39年)、現在の場所に駅を移設しました。
続いて地図に有る高山本線との連絡線①の経緯に触れます。
戦前から2001年(平成13年)までこの連絡線を使い、名鉄が高山本線へ乗り入れていました。
こちらはキハ8500系3連が犬山橋②を渡る所で、この後①の連絡線を通って高山本線に入ります(画像はネットから借用)。
連絡線①の跡は現在、道路になっていました。
次は、鉄道道路併用橋として有名だった②の犬山橋です。
まずは、対岸の愛知県側橋詰?を7000系6連が通過中の図
①の連絡線を経由し、国鉄との間で貨物輸送も...
時代は下って1000系8連(岐阜県側橋詰?)
2000年(平成12年)に道路橋が下流側(右)に出来、元の橋は鉄道専用になりました(上の3枚もネットから借用)。
こちらは岐阜県側橋詰から見た現在の姿で、
橋に向かう「犬山」行き普通3100系2連(後撃ち)と
俯瞰画像です(これもネットから借用)。
最後は恒例の、各線を発着する列車をまとめて載せました。
まず「犬山」方から見た構内全景(左から1番~5番線)で、
2番線と3番線に列車が停まっています。
<1番線>
「犬山」発、各務原線「名鉄岐阜」行き普通1380系4連が入線する所(4番線から撮影)と
同じく「名鉄岐阜」行き普通3150系2連の後撃ち
<2番線>
「名鉄岐阜」発、「犬山」行き急行1800系2連と
同じく6800系2連(両方とも1番線から撮影)
<3番線>
こちらが終端部
まず「河和(こうわ)」行き急行6000系6連(5番線から)
そして回送の3500系(2代)6連(1番線から撮影)
ホームがカーブしているので、編成が長いと全体をフレームに収める事が出来ませんでした
<4番線>
こちらが駅外から見た終端部
「中部国際空港」発、特急ミュースカイ2000系4連が入線する所(1番線から撮影)と
「河和」行き急行3500系(2代)6連
<5番線>
こちらも終端部を駅外から見た所
「豊橋」行き特急2200系6連の先頭部(1番線から撮影)と
「内海」行き急行5000系(2代)4連
<知立(ちりゅう) 2015年3月13日>
ここで名鉄名古屋本線と三河線が接続しており、三河線の方はスイッチバック構造をしています。
構内配線図はこんな感じで、三河線が名古屋本線に乗り入れ出来る様、2~4番線は通過式ホームになっていました。
6番線「名鉄名古屋」方末端から見た構内全景で、赤い電車は全て三河線の列車(左手複線が名古屋本線)です。
左端が4番線の「碧南」行き、中央3番線も後発の「碧南」行き、右端が2番線の「猿投(さなげ)」行きの最後部側画像
左から2番目のホーム(旧3番/2番線)は駅立体化工事の為、閉鎖されていました。
ここでスイッチバックの経緯に触れますが、誤りが有りましたらご容赦下さい。 m(__)m
まず1915年(大正4年)に、三河鉄道(現在の名鉄三河線)の「知立」(現在の「三河知立」)駅が出来
1923年(大正12年)、愛知電気鉄道岡崎線の「新知立」駅が開業
1941年(昭和16年)、両駅を統合し「知立」駅に改称
さらに1959年(昭和34年)、三河線の名古屋本線乗り入れに備え駅を西方に移設し、スイッチバック化
当時の地図には三河線の旧線部分(矢印)が有りますね。
時期は不明ですが三河線の旧線や、名古屋本線との連絡線が廃止され現在の形になりました。
それでは駅外から三河線を見て行きましょう。
北口①を出て踏切を渡り南へ...
ここが海線②(左から右)と山線③(中央奥へ)の分岐点で
まず、海線を「知立」(左)に向かう6000系4連と
その後撃ち(シーサスを渡り、4番線に転線中)
同じ場所で、「猿投」(右)行き山線6000系2連の後撃ち
もう一度海線で、今度は「碧南」(右)行き6000系2連
本当に三河線は、6000系ばかりですね(^^;
右手の道路は旧線跡④で、
この道を北へ向かうと
三河線:山線と名古屋本線の立体交差⑤になり、その後方に「三河知立」駅(矢印)が見えました。
同じ場所から振り返って「知立」方(右奥)
最後は何時もの様に、各ホームを発着する列車づくしです。
<1番線は側線でホームは有りませんので2番線から>
三河線:山線の「猿投」行き6000系4連
<3番線>
三河線:海線の6000系2連ですが動く様子は無く
<4番線>
三河線:海線は、主にこちらのホームを使う様でした。
(「碧南」行き6000系2連)
<5番線>
「名鉄名古屋」方先端部側から撮影した「名鉄岐阜」行き特急1000系6連と、
犬山線直通「犬山」行き普通5700系4連
それにしても、各停が2扉クロスシート車とは驚きです。
<6番線>
「豊橋」方先端部からの撮影で、「豊橋」行き快速特急2200系6連の出発後撃ちと 「東岡崎」行き普通3500系(2代)4連
そして「名鉄名古屋」方から豊川線直通「豊川稲荷」行き急行3500系(2代)6連の後撃ち
現在、踏切渋滞解消を目指した高架工事中で、完成予想図を見ると以前記事にした「(京急)蒲田」を思わせる外観でした。
完成しましたら2階が待避線の有る名古屋本線ホーム、3階が三河線ホームになるそうです。
<豊橋 2015年5月9日>
ここはJR3線と私鉄3線が集まる東三河地方の要衝で、
その内JR飯田線と名鉄名古屋本線は戦前から相互乗り入れ(青い線の線部分)しています。
かなり簡略化していますが配線はこんな感じになり
「名古屋」「辰野」方面に向かう下り線はJRが、「豊橋」に向かう上り線は名鉄所有(赤い線の部分)だとか。
こちらは上の図の赤丸地点からホームを見た所で
2番線(中央:JR)と3番線(左:名鉄)は別会社にも拘わらず、ホームの中央に仕切り柵が有りませんでした。
JRと名鉄をICカードで乗り継ぐ時はこちらを使い
そうでない場合は、こちらで切符を買う仕組みです。
次は3番線の先端部で、入線する「名鉄岐阜」始発の快速特急1700系+2300系6連を撮りました。
名鉄のホームは現在3番線1本で右手に東海道本線の線路が走っているため、拡張は難しいかと...
ここで飯田線と名鉄の相互乗り入れの経緯に触れますが、誤りなど有りましたらご容赦下さい。 m(__)m
まず明治時代に豊川鉄道が建設され
1926年(大正15年)、「神宮前」方面から線路を伸ばして来た愛知電気鉄道が「小坂井」に接続、その列車は「豊川」まで直通したそうです。
翌1927年(昭和2年)、愛電は「吉田」まで延伸し、この時から相互乗り入れが始まりました。
戦後の1954年(昭和29年)、名鉄豊川線が全通した事に伴い小坂井支線は廃止され、現在に至ります。
次は飯田線の先頭車窓から、相互乗り入れ区間を撮りました。(画像は乗車した「豊川」行き313系2連が入線する所)
出発すると左へ転線を繰り返しJR所有の下り本線に進入
(右側が名鉄所有の上り本線)
途中、「飯田」始発「豊橋」行き特急「(ワイドビュー)伊那路2号」373系3連と擦れ違い、
「船町」駅へ到着(左は東海道本線上り貨物)
続いて豊川を渡り
対岸の「下地」駅に到着。 「船町」駅ともども飯田線の列車だけ停まります(名鉄は通過)。
やがて豊川放水路を渡ると
平井信号場の
両開き形分岐①に差し掛かり
右の飯田線に入り名鉄本線をアンダーパス
右カーブして「小坂井」駅に到着しました。
最後は①の分岐点から、各方面に向かう列車を撮影。
初めは、飯田線との立体交差を通過する名鉄の「豊橋」(右手)行き快速特急1000系6連
続いて「名鉄岐阜」行き急行3500系(2代)6連がやって来て
通過する所を後撃ち
やがてポイントが飯田線側に切り替わると
「豊川」行き313系2連が姿を現し
目の前を通過(後撃ち)
最後は②に向かい勾配を登って来た、「豊橋」行き313系です。
<新庄 2015年3月26日>
駅舎は2002年「東北の駅百選」に選ばれています。
ここは奥羽本線・陸羽東線・西線3路線の接続駅であると共に山形新幹線の終点になるため奥羽本線はここ以南は標準軌、以北は狭軌に分かれていました。
現在のところ全国で唯一、非都道府県庁所在地に有る新幹線始終着駅だそうです。
構内はH形の頭端式ホームを持つ珍しい形状をしていました。
(配線図は概略レベル)
それでは何時もの様に、1番線から順に見て行きましよう。
<1番線・2番線>
左から1番線・2番線の終端部で、山形新幹線と「福島」方面へ向かう普通列車が入線します。
反対に終端部からホームを見た所で、
1番線には、「東京」行き特急「つばさ」E3系2000番台7連、
そして旧塗色のE3系1000番台7連もやって来ました。
次はホーム先端から見た所と
同じ場所から振り返って「東京」方です。
右手と中央の線路(標準軌)が奥羽本線・山形新幹線、左端の線路が陸羽東線(狭軌)で、単線並列の形になっていました。
2番線に停車中の列車は、「山形」行き普通
701系(標準軌仕様の5500番台車)2連です。
<3番線・4番線>
右から3番線・4番線の終端部で、奥羽本線「秋田」方面と陸羽西線の列車が入線します。
次は終端部からホームを見た所で、
3番線(左)は陸羽西線経由羽越本線直通「酒田」行き気動車
キハ111形+112形2連
4番線(右)は奥羽本線「真室川」行き701系(基本番台)2連が停まっていました。
こちらは先端側になります。
北に伸びる線路は撮り忘れましたので代りの画像を...
3番ホーム先端から撮った古い車庫は前面板張りで、途中から煉瓦作りでした。
<5番線>
陸羽東線と陸羽西線・奥羽本線はこの線(狭軌)経由で行き来出来る様になっており、
入線して来たのは陸羽東線のキハ111形+112形2連です。
駅外からもう1枚パチリ
ダイヤ改正後にこの記事を書いていますので、列車の行き先は分かりませんでした m(__)m
(新ダイヤでは、「仙台」行き快速「みのり」に格上げ?)
構内に側線が何本か有りましたが、この701系(標準軌仕様の5500番台車)2連が居る線だけ
標準軌です(中央の線路)。
<(阪急)西宮北口 2015年3月7日>
上の画像を撮った場所は「東口」で、
改札口はほかに「北口」、「南口」、「南東口」と全部で4箇所有ります。
1920年(大正9年)に開業した当時、西宮町の北方に位置する農村地帯だったので「西宮北口」と言う駅名にしたとか...
ここは阪急神戸線と今津線の接続駅になり
1984年(昭和59年)まで両線の平面交差が存在したのですが神戸線ホーム延長のため、今津線は南北に分断されました。
参考文献から当時の配線略図を起こしてみましたが、正確性は追及されません様に m(__)m
近くの高松ひなた緑地にダイヤモンドクロスの実物と記念碑が有り
銘板に描かれた1982年(昭和57年)当時の画像をパチリ
多分、神戸線上りホーム(配線図の赤三角位置)からの撮影で
横方向が今津線(左手「宝塚」方、右手「今津」方)
縦方向が神戸線(前方「梅田」方、手前「三宮」方)
ではないかと...
こちらは平面交差が出来た1926年(大正15年)から間もない1932年(昭和7年)の画像で、1枚目と同様に
横方向が今津線(左手が「宝塚」方)と思われます。
それでは何時もの様に、1号線から順番に見て行きましょう。
<1号線と2号線>
ここは神戸線下り「三宮」方面で、まず「梅田」方から撮影。
1号線(左)の「神戸三宮」行き普通9000系8連、2号線(右)の「新開地」行き特急8000系8連を後撃ちしました。
次は反対の「三宮」方から見た所で
2号線(左)は「新開地」行き特急9000系8連、1号線(右)が「神戸三宮」行き普通7000系8連です。
<3号線と4号線>
こちらは神戸線上り「梅田」方面で、まず「三宮」方から撮影。
4号線(左)の「梅田」行き普通、3号線(右)の「梅田」行き特急
何れも7000系8連を後撃ちしました。
偶々同系車が並びましたが左の7008編成はリニューアル後、右の7021編成は未済とあって随分顔付きが違いますね
次は反対側の「梅田」方から3号線の「梅田」行き特急7000系8連を撮影。
こちらの7000編成(トップナンバー)は、調べましたら内装のみリニューアルしたそうで面構えは変わっていませんでした。
そして4号線を出発した「梅田」行き普通5000系8連(後撃ち)です。
この列車の裏手に西宮車庫が有り、コンデジの望遠ではこれが限界でした。
<5号線>
今津線南線のホーム(列車は「今津」行き6000系3連)で、
終端部はこんな感じです。
なお列車の入出庫は、神戸線下り線との間の連絡線(8号線)を使って行うそうですが写真は撮り忘れました。
次は今津線北線と神戸線上り線との連絡線(9号線)で、矢印がそれになります(今津線北線の入出庫と共に直通列車も使用)。
折りしも3号線(右)を出発した「梅田」行き特急1000系(2代)が差し掛かりました(左端の線路は、車庫内の引き上げ線)。
先日「(阪急)宝塚」を取り上げた際、「宝塚」発「西宮北口」経由「梅田」行き列車の事を書きましたが、
正にこの9号線を通る訳です。
<6号線と7号線>
今津線北線用で真ん中が6号線、右側の列車が入線しているホームが7号線(「宝塚」方先端から見た所)
左端は9号線で通過専用のため、ホームには柵が有りました。
こちらは同じ場所から振り返った「宝塚」方で、
今津線列車(3000系6連)の到着をパチリ。
最後は7号線の終端部(6号線は撮り忘れました)と、
停車中の7000系6連です(右側が7号線で左は降車専用)。
<大和西大寺 2015年10月25日>
奈良県に有る近鉄の拠点駅の一つで、
(画像は2015年6月29日に撮影)
奈良線/京都線/橿原線3線が集まるジャンクションです。
こちらが駅北口で、コンコースは2階に有るため、構内の広さに比べると小ぶりな建て屋でした。
内部は3面5線構造で、何と言ってもここの特徴は駅の両側に平面交差が有る点です(ポイント数は全部で28器も)。
京都線と橿原線は直通運転しており、結果として奈良線との
交差支障が頻発する事に...
(図は概略レベルで、橋上駅舎・跨線橋は省略)
「大阪難波」方の配線はまだ可愛いもので、
(2番のりば端から奈良線の阪神1000系8連を後撃ち)
(踏み切り脇から京都線に入る8000系6連を後撃ち)
それに引き換え「近鉄奈良」方は車庫に入る線路も有るため、鬼の様にレールが交錯していました。
架線ビーム長から、その広さがお分かり頂けますでしょうか?
(左は奈良線8600系、右は橿原線8810系)
次は何時もの様に、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
その前に「大阪難波」方からの全景を(左端2番~右端6番)。
(列車は3番のりばの「京都」行き特急22000系4連)
<1番のりば>
京都線経由橿原線直通「橿原神宮前」行き急行8800系6連
京都線・橿原線経由天理線直通「天理」行き8810系4連
<2番のりば>
奈良線「近鉄奈良」行き準急8600系8連
<3番のりば>
橿原線経由京都線直通「京都」行き急行8600系6連(後撃ち)
「近鉄奈良」始発「京都」行き特急23000系6連(後撃ち)
<4番のりば>
「大阪難波」行き快速急行9020系8連(後撃ち)で、4番のりば(右)側のドアが先に開き、続いて5番(左)側も開きました。
表示板もこんな感じで、
奈良線で大阪方面へ向かう乗客が多いのかもしれませんね。
<5番のりば>
50000系「しまかぜ」の後撃ちで、車庫から出て来て信号待ちしている所を撮りました。
多分「京都」へ回送され、10時0分始発「賢島」行き特急に充当されるのではないかと思います。
<6番のりば>
撮影は朝8時台でしたが、発着列車は有りませんでした。
隣の5番のりば(左)は、橿原線経由京都線直通「京都」行き9200系4連(京都線に残る同系唯一の編成9208F)です。
次は検車区のスナップを少々。
検車区はどこでもそうですがフェンスに遮られ、中々良い構図で撮れませんでした
フェンスのわずかな隙間から撮ったのがこちら...
最後は駅名の元となった西大寺で
平城京の東端に東大寺、西端に西大寺が有ります。
<二本木 2015年9月17日>
新潟県内では唯一現役の山岳スイッチバック駅で
(画像は2015年6月29日に撮影)
元はJR信越本線の駅でしたが今年3月14日に北陸新幹線の開業に伴い、えちごトキめき鉄道(ETR)妙高はねうまラインに移管されています。
構内配線はこんな感じ(例によって概略レベル)で
ご覧の様に駅前は、すぐ急坂の崖でした。
それでは早速、登坂パターンのスイッチバックの様子から見て行きます。
①「妙高高原」行きET127系4連が本線を登って来て
②引込み線に入り一旦停車(右側が妙高高原方の本線)
③ポイントが替わり、バックで駅に向かい
(手前の運転室はワンマンなので無人)
④1番線に入線
⑤客扱い後、「妙高高原」に向け出発し
⑥本線を登って行きました。
ここだけ望遠にし忘れてます m(__)m
次は、同時進入のパターンを撮りました。
①まず「妙高高原」行き2連が引込み線に入り
②次に「妙高高原」方の本線を「直江津」行き4連が下って来て一旦停止
③「妙高高原」行きが先発し、「直江津」行きが追随並走
④そのままの距離を保って駅へ進入
⑤2番線(左)に「直江津」行き、1番線(右)に「妙高高原」行きが停車して客扱い
⑥「直江津」行きが先に後進して出発(こちら側に運転士さんが居て、横窓から後方を確認しながらバックします)
⑦本線を外れ
⑧引込み線に入って一旦停止
⑨ポイントが替わり、直江津方の本線を下って行きました。
因みに引込み線のシェルターは木造で水平に建てられており
奥の妙高高原方本線(上り勾配)とはこれだけの高低差が
最後は「妙高高原」行列車の最後部から撮った、スイッチバック配線です。
(①駅 ②妙高高原方本線 ③直江津方本線 ④引込み線)
<秋田 2015年8月25日>
(画像は、2013年1月6日、2015年4月7日、
2015年6月27日に撮影)
ここでは新幹線と在来線が車止め越しに対面する光景が見られ
そう言えば、この形どこかで見た様な気がしたのですが...
2013年3月6日に掲載しました「箱根湯本」駅も、小規模ながら似た様な構造でした
11番線に停車中のE6系7連(後撃ち)は到着列車で、
出発は主に12番線からだそうです(こちらも後撃ち)。
その12番線と前方の8番線を一緒にパチリ
次は在来線ホーム側から見た乗換改札口で、新幹線の切符を持っていないと向こう側へは行けません。
在来線ホームには当駅以北の奥羽本線列車が入線し、
<7番線>「青森」行き普通701系3連(後撃ち)
<8番線>「青森」行き特急「つがる7号」485系4連
を見掛けました。
同じ場所から、右手の在来線ホーム(1番~6番)を撮影。
7・8/11・12番線ホームは、駅ビル(右手建屋)から一番遠い場所に有るのが分かりますね。
それからホーム反対端まで移動し、「東京」方面の新幹線々路(赤い線)をパチリ
新幹線の線路は在来線に囲まれていますので、前方に2箇所両者の平面交差が有るのですが、遠くて撮れませんでした
(例によって概略レベルの図です)
以前、川崎工場長さんから「羽前千歳」のケース
以外に標準軌と狭軌の平面交差が有るか質問を受けましたが漸く回答出来ました
次は恒例の各線を発着する列車の画像で、初めに南端からの構内全景です(左端の2番線から右に12番線まで)。
<1番線>
ここだけ切り欠きホームになっていて
男鹿線直通「男鹿」行きキハ40形2連をパチリ
<2番線>
キヤE193系検測車3連
<2番線(左)と3番線の間の中線>
北(前方)へ向かうカモレ(運転停車中)
<3番線>
羽越本線「新潟」行き特急「いなほ14号」E653系7連
<4番線>
男鹿線直通「男鹿」行きキハ40系5連
<5番線>
管理人が「青森」から乗って来ました特急「つがる2号」がここに入線したのですが、撮り忘れました(^^;
<6番線>
奥羽本線「新庄」行き701系3連です。
<青森 2015年8月13日>
(画像は2015年6月26日、27日に撮影)
この駅で奥羽本線/津軽線と青い森鉄道がY字分岐しますが両者を結ぶ短絡線(奥羽本線貨物支線)が設けられています。
そのデルタ線を、反時計方向に周って見ました。
①陸橋上から撮ったもので、左側は青い森鉄道の複線、右側が奥羽本線/津軽線です。
ちょうど「青森」駅へ向かうキハ110形が来ましたのでパチリ
調べたら、「青森」15時54分始発「大湊」行き快速「しもきた」が青森車両センターを出庫して来た所、と分かりました。
②「新青森」始発「函館」行き特急「スーパー白鳥19号」789系8連が、「青森」駅(左手)へ向かいます。
③滝内信号所横の千刈踏切から東方を見た所で、
左から津軽線/青森車両センターへの小運転線/奥羽本線、そして右端が奥羽本線貨物支線。
④青森信号場から見た短絡線(↓)と青い森鉄道線(右手)で、
ちょうど「青森」行きの701系2連が差し掛かりました。
因みに青森信号場は元の青森操車場で、現在もカモレの釜の付け替えと運転士さんの交換が行われるとか
日本海縦貫線経由で北海道と北陸・関西方面を結ぶカモレは、ここで方向転換する訳ですね。
⑤1周して駅に戻り、次はエキナカのレポートを...
3面6線(左から1番~6番線)の構内を北端から見た所で、
終着駅ですがホームは頭端式ではなく、
港の方まで線路が延びていました。
そして恒例の、各線を発着する列車達です。
<1番線>
青い森鉄道「八戸」行き703系2連
<2番線>
奥羽本線「弘前」行き701系3連
<3番線>
入線列車が有りませんでしたので、雪を捨てる側溝?をパチリ
<4番線>
津軽線「蟹田」行き701系3連
<5番線>
「函館」行き特急「白鳥17号」485系6連
<6番線>
「新青森」行き特急「スーパー白鳥24号」789系8連
最後はホーム北端の青函連絡船乗り場へ続く連絡橋で、
その先には八甲田丸が保存されていました。
船内への引込み線は3本有るんですね。
<板谷 2015年7月5日>
ここには奥羽本線の山岳スイッチバック遺構が有り、
(画像は2015年4月8日に撮影)
SL当時は板谷峠を越えるのに、4駅連続してスイッチバックが必要だったそうで、運転士さん達の苦労が偲ばれます。
(各駅の高低差は、正確ではありません m(__)m)
「福島」方から見た本線上の現在の駅で、雪からポイントを守るためシェルターに覆われていました。
ここは無人駅で駅舎は無く、そのかわりに待合室とトイレ小屋(手前)が有ります。
中は2面2線で、「福島」行き719系5000番台2連をパチリ
反対側の「新庄」方は上り勾配になり、赤い線部分はスイッチバック時代の水平な引き込み線跡。
下は旧駅前の商店に飾られていた写真で、引込み線(矢印)も写っていました(釜はEF71)。
交流複線電化時代のもので、ヘッドマークに「スイッチバック」の文字が...
この列車は①一旦引込み線に入ってから②バックして駅に入り③客扱い後、本線に戻って勾配を登り始めた所と思われます。
(配線図は概略レベル)
次は反対の「福島」方で、
駅を出るとすぐ下り勾配になり
勾配標は、下り36パーミルを示していました。
左の旧駅に続く水平な線路と比較し、右手本線の傾斜が分かりますでしょうか。
こちらも旧駅前の商店に飾られていた写真で、特急「つばさ」485系6連が登って来た所。
この列車はスイッチバックせず、通過扱いだったのでは?
時代を遡りますと、直流単線電化の時代も有り
その当時も、優等列車は通過可能でした。
さらに前の非電化時代は駅を通過出来ない線形で、
そこに投入されたのがE10形(青梅鉄道公園にて撮影)。
登坂時の排煙を避けるため、こちら側が正位だそうです。
(機関士さんは、後ろを向いての運転になりますが)
次は現代に戻り、旧駅跡を訪ねてみました。
こちらは以前有ったシーサスを覆うスノーシェルターで、
その左方に旧駅ホーム(現在は保線車両の留置用)や
駅前広場、旧駅舎(プレハブ?)が残っていました。
最後に坂を下って行く「つばさ」E3系2000番台7連の姿と
その後撃ちです。
<羽前千歳 2015年6月17日>
(画像は2015年4月7日に撮影)
南方から並行して来た山形新幹線・奥羽本線(標準軌)と仙山線(狭軌)はこの駅手前で平面交差し、左右が入れ替わります。
(南側から撮影)
ここは無人駅で跨線橋から直接ホームへ行く事が出来
ご覧の通り、駅舎も有りませんでした。
ホーム南端から見た構内全景で、左が奥羽本線(1番線)、右が仙山線(2番線)です。
まず、跨線橋の辺りから奥羽本線下り「新庄」行き普通701系(標準軌仕様の5500番台車)2連を、
そしてホーム南端から、仙山線「山形」行き普通E721系4連を撮りました。
その仙山線列車が平面交差部に差し掛かり
横断中の図
左手には冒進を防ぐための安全側線が有ります。
そして通過完了しました。
次は駅を出て、南側の踏切から平面交差部を見てみます。
交差なのにポイントマシンが4つ付いていましたので拡大した所、こんな仕組みになっていて
この状態だと、奥羽本線側が通行可能ですね。
やがて踏切が鳴り、「新庄」行きの特急「つばさ137号」E3系2000番台7連がやって来ました(先頭がピンボケに...)
交差部を可動式にする理由を調べても分かりませんでしたが、東京近辺(「飯能、萩山)にも有る事が分かりましたので、何れ
再訪してみようと思います(両駅とも過去記事有り)。
<福島 2015年6月9日>
(画像は2015年4月7日、8日に撮影)
山形新幹線は新在直通方式のミニ新幹線として開業したため、フル規格の東北新幹線と分岐する「福島」駅では珍しい光景が見られます。
<その1 単線分岐>
東北・上越新幹線は「大宮」にて複線分岐するのに対し、
「福島」の分岐は単線で、ダイヤ編成上のボトルネックに(^^;
さらに詳しく描いたのが下の図。 東京方面に向かう列車は山形新幹線が配線構造上14番線にしか入線出来ませんので、
アクロバティックなやり方で連結していました。
こちらは「新青森」方で①単線の山形新幹線、②東北新幹線を上り「東京」行き「やまびこ」がやって来ます。
「やまびこ」E2系10連は上り本線から下り本線に転線し逆走
続いて下り副本線に進入
最後に退避線の14番線に入線しました。
ホーム「東京」寄りに停車&連結器カバーを開いて、「つばさ」の到着を待ちます。
ホームには連結位置を示すこんな看板が...
もう一つ
数分後、山形新幹線「つばさ」E3系2000番台7連が到着。
走りながら連結器カバーを開き、
「やまびこ」後部に連結しました。
「やまびこ」到着が遅れた場合、「つばさ」は駅手前で抑止するのでしょうか?
こちらはホームの「東京」方で、左(14番線)が上り「東京」行き先頭部、右(13番線)は下り「仙台」行き(両方とも「やまびこ」)最後部です。
「仙台」行きが先に出発し、
続いて「東京」行きが反対方向に出発。
再び下り本線を逆走した後、上り本線に転線して行きました。
この間、下り本線は通過不能になりますのでダイヤを組む際の制約に...
<その2 デッドセクション>
新幹線は交流25キロボルトですが奥羽本線は20キロボルトの電圧ですから、境界にデッドセクションが有ります。
駅から20分ほど歩いて、目標の跨線橋に着きました。
①がセクションインシュレータ、②が交交デッドセクション標識
こちらは跨線橋の上から見た所で、
さらに反対側から撮った①です。
境界部の線路には剣山の親玉の様なものが敷かれていましたが、用途は分かりませんでした。
上り「東京」行き「つばさ」がやって来ましたのでパチリ
複線を逆走している様に見えますが、ここは山形新幹線(左)と奥羽本線(右)の単線並列区間で、
列車はデッドセクションをノッチオフで通過します。
<名鉄岐阜 2015年5月25日>
(画像は2015年3月29日に撮影)
ここは名古屋本線の終点でかつ、各務原(かがみがはら)線の起点ですが、2線は分離されていて渡り線も有りません。
以前「(西武)国分寺」駅を取り上げた際、
元々別会社(川越鉄道、多摩湖鉄道)の駅だったためこの様な形になったと書きましたが、「名鉄岐阜」も同じ理由です。
1面2線の各務原線ホームが歴史的には最も古く
2面4線の名古屋本線の方は、後から作られました。
この駅が現在の形になるまでの経緯を以下に触れますが、誤りなど有りましたらご容赦下さい m(__)m
1914年(大正3年)、東海道本線駅の横に、美濃電気軌道の「新岐阜」駅が開業したのが始まりです。
ついで1928年(昭和3年)、現在の「名鉄岐阜」駅が有る所に各務原鉄道の「長住町(ながずみちょう)」駅が出来、
1948年(昭和23年)、名古屋本線の駅を現在の場所へ移設し2代目「新岐阜」駅に統合
そして2005年(平成17年)「名鉄岐阜」に改称し、現在の姿になりました。
最後は恒例の、各線を発着する列車のオンパレードで、まずは名古屋本線から始めます。
<1番線>
こちらが終端部
そしてホーム反対側の先端部から見た「豊橋」行き快速特急2200系6連
こちらは、「豊橋」行き快速特急1000系6連がJR高架線下の単線部分に差し掛かる所(3番線から撮影)で、
高架の右手にはJR「岐阜」駅が見えました。
<2番線>
左側が2番線(右は3番線)の終端部
「中部国際空港」行き特急2300系4連+1700系2連
こちらはホーム先端側から見た1700系の先頭部
<3番線>
「豊橋」行き急行3500系(2代)6連(終端部側から)
こちらは「須ヶ口」行き普通6800系2連の出発後撃ち
(何れも、2番線から撮影)
<4番線>
終端部と
「須ヶ口」行き普通1800系2連
次は各務原線に移り、まず終端部側から見た構内全景です。
<5番線>
初めに終端部
次はホーム先端から見た「犬山」行き普通1380系4連(左)
振り返って「犬山」方をパチリ
<6番線>
こちらが終端部
管理人が「新鵜沼」から乗って来ました急行1800系2連は、
後発の「犬山」行き普通になりました。
<過去に存在した7番線>
上の画像右端の側線は、2005年(平成17年)まで美濃町線に直通する列車が停まる7番線で、
路面電車タイプの車両に合わせ、ホームが一段低くなっているのが分かりますね。
次は先端側から見た連接タイプのモ880形で、上2枚の画像はネットから借用致しました m(__)m
600ボルトの美濃町線に対し各務原線は1500ボルトなので、複電圧車が投入されていたそうです。
<新鵜沼 2015年5月21日>
ここは犬山線と各務原(かがみがはら)線の終点で、興味深い所が多々有ります。
構内は1番・2番線が通過、3~5番線は終端形ホームになり
各務原線の列車は1番・2番線を使用(「犬山」まで乗り入れ)、
犬山線の方は当駅始発で、3~5番線に入線していました。
ホームがカーブした経緯は以下の通りで、誤りが有りましたら
ご容赦下さい m(__)m
1926年(大正15年)、省営高山線「鵜沼」駅の前に、名鉄の「新鵜沼」駅が開業
続いて1927年(昭和2年)、各務原鉄道の「東鵜沼」駅が出来
1931年(昭和6年)、駅名を「新鵜沼」に統合
1964年(昭和39年)、現在の場所に駅を移設しました。
続いて地図に有る高山本線との連絡線①の経緯に触れます。
戦前から2001年(平成13年)までこの連絡線を使い、名鉄が高山本線へ乗り入れていました。
こちらはキハ8500系3連が犬山橋②を渡る所で、この後①の連絡線を通って高山本線に入ります(画像はネットから借用)。
連絡線①の跡は現在、道路になっていました。
次は、鉄道道路併用橋として有名だった②の犬山橋です。
まずは、対岸の愛知県側橋詰?を7000系6連が通過中の図
①の連絡線を経由し、国鉄との間で貨物輸送も...
時代は下って1000系8連(岐阜県側橋詰?)
2000年(平成12年)に道路橋が下流側(右)に出来、元の橋は鉄道専用になりました(上の3枚もネットから借用)。
こちらは岐阜県側橋詰から見た現在の姿で、
橋に向かう「犬山」行き普通3100系2連(後撃ち)と
俯瞰画像です(これもネットから借用)。
最後は恒例の、各線を発着する列車をまとめて載せました。
まず「犬山」方から見た構内全景(左から1番~5番線)で、
2番線と3番線に列車が停まっています。
<1番線>
「犬山」発、各務原線「名鉄岐阜」行き普通1380系4連が入線する所(4番線から撮影)と
同じく「名鉄岐阜」行き普通3150系2連の後撃ち
<2番線>
「名鉄岐阜」発、「犬山」行き急行1800系2連と
同じく6800系2連(両方とも1番線から撮影)
<3番線>
こちらが終端部
まず「河和(こうわ)」行き急行6000系6連(5番線から)
そして回送の3500系(2代)6連(1番線から撮影)
ホームがカーブしているので、編成が長いと全体をフレームに収める事が出来ませんでした
<4番線>
こちらが駅外から見た終端部
「中部国際空港」発、特急ミュースカイ2000系4連が入線する所(1番線から撮影)と
「河和」行き急行3500系(2代)6連
<5番線>
こちらも終端部を駅外から見た所
「豊橋」行き特急2200系6連の先頭部(1番線から撮影)と
「内海」行き急行5000系(2代)4連
<知立(ちりゅう) 2015年3月13日>
ここで名鉄名古屋本線と三河線が接続しており、三河線の方はスイッチバック構造をしています。
構内配線図はこんな感じで、三河線が名古屋本線に乗り入れ出来る様、2~4番線は通過式ホームになっていました。
6番線「名鉄名古屋」方末端から見た構内全景で、赤い電車は全て三河線の列車(左手複線が名古屋本線)です。
左端が4番線の「碧南」行き、中央3番線も後発の「碧南」行き、右端が2番線の「猿投(さなげ)」行きの最後部側画像
左から2番目のホーム(旧3番/2番線)は駅立体化工事の為、閉鎖されていました。
ここでスイッチバックの経緯に触れますが、誤りが有りましたらご容赦下さい。 m(__)m
まず1915年(大正4年)に、三河鉄道(現在の名鉄三河線)の「知立」(現在の「三河知立」)駅が出来
1923年(大正12年)、愛知電気鉄道岡崎線の「新知立」駅が開業
1941年(昭和16年)、両駅を統合し「知立」駅に改称
さらに1959年(昭和34年)、三河線の名古屋本線乗り入れに備え駅を西方に移設し、スイッチバック化
当時の地図には三河線の旧線部分(矢印)が有りますね。
時期は不明ですが三河線の旧線や、名古屋本線との連絡線が廃止され現在の形になりました。
それでは駅外から三河線を見て行きましょう。
北口①を出て踏切を渡り南へ...
ここが海線②(左から右)と山線③(中央奥へ)の分岐点で
まず、海線を「知立」(左)に向かう6000系4連と
その後撃ち(シーサスを渡り、4番線に転線中)
同じ場所で、「猿投」(右)行き山線6000系2連の後撃ち
もう一度海線で、今度は「碧南」(右)行き6000系2連
本当に三河線は、6000系ばかりですね(^^;
右手の道路は旧線跡④で、
この道を北へ向かうと
三河線:山線と名古屋本線の立体交差⑤になり、その後方に「三河知立」駅(矢印)が見えました。
同じ場所から振り返って「知立」方(右奥)
最後は何時もの様に、各ホームを発着する列車づくしです。
<1番線は側線でホームは有りませんので2番線から>
三河線:山線の「猿投」行き6000系4連
<3番線>
三河線:海線の6000系2連ですが動く様子は無く
<4番線>
三河線:海線は、主にこちらのホームを使う様でした。
(「碧南」行き6000系2連)
<5番線>
「名鉄名古屋」方先端部側から撮影した「名鉄岐阜」行き特急1000系6連と、
犬山線直通「犬山」行き普通5700系4連
それにしても、各停が2扉クロスシート車とは驚きです。
<6番線>
「豊橋」方先端部からの撮影で、「豊橋」行き快速特急2200系6連の出発後撃ちと 「東岡崎」行き普通3500系(2代)4連
そして「名鉄名古屋」方から豊川線直通「豊川稲荷」行き急行3500系(2代)6連の後撃ち
現在、踏切渋滞解消を目指した高架工事中で、完成予想図を見ると以前記事にした「(京急)蒲田」を思わせる外観でした。
完成しましたら2階が待避線の有る名古屋本線ホーム、3階が三河線ホームになるそうです。
<豊橋 2015年5月9日>
ここはJR3線と私鉄3線が集まる東三河地方の要衝で、
その内JR飯田線と名鉄名古屋本線は戦前から相互乗り入れ(青い線の線部分)しています。
かなり簡略化していますが配線はこんな感じになり
「名古屋」「辰野」方面に向かう下り線はJRが、「豊橋」に向かう上り線は名鉄所有(赤い線の部分)だとか。
こちらは上の図の赤丸地点からホームを見た所で
2番線(中央:JR)と3番線(左:名鉄)は別会社にも拘わらず、ホームの中央に仕切り柵が有りませんでした。
JRと名鉄をICカードで乗り継ぐ時はこちらを使い
そうでない場合は、こちらで切符を買う仕組みです。
次は3番線の先端部で、入線する「名鉄岐阜」始発の快速特急1700系+2300系6連を撮りました。
名鉄のホームは現在3番線1本で右手に東海道本線の線路が走っているため、拡張は難しいかと...
ここで飯田線と名鉄の相互乗り入れの経緯に触れますが、誤りなど有りましたらご容赦下さい。 m(__)m
まず明治時代に豊川鉄道が建設され
1926年(大正15年)、「神宮前」方面から線路を伸ばして来た愛知電気鉄道が「小坂井」に接続、その列車は「豊川」まで直通したそうです。
翌1927年(昭和2年)、愛電は「吉田」まで延伸し、この時から相互乗り入れが始まりました。
戦後の1954年(昭和29年)、名鉄豊川線が全通した事に伴い小坂井支線は廃止され、現在に至ります。
次は飯田線の先頭車窓から、相互乗り入れ区間を撮りました。(画像は乗車した「豊川」行き313系2連が入線する所)
出発すると左へ転線を繰り返しJR所有の下り本線に進入
(右側が名鉄所有の上り本線)
途中、「飯田」始発「豊橋」行き特急「(ワイドビュー)伊那路2号」373系3連と擦れ違い、
「船町」駅へ到着(左は東海道本線上り貨物)
続いて豊川を渡り
対岸の「下地」駅に到着。 「船町」駅ともども飯田線の列車だけ停まります(名鉄は通過)。
やがて豊川放水路を渡ると
平井信号場の
両開き形分岐①に差し掛かり
右の飯田線に入り名鉄本線をアンダーパス
右カーブして「小坂井」駅に到着しました。
最後は①の分岐点から、各方面に向かう列車を撮影。
初めは、飯田線との立体交差を通過する名鉄の「豊橋」(右手)行き快速特急1000系6連
続いて「名鉄岐阜」行き急行3500系(2代)6連がやって来て
通過する所を後撃ち
やがてポイントが飯田線側に切り替わると
「豊川」行き313系2連が姿を現し
目の前を通過(後撃ち)
最後は②に向かい勾配を登って来た、「豊橋」行き313系です。
<新庄 2015年3月26日>
駅舎は2002年「東北の駅百選」に選ばれています。
ここは奥羽本線・陸羽東線・西線3路線の接続駅であると共に山形新幹線の終点になるため奥羽本線はここ以南は標準軌、以北は狭軌に分かれていました。
現在のところ全国で唯一、非都道府県庁所在地に有る新幹線始終着駅だそうです。
構内はH形の頭端式ホームを持つ珍しい形状をしていました。
(配線図は概略レベル)
それでは何時もの様に、1番線から順に見て行きましよう。
<1番線・2番線>
左から1番線・2番線の終端部で、山形新幹線と「福島」方面へ向かう普通列車が入線します。
反対に終端部からホームを見た所で、
1番線には、「東京」行き特急「つばさ」E3系2000番台7連、
そして旧塗色のE3系1000番台7連もやって来ました。
次はホーム先端から見た所と
同じ場所から振り返って「東京」方です。
右手と中央の線路(標準軌)が奥羽本線・山形新幹線、左端の線路が陸羽東線(狭軌)で、単線並列の形になっていました。
2番線に停車中の列車は、「山形」行き普通
701系(標準軌仕様の5500番台車)2連です。
<3番線・4番線>
右から3番線・4番線の終端部で、奥羽本線「秋田」方面と陸羽西線の列車が入線します。
次は終端部からホームを見た所で、
3番線(左)は陸羽西線経由羽越本線直通「酒田」行き気動車
キハ111形+112形2連
4番線(右)は奥羽本線「真室川」行き701系(基本番台)2連が停まっていました。
こちらは先端側になります。
北に伸びる線路は撮り忘れましたので代りの画像を...
3番ホーム先端から撮った古い車庫は前面板張りで、途中から煉瓦作りでした。
<5番線>
陸羽東線と陸羽西線・奥羽本線はこの線(狭軌)経由で行き来出来る様になっており、
入線して来たのは陸羽東線のキハ111形+112形2連です。
駅外からもう1枚パチリ
ダイヤ改正後にこの記事を書いていますので、列車の行き先は分かりませんでした m(__)m
(新ダイヤでは、「仙台」行き快速「みのり」に格上げ?)
構内に側線が何本か有りましたが、この701系(標準軌仕様の5500番台車)2連が居る線だけ
標準軌です(中央の線路)。
<(阪急)西宮北口 2015年3月7日>
上の画像を撮った場所は「東口」で、
改札口はほかに「北口」、「南口」、「南東口」と全部で4箇所有ります。
1920年(大正9年)に開業した当時、西宮町の北方に位置する農村地帯だったので「西宮北口」と言う駅名にしたとか...
ここは阪急神戸線と今津線の接続駅になり
1984年(昭和59年)まで両線の平面交差が存在したのですが神戸線ホーム延長のため、今津線は南北に分断されました。
参考文献から当時の配線略図を起こしてみましたが、正確性は追及されません様に m(__)m
近くの高松ひなた緑地にダイヤモンドクロスの実物と記念碑が有り
銘板に描かれた1982年(昭和57年)当時の画像をパチリ
多分、神戸線上りホーム(配線図の赤三角位置)からの撮影で
横方向が今津線(左手「宝塚」方、右手「今津」方)
縦方向が神戸線(前方「梅田」方、手前「三宮」方)
ではないかと...
こちらは平面交差が出来た1926年(大正15年)から間もない1932年(昭和7年)の画像で、1枚目と同様に
横方向が今津線(左手が「宝塚」方)と思われます。
それでは何時もの様に、1号線から順番に見て行きましょう。
<1号線と2号線>
ここは神戸線下り「三宮」方面で、まず「梅田」方から撮影。
1号線(左)の「神戸三宮」行き普通9000系8連、2号線(右)の「新開地」行き特急8000系8連を後撃ちしました。
次は反対の「三宮」方から見た所で
2号線(左)は「新開地」行き特急9000系8連、1号線(右)が「神戸三宮」行き普通7000系8連です。
<3号線と4号線>
こちらは神戸線上り「梅田」方面で、まず「三宮」方から撮影。
4号線(左)の「梅田」行き普通、3号線(右)の「梅田」行き特急
何れも7000系8連を後撃ちしました。
偶々同系車が並びましたが左の7008編成はリニューアル後、右の7021編成は未済とあって随分顔付きが違いますね
次は反対側の「梅田」方から3号線の「梅田」行き特急7000系8連を撮影。
こちらの7000編成(トップナンバー)は、調べましたら内装のみリニューアルしたそうで面構えは変わっていませんでした。
そして4号線を出発した「梅田」行き普通5000系8連(後撃ち)です。
この列車の裏手に西宮車庫が有り、コンデジの望遠ではこれが限界でした。
<5号線>
今津線南線のホーム(列車は「今津」行き6000系3連)で、
終端部はこんな感じです。
なお列車の入出庫は、神戸線下り線との間の連絡線(8号線)を使って行うそうですが写真は撮り忘れました。
次は今津線北線と神戸線上り線との連絡線(9号線)で、矢印がそれになります(今津線北線の入出庫と共に直通列車も使用)。
折りしも3号線(右)を出発した「梅田」行き特急1000系(2代)が差し掛かりました(左端の線路は、車庫内の引き上げ線)。
先日「(阪急)宝塚」を取り上げた際、「宝塚」発「西宮北口」経由「梅田」行き列車の事を書きましたが、
正にこの9号線を通る訳です。
<6号線と7号線>
今津線北線用で真ん中が6号線、右側の列車が入線しているホームが7号線(「宝塚」方先端から見た所)
左端は9号線で通過専用のため、ホームには柵が有りました。
こちらは同じ場所から振り返った「宝塚」方で、
今津線列車(3000系6連)の到着をパチリ。
最後は7号線の終端部(6号線は撮り忘れました)と、
停車中の7000系6連です(右側が7号線で左は降車専用)。
2017-09-01 04:19
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