行き止まり駅訪問(過去記事その3) [鉄道(実物)]
過去に載せました「行き止まり駅訪問」シリーズの閲覧場所③で2016年2月~2017年11月の記事を集めました。
なお、それ以前の記事は「過去記事その2・1」)に有ります。
(2017年9月1日に最終掲載)
<北陸鉄道石川線「鶴来(つるぎ)」 2017年11月21日>
画像は2017年6月8日に撮影したものを使いました。
最寄のJR北陸本線「松任(まっとう)」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用で、高架は北陸新幹線)
直線距離が9キロ強有るため、行き止まり駅になります。
浅野川線「内灘」と同様に、列車が到着し乗って来たお客さんが全て改札口を出て漸く入場出来る方式の有人駅でした。
そして、到着列車は短時間で「野町」へ折り返すダイヤのため、構内をゆっくり撮影する事が出来ません
終端部側の線路が延びているのは、2009年(平成21年)までこの先の「加賀一の宮」まで通じていた名残だとか。
振り返って左が2番、右が駅舎に繋がる1番のりばです。
(左は7200形、右は7100形で共に元東急7000系の2連)
管理人は「野町」から乗って来て上の2画像を撮った後、冒頭の理由で早々に改札口を抜け、後は外側から撮りました。
①駅外から見た構内で、両ホームは踏切で結ばれています。
②「野町」行き7100形2連をパチリ
③歩道橋の上から見た駅(左奥)と車両基地(右)
④車両基地の隅に置かれていたED20形
⑤「野町」行き7200形2連で、ピンボケは御容赦下さい。
(本形式は中間車からの改造なので、前面が非貫通)
⑥駅舎の反対側から見た構内
⑦留置線の7000形2連
後で調べましたらこの2両だけ非冷房車なので、夏場はお休みとの事でした。
元京王3000系の7700系も走っているのですが撮れなかったので、同類の浅野川線8000系を載せておきます m(__)m
(「北鉄金沢」駅にて出発を待つ、「内灘」行き2連)
<北陸鉄道石川線「野町」 2017年11月5日>
画像は2017年6月8日に撮影したものを使いました。
最寄のJR北陸本線「西金沢」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用で、高架は北陸新幹線)
直線距離がギリギリ2キロを越え、行き止まり駅になります。
ここは他の鉄道路線との連絡は無く、早朝訪問した事もあって駅前は閑散としていました。
(JR「金沢」駅からは、バスで15分ほどの距離)
ラッシュ時は分かりませんが、この時間は駅員さんは不在で、改札はフリーパスです(掛け時計は6時)。
構内は2面2線ですが、現在は駅舎寄りの1番のりば(左)だけ使われていました。
終端部と
こちらはホーム先端側から駅舎方向を見た所です。
暫くすると「鶴来(つるぎ)」行き1番列車が到着し、
駅舎ギリギリの所で停まりました
そのため列車と車止めのツーショットは、こんな感じです。
7000系(元東急7000系)2連の列車は、ホームが短かくかつ曲がっているため、フレームに収まりません(^^;
車内(最後尾から撮影)は出発時ガラガラだったものの、
JRと接続する「新西金沢」で、そこそこ席が埋まりました。
先端もホーム一杯で列車の正面が撮れませんでしたが、
前方の踏み切り脇からでしたら可能だったんですね~
この記事を書いていて気付きました
年季の入った、2ハンドルタイプのマスコンをパチり
駅の先もカーブが続いているのと、右手2番のりばへ分岐するレールが撤去されているのが分かります。
管理人はこの列車に乗って「鶴来」へゴーしましたが、その話は後日に譲り(所要時間は30分ほどでした)、
とりあえず現地で撮った7000系の画像を載せておきます。
(「鶴来」駅構内の側線で、後方左手が駅舎)
<北陸鉄道浅野川線「内灘」 2017年10月21日>
画像は2017年6月7日に撮影したものを使いました。
最寄のIRいしかわ鉄道線「東金沢」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が5キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは、列車が到着し乗って来たお客さんが全て改札口を出て漸く入場出来る方式の有人駅でした。
中は単式ホーム(有効長2両)1本で、列車は「北鉄金沢」行き8000系(元は京王井の頭線3000系)です。
1974年(昭和49年)に1つ先の「粟ヶ崎海岸」駅が廃止され、ここが終点になりました。
振り返って駅舎方向をパチリ(右手は車両基地です)
こちらはホーム先端から「北鉄金沢」方を見た構図で
右手2本の線路は、車両基地へ続いていました。
次は、駅(右端)と車両基地を一望した所で、
建て屋左手の片開き扉の8800番台車は、アップすると車体の裾絞りが無いのが分かります。
(建て屋右手2本は、裾絞りが有る両開き扉の8900番台車)
そして最後は、車両基地側から見た駅舎と、
少し前方の踏切り際から
線路が駅に向かって分岐する様、
続いて、踏切りを渡った反対側から「北鉄金沢」へ向かう列車の後撃ちを撮りました。
因みに8000系の運転台は昔懐かしい2ハンドルタイプで、
ご他聞に漏れずワンマン運転です。
<のと鉄道七尾線「穴水」 2017年10月5日>
画像は2017年6月7日に撮影したものを使いました。
最寄の「七尾」駅まで
(↓JR七尾線「金沢」行き415系800番台3連)
直線距離が21キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
こちらが現在の駅舎(元JR「穴水」駅)、
そして2軒右隣に「のと鉄道」の旧駅舎(「のと穴水」駅)が有り、現在は「のと鉄道」本社が入っていました。
1991年(平成3年)に、「七尾」駅以北の路線が「のと鉄道」に転換されるまで、2つの駅舎が並存していたんだそうです。
(現在「穴水」以北の路線は、全て廃止)
駅舎内にはJR時代の名残か?「みどりの窓口」が有りました。
こちらが終端側から見た構内全景(駅舎は跨線橋の左横)で、
左端から順に
切り欠き式ホームの0番のりば(保存車両を留置中)
駅舎に接した単式ホームの1番のりば(跨線橋下に列車)
島式ホームの2番、3番のりば
車両基地の側線群になります。
振り返って見た終端方向で、
車止めは400mほど前方に有り、その先の線路は撤去されていました。
次は、右手0番のりばに保存中のNT100形127と、
NT800形801・802ハイデッカー車をパチリ
(何れも富士重工製)
左手の車両基地には現役のNT200形203と、
隣に同形式211「永井豪キャラクター」ラッピング車が休憩中。
(作者が輪島出身なんだとか... ↓キューティハニーです)
そして3番のりばにNT300形301・302「のと里山海山号」の姿が見えました。
(NT200形、NT300形とも新潟トランシス製)
こちらはNT200形202・204「花咲くいろは」ラッピング車で
(1番のりばに入線中)
全面に、主要登場人物が描かれていました。
外側だけでなく、車内もポスターだらけです(^^;
管理人は「七尾」からこの列車に乗って来たのですが、シートの間隔が広々としていて
足を延ばしても、こんな感じでした(^^;
最後にホーム先端部から見た「七尾」方と
振り返って、駅中央方向をパチリ
<JR氷見(ひみ)線「氷見」 2017年9月21日>
画像は2017年6月6日、7日に撮影したものを使いました。
最寄の「高岡」駅まで
(↓あいの風とやま鉄道の「とやま絵巻」号413系3連)
直線距離が12キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
横に広がる上屋は近年付けられたものの様で、
中に入りますと、昔ながらの佇まいが残っていました。
構内は1面2線ですが、2番のりば(左)は使われていません。
入線中の「高岡」行きキハ40形2連の先頭は忍者ハットリ君のラッピングが施され(↓起点の「高岡」駅にて撮影)、
これは原作者の安孫子 素雄さん(藤子不二雄A)が氷見の出だからだそうです。
因みに、もうお一方の藤本 弘さん(藤子・F・不二雄)は高岡の生まれで、駅前にはドラえもんのオブジェが並んでいました。
(ドラえもんの原作者は藤本さんなんだとか...)
「氷見」駅に話を戻し、こちらが終端部で
車止めの横には「高岡」起点16.6キロの丙号距離標が...
同じ位置から振り返って見た、ホーム中央方向
そして、こちらが「高岡」方の先端部になります。
出発時刻が近づいたので一旦駅を出て「高岡」へ向かう列車を後撃ちしました(正面画像は、ド逆光のためボツに)。
次にやって来たのはキハ47形2連で、「高岡」寄りの先頭車はチューリップ(砺波市)、
そして後方はNANTOくん(南砺市)のラッピングです。
(↑「高岡」駅構内に待機中の所を撮りました)
ついでに「高岡」起点のもう1本の路線・万葉線のお話も少々
大伴家持(おおとものやかもち)が伏木に有った越中国々府で国司を務める傍ら、万葉集の編纂に当った事から「万葉線」の愛称が付いたんだそうです。
「高岡駅」停留所で出発を待つデ7076は非冷房車で、
こちらのデ7071は冷房化されていました。
最後は、街中で見掛けたMLRV1000形「ドラえもんトラム」
万葉線の終点「越ノ潟」は鉄道の駅ですが、車両が路面電車型のため「行き止まり駅」にして良いものか?思案中です(^^;
<仙台市地下鉄東西線線「八木山動物公園」
2017年8月25日>
画像は2017年2月27日と、
4月8日に撮影したものを使いました。
最寄の仙台市地下鉄南北線「愛宕橋」駅まで
(↓画像はネットから借用 m(__)m)
直線距離が3キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは入り口を降りた地下1階に改札口、
さらにその下が1面2線のホーム階、という典型的な造りでした(先端側から見た左2番、右1番のりば)。
1番のりばの終端側は線路がカーブしていますが
2番のりば側は直線で、前方の車止めが見えます。
次は1番のりば側の先端で、ホームの手前にシーサスが有り、列車は1番/2番のりば交互に入線・客扱いしていました。
構内を一通り撮った後、同名の公園に行ってみましたが
開園前(朝8時台に訪問)で、全く人が居ません(^^;
東西線はどの駅も列車は一杯々に停車し、ホームドアも有ってスッキリした編成画像を撮れないため、
代わりに「国際センター」駅近くの広瀬川を渡るシーンを載せておきます。
最後に、以前「荒井」駅を取り上げた際に余り触れませんでした車両のお話を少々...
仙台初の地下鉄南北線で使われる1000系は軌間1,067mm全長20m、4扉車なのに対し(↓はネットからお借りしました)、
次に開業した東西線の2000系は軌間1,435m、全長16m、3扉車と全く異なりますが
唯一、大きなRが特徴の客室扉窓の形状は同じです。
(こちらは外観で、後出の特異な台車形状も合わせて)
そのパンタグラフは、架線(矢印)との間隔が狭く、
横から見るとペッタンコ状態に...
地下区間だけでなく、地上部も架線間隔の狭さは同じでした。
2000系の最大特徴は、今年3月9日記事でも取り上げました両軸操舵台車SC102形を履いている点で(↓はネット画像)、
東京メトロ銀座線1000系の
SC101形台車(↓もネット画像)は片軸が偏移し、
主電動機を搭載する車軸(画像左側)は固定なのに対し、
東西線はリニアモーターなので主電動機が不要になり、
SC102形は両軸が操舵出来ます。
仙台市街には直角カーブが10ヶ所有り、通過時騒音の程度はこんな感じでした。
個人的感想ですが、両軸操舵台車の効果が充分出ている様に思えます
<仙台市地下鉄東西線線「荒井」 2017年8月13日>
画像は2016年3月14日と10月16日、
2017年4月8日に撮影したものを使いました。
最寄のJR仙石線「小鶴新田」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が3キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは地上に立派な駅舎が有り、1階に改札口とコンコース、
地下1階部分が1面2線のホームという構造でした。
到着した列車(左側)は、お客さんを降ろすとそのまま前進して車両基地に入り、方向転換して2番のりば(右側)に入線します(ホーム先端側から撮影)。
こちらは2番のりば先頭部で列車はホーム一杯に停まるため、前面が撮れませんでした
因みに、運転室横の小窓は名鉄4000系を連想させます
列車出発後「八木山動物公園」方を見ますと、駅を出たらすぐシールド工法のトンネルになり、
また、都営地下鉄大江戸線と同じく鉄輪式リニアモーター方式なので、レール間にリアクションプテートが敷かれていました。
次は反対のホーム終端側をパチリ
レールはこの先、車両基地の引き上げ線へ続いていますので、本当の終端部を見に行く事に...
こちらが駅の東側に隣接する荒井車両基地①で、
敷地全体を2m以上かさ上げした上に建設されていて、場所によってはフェンスと側溝も有り、
全く中を垣間見る事が出来ません
運良く引き上げ線②に列車が入りましたので、すかさず撮影
車両基地南端の引き上げ線終端部③にはゲートも有り、車両
搬出入はここから行うのでしょうか?
一周して戻って来た駅南口④で、こちらにはバス停やタクシー乗り場が有りました。
お約束の編成画像は、「国際センター」駅近くの広瀬川を渡る2000系4連です。
(↑「八木山動物公園」行き、↓「荒井」行き後撃ち)
以前乗った南北線の1000系は川崎重工製ですが
東西線の2000系は、近鉄系列の近畿車輛製でした。
今年3月9日記事で取り上げました、2000系の両軸操舵台車SC102形(画像はネットから借用)については
紙面の関係で、後日取り上げる事に致します m(__)m
<JR城端(じょうはな)線「城端」 2017年7月9日>
画像は2017年6月6日に撮影したものを使いました。
最寄の、あいの風とやま鉄道線「石動(いするぎ)」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が23キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
中々趣の有る駅舎なので後日調べた所、1897年(明治30年)開業当時からの由緒有る建物でした。
終端側から見た構内は駅舎に面して1番のりば、線路を挟んだ右端が2番のりばです。
振り返って機回し構造が残る終端部をパチリ
2番のりばには先発の「高岡」行きキハ40形単行列車が居て、
1番のりばとは構内踏切で繋がっていました。
次は1番のりばに戻り、先端から見た「高岡」方と
駅舎方向を振り返っての1枚(2番のりばの長さは2両分)。
待合室のポスターに依ると、6基の曳山が見られる曳山会館は駅からちょっと距離が有るので訪問は諦めましたが、
コミュニティバスで行けたのかもしれず、事前調査不足です
まもなく1番のりばに後発のキハ47形2連が到着し、
管理人は先発のキハ40形(左側)で「城端」を後にしました。
50分乗って、城端線の起点「高岡」に到着(右側の列車)。
因みにワインレッドに白線の高岡色は2016年までに消滅し、皆タラコ塗装になったんだそうです。
乗って来たキハ40形(左端)の入車を見届けた後、
側線に沿って並んだ気動車用給油装置4基を撮影。
最初、このA字形の道具(四角)は何に使うのか不明でしたが
運良く給油作業が始まり、
タンク(黄矢印)に差し込んだ給油ノズル(青矢印)を下支えする馬(赤矢印 正式名称は不明)と分かりました。
これだったら、人が付いていなくてもOKですね
<JR常磐線「浪江」 2017年6月9日>
画像は2017年4月7日に撮影したものを使いました。
最寄のJR常磐線「竜田」駅(2015年2月27日訪問)まで
直線距離が23キロ強有るため、行き止まり駅になります。
(現在、「浪江」~「竜田」間は不通状態)
こちらが駅舎で、
今年4月1日から、この駅に列車がやって来る様になりました。
それまで2駅手前の「小高(おだか)」が暫定終点でしたが、漸く「浪江」まで開通したのです。
内部は「竜田」駅と同様に、1番のりばや跨線橋は閉鎖され、
仮設通路で結ばれた3番のりばに列車が着く形でした。
ホーム南端から見た「竜田」方は車止めが無く、
次駅(双葉)表示もそのままです。
ホーム南端から見た構内全景と
少しホーム中央に戻って、もう1枚パチリ
ワンマン運転の701系2連は、4駅先の「原ノ町」行きで、
そこには「仙台」行き(左のE721系4連)が待っていました。
2014年に当時の暫定終点駅「広野」を訪問した時、管理人が生きている間の全線開通は無いのでは?と思っていましたが、予想外の速さで復旧しつつあります
<名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(愛称:あおなみ線)
「金城ふ頭」 2017年5月9日>
画像は2017年3月8日に撮影したものを使いました。
最寄の名鉄常滑線「新日鉄前」駅(ネット画像を借用)まで
直線距離が4.7キロ有るため、行き止まり駅になります。
2階部分に駅舎が入り、ホームは3階と高く
港も近いので風が強いため
フルスクリーンタイプのホームドアが設置されていました
(前方が終端部で、左1番/右2番のりば)
こちらが1番のりばの終端部
そして2番のりば側(右後方ドームは名古屋市国際展示場)、
ホーム末端の2両分は閉鎖され、使われていません。
次は先端部へ移動し、ガラス越しに「名古屋」方面をパチリ
(右端の銀屋根↑は「リニア・鉄道館」↓のもの)
こちらは1番のりばから出発した1000形04編成の後撃ち
そして01編成がシーサスを渡って2番のりばに進入する所で、
日中でも両のりばが交互に使われています。
因みに駅周辺には、前出の
①名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)
②リニア・鉄道館以外にも
③レゴランドや大型商業施設が幾つも有りました。
(経営の苦しい「あおなみ線」の収入が少しでも増えれば...)
最後に起点「名古屋」から1つ目の「ささしまライブ」駅で撮った動画を2本載せておきます。
まず「金城ふ頭」行き01編成が到着する所
そして「名古屋」方面へ向かう、DD51重連牽引のタキ群
多分、関西本線「塩浜」から「稲沢」へ向か石油列車かと...
<北条鉄道北条線「北条町」 2017年4月17日>
画像は2016年12月26日に撮影したものを使いました。
最寄のJR播但線「福崎」or「溝口」駅まで直線距離が7.6キロ有るため、行き止まり駅になります。
2001年(平成13年)に建てられた駅舎を入ると、
片面1線のホームと側線が1本有り、三木鉄道から譲渡されたフラワ2000-3(富士重工製)が休んでいました。
終端部を撮ってから
次はホーム先端に行って「粟生(あお)」方をパチリ
左端が側線、中央が本線、右端はホーム裏手の検修庫に続く線路です(姿が見えないフラワ2000-2は建て屋の中?)。
過去に訪問した山形鉄道「荒砥(あらと)」駅や
明知鉄道「明智」駅の様に
国鉄ローカル線が第三セクター化した鉄道は、終着駅に車庫を構えているところが多い気が...
そうこうする内に、フラワ2000-1が到着しました。
「粟生」までは1閉塞区間で列車交換はせず、1列車がピストン往復しています。
ここへ来る時はガラガラでしたが、
帰りは通勤・通学客で満員になりました。
7時42分「北条町」始発 → 8時04分終点「粟生」着
左端が北条鉄道の線路、右はJR加古川線です。
「粟生」駅での他線間接続は良く、5分後にはJR加古川線上り「加古川」行き103系3550番台2連が到着、
同時刻に神戸電鉄粟生線「新開地」行きも出発して行きました。
さらに17分後、JR加古川線下り「西脇市」行きが到着し
2分後、フラワ2000-1が「北条町」に向け出発する腰の軽さです。
<神鉄公園都市線「ウッディタウン中央」 2017年3月5日>
画像は2016年12月26日に撮影したものを使いました。
最寄のJR福知山線「広野」駅(ネット画像を借用)まで
直線距離が2.2キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
1996年(平成8年)開業の駅舎は第2回「近畿の駅百選」にも選ばれたそうで、
ニュータウン路線のお約束通り、広い道路の中央に建てられていました。
こちらは終端側から見た1面2線の構内で、左側が2番のりば(列車は「三田(さんだ)」行き1500系3連)、右が1番のりば。
日中は2番のりばだけ使われる様です(下は6500系3連)。
1番のりば側の終端部と
2番のりば側はこんな感じで
外から見ますと、延伸用地は確保されていませんでした。
次はホーム先端側から駅舎方向を見た所と
振り返った「三田」方(複線用地に単線を敷設)です。
編成画像はお手軽に駅の近くで撮り、まず管理人が乗って来た6500系3連が出発する所と
次発の1500系3連が到着する所をパチリ
公園都市線の起点は「横山」ですが、全ての列車が「三田」まで乗り入れ、日中は1番のりば(右)から発着していました。
(2番のりば(左)は、有馬線直通「新開地」行き5000系4連)
<泉北高速鉄道線「和泉中央」 2017年1月21日>
画像は2016年12月16日に撮影したものを使いました。
最寄のJR阪和線「和泉府中」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が4キロ有るため、行き止まり駅になります。
駅舎は切り通し上に建ち、泉北高速鉄道の本社もこのビル内に有るんだとか...
中に入りますと1面2線のホームと、その両側に側線が1本ずつという構造でした(例によって、配線図は概略レベルです)。
末端部には建て屋が有って見通しが悪く、1番のりば側からと
2番のりば側から別々に終端方向を撮影。
こちらは駅外から撮ったもので、延伸計画が有るためか線路は先の方まで伸びていました。
次は先端部へ移動して「中百舌鳥(なかもず)」方をパチリ。
おまけは2番のりば(左)から出発列する車と、1番のりば(右)に進入する列車のコラボで、
この場合は交差支障が起きず、同時発着出来るんですね。
振り返ってホーム中央方向を見た所、
2番のりば(左)に後発の「難波」行き準急7020系6連
1番のりば(右)に先発の「難波」行き区間急行5000系8連が。
準急は「中百舌鳥」に停まりますが、区間急行は通過になるんだとか...
線内折り返しの列車も有り、駅名は「中百舌鳥」ですが列車の行き先表示は「中もず」になっていました。
南海高野線の列車(6000系8連)も乗り入れて来て、
余談ですが、この6000系はステンレス車体に片開き4扉と言う珍しい構造をしています。
これは2番のりば横の側線に居た5000系8連で、ラッピングはパチンコ店の広告だとか。
島式ホームに停車中の列車は良い構図で撮れないため、隣の「光明池」駅の近くで走行画像を撮りました。
<3000系8連>
後方は、車庫(右手)から出て来た7000系?6連の後撃ち
<5000系8連>
<南海6000系8連>
<7000系6連>
被られましたが、これが一番まともでしたので...(^^;
<7020系6連>
撮影しているすぐ右手は光明池車庫で、ご他聞に漏れず撮影し難かったです(画像は7000系6連)。
最後は、泉北ライナー(特急)11000系4連が入庫する所。
<JR気仙沼線「柳津(やないず)」 2016年12月13日>
画像は2016年10月17日に撮影したものを使いました。
最寄のJR石巻線「佳景山(かけやま)」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が13キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは簡易委託駅で、建物は観光物産館になっていました。
構内は1面2線で列車は1番のりば(右)から発着し、2番のりば(左)は現在使用していないとの事。 (列車は石巻線直通「小牛田(こごた)」行きキハ110形2連)
「気仙沼」方面は2011年の大津波以降不通になり、本線上に車止めは有りませんが、ポイントは安全側線側に切り替わっています。
次にホーム先端まで移動し、「前谷地」方をパチリ
振り返ると、駅前にBRTのバスが来ていました。
気仙沼線は全線BRT(バス・ラピッド・トランジット)が運行され、
「柳津」~「気仙沼」はほぼ鉄路に近接する国道45号線を通りますが、「柳津」~「前谷地」は国道と離れるためノンストップで走ります(途中の駅に寄りません)。
BRTは秋の乗り放題パスで乗れますので「柳津」駅前から
9時40分発の「気仙沼」行きに乗り、
海沿いの南三陸町「志津川(しずかわ)」まで行ってみました。
普通の路線バスと違って鉄道駅にしか停まらず、線路敷を舗装した専用道路区間も有ります。
現在の駅舎は「南三陸さんさん商店街」の傍に移りましたが、
当初は津波で流された「志津川」駅前に停まっていたそうで、ネットからお借りした画像を見ますと
(↑ バス後方が駅舎跡 ↓ 流失前の駅舎)
眼前には、鉄骨だけになった防災対策庁舎がポツンと...
帰りは終点の「前谷地」まで乗り通しました。
10時32分「志津川」発 → 11時36分「前谷地」着。
バスストップの後方は広い操車場になっていて
その左手に鉄道駅舎が有ります。
ここは石巻線と気仙沼線(起点)の接続駅で、
「小牛田」始発「石巻」行きのキハ111形+キハ112形(左)と、当駅始発「柳津」行きキハ110形単行列車(右)をパチリ。
<近鉄けいはんな線「学研奈良登美ヶ丘」
2016年10月25日>
画像は2016年7月29日に撮影したものを使いました。
最寄の近鉄奈良線「学園前」駅(画像はネットから借用)まで
直線距離が3キロ強有るため、行き止まり駅になります。
駅舎を入り2階へ上がると
1面2線のホームに7000系6連が停まっていましたが、
ホームの長さがギリギリなので、先頭部が撮れません
大阪市営地下鉄中央線と相互乗り入れしているため、
(画像は市営地下鉄20系6連の出発後撃ち)
第三軌条集電になっていました。
終端部は延伸を考慮した造りで、
中間駅ホームの形状をしており、
カーブしているのが分かります。
駅外から見ると終端部はこんな感じで
東はすぐ京都府のため、延伸すれば線名に偽り無しに...
(けい→京都府、はん→大阪府、な→奈良県)
こちらは終端側から見たホーム(左2番、右1番のりば)で、
ワンマン運転のため、ホームセンサーが設置されていました。
車両連結部に合わせて置かれていますので、赤外線を20mも飛ばすんですね!
最後は「生駒」方の先端部で、
折りしも2番のりばを出発した回送の7000系は
転線して左手の車庫に入って行きました。
この駅から「生駒」までは第三セクターの奈良生駒高速鉄道が施設を保有し、近鉄は第2種鉄道事業者になるそうです。
<JR名松線「伊勢奥津(おきつ)」 2016年8月24日>
画像は2016年7月28日に撮影したものを使いました。
最寄の近鉄大阪線「西青山」駅(画像はネットから借用)まで
直線距離が18キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
元々「名張」と「松坂」を結ぶ計画だった事から「名松線」と命名されましたが近鉄に先を越され、「伊勢奥津」止まりになったのだとか...
立派な駅舎に見えますが、右端の暖簾の下がった部分だけが待合室で、左は地区住民センターになっていました。
構内は片面1線ホームの簡素な造りで、
第3セクターの非電化路線に見られます終点駅に車両基地が併設された形態ではありません。
列車はキハ11形300番台で、平成11年新潟鉄工所製
伊勢車両区が今年3月末に閉鎖されたため、名古屋車両区に移っています。
終端部はこんな感じで、
前方に「松坂」起点43.5キロを示す乙号距離標が...
車止めはかなり前方に有り、
その横にはSL時代の給水塔が今も残っていました。
次はホーム先端から「松坂」方を見た所で、信号機が見当たり
ませんね。
途中、列車交換設備が有るのは「家城(いえき)」だけで、
(左が上り「松坂」行き、右が乗って来た下り「伊勢奥津」行き)
キャリア(通票を運ぶための大きな輪がついた皮革製入れ物)交換が見られます。
駅員さんが「伊勢奥津」行き列車の運転士さんから受け取って、反対の「松坂」行き列車へ渡しに行く所をパチリ。
後で調べましたら、「松坂」~「家城」間は票券閉塞式、
「家城」~「伊勢奥津」間がスタフ閉塞式だそうですが
正直、タブレット閉塞式との違いが分かりませんでした(^^;
票券閉塞式は全国のJR線区の中で、唯一のものだそうです。
<明知鉄道明知線「明智」 2016年7月21日>
(鉄道名は「明知」ですが、駅名は「明智」です)
画像は2013年7月21日と、
2016年3月14日に撮影したものを使いました。
最寄のJR中央本線「釜戸」駅(画像はネットから借用)まで
直線距離が14キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
こじんまりとした駅舎は「中部の駅百選」にも選ばれたそうで、
構内は片面1線のホームと側線が2本
そして終端側は、車両基地になっていました。
ホーム上の列車はアケチ10形(11号+14号)で、富士重工が地方私鉄用に製造した標準化設計車輌の第1号だそうです。
因みに手前の赤い11号はセミクロスシートで
後ろの14号(始発駅の「恵那」にて撮影したものを使用)と
入庫中の13号(右側)は
ロングシートでした(画像は14号の車内)。
最後は、ホーム先端から「恵那」方を見た所と、
構内配線はこんな感じで、国鉄SL時代の機回し構造が残っています。
昔走っていたC12を2019年までに復活させる計画が有り
3月20日、「明智」駅構内で圧縮空気による運転会が開かれたとか。
復活計画の詳細は分かりませんが、SLの罐を直すには大層な費用が掛かるので、何か別の手を採るのでしょうか?
ひょっとしたら2013年8月4日記事の様な方式かもしれない?と管理人は一人妄想してしまいました
<以下同記事から抜粋>
「野辺山SLランド」と言う遊園地内の保存鉄道で
軌間762mm、長さ350mの周回線を30分毎に走ります。
1948年(昭和23年)ベルギー製の釜で、台湾製糖で使われていたものを廃車後引取り、
規制の関係から既存のボイラーを修復して使う事が難しかったため、①ディーゼル発電機+②電熱式ボイラーにて蒸気を作る改造を施した、とか...
<抜粋終り>
<信楽高原鉄道信楽線「信楽」 2016年6月13日>
(画像は、2016年1月4日に撮影)
最寄のJR草津線と
近江鉄道本線が接続する「貴生川(きぶかわ)」駅まで
直線距離が12キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
ここは信楽線唯一の有人駅で、
内部は2面2線構造になっていました(配線図は概要レベル)。
列車(最新型の新潟トランシス製SKR401)は駅舎に直結したホームに入線し
対面ホームには、これまでの主力型SKR311(富士重工製)が休憩中で、
大勢の狸さんと蛙が客扱いが始まるのを待っています
終端側はSL時代の機回し構造が残り転車台の跡が有りませんので、タンク釜が使われていたのかと思いきや、
亀山機関区のC58が充当され、バック運転で登坂していました(画像はネットからお借りしています)。
配線構造からすると、往時はこの先までレールが伸びていてもおかしくない形状ですが、調べても分かりませんでした。
次は反対にホーム先端から見た「貴生川」方で、全線で唯一の信号機(全線が1閉塞区間)も見えます。
その原因となった1991年(平成3年)の列車正面衝突事故に触れるつもりで画像を集めたのですが、あまりにも凄惨なので掲載を止めました。
左手前方の車庫には
狸のラッピングを付けたSKR312の姿が...
駅舎を出た左手にも大きな狸が鎮座していて、
街中にはもっと大きな仲間も居ましたが、こんな大きいのを焼く窯が有るんでしょうかね?
<水間鉄道水間線「水間観音」 2016年4月13日>
(画像は、2016年1月4日に撮影)
最寄のJR阪和線「和泉橋本」駅へ直線にして3.5キロのため、行き止まり駅になります。
開業(1926年)以来の駅舎(国の登録有形文化財)を入ると
構内は1面2線(左側から1番、2番のりば)と、左端に降車専用ホームが有りました。
1番のりばの終端部と
2番のりば側のそれは、こんな感じです。
次はホーム先端から見た「貝塚」方(左前方は車輌基地)と、
同じ場所から駅舎方向を振り返って1枚パチリ。
水間鉄道の列車は1000系(元東急7000系)の2両編成
4本が稼動中で編成毎に帯の色が違っており(上は1003F)、下のオレンジ帯1007F(非貫通先頭車)は
駅を出発した所を撮ったのですが、左端が後方の留置車輌と
ダブってしまいました
後ろにいたのは緑帯の1005F(こちらも非貫通先頭)で、
パイオニアⅢ形台車を見掛けたのは、一昨年の弘南鉄道以来です。
留置線の7003F(更新未済)は定期運用を離脱中で、
左隣ツートン色の501形(元南海1201形の静態保存車)は
パンタは付いていますが、電装解除されたクハだとか...
台車は、日車のD-16でしょうか?
最後は駅名の元になった水間寺の画像で、
正月中とあって露店が沢山出ていましたが
早朝に行きましたので、閑散としていました。
<阪急甲陽園線「甲陽園」 2016年2月5日>
(画像は、2015年10月13日に撮影)
最寄の阪急神戸線「夙川(しゅくがわ)」駅へ
直線距離が2キロ強有るため、
ギリギリ行き止まり駅になります。
小ぶりな駅舎を入ると
構内は片面1線の簡素な作りでホームも短く、停車中の列車を撮るにはこれが精一杯の構図でした(^^;
こちらが終端部
そして反対側の先端部ですが、駅を出てすぐ右カーブしており、これでは入線する列車を良い構図で撮る事も出来ません
そんな訳で、場所を変えて撮ったのが次の2枚です。
①前方の駅へ進入する6000系3連の後撃ち
②甲陽園線唯一の中間駅「苦楽園口」で列車交換するところ
管理人の居るホームにも列車が進入して来て、これが被らないギリギリの所でした(^^;
この記事を書いている中で連結器の違いに気付いたのですが、同じ6000系でも①は自連、②は密連になっています。
因みに甲陽園線起点の「夙川」駅はこんな構造で、
甲陽園線のホーム(3号線)は
神戸線ホームと直角に配置されていました。
(画像は、5号線に進入する「梅田」行き1000系8連)
そのため、神戸線の西宮車庫(図の右手方向)から甲陽園線に車両を送り込むには、4回方向転換が必要になります
右上方向の西宮車庫から下り線をやって来た列車は、
①渡り線を通って上り線に→②引き上げ線に→③連絡線へ
渡り線をもっと手前にして連絡線と繋げれば②③の方向転換は不要と思われるかもしれませんが、渡り線の有る所から手前は本線が登り勾配になるため無理そうでした。
急カーブの連絡線を進み
最後の方向転換④(左側が連絡線)をして、
漸くホームに辿りつきます
なお、それ以前の記事は「過去記事その2・1」)に有ります。
(2017年9月1日に最終掲載)
<北陸鉄道石川線「鶴来(つるぎ)」 2017年11月21日>
画像は2017年6月8日に撮影したものを使いました。
最寄のJR北陸本線「松任(まっとう)」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用で、高架は北陸新幹線)
直線距離が9キロ強有るため、行き止まり駅になります。
浅野川線「内灘」と同様に、列車が到着し乗って来たお客さんが全て改札口を出て漸く入場出来る方式の有人駅でした。
そして、到着列車は短時間で「野町」へ折り返すダイヤのため、構内をゆっくり撮影する事が出来ません
終端部側の線路が延びているのは、2009年(平成21年)までこの先の「加賀一の宮」まで通じていた名残だとか。
振り返って左が2番、右が駅舎に繋がる1番のりばです。
(左は7200形、右は7100形で共に元東急7000系の2連)
管理人は「野町」から乗って来て上の2画像を撮った後、冒頭の理由で早々に改札口を抜け、後は外側から撮りました。
①駅外から見た構内で、両ホームは踏切で結ばれています。
②「野町」行き7100形2連をパチリ
③歩道橋の上から見た駅(左奥)と車両基地(右)
④車両基地の隅に置かれていたED20形
⑤「野町」行き7200形2連で、ピンボケは御容赦下さい。
(本形式は中間車からの改造なので、前面が非貫通)
⑥駅舎の反対側から見た構内
⑦留置線の7000形2連
後で調べましたらこの2両だけ非冷房車なので、夏場はお休みとの事でした。
元京王3000系の7700系も走っているのですが撮れなかったので、同類の浅野川線8000系を載せておきます m(__)m
(「北鉄金沢」駅にて出発を待つ、「内灘」行き2連)
<北陸鉄道石川線「野町」 2017年11月5日>
画像は2017年6月8日に撮影したものを使いました。
最寄のJR北陸本線「西金沢」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用で、高架は北陸新幹線)
直線距離がギリギリ2キロを越え、行き止まり駅になります。
ここは他の鉄道路線との連絡は無く、早朝訪問した事もあって駅前は閑散としていました。
(JR「金沢」駅からは、バスで15分ほどの距離)
ラッシュ時は分かりませんが、この時間は駅員さんは不在で、改札はフリーパスです(掛け時計は6時)。
構内は2面2線ですが、現在は駅舎寄りの1番のりば(左)だけ使われていました。
終端部と
こちらはホーム先端側から駅舎方向を見た所です。
暫くすると「鶴来(つるぎ)」行き1番列車が到着し、
駅舎ギリギリの所で停まりました
そのため列車と車止めのツーショットは、こんな感じです。
7000系(元東急7000系)2連の列車は、ホームが短かくかつ曲がっているため、フレームに収まりません(^^;
車内(最後尾から撮影)は出発時ガラガラだったものの、
JRと接続する「新西金沢」で、そこそこ席が埋まりました。
先端もホーム一杯で列車の正面が撮れませんでしたが、
前方の踏み切り脇からでしたら可能だったんですね~
この記事を書いていて気付きました
年季の入った、2ハンドルタイプのマスコンをパチり
駅の先もカーブが続いているのと、右手2番のりばへ分岐するレールが撤去されているのが分かります。
管理人はこの列車に乗って「鶴来」へゴーしましたが、その話は後日に譲り(所要時間は30分ほどでした)、
とりあえず現地で撮った7000系の画像を載せておきます。
(「鶴来」駅構内の側線で、後方左手が駅舎)
<北陸鉄道浅野川線「内灘」 2017年10月21日>
画像は2017年6月7日に撮影したものを使いました。
最寄のIRいしかわ鉄道線「東金沢」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が5キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは、列車が到着し乗って来たお客さんが全て改札口を出て漸く入場出来る方式の有人駅でした。
中は単式ホーム(有効長2両)1本で、列車は「北鉄金沢」行き8000系(元は京王井の頭線3000系)です。
1974年(昭和49年)に1つ先の「粟ヶ崎海岸」駅が廃止され、ここが終点になりました。
振り返って駅舎方向をパチリ(右手は車両基地です)
こちらはホーム先端から「北鉄金沢」方を見た構図で
右手2本の線路は、車両基地へ続いていました。
次は、駅(右端)と車両基地を一望した所で、
建て屋左手の片開き扉の8800番台車は、アップすると車体の裾絞りが無いのが分かります。
(建て屋右手2本は、裾絞りが有る両開き扉の8900番台車)
そして最後は、車両基地側から見た駅舎と、
少し前方の踏切り際から
線路が駅に向かって分岐する様、
続いて、踏切りを渡った反対側から「北鉄金沢」へ向かう列車の後撃ちを撮りました。
因みに8000系の運転台は昔懐かしい2ハンドルタイプで、
ご他聞に漏れずワンマン運転です。
<のと鉄道七尾線「穴水」 2017年10月5日>
画像は2017年6月7日に撮影したものを使いました。
最寄の「七尾」駅まで
(↓JR七尾線「金沢」行き415系800番台3連)
直線距離が21キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
こちらが現在の駅舎(元JR「穴水」駅)、
そして2軒右隣に「のと鉄道」の旧駅舎(「のと穴水」駅)が有り、現在は「のと鉄道」本社が入っていました。
1991年(平成3年)に、「七尾」駅以北の路線が「のと鉄道」に転換されるまで、2つの駅舎が並存していたんだそうです。
(現在「穴水」以北の路線は、全て廃止)
駅舎内にはJR時代の名残か?「みどりの窓口」が有りました。
こちらが終端側から見た構内全景(駅舎は跨線橋の左横)で、
左端から順に
切り欠き式ホームの0番のりば(保存車両を留置中)
駅舎に接した単式ホームの1番のりば(跨線橋下に列車)
島式ホームの2番、3番のりば
車両基地の側線群になります。
振り返って見た終端方向で、
車止めは400mほど前方に有り、その先の線路は撤去されていました。
次は、右手0番のりばに保存中のNT100形127と、
NT800形801・802ハイデッカー車をパチリ
(何れも富士重工製)
左手の車両基地には現役のNT200形203と、
隣に同形式211「永井豪キャラクター」ラッピング車が休憩中。
(作者が輪島出身なんだとか... ↓キューティハニーです)
そして3番のりばにNT300形301・302「のと里山海山号」の姿が見えました。
(NT200形、NT300形とも新潟トランシス製)
こちらはNT200形202・204「花咲くいろは」ラッピング車で
(1番のりばに入線中)
全面に、主要登場人物が描かれていました。
外側だけでなく、車内もポスターだらけです(^^;
管理人は「七尾」からこの列車に乗って来たのですが、シートの間隔が広々としていて
足を延ばしても、こんな感じでした(^^;
最後にホーム先端部から見た「七尾」方と
振り返って、駅中央方向をパチリ
<JR氷見(ひみ)線「氷見」 2017年9月21日>
画像は2017年6月6日、7日に撮影したものを使いました。
最寄の「高岡」駅まで
(↓あいの風とやま鉄道の「とやま絵巻」号413系3連)
直線距離が12キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
横に広がる上屋は近年付けられたものの様で、
中に入りますと、昔ながらの佇まいが残っていました。
構内は1面2線ですが、2番のりば(左)は使われていません。
入線中の「高岡」行きキハ40形2連の先頭は忍者ハットリ君のラッピングが施され(↓起点の「高岡」駅にて撮影)、
これは原作者の安孫子 素雄さん(藤子不二雄A)が氷見の出だからだそうです。
因みに、もうお一方の藤本 弘さん(藤子・F・不二雄)は高岡の生まれで、駅前にはドラえもんのオブジェが並んでいました。
(ドラえもんの原作者は藤本さんなんだとか...)
「氷見」駅に話を戻し、こちらが終端部で
車止めの横には「高岡」起点16.6キロの丙号距離標が...
同じ位置から振り返って見た、ホーム中央方向
そして、こちらが「高岡」方の先端部になります。
出発時刻が近づいたので一旦駅を出て「高岡」へ向かう列車を後撃ちしました(正面画像は、ド逆光のためボツに)。
次にやって来たのはキハ47形2連で、「高岡」寄りの先頭車はチューリップ(砺波市)、
そして後方はNANTOくん(南砺市)のラッピングです。
(↑「高岡」駅構内に待機中の所を撮りました)
ついでに「高岡」起点のもう1本の路線・万葉線のお話も少々
大伴家持(おおとものやかもち)が伏木に有った越中国々府で国司を務める傍ら、万葉集の編纂に当った事から「万葉線」の愛称が付いたんだそうです。
「高岡駅」停留所で出発を待つデ7076は非冷房車で、
こちらのデ7071は冷房化されていました。
最後は、街中で見掛けたMLRV1000形「ドラえもんトラム」
万葉線の終点「越ノ潟」は鉄道の駅ですが、車両が路面電車型のため「行き止まり駅」にして良いものか?思案中です(^^;
<仙台市地下鉄東西線線「八木山動物公園」
2017年8月25日>
画像は2017年2月27日と、
4月8日に撮影したものを使いました。
最寄の仙台市地下鉄南北線「愛宕橋」駅まで
(↓画像はネットから借用 m(__)m)
直線距離が3キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは入り口を降りた地下1階に改札口、
さらにその下が1面2線のホーム階、という典型的な造りでした(先端側から見た左2番、右1番のりば)。
1番のりばの終端側は線路がカーブしていますが
2番のりば側は直線で、前方の車止めが見えます。
次は1番のりば側の先端で、ホームの手前にシーサスが有り、列車は1番/2番のりば交互に入線・客扱いしていました。
構内を一通り撮った後、同名の公園に行ってみましたが
開園前(朝8時台に訪問)で、全く人が居ません(^^;
東西線はどの駅も列車は一杯々に停車し、ホームドアも有ってスッキリした編成画像を撮れないため、
代わりに「国際センター」駅近くの広瀬川を渡るシーンを載せておきます。
最後に、以前「荒井」駅を取り上げた際に余り触れませんでした車両のお話を少々...
仙台初の地下鉄南北線で使われる1000系は軌間1,067mm全長20m、4扉車なのに対し(↓はネットからお借りしました)、
次に開業した東西線の2000系は軌間1,435m、全長16m、3扉車と全く異なりますが
唯一、大きなRが特徴の客室扉窓の形状は同じです。
(こちらは外観で、後出の特異な台車形状も合わせて)
そのパンタグラフは、架線(矢印)との間隔が狭く、
横から見るとペッタンコ状態に...
地下区間だけでなく、地上部も架線間隔の狭さは同じでした。
2000系の最大特徴は、今年3月9日記事でも取り上げました両軸操舵台車SC102形を履いている点で(↓はネット画像)、
東京メトロ銀座線1000系の
SC101形台車(↓もネット画像)は片軸が偏移し、
主電動機を搭載する車軸(画像左側)は固定なのに対し、
東西線はリニアモーターなので主電動機が不要になり、
SC102形は両軸が操舵出来ます。
仙台市街には直角カーブが10ヶ所有り、通過時騒音の程度はこんな感じでした。
個人的感想ですが、両軸操舵台車の効果が充分出ている様に思えます
<仙台市地下鉄東西線線「荒井」 2017年8月13日>
画像は2016年3月14日と10月16日、
2017年4月8日に撮影したものを使いました。
最寄のJR仙石線「小鶴新田」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が3キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは地上に立派な駅舎が有り、1階に改札口とコンコース、
地下1階部分が1面2線のホームという構造でした。
到着した列車(左側)は、お客さんを降ろすとそのまま前進して車両基地に入り、方向転換して2番のりば(右側)に入線します(ホーム先端側から撮影)。
こちらは2番のりば先頭部で列車はホーム一杯に停まるため、前面が撮れませんでした
因みに、運転室横の小窓は名鉄4000系を連想させます
列車出発後「八木山動物公園」方を見ますと、駅を出たらすぐシールド工法のトンネルになり、
また、都営地下鉄大江戸線と同じく鉄輪式リニアモーター方式なので、レール間にリアクションプテートが敷かれていました。
次は反対のホーム終端側をパチリ
レールはこの先、車両基地の引き上げ線へ続いていますので、本当の終端部を見に行く事に...
こちらが駅の東側に隣接する荒井車両基地①で、
敷地全体を2m以上かさ上げした上に建設されていて、場所によってはフェンスと側溝も有り、
全く中を垣間見る事が出来ません
運良く引き上げ線②に列車が入りましたので、すかさず撮影
車両基地南端の引き上げ線終端部③にはゲートも有り、車両
搬出入はここから行うのでしょうか?
一周して戻って来た駅南口④で、こちらにはバス停やタクシー乗り場が有りました。
お約束の編成画像は、「国際センター」駅近くの広瀬川を渡る2000系4連です。
(↑「八木山動物公園」行き、↓「荒井」行き後撃ち)
以前乗った南北線の1000系は川崎重工製ですが
東西線の2000系は、近鉄系列の近畿車輛製でした。
今年3月9日記事で取り上げました、2000系の両軸操舵台車SC102形(画像はネットから借用)については
紙面の関係で、後日取り上げる事に致します m(__)m
<JR城端(じょうはな)線「城端」 2017年7月9日>
画像は2017年6月6日に撮影したものを使いました。
最寄の、あいの風とやま鉄道線「石動(いするぎ)」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が23キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
中々趣の有る駅舎なので後日調べた所、1897年(明治30年)開業当時からの由緒有る建物でした。
終端側から見た構内は駅舎に面して1番のりば、線路を挟んだ右端が2番のりばです。
振り返って機回し構造が残る終端部をパチリ
2番のりばには先発の「高岡」行きキハ40形単行列車が居て、
1番のりばとは構内踏切で繋がっていました。
次は1番のりばに戻り、先端から見た「高岡」方と
駅舎方向を振り返っての1枚(2番のりばの長さは2両分)。
待合室のポスターに依ると、6基の曳山が見られる曳山会館は駅からちょっと距離が有るので訪問は諦めましたが、
コミュニティバスで行けたのかもしれず、事前調査不足です
まもなく1番のりばに後発のキハ47形2連が到着し、
管理人は先発のキハ40形(左側)で「城端」を後にしました。
50分乗って、城端線の起点「高岡」に到着(右側の列車)。
因みにワインレッドに白線の高岡色は2016年までに消滅し、皆タラコ塗装になったんだそうです。
乗って来たキハ40形(左端)の入車を見届けた後、
側線に沿って並んだ気動車用給油装置4基を撮影。
最初、このA字形の道具(四角)は何に使うのか不明でしたが
運良く給油作業が始まり、
タンク(黄矢印)に差し込んだ給油ノズル(青矢印)を下支えする馬(赤矢印 正式名称は不明)と分かりました。
これだったら、人が付いていなくてもOKですね
<JR常磐線「浪江」 2017年6月9日>
画像は2017年4月7日に撮影したものを使いました。
最寄のJR常磐線「竜田」駅(2015年2月27日訪問)まで
直線距離が23キロ強有るため、行き止まり駅になります。
(現在、「浪江」~「竜田」間は不通状態)
こちらが駅舎で、
今年4月1日から、この駅に列車がやって来る様になりました。
それまで2駅手前の「小高(おだか)」が暫定終点でしたが、漸く「浪江」まで開通したのです。
内部は「竜田」駅と同様に、1番のりばや跨線橋は閉鎖され、
仮設通路で結ばれた3番のりばに列車が着く形でした。
ホーム南端から見た「竜田」方は車止めが無く、
次駅(双葉)表示もそのままです。
ホーム南端から見た構内全景と
少しホーム中央に戻って、もう1枚パチリ
ワンマン運転の701系2連は、4駅先の「原ノ町」行きで、
そこには「仙台」行き(左のE721系4連)が待っていました。
2014年に当時の暫定終点駅「広野」を訪問した時、管理人が生きている間の全線開通は無いのでは?と思っていましたが、予想外の速さで復旧しつつあります
<名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(愛称:あおなみ線)
「金城ふ頭」 2017年5月9日>
画像は2017年3月8日に撮影したものを使いました。
最寄の名鉄常滑線「新日鉄前」駅(ネット画像を借用)まで
直線距離が4.7キロ有るため、行き止まり駅になります。
2階部分に駅舎が入り、ホームは3階と高く
港も近いので風が強いため
フルスクリーンタイプのホームドアが設置されていました
(前方が終端部で、左1番/右2番のりば)
こちらが1番のりばの終端部
そして2番のりば側(右後方ドームは名古屋市国際展示場)、
ホーム末端の2両分は閉鎖され、使われていません。
次は先端部へ移動し、ガラス越しに「名古屋」方面をパチリ
(右端の銀屋根↑は「リニア・鉄道館」↓のもの)
こちらは1番のりばから出発した1000形04編成の後撃ち
そして01編成がシーサスを渡って2番のりばに進入する所で、
日中でも両のりばが交互に使われています。
因みに駅周辺には、前出の
①名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)
②リニア・鉄道館以外にも
③レゴランドや大型商業施設が幾つも有りました。
(経営の苦しい「あおなみ線」の収入が少しでも増えれば...)
最後に起点「名古屋」から1つ目の「ささしまライブ」駅で撮った動画を2本載せておきます。
まず「金城ふ頭」行き01編成が到着する所
そして「名古屋」方面へ向かう、DD51重連牽引のタキ群
多分、関西本線「塩浜」から「稲沢」へ向か石油列車かと...
<北条鉄道北条線「北条町」 2017年4月17日>
画像は2016年12月26日に撮影したものを使いました。
最寄のJR播但線「福崎」or「溝口」駅まで直線距離が7.6キロ有るため、行き止まり駅になります。
2001年(平成13年)に建てられた駅舎を入ると、
片面1線のホームと側線が1本有り、三木鉄道から譲渡されたフラワ2000-3(富士重工製)が休んでいました。
終端部を撮ってから
次はホーム先端に行って「粟生(あお)」方をパチリ
左端が側線、中央が本線、右端はホーム裏手の検修庫に続く線路です(姿が見えないフラワ2000-2は建て屋の中?)。
過去に訪問した山形鉄道「荒砥(あらと)」駅や
明知鉄道「明智」駅の様に
国鉄ローカル線が第三セクター化した鉄道は、終着駅に車庫を構えているところが多い気が...
そうこうする内に、フラワ2000-1が到着しました。
「粟生」までは1閉塞区間で列車交換はせず、1列車がピストン往復しています。
ここへ来る時はガラガラでしたが、
帰りは通勤・通学客で満員になりました。
7時42分「北条町」始発 → 8時04分終点「粟生」着
左端が北条鉄道の線路、右はJR加古川線です。
「粟生」駅での他線間接続は良く、5分後にはJR加古川線上り「加古川」行き103系3550番台2連が到着、
同時刻に神戸電鉄粟生線「新開地」行きも出発して行きました。
さらに17分後、JR加古川線下り「西脇市」行きが到着し
2分後、フラワ2000-1が「北条町」に向け出発する腰の軽さです。
<神鉄公園都市線「ウッディタウン中央」 2017年3月5日>
画像は2016年12月26日に撮影したものを使いました。
最寄のJR福知山線「広野」駅(ネット画像を借用)まで
直線距離が2.2キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
1996年(平成8年)開業の駅舎は第2回「近畿の駅百選」にも選ばれたそうで、
ニュータウン路線のお約束通り、広い道路の中央に建てられていました。
こちらは終端側から見た1面2線の構内で、左側が2番のりば(列車は「三田(さんだ)」行き1500系3連)、右が1番のりば。
日中は2番のりばだけ使われる様です(下は6500系3連)。
1番のりば側の終端部と
2番のりば側はこんな感じで
外から見ますと、延伸用地は確保されていませんでした。
次はホーム先端側から駅舎方向を見た所と
振り返った「三田」方(複線用地に単線を敷設)です。
編成画像はお手軽に駅の近くで撮り、まず管理人が乗って来た6500系3連が出発する所と
次発の1500系3連が到着する所をパチリ
公園都市線の起点は「横山」ですが、全ての列車が「三田」まで乗り入れ、日中は1番のりば(右)から発着していました。
(2番のりば(左)は、有馬線直通「新開地」行き5000系4連)
<泉北高速鉄道線「和泉中央」 2017年1月21日>
画像は2016年12月16日に撮影したものを使いました。
最寄のJR阪和線「和泉府中」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が4キロ有るため、行き止まり駅になります。
駅舎は切り通し上に建ち、泉北高速鉄道の本社もこのビル内に有るんだとか...
中に入りますと1面2線のホームと、その両側に側線が1本ずつという構造でした(例によって、配線図は概略レベルです)。
末端部には建て屋が有って見通しが悪く、1番のりば側からと
2番のりば側から別々に終端方向を撮影。
こちらは駅外から撮ったもので、延伸計画が有るためか線路は先の方まで伸びていました。
次は先端部へ移動して「中百舌鳥(なかもず)」方をパチリ。
おまけは2番のりば(左)から出発列する車と、1番のりば(右)に進入する列車のコラボで、
この場合は交差支障が起きず、同時発着出来るんですね。
振り返ってホーム中央方向を見た所、
2番のりば(左)に後発の「難波」行き準急7020系6連
1番のりば(右)に先発の「難波」行き区間急行5000系8連が。
準急は「中百舌鳥」に停まりますが、区間急行は通過になるんだとか...
線内折り返しの列車も有り、駅名は「中百舌鳥」ですが列車の行き先表示は「中もず」になっていました。
南海高野線の列車(6000系8連)も乗り入れて来て、
余談ですが、この6000系はステンレス車体に片開き4扉と言う珍しい構造をしています。
これは2番のりば横の側線に居た5000系8連で、ラッピングはパチンコ店の広告だとか。
島式ホームに停車中の列車は良い構図で撮れないため、隣の「光明池」駅の近くで走行画像を撮りました。
<3000系8連>
後方は、車庫(右手)から出て来た7000系?6連の後撃ち
<5000系8連>
<南海6000系8連>
<7000系6連>
被られましたが、これが一番まともでしたので...(^^;
<7020系6連>
撮影しているすぐ右手は光明池車庫で、ご他聞に漏れず撮影し難かったです(画像は7000系6連)。
最後は、泉北ライナー(特急)11000系4連が入庫する所。
<JR気仙沼線「柳津(やないず)」 2016年12月13日>
画像は2016年10月17日に撮影したものを使いました。
最寄のJR石巻線「佳景山(かけやま)」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットから借用)
直線距離が13キロ強有るため、行き止まり駅になります。
ここは簡易委託駅で、建物は観光物産館になっていました。
構内は1面2線で列車は1番のりば(右)から発着し、2番のりば(左)は現在使用していないとの事。 (列車は石巻線直通「小牛田(こごた)」行きキハ110形2連)
「気仙沼」方面は2011年の大津波以降不通になり、本線上に車止めは有りませんが、ポイントは安全側線側に切り替わっています。
次にホーム先端まで移動し、「前谷地」方をパチリ
振り返ると、駅前にBRTのバスが来ていました。
気仙沼線は全線BRT(バス・ラピッド・トランジット)が運行され、
「柳津」~「気仙沼」はほぼ鉄路に近接する国道45号線を通りますが、「柳津」~「前谷地」は国道と離れるためノンストップで走ります(途中の駅に寄りません)。
BRTは秋の乗り放題パスで乗れますので「柳津」駅前から
9時40分発の「気仙沼」行きに乗り、
海沿いの南三陸町「志津川(しずかわ)」まで行ってみました。
普通の路線バスと違って鉄道駅にしか停まらず、線路敷を舗装した専用道路区間も有ります。
現在の駅舎は「南三陸さんさん商店街」の傍に移りましたが、
当初は津波で流された「志津川」駅前に停まっていたそうで、ネットからお借りした画像を見ますと
(↑ バス後方が駅舎跡 ↓ 流失前の駅舎)
眼前には、鉄骨だけになった防災対策庁舎がポツンと...
帰りは終点の「前谷地」まで乗り通しました。
10時32分「志津川」発 → 11時36分「前谷地」着。
バスストップの後方は広い操車場になっていて
その左手に鉄道駅舎が有ります。
ここは石巻線と気仙沼線(起点)の接続駅で、
「小牛田」始発「石巻」行きのキハ111形+キハ112形(左)と、当駅始発「柳津」行きキハ110形単行列車(右)をパチリ。
<近鉄けいはんな線「学研奈良登美ヶ丘」
2016年10月25日>
画像は2016年7月29日に撮影したものを使いました。
最寄の近鉄奈良線「学園前」駅(画像はネットから借用)まで
直線距離が3キロ強有るため、行き止まり駅になります。
駅舎を入り2階へ上がると
1面2線のホームに7000系6連が停まっていましたが、
ホームの長さがギリギリなので、先頭部が撮れません
大阪市営地下鉄中央線と相互乗り入れしているため、
(画像は市営地下鉄20系6連の出発後撃ち)
第三軌条集電になっていました。
終端部は延伸を考慮した造りで、
中間駅ホームの形状をしており、
カーブしているのが分かります。
駅外から見ると終端部はこんな感じで
東はすぐ京都府のため、延伸すれば線名に偽り無しに...
(けい→京都府、はん→大阪府、な→奈良県)
こちらは終端側から見たホーム(左2番、右1番のりば)で、
ワンマン運転のため、ホームセンサーが設置されていました。
車両連結部に合わせて置かれていますので、赤外線を20mも飛ばすんですね!
最後は「生駒」方の先端部で、
折りしも2番のりばを出発した回送の7000系は
転線して左手の車庫に入って行きました。
この駅から「生駒」までは第三セクターの奈良生駒高速鉄道が施設を保有し、近鉄は第2種鉄道事業者になるそうです。
<JR名松線「伊勢奥津(おきつ)」 2016年8月24日>
画像は2016年7月28日に撮影したものを使いました。
最寄の近鉄大阪線「西青山」駅(画像はネットから借用)まで
直線距離が18キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
元々「名張」と「松坂」を結ぶ計画だった事から「名松線」と命名されましたが近鉄に先を越され、「伊勢奥津」止まりになったのだとか...
立派な駅舎に見えますが、右端の暖簾の下がった部分だけが待合室で、左は地区住民センターになっていました。
構内は片面1線ホームの簡素な造りで、
第3セクターの非電化路線に見られます終点駅に車両基地が併設された形態ではありません。
列車はキハ11形300番台で、平成11年新潟鉄工所製
伊勢車両区が今年3月末に閉鎖されたため、名古屋車両区に移っています。
終端部はこんな感じで、
前方に「松坂」起点43.5キロを示す乙号距離標が...
車止めはかなり前方に有り、
その横にはSL時代の給水塔が今も残っていました。
次はホーム先端から「松坂」方を見た所で、信号機が見当たり
ませんね。
途中、列車交換設備が有るのは「家城(いえき)」だけで、
(左が上り「松坂」行き、右が乗って来た下り「伊勢奥津」行き)
キャリア(通票を運ぶための大きな輪がついた皮革製入れ物)交換が見られます。
駅員さんが「伊勢奥津」行き列車の運転士さんから受け取って、反対の「松坂」行き列車へ渡しに行く所をパチリ。
後で調べましたら、「松坂」~「家城」間は票券閉塞式、
「家城」~「伊勢奥津」間がスタフ閉塞式だそうですが
正直、タブレット閉塞式との違いが分かりませんでした(^^;
票券閉塞式は全国のJR線区の中で、唯一のものだそうです。
<明知鉄道明知線「明智」 2016年7月21日>
(鉄道名は「明知」ですが、駅名は「明智」です)
画像は2013年7月21日と、
2016年3月14日に撮影したものを使いました。
最寄のJR中央本線「釜戸」駅(画像はネットから借用)まで
直線距離が14キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
こじんまりとした駅舎は「中部の駅百選」にも選ばれたそうで、
構内は片面1線のホームと側線が2本
そして終端側は、車両基地になっていました。
ホーム上の列車はアケチ10形(11号+14号)で、富士重工が地方私鉄用に製造した標準化設計車輌の第1号だそうです。
因みに手前の赤い11号はセミクロスシートで
後ろの14号(始発駅の「恵那」にて撮影したものを使用)と
入庫中の13号(右側)は
ロングシートでした(画像は14号の車内)。
最後は、ホーム先端から「恵那」方を見た所と、
構内配線はこんな感じで、国鉄SL時代の機回し構造が残っています。
昔走っていたC12を2019年までに復活させる計画が有り
3月20日、「明智」駅構内で圧縮空気による運転会が開かれたとか。
復活計画の詳細は分かりませんが、SLの罐を直すには大層な費用が掛かるので、何か別の手を採るのでしょうか?
ひょっとしたら2013年8月4日記事の様な方式かもしれない?と管理人は一人妄想してしまいました
<以下同記事から抜粋>
「野辺山SLランド」と言う遊園地内の保存鉄道で
軌間762mm、長さ350mの周回線を30分毎に走ります。
1948年(昭和23年)ベルギー製の釜で、台湾製糖で使われていたものを廃車後引取り、
規制の関係から既存のボイラーを修復して使う事が難しかったため、①ディーゼル発電機+②電熱式ボイラーにて蒸気を作る改造を施した、とか...
<抜粋終り>
<信楽高原鉄道信楽線「信楽」 2016年6月13日>
(画像は、2016年1月4日に撮影)
最寄のJR草津線と
近江鉄道本線が接続する「貴生川(きぶかわ)」駅まで
直線距離が12キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
ここは信楽線唯一の有人駅で、
内部は2面2線構造になっていました(配線図は概要レベル)。
列車(最新型の新潟トランシス製SKR401)は駅舎に直結したホームに入線し
対面ホームには、これまでの主力型SKR311(富士重工製)が休憩中で、
大勢の狸さんと蛙が客扱いが始まるのを待っています
終端側はSL時代の機回し構造が残り転車台の跡が有りませんので、タンク釜が使われていたのかと思いきや、
亀山機関区のC58が充当され、バック運転で登坂していました(画像はネットからお借りしています)。
配線構造からすると、往時はこの先までレールが伸びていてもおかしくない形状ですが、調べても分かりませんでした。
次は反対にホーム先端から見た「貴生川」方で、全線で唯一の信号機(全線が1閉塞区間)も見えます。
その原因となった1991年(平成3年)の列車正面衝突事故に触れるつもりで画像を集めたのですが、あまりにも凄惨なので掲載を止めました。
左手前方の車庫には
狸のラッピングを付けたSKR312の姿が...
駅舎を出た左手にも大きな狸が鎮座していて、
街中にはもっと大きな仲間も居ましたが、こんな大きいのを焼く窯が有るんでしょうかね?
<水間鉄道水間線「水間観音」 2016年4月13日>
(画像は、2016年1月4日に撮影)
最寄のJR阪和線「和泉橋本」駅へ直線にして3.5キロのため、行き止まり駅になります。
開業(1926年)以来の駅舎(国の登録有形文化財)を入ると
構内は1面2線(左側から1番、2番のりば)と、左端に降車専用ホームが有りました。
1番のりばの終端部と
2番のりば側のそれは、こんな感じです。
次はホーム先端から見た「貝塚」方(左前方は車輌基地)と、
同じ場所から駅舎方向を振り返って1枚パチリ。
水間鉄道の列車は1000系(元東急7000系)の2両編成
4本が稼動中で編成毎に帯の色が違っており(上は1003F)、下のオレンジ帯1007F(非貫通先頭車)は
駅を出発した所を撮ったのですが、左端が後方の留置車輌と
ダブってしまいました
後ろにいたのは緑帯の1005F(こちらも非貫通先頭)で、
パイオニアⅢ形台車を見掛けたのは、一昨年の弘南鉄道以来です。
留置線の7003F(更新未済)は定期運用を離脱中で、
左隣ツートン色の501形(元南海1201形の静態保存車)は
パンタは付いていますが、電装解除されたクハだとか...
台車は、日車のD-16でしょうか?
最後は駅名の元になった水間寺の画像で、
正月中とあって露店が沢山出ていましたが
早朝に行きましたので、閑散としていました。
<阪急甲陽園線「甲陽園」 2016年2月5日>
(画像は、2015年10月13日に撮影)
最寄の阪急神戸線「夙川(しゅくがわ)」駅へ
直線距離が2キロ強有るため、
ギリギリ行き止まり駅になります。
小ぶりな駅舎を入ると
構内は片面1線の簡素な作りでホームも短く、停車中の列車を撮るにはこれが精一杯の構図でした(^^;
こちらが終端部
そして反対側の先端部ですが、駅を出てすぐ右カーブしており、これでは入線する列車を良い構図で撮る事も出来ません
そんな訳で、場所を変えて撮ったのが次の2枚です。
①前方の駅へ進入する6000系3連の後撃ち
②甲陽園線唯一の中間駅「苦楽園口」で列車交換するところ
管理人の居るホームにも列車が進入して来て、これが被らないギリギリの所でした(^^;
この記事を書いている中で連結器の違いに気付いたのですが、同じ6000系でも①は自連、②は密連になっています。
因みに甲陽園線起点の「夙川」駅はこんな構造で、
甲陽園線のホーム(3号線)は
神戸線ホームと直角に配置されていました。
(画像は、5号線に進入する「梅田」行き1000系8連)
そのため、神戸線の西宮車庫(図の右手方向)から甲陽園線に車両を送り込むには、4回方向転換が必要になります
右上方向の西宮車庫から下り線をやって来た列車は、
①渡り線を通って上り線に→②引き上げ線に→③連絡線へ
渡り線をもっと手前にして連絡線と繋げれば②③の方向転換は不要と思われるかもしれませんが、渡り線の有る所から手前は本線が登り勾配になるため無理そうでした。
急カーブの連絡線を進み
最後の方向転換④(左側が連絡線)をして、
漸くホームに辿りつきます
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