おもしろ駅探訪(過去記事その5) [鉄道(実物)]
過去に掲載しました「おもしろ駅探訪」シリーズの閲覧場所⑤で2017年9月以降の記事を集めました。
なお、それ以前の記事は「過去記事その4~1」に有ります。
(「その3~1」は、2017年9月1日に最終掲載)
6月に、「弥富」駅を追加しました。
<弥富 2018年6月13日>
ここは、地上駅としては日本一低い所に有ります。
(画像は2017年12月14日に撮影したものを使用)
JR「弥富」駅上り線ホームの白く塗り潰された看板は、その下に「海抜ー0.93M JR弥富駅 地上で日本一低い駅」と書かれていました。
一説(近鉄は海抜を未公表)によると、「近鉄弥富」横の踏切が海抜-1.4Mとさらに低い様で、
何れにせよ、両駅がトップ2な点に変わりは有りません。
JR小海線「野辺山」駅構内の「JR線最高駅」標識の様に、
(2011年9月9日記事から再掲)
「弥富」も「JRでは地上で最も低い駅」とでもすれば良かったのでは...?
それでは「近鉄弥富」駅から順に見て行きましょう。
「桑名」方(前出の踏切脇から撮影)と、
反対の「近鉄名古屋」方からの外観がこちら。
中は2面4線構造ですが訪ねた昼過ぎは緩急待避は見られず、内側の2番/3番のりばだけ使われていました。
<2番のりば>
「松坂」行き急行2610系4連+1259系2連
通過する「賢島」行き特急ビスタEX30000系4連
<3番のりば>
「近鉄名古屋」行き準急2050系3連
通過する「近鉄名古屋」行きアーバンライナー21000系6連
次はJR「弥富」駅に移りますが、
ここには名鉄尾西線も乗り入れています。
因みに、JR/近鉄/名鉄の3社が徒歩で乗り換え可能なのは「名古屋」と当駅だけなんだとか。
小振りな駅舎を入ると
内部は2面3線構造で、名古屋方から見て左端が1番、列車の居る所が2番、その右が名鉄用の3番のりばになり、
撮影したすぐ傍に、名古屋起点16.3キロを示す丙号距離標が有りました。
<1番のりば>
DD51重連が牽くタキ返空列車(左端は名鉄5000系4連)
<2番のりば>
「名古屋」行き313系2連
<3番のりば>
「桑名」方ホーム末端から見ると、名鉄尾西線は右へカーブして行くのが分かります。
6500系4連の進入と
停車した所(後撃ち)
3番線だけ行き止まりで、その終端部がこちら
停車時間は5分と短く、関西本線の列車と接続するとすぐ出発して行きました。
ホームには「豊橋」駅でも見掛けた、JR/名鉄の乗り換え用ICカードリーダが...
列車は津島線/名古屋本線を経由して、西尾線の「吉良吉田」まで行くのですが、
詳しくは「吉良吉田」の記事の中で触れる事にします。
<松山市 2018年4月9日>
基本、2017年10月25日に撮影の画像を使用していますが、駅画像2枚はネットからお借りしました m(__)m
当駅は伊予鉄の全路線が集中し、架線電圧が異なる高浜線と横河原線の直通運転が見られるのも珍しいです。
ここは高浜線の「三津浜」「古町」とともに四国最初の鉄道駅で、開業当時(1888年(明治21年)) は「松山」でしたが...
1927年(昭和2年)に鉄道省が讃予線「松山」駅を開業させた時点で、「松山市」に変更させられました。
この辺は、西武新宿線「本川越」駅が
開業当時の「川越」から改名した経緯と似ています。
(後から出来た鉄道省の川越線のため、変えさせられた)
構内配線はこんな感じで、高浜線は複線、郡中線と横河原線は単線です(図は概略レベルとご理解下さい)。
今回は、各ホームの紹介を先に...
<1番のりば>
高浜線から横河原線に直通する、「横河原」行き3000系3連(元京王3000系)を、2番のりば側から撮りました。
<2番のりば>
横河原線から高浜線に直通する、「高浜」行き610系2連と
その出発後撃ち(1番のりば側から撮影)。
矢印部分は、かつて使われていた切り欠きホームの跡です。
<3番のりば>
ここは郡中線(列車は700系(元京王初代5000系))用で
行き止まりになっており、
奥に0キロポストが有りました。
郡中線の列車は高浜線「古町」車両基地から出庫して来て
図の様に転線し、3番のりばへ入ります。
左手のホームに進入する郡中線列車、右下が高浜線の本線、中央斜めが留置線へ向かう渡り線。
そしてこちらが留置線ですが、列車は出払っていました。
(左端の線路は郡中線)
次は架線電圧の違いについて調べましたが、今一つはっきりとした理由が分かません(^^;
赤四角部分が直直セクションで右下の構内は全て750V、左上「高浜」寄りが600Vになり、無電区間は無いそうです。
高浜線は「大手町」と
「古町」の2箇所で
市内線と平面交差するため600Vなのは分かりますが、
郡中線と横河原線もそれに合わせず750Vを採用した理由が不明です m(__)m
<古町(こまち) 2018年1月17日>
(本年10月25日に撮影した画像を使用)
ここで伊予鉄の高浜線(鉄道線)と城北線・大手町線(軌道線)が接続し、軌道線が鉄道線を斜めに横切る光景が見られます。
(配線図は概略レベル)
百聞は一見に如かず(1番のりばから出発、2番のりばへ到着)という事で、動画を載せておきました。
こちらは車窓から撮ったもので、先頭座席に坐れなかったため若干線路が見難い点は御容赦下さい m(__)m
鉄道線の架線電圧は一般的に直流1500Vですが、高浜線は軌道線と同じ600Vなので、平面交差が可能になった訳です。
構内の西側には郊外電車(鉄道線)の車両基地、
東側には市内電車(軌道線)のそれが併設され、
立派な駅ビルも有って、
「松山市」と並ぶ伊予鉄中枢駅の重みを感じました。
伊予鉄の郊外線は高浜線以外に郡中線と横河原線が有りますが、皆「松山市」駅で線路が繋がっているので、
全路線の列車がここから出庫します。
こちらは3番のりばから見た駅北端の風景で、左から
郊外電車の車両基地、5番/4番のりば、高浜線の複線、3番のりば、市内線の単線、市内電車の車両基地となり
市内電車(右端)が1番のりばに進入するところをパチリ
下は振り返って見た駅中央方向で、左から1番、3番、4番、5番のりば、2番のりばは3番のりばの先に有って見えません。
そして反対側の南端から見た左端1番のりば、通路の先が2番のりば、中央が高浜線で構内踏切が設けられていました。
(以前は地下道だったところを、バリアフリー化のため改造)
次は恒例の、各ホームを発着する列車の羅列です。
<1番(右)、2番(左)のりば>
モハ2000形新旧塗装車の顔合わせが撮れました。
(単色が新、ツートンカラーが旧塗装)
<3番のりば>
横河原線直通「横河原」行き610系2連が到着する所と
その後撃ちで、高浜線は横河原線と直通運転しています。
<4番のりば>
「高浜」行き3000系(元は京王3000系)3連
<5番のりば>
日中は入線が有りませんでした。
こちらは側線に居た700系(元は京王の初代5000系)で
郊外線の現役車種は、上記3形式に集約されています。
おまけとして「大手町」駅の平面交差を載せましたが、
(「古町」の隣駅になり、前出の路線図を参照)
こちらの方が「古町」のそれより有名かもしれませんね。
最後は郊外電車の車内から撮った映像です。
<王寺 2017年12月13日>
(上の駅名看板は矢印の場所)
(画像は、2017年7月27日に撮影)
ここはJR2線と近鉄2線が集まる県西部の要衝駅で、4線共、現在と違う会社の路線として開業した点が珍しいです。
関西本線は1890年(明治23年)、大阪鉄道が開業し
→1907年(明治40年)、国有化
和歌山線は1891年(明治24年)、大阪鉄道が開業し
→1907年(明治40年)、国有化
田原本線は1918年(大正7年)、大和鉄道が開業し
→1964年(昭和39年)、近鉄に合併
生駒線は1922年(大正11年)、信貴生駒電気鉄道が開業し
→1964年(昭和39年)、近鉄に合併
JR構内は、3面5線と南側に車両基地が広がっていました。
(例によって配線図は概略レベル)
こちらは1番のりばから「天王寺」方を見た所
振り返って駅中央方向(左端1番、右端2番のりば)
こちらは「天王寺」方から、3番のりば(左)と5番のりば(右端)
次は橋上駅舎の通路からの「天王寺」方で、右端が1番のりば、中線が2本、そして左端が2番のりば
同じく、3番のりば(右)に201系、4番のりば(左)に105系
そして、1番のりばの反対側から見た「奈良」方です。
こちらは4番のりばから見た駅中央方向(左端から5、4、3番)
最後は5番のりば(右端)とその左が車両基地で、
沢山留置されていた関西本線用201系は、朝のラッシュ仕業にどんどん出庫して行きました。
201系以外には、和歌山線用と思われる117系6連と
105系2連の姿も...
「奈良」寄りには保線区も有ります。
最後に恒例の、1番のりばから順に発着列車を羅列しました。
<1番のりば (2番のりば「奈良」方から撮影)>
ここだけ単式ホームで、関西本線経由奈良線直通「京都」行き221系4連が入線。
<2番のりば (1番のりば「天王寺」方から撮影)>
関西本線・おおさか東線・片町線経由東西線直通「尼崎」行き
直通快速207系7連
<3番のりば (4番のりば「奈良」方から撮影)>
当駅始発、関西本線「JR難波」行き201系6連の後撃ち
<4番のりば>
3番のりば「天王寺」方から撮影した当駅始発、「JR難波」行き103系6連
「奈良」方から撮影の当駅始発、和歌山線「和歌山」行き105系2連
<5番のりば (「奈良」方から撮影)>
当駅始発、和歌山線経由桜井線直通「奈良」行き105系4連
なお、近鉄田原本線「新王寺」駅は2015年11月9日に、
近鉄生駒線「王寺」駅は同月25日に記事をアップして
いますので、ここでは省略致します。
<太田川 2017年9月25日>
(画像は、2013年8月26日と2017年3月9日に撮影)
2011年(平成23年)に名鉄初の3層高架駅に生まれ変わり、常滑線と河和線の交差支障と、付近の踏切が無くなりました。
駅西側から南方を見た所で、3階の「河和」方面の高架が一見途切れている様に見えるのは、左にカーブしているためです。
振り返って駅舎中央部をパチリ(中程が西口エントランス)
配線は概略こんな感じ(一部省略)で、
常滑線・河和線とも、緩急接続が可能な構造になっていました。
2階部分は(「名鉄名古屋」方から見て)左端から順に1番~4番のりば、そして3番/4番のりばの上が5番/6番のりば。
ホームの南側には、直進する常滑線、左にカーブする河和線(下り)、3階に入るカーブの河和線(上り)が、
反対の北側では、3階から降りてきて常滑線(上り)に合流する配線(矢印)が見えます。
次は3階(「名鉄名古屋」方から見た左5番、右6番のりば)で、
緩急接続が無い場合は、6番のりばに入線していました。
(列車は、「金山」行き普通6800系2連です)
こちらはホーム南端からの眺望で、
偶々、「河和」方面に向かう列車(後撃ち)が見えました。
次は反対の北側で、この先2階へ降りて常滑線に合流します。
3層構造の駅は、以前に(京急)蒲田(2013年9月7日記事)を取り上げましたが、構造的に違うので触れ直す事にしました。
こちらは総3階建ての京急一の巨大駅で、
2線が接続し緩急接続を行う点は「太田川」と同じですが、配線構造は大きく異なります。
1階が駅舎、2階が上り線(品川方面行き)ホーム
3階が下り線(横浜方面行き)ホームになり
1番線/4番のりばは空港線方面、
2番線/5番のりばは緩急接続時、普通列車が退避、
3番線/6番のりばは本線用
「太田川」には存在しない、ここで方向転換する第3の運転系統(黄色の線)が有るため、
この様な形にならざるを得なかったのでは、と本稿を書きながら思いました。
「品川」方末端から見た3番のりば(右)で、ここから普通列車に乗り換えるには18m×12両分歩かなければならず、
(前後の緩急接続駅「(京急)川崎」「平和島」乗り換えが正解)
左手1番のりばの羽田空港行きの列車(8両編成)に乗り換える場合も、4両分歩くことに...
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
河和線「河和」行き普通6000系4連
回送の3100系2連(後撃ち)
<2番のりば>
常滑線「常滑」行き普通3500系4連
河和線「河和」行き急行6500系4連の後撃ち
以下2枚は3番のりば側から撮った後撃ちですが、柱が有ってスッキリ撮れません
常滑線経由空港線直通「中部国際空港」行き特急2200系6連
河和線経由知多新線直通「内海」行き急行5000系4連
<3番のりば>
常滑線経由名古屋本線直通「名鉄岐阜」行き特急2200系6連
常滑線/名古屋本線/犬山線経由広見線直通「新可児」行き準急6500系4連
<4番のりば>
当駅止まりの3100系2連
<5番のりば>
河和線(上り)の待避列車が入る様ですが、管理人が訪問した平日の13時台は見られませんでした。
<6番のりば>
常滑線/名古屋本線経由犬山線直通「新鵜沼」行き急行の5000系4連
常滑線経由名古屋本線直通「金山」行き普通6500系4連の
後撃ち
最後は、6番のりばに到着する常滑線経由名古屋本線直通
「名鉄名古屋」行き特急5700系4連の動画です。
<尺土(しゃくど) 2017年9月9日>
(下の駅名画像は、ネットからお借りしました)
自前の画像は、2017年7月27日に撮影したものを使用
ここは南大阪線と支線の御所(ごせ)線の接続駅ですが、支線ホームが無いため、優等列車の待避形態が変わっています。
駅名の由来は当地で赤い土が採れたため「赤土(しゃくど)」と
呼ばれていたものが、後に尺土に変わったんだとか...
構内は島式2面4線のホームを持つ待避可能な橋上駅で、
(左端2番~4番のりば。画像はネットからお借りしました)
特急を含む全列車が停車し、緩急接続を行ます。
構内配線図からお分かりの様に支線専用ホームは無く、
御所線の発着時、南大阪線の優等列車待避が変則的になっていました(場合により、優等列車が待避線ホームに入線)。
4番のりば(待避線)に到着の御所線列車は、お客さんを降ろしそのまま前進
配線図左端の引き上げ線(赤い線の部分)に入ります。
空いた4番のりば(右)にはすぐ特急16600系2連が入線
それが先発した(後撃ち)1分後、
3番のりば(本線)に待避していた準急が出発して行きました。
(何れも南大阪線「大阪阿部野橋」行き)
御所線の列車は出発時刻になると南大阪線を横切り
1番のりば(待避線)に入線し、客扱いを始めます(後撃ち)。
そして僅か2分後には出発し、また南大阪線を横切り御所線に入って行きました(後撃ち)。
次発の「近鉄御所」行きは上と異なり、本線側2番のりば(左)に入りましたが、
これは直前に2番のりばに特急が入線したためです。
待避線の1番のりば(右)の「橿原神宮前」行き準急は、特急と御所線列車を先発させた後、おもむろに出発
この様に緩急接続時、優等列車が必ず本線に入る訳ではないのですが、利用者の方は慣れた様子で乗り込んでいました
次に、配線構造は似ていても運用が異なる「伊勢若松」の例を合わせて載せておきます。
2015年2月13日に近鉄鈴鹿線終点の「平田町」駅を取り上げ
記事の最後で、鈴鹿線が名古屋線と接続する「伊勢若松」駅に少し触れました。
標準軌という点は異なるものの、
2面4線で支線専用ホームが無い構造は同じです。
しかし「尺土」と違い待避線の4番のりば(左)に到着した鈴鹿線列車はそのまま「平田町」へ折り返して行きました。
右手本線の3番のりばの「近鉄名古屋」行き普通(後撃ち)は、当駅にて優等列車待避しなかったと記憶しています。
支線列車の運用が違う理由は分かりませんが「尺土」の場合、前後の待避可能駅が少ないのでダイヤ上、ここで待避が頻発するのでは?と思いました。
昔2面3線だった頃は、今以上にアクロバティックな列車運用が見られたそうで、南大阪線の伝統なんですかね?
なお、それ以前の記事は「過去記事その4~1」に有ります。
(「その3~1」は、2017年9月1日に最終掲載)
6月に、「弥富」駅を追加しました。
<弥富 2018年6月13日>
ここは、地上駅としては日本一低い所に有ります。
(画像は2017年12月14日に撮影したものを使用)
JR「弥富」駅上り線ホームの白く塗り潰された看板は、その下に「海抜ー0.93M JR弥富駅 地上で日本一低い駅」と書かれていました。
一説(近鉄は海抜を未公表)によると、「近鉄弥富」横の踏切が海抜-1.4Mとさらに低い様で、
何れにせよ、両駅がトップ2な点に変わりは有りません。
JR小海線「野辺山」駅構内の「JR線最高駅」標識の様に、
(2011年9月9日記事から再掲)
「弥富」も「JRでは地上で最も低い駅」とでもすれば良かったのでは...?
それでは「近鉄弥富」駅から順に見て行きましょう。
「桑名」方(前出の踏切脇から撮影)と、
反対の「近鉄名古屋」方からの外観がこちら。
中は2面4線構造ですが訪ねた昼過ぎは緩急待避は見られず、内側の2番/3番のりばだけ使われていました。
<2番のりば>
「松坂」行き急行2610系4連+1259系2連
通過する「賢島」行き特急ビスタEX30000系4連
<3番のりば>
「近鉄名古屋」行き準急2050系3連
通過する「近鉄名古屋」行きアーバンライナー21000系6連
次はJR「弥富」駅に移りますが、
ここには名鉄尾西線も乗り入れています。
因みに、JR/近鉄/名鉄の3社が徒歩で乗り換え可能なのは「名古屋」と当駅だけなんだとか。
小振りな駅舎を入ると
内部は2面3線構造で、名古屋方から見て左端が1番、列車の居る所が2番、その右が名鉄用の3番のりばになり、
撮影したすぐ傍に、名古屋起点16.3キロを示す丙号距離標が有りました。
<1番のりば>
DD51重連が牽くタキ返空列車(左端は名鉄5000系4連)
<2番のりば>
「名古屋」行き313系2連
<3番のりば>
「桑名」方ホーム末端から見ると、名鉄尾西線は右へカーブして行くのが分かります。
6500系4連の進入と
停車した所(後撃ち)
3番線だけ行き止まりで、その終端部がこちら
停車時間は5分と短く、関西本線の列車と接続するとすぐ出発して行きました。
ホームには「豊橋」駅でも見掛けた、JR/名鉄の乗り換え用ICカードリーダが...
列車は津島線/名古屋本線を経由して、西尾線の「吉良吉田」まで行くのですが、
詳しくは「吉良吉田」の記事の中で触れる事にします。
<松山市 2018年4月9日>
基本、2017年10月25日に撮影の画像を使用していますが、駅画像2枚はネットからお借りしました m(__)m
当駅は伊予鉄の全路線が集中し、架線電圧が異なる高浜線と横河原線の直通運転が見られるのも珍しいです。
ここは高浜線の「三津浜」「古町」とともに四国最初の鉄道駅で、開業当時(1888年(明治21年)) は「松山」でしたが...
1927年(昭和2年)に鉄道省が讃予線「松山」駅を開業させた時点で、「松山市」に変更させられました。
この辺は、西武新宿線「本川越」駅が
開業当時の「川越」から改名した経緯と似ています。
(後から出来た鉄道省の川越線のため、変えさせられた)
構内配線はこんな感じで、高浜線は複線、郡中線と横河原線は単線です(図は概略レベルとご理解下さい)。
今回は、各ホームの紹介を先に...
<1番のりば>
高浜線から横河原線に直通する、「横河原」行き3000系3連(元京王3000系)を、2番のりば側から撮りました。
<2番のりば>
横河原線から高浜線に直通する、「高浜」行き610系2連と
その出発後撃ち(1番のりば側から撮影)。
矢印部分は、かつて使われていた切り欠きホームの跡です。
<3番のりば>
ここは郡中線(列車は700系(元京王初代5000系))用で
行き止まりになっており、
奥に0キロポストが有りました。
郡中線の列車は高浜線「古町」車両基地から出庫して来て
図の様に転線し、3番のりばへ入ります。
左手のホームに進入する郡中線列車、右下が高浜線の本線、中央斜めが留置線へ向かう渡り線。
そしてこちらが留置線ですが、列車は出払っていました。
(左端の線路は郡中線)
次は架線電圧の違いについて調べましたが、今一つはっきりとした理由が分かません(^^;
赤四角部分が直直セクションで右下の構内は全て750V、左上「高浜」寄りが600Vになり、無電区間は無いそうです。
高浜線は「大手町」と
「古町」の2箇所で
市内線と平面交差するため600Vなのは分かりますが、
郡中線と横河原線もそれに合わせず750Vを採用した理由が不明です m(__)m
<古町(こまち) 2018年1月17日>
(本年10月25日に撮影した画像を使用)
ここで伊予鉄の高浜線(鉄道線)と城北線・大手町線(軌道線)が接続し、軌道線が鉄道線を斜めに横切る光景が見られます。
(配線図は概略レベル)
百聞は一見に如かず(1番のりばから出発、2番のりばへ到着)という事で、動画を載せておきました。
こちらは車窓から撮ったもので、先頭座席に坐れなかったため若干線路が見難い点は御容赦下さい m(__)m
鉄道線の架線電圧は一般的に直流1500Vですが、高浜線は軌道線と同じ600Vなので、平面交差が可能になった訳です。
構内の西側には郊外電車(鉄道線)の車両基地、
東側には市内電車(軌道線)のそれが併設され、
立派な駅ビルも有って、
「松山市」と並ぶ伊予鉄中枢駅の重みを感じました。
伊予鉄の郊外線は高浜線以外に郡中線と横河原線が有りますが、皆「松山市」駅で線路が繋がっているので、
全路線の列車がここから出庫します。
こちらは3番のりばから見た駅北端の風景で、左から
郊外電車の車両基地、5番/4番のりば、高浜線の複線、3番のりば、市内線の単線、市内電車の車両基地となり
市内電車(右端)が1番のりばに進入するところをパチリ
下は振り返って見た駅中央方向で、左から1番、3番、4番、5番のりば、2番のりばは3番のりばの先に有って見えません。
そして反対側の南端から見た左端1番のりば、通路の先が2番のりば、中央が高浜線で構内踏切が設けられていました。
(以前は地下道だったところを、バリアフリー化のため改造)
次は恒例の、各ホームを発着する列車の羅列です。
<1番(右)、2番(左)のりば>
モハ2000形新旧塗装車の顔合わせが撮れました。
(単色が新、ツートンカラーが旧塗装)
<3番のりば>
横河原線直通「横河原」行き610系2連が到着する所と
その後撃ちで、高浜線は横河原線と直通運転しています。
<4番のりば>
「高浜」行き3000系(元は京王3000系)3連
<5番のりば>
日中は入線が有りませんでした。
こちらは側線に居た700系(元は京王の初代5000系)で
郊外線の現役車種は、上記3形式に集約されています。
おまけとして「大手町」駅の平面交差を載せましたが、
(「古町」の隣駅になり、前出の路線図を参照)
こちらの方が「古町」のそれより有名かもしれませんね。
最後は郊外電車の車内から撮った映像です。
<王寺 2017年12月13日>
(上の駅名看板は矢印の場所)
(画像は、2017年7月27日に撮影)
ここはJR2線と近鉄2線が集まる県西部の要衝駅で、4線共、現在と違う会社の路線として開業した点が珍しいです。
関西本線は1890年(明治23年)、大阪鉄道が開業し
→1907年(明治40年)、国有化
和歌山線は1891年(明治24年)、大阪鉄道が開業し
→1907年(明治40年)、国有化
田原本線は1918年(大正7年)、大和鉄道が開業し
→1964年(昭和39年)、近鉄に合併
生駒線は1922年(大正11年)、信貴生駒電気鉄道が開業し
→1964年(昭和39年)、近鉄に合併
JR構内は、3面5線と南側に車両基地が広がっていました。
(例によって配線図は概略レベル)
こちらは1番のりばから「天王寺」方を見た所
振り返って駅中央方向(左端1番、右端2番のりば)
こちらは「天王寺」方から、3番のりば(左)と5番のりば(右端)
次は橋上駅舎の通路からの「天王寺」方で、右端が1番のりば、中線が2本、そして左端が2番のりば
同じく、3番のりば(右)に201系、4番のりば(左)に105系
そして、1番のりばの反対側から見た「奈良」方です。
こちらは4番のりばから見た駅中央方向(左端から5、4、3番)
最後は5番のりば(右端)とその左が車両基地で、
沢山留置されていた関西本線用201系は、朝のラッシュ仕業にどんどん出庫して行きました。
201系以外には、和歌山線用と思われる117系6連と
105系2連の姿も...
「奈良」寄りには保線区も有ります。
最後に恒例の、1番のりばから順に発着列車を羅列しました。
<1番のりば (2番のりば「奈良」方から撮影)>
ここだけ単式ホームで、関西本線経由奈良線直通「京都」行き221系4連が入線。
<2番のりば (1番のりば「天王寺」方から撮影)>
関西本線・おおさか東線・片町線経由東西線直通「尼崎」行き
直通快速207系7連
<3番のりば (4番のりば「奈良」方から撮影)>
当駅始発、関西本線「JR難波」行き201系6連の後撃ち
<4番のりば>
3番のりば「天王寺」方から撮影した当駅始発、「JR難波」行き103系6連
「奈良」方から撮影の当駅始発、和歌山線「和歌山」行き105系2連
<5番のりば (「奈良」方から撮影)>
当駅始発、和歌山線経由桜井線直通「奈良」行き105系4連
なお、近鉄田原本線「新王寺」駅は2015年11月9日に、
近鉄生駒線「王寺」駅は同月25日に記事をアップして
いますので、ここでは省略致します。
<太田川 2017年9月25日>
(画像は、2013年8月26日と2017年3月9日に撮影)
2011年(平成23年)に名鉄初の3層高架駅に生まれ変わり、常滑線と河和線の交差支障と、付近の踏切が無くなりました。
駅西側から南方を見た所で、3階の「河和」方面の高架が一見途切れている様に見えるのは、左にカーブしているためです。
振り返って駅舎中央部をパチリ(中程が西口エントランス)
配線は概略こんな感じ(一部省略)で、
常滑線・河和線とも、緩急接続が可能な構造になっていました。
2階部分は(「名鉄名古屋」方から見て)左端から順に1番~4番のりば、そして3番/4番のりばの上が5番/6番のりば。
ホームの南側には、直進する常滑線、左にカーブする河和線(下り)、3階に入るカーブの河和線(上り)が、
反対の北側では、3階から降りてきて常滑線(上り)に合流する配線(矢印)が見えます。
次は3階(「名鉄名古屋」方から見た左5番、右6番のりば)で、
緩急接続が無い場合は、6番のりばに入線していました。
(列車は、「金山」行き普通6800系2連です)
こちらはホーム南端からの眺望で、
偶々、「河和」方面に向かう列車(後撃ち)が見えました。
次は反対の北側で、この先2階へ降りて常滑線に合流します。
3層構造の駅は、以前に(京急)蒲田(2013年9月7日記事)を取り上げましたが、構造的に違うので触れ直す事にしました。
こちらは総3階建ての京急一の巨大駅で、
2線が接続し緩急接続を行う点は「太田川」と同じですが、配線構造は大きく異なります。
1階が駅舎、2階が上り線(品川方面行き)ホーム
3階が下り線(横浜方面行き)ホームになり
1番線/4番のりばは空港線方面、
2番線/5番のりばは緩急接続時、普通列車が退避、
3番線/6番のりばは本線用
「太田川」には存在しない、ここで方向転換する第3の運転系統(黄色の線)が有るため、
この様な形にならざるを得なかったのでは、と本稿を書きながら思いました。
「品川」方末端から見た3番のりば(右)で、ここから普通列車に乗り換えるには18m×12両分歩かなければならず、
(前後の緩急接続駅「(京急)川崎」「平和島」乗り換えが正解)
左手1番のりばの羽田空港行きの列車(8両編成)に乗り換える場合も、4両分歩くことに...
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
河和線「河和」行き普通6000系4連
回送の3100系2連(後撃ち)
<2番のりば>
常滑線「常滑」行き普通3500系4連
河和線「河和」行き急行6500系4連の後撃ち
以下2枚は3番のりば側から撮った後撃ちですが、柱が有ってスッキリ撮れません
常滑線経由空港線直通「中部国際空港」行き特急2200系6連
河和線経由知多新線直通「内海」行き急行5000系4連
<3番のりば>
常滑線経由名古屋本線直通「名鉄岐阜」行き特急2200系6連
常滑線/名古屋本線/犬山線経由広見線直通「新可児」行き準急6500系4連
<4番のりば>
当駅止まりの3100系2連
<5番のりば>
河和線(上り)の待避列車が入る様ですが、管理人が訪問した平日の13時台は見られませんでした。
<6番のりば>
常滑線/名古屋本線経由犬山線直通「新鵜沼」行き急行の5000系4連
常滑線経由名古屋本線直通「金山」行き普通6500系4連の
後撃ち
最後は、6番のりばに到着する常滑線経由名古屋本線直通
「名鉄名古屋」行き特急5700系4連の動画です。
<尺土(しゃくど) 2017年9月9日>
(下の駅名画像は、ネットからお借りしました)
自前の画像は、2017年7月27日に撮影したものを使用
ここは南大阪線と支線の御所(ごせ)線の接続駅ですが、支線ホームが無いため、優等列車の待避形態が変わっています。
駅名の由来は当地で赤い土が採れたため「赤土(しゃくど)」と
呼ばれていたものが、後に尺土に変わったんだとか...
構内は島式2面4線のホームを持つ待避可能な橋上駅で、
(左端2番~4番のりば。画像はネットからお借りしました)
特急を含む全列車が停車し、緩急接続を行ます。
構内配線図からお分かりの様に支線専用ホームは無く、
御所線の発着時、南大阪線の優等列車待避が変則的になっていました(場合により、優等列車が待避線ホームに入線)。
4番のりば(待避線)に到着の御所線列車は、お客さんを降ろしそのまま前進
配線図左端の引き上げ線(赤い線の部分)に入ります。
空いた4番のりば(右)にはすぐ特急16600系2連が入線
それが先発した(後撃ち)1分後、
3番のりば(本線)に待避していた準急が出発して行きました。
(何れも南大阪線「大阪阿部野橋」行き)
御所線の列車は出発時刻になると南大阪線を横切り
1番のりば(待避線)に入線し、客扱いを始めます(後撃ち)。
そして僅か2分後には出発し、また南大阪線を横切り御所線に入って行きました(後撃ち)。
次発の「近鉄御所」行きは上と異なり、本線側2番のりば(左)に入りましたが、
これは直前に2番のりばに特急が入線したためです。
待避線の1番のりば(右)の「橿原神宮前」行き準急は、特急と御所線列車を先発させた後、おもむろに出発
この様に緩急接続時、優等列車が必ず本線に入る訳ではないのですが、利用者の方は慣れた様子で乗り込んでいました
次に、配線構造は似ていても運用が異なる「伊勢若松」の例を合わせて載せておきます。
2015年2月13日に近鉄鈴鹿線終点の「平田町」駅を取り上げ
記事の最後で、鈴鹿線が名古屋線と接続する「伊勢若松」駅に少し触れました。
標準軌という点は異なるものの、
2面4線で支線専用ホームが無い構造は同じです。
しかし「尺土」と違い待避線の4番のりば(左)に到着した鈴鹿線列車はそのまま「平田町」へ折り返して行きました。
右手本線の3番のりばの「近鉄名古屋」行き普通(後撃ち)は、当駅にて優等列車待避しなかったと記憶しています。
支線列車の運用が違う理由は分かりませんが「尺土」の場合、前後の待避可能駅が少ないのでダイヤ上、ここで待避が頻発するのでは?と思いました。
昔2面3線だった頃は、今以上にアクロバティックな列車運用が見られたそうで、南大阪線の伝統なんですかね?
コメント 0