行き止まり駅訪問(過去記事その4) [鉄道(実物)]
過去に載せました「行き止まり駅訪問」シリーズのアーカイブ④で、2017年12月~2019年11月の記事を集めました。
<大井川鉄道井川(いかわ)線「井川」駅 2019年11月17日>
2019年4月4日に撮影した画像を使いました。
起点となる大井川本線との接続駅「千頭(せんず)」までは
(列車は「金谷」行き16000系2連)
直線距離が13キロ強(路線長は何と25キロ強)有りますので、
行き止まり駅になります。
駅舎は小振りですが有人で、
待合室には姉妹提携している台湾の阿里山森林鉄路のポスターが有りました。
発車時刻10分前くらいにならないと改札が始まらないので、駅舎内から列車をパチリ
先頭のディーゼル釜のDD204(下は「千頭」にて撮影)が、5両の客車を牽く編成です。
往路は釜は最後尾なのでヘッドマークは有りませんが、復路では先頭になるため掲出されていました。
漸く改札口が開き、ダッシュで最後尾へ
その先も線路が延びていてカモレがおり、残念ながら終端部は撮れません。
振り返って列車末尾のクハ601制御客車をパチリ
プッシュプル方式になっており、往路はこちらが先頭です。
カモレの場合は機回しが必要ですので、そのための側線が有りました。
次は反対の「千頭」方で、駅を出るとすぐトンネルに入ります。
旅客列車はここが終点ですが、カモレは更に上流の「堂平」(①)へ向かい、
(駅舎前を右にカーブする線路がそれ)
こちらも駅を過ぎるとすぐトンネルになっていました。
外から見ると赤矢印の辺りが駅で、貨物線は黄矢印の鉄橋で県道を跨ぎます。
井川線は本来、ダム建設のための専用鉄道として建設され(往路、車中から撮影)
敬意を表し、近くの井川ダム②へ行ってみました。
階段を上がって左手の崖の中腹に建つ「井川展示館」にて
ダムカードが頂け
そこからの見晴らしは抜群です。
<島原鉄道「島原港」駅 2019年10月9日>
2019年3月9日に撮影した画像を使いました。
(駅名は、今年10月から「島原港」に変更)
最寄のJR三角(みすみ)線「三角」駅へは
(列車は管理人が「熊本」から乗って来たキハ200系2連)
直線距離が19キロ強有りますので、
行き止まり駅になります(赤枠が「島原港」で、青枠が「三角」)。
無人駅なので改札口は無く、ホームは道路に直結しており、
入線中の「諫早」行きキハ2501A(新潟鉄工所製)単行をパチリ
こちらが終端側ですが、車止めは遥か先の方に有りました(後で紹介します)。
振り返って列車後部側を撮影
車体側面には「島原の子守歌」に因んだイラストが描かれていました。
そして、先端部から「諫早」方を見た所です。
こちらは駅外からの1枚で、右側に見えるホームは
現在ポイントが撤去されており、使われていません。
次にやって来た列車は折り返し「島原」行きキハ2510Aで、
先の「諫早」行きの出発と合わせ、到着動画を撮影。
ホームから見えなかった車止めは、駅から10分ほど南へ歩いた高台で発見。
そこは、駅から坂を上り切った場所でした。
道路にはレールが残っていますが、この先35キロ強が2008年(平成20年)廃線になったそうです。
最後に、管理人が利用したフェリーの話題を少々
駅から東へ坂を5分ほど下って行くと島原港フェリーターミナルに着き、
この船で熊本へ戻りました。
出港30分で「島原港」行き僚船(赤矢印)とすれ違い(後方にライバルが急追)
こちらだと1時間掛かるののに対し、
ライバル社のこの船(上の黄矢印)は30分と快速なので乗りたかったのですが、運行間隔が広く諦めた次第です。
(管理人の乗った会社は2隻体制なのに対し、ライバル社は1隻のみ?)
<JR三角(みすみ)線「三角」駅 2019年8月13日>
2019年3月8日に撮影した画像を使いました。
最寄の「八代(やつしろ)」駅へは直線距離が17キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
南国風の駅舎を入ると、
構内は単式ホームと側線1本の簡素な造りでした。
(列車は管理人が「熊本」から乗って来たキハ200系2連)
終端部は少し先の方に有り、
アップで撮ったのがこちら
次に先端部へ向かう途中、「宇土(うと)」起点25.5キロを示す乙号距離標を見付けました。
(三角線の起点は「宇土」ですが、列車は「熊本」まで乗り入れ)
こちらがホーム先端から見た「宇土」方と
振り返って駅中央方向です。
駅前はすぐ港で、次の列車を待つ間しばし散策しました。
岸壁の一風変わった建物は「海のピラミッド」と言い、
フェリー乗り場の待合室だそうです(↓ 海側から撮影)。
その後、線路の終端部にも行ってみました。
側線は機回し用だったので、現在は使われていません。
復路に乗ったこちらは普通のキハ47系と思いきや
良く見るとキハ147で、キハ47の機関を換装(220PS→360PS)した強力版です。
1時間弱乗って、「熊本」駅の切り欠き式5番のりばに到着。
<熊本電鉄菊池線「御代志(みよし)」駅 2019年6月25日>
2019年3月8日に撮影した画像を使いました。
最寄のJR豊肥本線「武蔵塚」駅へは直線距離が4キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
ホームだけで駅舎は無く、左側はバスの停留所になっていました。
かつては木造駅舎を持つ有人駅で、島式ホーム1面2線のほか、貨物用の側線も有ったそうです。
こちらは6000形(元都営地下鉄6000形)2連を終端側から見た所で、
車止めも直前に有りました。
現在レールは撤去されていますが、1986年(昭和61年)までは14キロ先の「菊池」まで延びていたんだとか。
次はホーム先端から見た「藤崎宮前」方と、
振り返って列車先端部をパチリ
ごつい排障器は、併用軌道走行用に後付けされたものと思われます。
菊池線は「御代志」~「上熊本」間になりますが、
運行系統は「御代志」~「北熊本」~「藤崎宮前」となっていました。
(「藤崎宮前」にて6000形2連の後撃ち)
一方「北熊本」~「上熊本」間は、1列車がピストン往復しています。
(「上熊本」にて元東京メトロ01系の01形2連後撃ち)
<紀州鉄道線「西御坊」駅 2019年6月5日>
画像は2018年12月22日に撮影したものを使いました。
(駅名板を撮り忘れ、ネット画像を借用 m(__)m)
最寄のJR紀勢本線「御坊」駅へは
直線距離が2.3キロ強有りますので、ギリギリ行き止まり駅になります。
こちらは終端側から見た所で、
振り返ると、線路は先の方まで残っていました。
このKR205は、2017年に信楽高原鉄道から来たんだとか。
駅舎(左)と民家との間の路地を入ると、待合室に通じています。
車止めと
ホーム先端から見た「御坊」方面
そして、振り返った単式ホームは1両分の長さしか有りません(^^;
乗り込んで、運転席をパチリ
「西御坊」から2駅目の「紀伊御坊」は紀州鉄道線の中枢で、
構内には小さな車両基地が有りました(車両はKR301)。
また踏切際にはキハ603が保存され、内部は売店になっています。
この道を左に歩いて行くと「御坊」の地名の元となった日高御坊が有りますが、平日のためか門は閉まっていて、
境内は閑散としていました。
最後は「紀伊御坊」から2駅目の終点「御坊」で、ここはJRのホームと接していますが連絡改札口は無く、運転士さんが整理券を配る方式です。
<JR越美北線「九頭竜湖」駅 2019年5月13日>
画像は2018年10月11日に撮影したものを使いました。
最寄の長良川鉄道越美南線「北濃」駅へは
(↑ ↓ 2018年4月6日に撮影 下はナガラ500形503号)
直線距離が12キロ弱有りますので、行き止まり駅になります。
山小屋風の駅舎(無人)を入ると、
構内は片面ホームの簡素な造りでした(列車は「福井」行きキハ120形単行)。
振り返って終端方向を見た所と
アップでもう1枚(右側は保線車両用の側線なので、分岐器は横取式です)
次はホームの先端へ向かい、「福井」方と
振り返って駅舎方向をパチリ
折り返しまでの時間が9分と短く雨も強かったので、周辺散策は諦めました
因みに越美北線(九頭竜線)は「越前花堂(はなんどう)」が起点ですが、全列車が隣駅の「福井」に乗り入れています。
管理人が乗った列車は、往路「福井」を2連で出発したものの
最後の交換可能駅「越前大野」にて
2両目(首都圏色)が切り離され、
10時15分、「福井」へ折り返して行きました。
復路は「越前大野」での増結はせずに「福井」に戻って来ましたが、途中混雑も無く、単行で事足りる様です。
<ことでん長尾線「長尾」駅 2019年2月21日>
画像は2018年7月23日に撮影したものを使いました。
最寄のJR高徳線「造田(ぞうだ)」駅へは直線距離が2.3キロ有るので、行き止まり駅になります。
小さいながら好ましいスタイルの駅舎を入ると、
構内は片面ホームと側線が1本有る簡素な造りでした。
次は終端部と、
ホーム先端から「高松築港」方をパチリ
暫くして1200形(元京急700形)2連が到着し、 出発まで2分しか無いため車掌さんは走って最後部へ向かいます。
何とか車止めとのツーショットは間に合いましたが、この後すぐ出発して行きました。
次の列車まで20分有りますので、近くの長尾寺へ...
正面に回るとなかなか立派が伽藍で
そもそも長尾線は、四国八十七番霊場のこちらへ参拝客を運ぶために出来たそうです。
振り返ったこちらの山門は
近づいてみますと
鐘楼を兼ねていました。
何と山門の外側には短パン一丁の外人男性が突っ伏しており、サイクリング中、余りの暑さに石畳で涼をとっていた様です
復路は元京急1000形の1300形2連(後撃ち)に乗り、「瓦町」まで戻りました。
因みに長尾線には専用の車両基地(四角マーク)が無く、
「瓦町」から琴平線に入り、「仏生山」でお休みします。
<JR大船渡線「気仙沼」駅 2018年12月13日>
画像は2018年6月27日に撮影したものを使いました。
最寄の三陸鉄道南リアス線(「盛(さかり)」駅へは
(左の建物がそれで、右はJR駅舎)
(「釜石」から到着した新潟トランシス製36-700形)
直線距離が23キロ有りますので、行き止まり駅になります。
ここは大船渡線と気仙沼線の接続駅でしたが、大津波によって被災した箇所がBRTに転換したため、今は大船渡線の終点になりました。
2012年にリニューアルされた駅舎を入ると
中はBRTが乗り入れられる様になっていて(配線図は概略)
1番のりばは「盛」からのバスの到着レーンの前方に、
「前谷地」方面への出発レーンが直列に並んでいました。
次は気仙沼線のBRT(「本吉」始発)が
2番のりばに到着した所です。
4番のりばには大船渡線「一ノ関」行きキハ100形2連が入線し(後撃ち)、
同じ場所から見た終端方向は
かなり前方に車止めが有りました(右端はBRT専用道路)。
次はホームを移動して同じ列車を前面から
側線のキハ100形も入れて、もう1枚
なお3番のりばは、右側の車止め見えるホームがそれです。
最後にホーム先端から見た「一ノ関」方と、気仙沼線跡のBRT専用道路(左端)を撮りました。
本稿は気動車ばかりでしたので、同日に撮った電車画像を1枚載せておきます。
(「郡山」にて東北本線「福島」行き701系4連)
<三陸鉄道南リアス線「盛(さかり)」駅 2018年11月13日>
画像は2018年6月27日に撮影したものを使いました。
最寄のJR大船渡線「気仙沼」駅へは直線距離が23キロ有り、また岩手開発鉄道は貨物線のため行き止まり駅になります。
こちらが三陸鉄道の駅舎で
JRの駅舎(右)と並んで建っていました。
JR駅舎側の改札口を入ると内部はこんな感じで、三陸鉄道は奥の3番のりばから発着し(配線図は概略レベル)、
三鉄様式の番線表示板と
「釜石」から到着した新潟トランシス製36-700形をパチリ
右手の道路は大船渡線の線路と1番のりば用ホームの跡地で跨線橋も有りますが、現在は道路を渡って行き来できます。
次は振り返って終端方向、
さらに近づいて見ますとBRTの転回場と、岩手開発鉄道が旅客輸送を行っていた当時のホーム(矢印)が残っていました。
大船渡鉱山で採れる石灰石を海辺のセメント工場へ運ぶため、構内には岩手開発鉄道のホキが沢山昼寝しています。
牽引用の釜は見当たらず、代わりに保線モーターカーを撮影。
こちらはホーム先端側で、先ほどの三鉄が動き出し(左→右)、
車庫へ入って行きました(右端線路が南リアス線の本線)。
最後はJR大船渡線について触れますが、2011年の大津波で被災し、現在「盛」~「気仙沼」間はBRTに転換しています。
(線路跡のバス専用道路)
「気仙沼」からのバスは駅舎に面した元の1番のりばに到着し
前出の転回場で暫し休憩後、時刻になると2番のりばに入線。
管理人もこのバスに乗って、「気仙沼」へ向かいました。
<JR男鹿(おが)線「男鹿」駅 2018年10月13日>
画像は2018年6月26日に撮影したものを使いました。
最寄の奥羽本線「大久保」駅へは直線距離が10キロ強有り、行き止まり駅になります。
当駅についてはこちらに過去記事が有りますが、2017年から蓄電池駆動電車が走り始めたので再訪し、アップし直しました
訪問した日はまだこちらの旧駅舎が使われていましたが、
ホーム終端側に新しい駅舎が建設中で、
1週間後の7月1日から、使用開始になったそうです。
3年前に訪れた時は、こんな配線構造だったのですが
現在は赤四角の場所に駅舎が出来、その先の線路は撤去されました(Yahoo地図は未更新のため、手修正)。
因みにgoo地図だと、こんな感じです。
改札口を抜け、構内踏切を渡って1面2線のホームへ。
1番のりばに奥羽本線直通「秋田」行き交流用蓄電池駆動電車EV-E801系2連(手前クハ+奥クモハ)が入線していました。
まず初めに終端部へ向かい
さらに近づくと、新駅舎に繋がる連絡通路が現れます。
前回(2015年6月27日)来た時は悪天候も重なり、遥か先の終端部まで行くのを諦めたのですが、
やっとリベンジが叶いました
1番のりば側の車止めがこちらで、
2番のりば(右)と留置線(左)はこんな感じです。
そこから旧駅舎方向を振り返って1枚パチリ
1番のりばには4両編成列車に対応して、充電用の剛体架線が2ヶ所設けられていました。
男鹿線内はパンタを下ろして走行して来て、
当駅に着くと早速充電を開始。
管理人が外を一回りして戻って来ると既にパンタは降りていて予想以上の急速充電ぶり(10~15分)です。
非電化の男鹿線27キロ弱の走破を可能にする蓄電池が、クハ(EV-E800形)の床下にズラっと並んでいました。
(「秋田」駅にて撮影)
次はホーム先端から「追分」方を見た所と
振り返って駅中央方向です。
ここでEV-E801系について少々(「秋田」駅にて撮影)。
JR東のこのタイプは今年3月、筑豊本線で乗ったBEC819系(「折尾」駅にて撮影)の仲間になり、
周波数を50Hzに変え、耐寒構造にして試験投入されました。
BEC819系は日立製でEV-E801系もそれに倣いましたが、日立製一般形電車のJR東への採用は24年ぶりとか...
室内がロングシートという点も同じです。
(但しJR九州の方は、シートの背もたれが木製)
最後は豆知識で、男鹿線用の蓄電池駆動電車は現在1本のみですが、管理人は時刻表から簡単に探せました
他の列車はキハ40形なので列車番号に「D]が付くのに対し、
蓄電池駆動電車の列車番号には「M]が付きます。
<長良川鉄道越美南線「北濃」駅 2018年7月25日>
画像は2018年4月6日に撮影したものを使いました。
最寄のJR越美北線「九頭竜湖」駅(Wikipedia画像)まで
直線距離が15キロ弱有り、行き止まり駅になります。
国鉄当時からの趣有る駅舎(無人)を入り
構内踏切を渡ると、1面2線のホームには「美濃太田」行き単行列車が待っていました(ナガラ500形503号)。
同じ場所で振り返り、立て看板をパチリ
線路終端は機回し線になっているためかなり先の方ですが、
車止めは構内踏切のすぐ先に有ります。
その左手には転車台が残っていましたが、時間の都合で傍まで行きませんでした。
次ぎはホーム先端から「美濃太田」方を見た所と、
振り返って駅舎方向
駅前の国道のすぐ右手は、長良川になります。
雨が強くなって来ましたので、列車の中へ...
車両は新潟トランシス製で、同鉄道の最新機種でした。
こちらが運転台
乗客は管理人ただ1人で、
左前方の人物は、郡上八幡キャラの城ゴロー君です。
彼は高校生ですが、ご当地ヒーローのGJ8マンに変身するんだとか...(イラストは、さくらももこさん)
この路線は第3セクターとしては長い方(全長72キロ)で、
「美濃太田」まで2時間以上掛かるため、旅程の都合上
「美濃市」駅近くの「旧名鉄美濃駅」だけ立ち寄りました。
他にも「郡上八幡」や
刃物で有名な「関」など見所が有り、次回は是非途中下車して散策してみたいです。
今回は車両画像が一辺倒なので、最後に別機種を...
(「美濃市」にて、最古参の富士重工製ナガラ200形201号)
<JR博多南線「博多南」駅 2018年6月25日>
画像は2018年3月7日に撮影したものを使いました。
最寄のJR鹿児島本線「南福岡」駅(Wikipedia画像)まで
直線距離が3.4キロ弱有り、行き止まり駅になります。
この駅は盛り土された新幹線の車両基地(博多総合車両所)と並んでいるため、
道路からかなり高い所に有りました(^^;
こちらは、駅ビル2階のペデストリアンデッキに繋がる連絡橋①への入り口
そして、駅舎に登る階段②を見下ろした所です。
片面1線のホームは新幹線が8両停まると一杯で、フレームに納まり切りませんでした
終端側の前方を見ると
左手が車両基地、右手の高架が九州新幹線の本線で、前方が「鹿児島中央」方になります。
こちらは反対側の先端部から「博多」方を見た所で、駅を出るとすぐ左手の本線(高架)に合流していました。
ここは山陽新幹線唯一の車両基地で、九州新幹線用の基地は熊本に有るんだそうです。
(博多南線は、車両基地への回送線を旅客線化したもの)
管理人は「博多」から往復しましたので、その乗車記を少々。
特定特急券(100円)と
18きっぷは使えませんので乗車券(200円)を買い
新幹線ホーム16番のりばで待っていると、
定刻に入って来たのは「新大阪」始発「博多」止まりの「こだま737号」で、そのまま「博多南」行きになりました
車内は両側とも2列シートで、
ドア付近は1列の部分も有り、余裕タップリです。
14時22分「博多」始発 → 14時30分、終点「博多南」着
列車はお客さんを降ろしたらそのまま車庫に入ると思いきや、清掃作業が始まり
終わるとお客さんを乗せ、14時47分に折り返して行きました。
(「博多」から「新大阪」行き「こだま746号」に変身します)
<西鉄太宰府線「太宰府」 2018年5月17日>
画像は2018年3月7日に撮影したものを使いました。
最寄の「西鉄二日市」(同線起点かつ天神大牟田線の接続駅)まで
直線距離が2.2キロ弱有り、ギリギリ行き止まり駅になります。
立派な駅舎を入ると
中は3面2線構造で、ホームは中央2番・3番が乗車専用、両側1番・4番が降車専用と分かれていました。
(2番のりばには「西鉄二日市」行き3000形5連が入線中)
終端部は2番のりばがこちらで、
隣の3番のりば側はこんな感じです。
次はホーム先端から「西鉄二日市」方を撮りましたが、標準軌の単線は普段見慣れていないので、違和感満点でした(^^;
以前2014年7月29日に訪問した(阪急)嵐山も同様で、
3面2線構造の所まで一緒です
駅舎方向を振り返って構内全景をパチリ
この3000形は太宰府観光列車の「旅人」で
乗降扉間がオール転換クロスシートでした
この列車に乗り、「西鉄二日市」へ戻ります。
太宰府線唯一の中間駅「西鉄五条」では7000形4連と交換
この2本の列車が釣瓶式に運行している様で、ロングシートの7000形ではなく、往復共3000形に乗れたのは幸運でした。
「太宰府」から7分ほどで終点「西鉄二日市」に到着
次は「旅人」がお客さんを乗せ「太宰府」へ向け出発する所と、すれ違いに「筑紫」行き5000形4連が到着する様子です。
この駅は構内が4面5線と広く(前方が西鉄福岡(天神)方面)、右端(1番のりば)に「太宰府」行きの7000形が見えました。
最後に発着列車の編成画像を載せるつもりでしたが数が多く、別途「おもしろ駅探訪」記事を書く予定です。
<名鉄尾西線「玉ノ井」 2018年4月25日>
画像は2017年12月14日に撮影したものを使いました。
最寄の名鉄本線「新木曽川」駅(Wikipedia画像)まで
直線にして2キロ強有り、ギリギリ行き止まり駅になります。
こちらが駅舎(無人)で、
今回は外側から見た様子を先に載せました。
ど逆光m(__)mの「名鉄一宮」行き6800系2連(後撃ち)
こちらが終端部で
1959年(昭和34年)に廃止されるまで、この先「木曽川橋」へ線路が伸びていたそうです。
地図(1932年(昭和7年)時点)右端の路線は東海道本線で、「名鉄一宮」「笠松」間の名鉄名古屋本線はまだ有りません。
(3年後の1935年(昭和10年)に開通)
次は中に入って終端部を撮った後ホーム先端へ移動し、
「名鉄一宮」方をパチリ
構内は片面1線のホームが有るだけの簡素な造りでした。
左手の鋸型屋根の建物は昔の工場でしょうか?最近はとんと見掛けなくなった形状です。
「玉ノ井」~「名鉄一宮」間は1編成がピストン運行しており
15時1分始発のこの列車で戻りました。
「名鉄一宮」1番のりばが尾西線ホームで、前方が「津島」行き手前が「玉ノ井」行きです(列車間隔は2~3両分)。
信号機も別々で、「玉ノ井」方面には第3
「津島」方面に第4場内信号機が設けられていました。
その中間には列車方向を示す案内(※の場所)が...
最後に2列車の同時発車動画をご覧下さい。
時刻表はどちらも15時43分発ですが実際には「津島」行きが先発し、30秒後に「玉ノ井」行きが出発します。
<JR常磐線「富岡」 2018年3月9日>
画像は2017年12月24日に撮影したものを使いました。
最寄の「浪江」駅まで
(↓「原ノ町」行き701系2連)
直線距離が16.5キロ有るため、行き止まり駅になります。
地図を見ますと、この区間は海のすぐ傍に線路が敷かれており旧駅舎は2011年3月11に大震災の津波で流失
その後再建され、2017年10月21日から営業を開始しました。
最初はホーム南端から見た「いわき」方と
そこから振り返った、駅中央方向です(駅舎は跨線橋の左)。
2015年2月27日に訪問した、当時の暫定終点「竜田」駅では跨線橋は閉鎖されていましたが、
「富岡」では普通に使えました。
その代わり「竜田」では次駅表示に不通区間の「富岡」が残っていたのに対し、
「富岡」の次駅表示はシールで隠されています。
ホームを歩いて反対側の「仙台」方に移動。
1番ホーム端に、「日暮里」起点248キロを示す甲号距離標
振り返って再び駅中央方向をパチリ
ホームから海側を見ますと人家は無く、復旧はまだまだの様に感じました。
因みに前回「いわき」~「竜田」間を乗った415系は2016年に運用を終了し、
現在はE531系付属編成5連に代替わりしましたが
一部の列車には、元・特急651系4連も使われています。
今回を含めて計4回、常磐線の暫定終点を訪れましたが、
①2014年1月 2日 「広野」
②2015年2月27日 「竜田」
③2017年4月 7日 「浪江」
次回はいよいよ、全通レポートになるかと...
<伊予鉄横河原線「横河原」 2018年2月13日>
画像は2017年10月25日に撮影したものを使いました。
最寄の「松山市」駅(画像はネットからお借りしたもの)まで
(横河原線経由高浜線直通「高浜」行き3000系3連)
直線距離が11.4キロ有るため、行き止まり駅になります。
2016年(平成28年)に建て替えられた真新しい駅舎を入ると
片面1線の簡素なホームには、高浜線直通「高浜」行き700系(元は京王5000系(初代))3連が入線していました。
終端部はこんな感じです。
次はホーム先端から駅舎方向を見た所と、
振り返って「松山市」方をパチリ
一旦、駅を出て
近くの踏切から出発する様と、
後撃ちを撮りました。
次にやって来た3000系3連(元は京王3000系)は
連結器が密自連型で、700系(密連型)とは異なります。
5000系は京王線系統なのに対し、3000系は井の頭線系統だったからでしょうか?
こちらが正面から見た所と、
運転室の機器類
振り返った車内は、平日々中とあって閑散としていました。
復路、「松山市」の1駅手前の「石手川公園」にて下車。
ここは名前の通り、石手川の上に架かる駅です。
鉄橋部分(右前方)のホームが異常に狭く
そこには銘板(赤丸)が付いていて
「土木学会選奨土木遺産 石手川橋梁」と読めました。
この橋は1893年に造られ、現役の鉄道橋で移設されていないものとしては日本最古なんだとか...
次にやって来たのは「横河原」行き610系2連。
こちらの連結器は密連型で700系と同じですが、両車で編成を組む事は無いそうです。
<伊予鉄高浜線「高浜」 2018年2月5日>
画像は2017年10月25日に撮影したものを使いました。
最寄のJR予讃線「三津浜」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用 m(__)m)
直線距離が3キロ有るため、行き止まり駅になります。
(高浜線は四国最古の鉄道で、予讃線の方がオーバークロス)
こちらが昭和初期の電化時に建てられた駅舎、
そして裏手から見た構内は片面1線のホームと側線が1本有りました。
改札口を抜け(ここは有人駅)、
まず終端部を撮影
次はホーム先端から見た「松山市」方と、
振り返ったところです。
(列車は横河原線直通「横河原」行き3000系3連)
線路は隣駅「梅津寺(ばいしんじ)」まで単線ですが、そこから「松山市」までは複線になっていました。
駅前には県道を挟んでフェリー乗り場が有り、
向かいの興居(こご)島の「由良(ゆら)」港から船が到着
(後方の山が興居島小富士)
因みに広島・呉方面のフェリーは、600m北の松山観光港から出るそうです。
帰路「梅津寺」に途中下車し、まず「高浜」方の単線
続いて「松山市」方の複線を撮りました。
(列車は「高浜」行き700系3連)
2番のりばのホーム横は海岸が迫っており、
海が荒れて高波を被る場合は閉鎖し、1番のりばを使います。
(右端のホームが1番のりば)
最後に、駅前の梅津寺公園に置かれた本物の坊ちゃん列車(但し、客車はレプリカ)をパチリ
<水島臨海鉄道本線「三菱自工前」 2018年1月9日>
(画像は2012年7月14日と2017年9月5日に撮影)
最寄のJR山陽本線「西阿知」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が6.6キロ有るため、行き止まり駅になります。
臨海工業地帯の終着駅は多々行きましたが、ご他聞に漏れずここも片面ホームの無人駅で、
以前訪問した名鉄築港線の終点「東名古屋港」と同様、駅舎は有りません。
少し「水島」寄りが事業所入り口で、ここに通う人達の出退勤に合わせたダイヤなんでしょうね。
ホームが狭いからでしょうか?ベンチは折り畳み式で
試しに坐ってみましたが、立っていた方が楽かも(^^;
その隣からは10個一遍に上がりました。
中央付近には、起点から10.5キロを示す乙号距離標が...
こちらはホーム先端から見た「水島」方で、左側の線路が本線、右は廃止された西埠頭線と思われます。
右手の駅に進入するMRT300形「ひまわり号」をパチリ
次は終端側で線路は倉敷貨物ターミナルまで続いており、この後行ってみました。
前方の線路と道路を跨ぐ通路は三菱の工場間を繋いでいて、車両か部品の搬送用の様です。
駅前の道を西へ10分ほど歩くと倉敷貨物ターミナルに着き、
広い構内には水臨の車両が沢山休んでいました。
まずキハ37形103とキハ38形104を撮り、
暫くすると少し移動してくれましたので、反対側もパチリ
次は後方の水島臨海色のキハ37形101・102
そしてこちらはキハ30形98で、100の部品取り用だそうです。
何となく親近感を覚えた車両達でしたので後日調べましたら、2012年7月14日に久留里線で乗っていました。
(記事は7月18日にアップ)
その時のキハ38形は番号不明ですが、
キハ30形の方は100で、水臨に移籍した車両です。
駅に戻る途中で見掛けたカモレのコンテナは、完成車はたまた部品を運んでいるのでしょうか?
入線して来た16時10分始発の「倉敷市」行きは、先ほど撮ったばかりのキハ37形+キハ38形でした。
乗客は管理人1人でしたが、「水島」からそこそこの乗車率に。
「水島」はこの地域の主要駅で
ここが終点の列車も多く、
また貨物専用の港東線(左カーブ、右の矢印は本線)も分岐しています。
<JR宇野線「宇野」 2017年12月9日>
画像は2017年9月5日に撮影したものを使いました。
最寄のJR本四備讃線「木見」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が12キロ有るため、行き止まり駅になります。
1994年(平成6年)に建て替えられた駅舎を入ると 、
1面2線のホームと側線が1本有るだけの簡素な造りでした。
(2番のりばは管理人が「岡山」から乗って来た115系3連)
終端部は1番のりば側がこちら
そして、2番のりばです。
(後ほど、駅外からも1枚パチリ)
次はホーム中程から駅舎方を見た所で、1番のりば(右)の先発「岡山」行き115系3連は、食パン顔の1600番台車でした。
そしてこちらがホーム先端から見た「岡山」方と、
振り返っての1枚です。
構内を撮った後は、連絡船の遺構を探しに行ってみました。
ネットからお借りしたこちらは、宇高連絡船が車両航送を行っていた当時の宇野駅で、右端に旅客ホーム、左手がヤードです。
①が船着場跡で、バースの一部が残っており、
矢印はトモ綱を掛ける係船柱で、ボラードと言うんだとか。
そして左端の説明板をアップで撮りました。
係船柱の位置から見た船着場は、今は何も残っていません
以下5枚は7月27日に京都鉄道博物館で撮ったジオラマで
(上の画像を90度右回転した構図)
件の係船柱の位置は、左上端の連絡船(赤色)の後方かと。
左上端が貨客船、中央が貨車用、右端が旅客船ではないか?と思われます。
このサイズの船なら海が荒れても貨車は大丈夫そうですが、
ハシケで瀬戸内海縦断となると、ちょっと心配...(^^;
青森で見掛けたのと同様、線路が3つに分かれていました。
四国へ渡るフェリー乗り場②へ向かう途中見掛けた看板で、
青函連絡船は確か船尾から車両を出し入れする構造でしたが、この船は船首が開く様です。
こちらが現在の高松港行きフェリーで、もちろん貨車は載せられません
<大井川鉄道井川(いかわ)線「井川」駅 2019年11月17日>
2019年4月4日に撮影した画像を使いました。
起点となる大井川本線との接続駅「千頭(せんず)」までは
(列車は「金谷」行き16000系2連)
直線距離が13キロ強(路線長は何と25キロ強)有りますので、
行き止まり駅になります。
駅舎は小振りですが有人で、
待合室には姉妹提携している台湾の阿里山森林鉄路のポスターが有りました。
発車時刻10分前くらいにならないと改札が始まらないので、駅舎内から列車をパチリ
先頭のディーゼル釜のDD204(下は「千頭」にて撮影)が、5両の客車を牽く編成です。
往路は釜は最後尾なのでヘッドマークは有りませんが、復路では先頭になるため掲出されていました。
漸く改札口が開き、ダッシュで最後尾へ
その先も線路が延びていてカモレがおり、残念ながら終端部は撮れません。
振り返って列車末尾のクハ601制御客車をパチリ
プッシュプル方式になっており、往路はこちらが先頭です。
カモレの場合は機回しが必要ですので、そのための側線が有りました。
次は反対の「千頭」方で、駅を出るとすぐトンネルに入ります。
旅客列車はここが終点ですが、カモレは更に上流の「堂平」(①)へ向かい、
(駅舎前を右にカーブする線路がそれ)
こちらも駅を過ぎるとすぐトンネルになっていました。
外から見ると赤矢印の辺りが駅で、貨物線は黄矢印の鉄橋で県道を跨ぎます。
井川線は本来、ダム建設のための専用鉄道として建設され(往路、車中から撮影)
敬意を表し、近くの井川ダム②へ行ってみました。
階段を上がって左手の崖の中腹に建つ「井川展示館」にて
ダムカードが頂け
そこからの見晴らしは抜群です。
<島原鉄道「島原港」駅 2019年10月9日>
2019年3月9日に撮影した画像を使いました。
(駅名は、今年10月から「島原港」に変更)
最寄のJR三角(みすみ)線「三角」駅へは
(列車は管理人が「熊本」から乗って来たキハ200系2連)
直線距離が19キロ強有りますので、
行き止まり駅になります(赤枠が「島原港」で、青枠が「三角」)。
無人駅なので改札口は無く、ホームは道路に直結しており、
入線中の「諫早」行きキハ2501A(新潟鉄工所製)単行をパチリ
こちらが終端側ですが、車止めは遥か先の方に有りました(後で紹介します)。
振り返って列車後部側を撮影
車体側面には「島原の子守歌」に因んだイラストが描かれていました。
そして、先端部から「諫早」方を見た所です。
こちらは駅外からの1枚で、右側に見えるホームは
現在ポイントが撤去されており、使われていません。
次にやって来た列車は折り返し「島原」行きキハ2510Aで、
先の「諫早」行きの出発と合わせ、到着動画を撮影。
ホームから見えなかった車止めは、駅から10分ほど南へ歩いた高台で発見。
そこは、駅から坂を上り切った場所でした。
道路にはレールが残っていますが、この先35キロ強が2008年(平成20年)廃線になったそうです。
最後に、管理人が利用したフェリーの話題を少々
駅から東へ坂を5分ほど下って行くと島原港フェリーターミナルに着き、
この船で熊本へ戻りました。
出港30分で「島原港」行き僚船(赤矢印)とすれ違い(後方にライバルが急追)
こちらだと1時間掛かるののに対し、
ライバル社のこの船(上の黄矢印)は30分と快速なので乗りたかったのですが、運行間隔が広く諦めた次第です。
(管理人の乗った会社は2隻体制なのに対し、ライバル社は1隻のみ?)
<JR三角(みすみ)線「三角」駅 2019年8月13日>
2019年3月8日に撮影した画像を使いました。
最寄の「八代(やつしろ)」駅へは直線距離が17キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
南国風の駅舎を入ると、
構内は単式ホームと側線1本の簡素な造りでした。
(列車は管理人が「熊本」から乗って来たキハ200系2連)
終端部は少し先の方に有り、
アップで撮ったのがこちら
次に先端部へ向かう途中、「宇土(うと)」起点25.5キロを示す乙号距離標を見付けました。
(三角線の起点は「宇土」ですが、列車は「熊本」まで乗り入れ)
こちらがホーム先端から見た「宇土」方と
振り返って駅中央方向です。
駅前はすぐ港で、次の列車を待つ間しばし散策しました。
岸壁の一風変わった建物は「海のピラミッド」と言い、
フェリー乗り場の待合室だそうです(↓ 海側から撮影)。
その後、線路の終端部にも行ってみました。
側線は機回し用だったので、現在は使われていません。
復路に乗ったこちらは普通のキハ47系と思いきや
良く見るとキハ147で、キハ47の機関を換装(220PS→360PS)した強力版です。
1時間弱乗って、「熊本」駅の切り欠き式5番のりばに到着。
<熊本電鉄菊池線「御代志(みよし)」駅 2019年6月25日>
2019年3月8日に撮影した画像を使いました。
最寄のJR豊肥本線「武蔵塚」駅へは直線距離が4キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
ホームだけで駅舎は無く、左側はバスの停留所になっていました。
かつては木造駅舎を持つ有人駅で、島式ホーム1面2線のほか、貨物用の側線も有ったそうです。
こちらは6000形(元都営地下鉄6000形)2連を終端側から見た所で、
車止めも直前に有りました。
現在レールは撤去されていますが、1986年(昭和61年)までは14キロ先の「菊池」まで延びていたんだとか。
次はホーム先端から見た「藤崎宮前」方と、
振り返って列車先端部をパチリ
ごつい排障器は、併用軌道走行用に後付けされたものと思われます。
菊池線は「御代志」~「上熊本」間になりますが、
運行系統は「御代志」~「北熊本」~「藤崎宮前」となっていました。
(「藤崎宮前」にて6000形2連の後撃ち)
一方「北熊本」~「上熊本」間は、1列車がピストン往復しています。
(「上熊本」にて元東京メトロ01系の01形2連後撃ち)
<紀州鉄道線「西御坊」駅 2019年6月5日>
画像は2018年12月22日に撮影したものを使いました。
(駅名板を撮り忘れ、ネット画像を借用 m(__)m)
最寄のJR紀勢本線「御坊」駅へは
直線距離が2.3キロ強有りますので、ギリギリ行き止まり駅になります。
こちらは終端側から見た所で、
振り返ると、線路は先の方まで残っていました。
このKR205は、2017年に信楽高原鉄道から来たんだとか。
駅舎(左)と民家との間の路地を入ると、待合室に通じています。
車止めと
ホーム先端から見た「御坊」方面
そして、振り返った単式ホームは1両分の長さしか有りません(^^;
乗り込んで、運転席をパチリ
「西御坊」から2駅目の「紀伊御坊」は紀州鉄道線の中枢で、
構内には小さな車両基地が有りました(車両はKR301)。
また踏切際にはキハ603が保存され、内部は売店になっています。
この道を左に歩いて行くと「御坊」の地名の元となった日高御坊が有りますが、平日のためか門は閉まっていて、
境内は閑散としていました。
最後は「紀伊御坊」から2駅目の終点「御坊」で、ここはJRのホームと接していますが連絡改札口は無く、運転士さんが整理券を配る方式です。
<JR越美北線「九頭竜湖」駅 2019年5月13日>
画像は2018年10月11日に撮影したものを使いました。
最寄の長良川鉄道越美南線「北濃」駅へは
(↑ ↓ 2018年4月6日に撮影 下はナガラ500形503号)
直線距離が12キロ弱有りますので、行き止まり駅になります。
山小屋風の駅舎(無人)を入ると、
構内は片面ホームの簡素な造りでした(列車は「福井」行きキハ120形単行)。
振り返って終端方向を見た所と
アップでもう1枚(右側は保線車両用の側線なので、分岐器は横取式です)
次はホームの先端へ向かい、「福井」方と
振り返って駅舎方向をパチリ
折り返しまでの時間が9分と短く雨も強かったので、周辺散策は諦めました
因みに越美北線(九頭竜線)は「越前花堂(はなんどう)」が起点ですが、全列車が隣駅の「福井」に乗り入れています。
管理人が乗った列車は、往路「福井」を2連で出発したものの
最後の交換可能駅「越前大野」にて
2両目(首都圏色)が切り離され、
10時15分、「福井」へ折り返して行きました。
復路は「越前大野」での増結はせずに「福井」に戻って来ましたが、途中混雑も無く、単行で事足りる様です。
<ことでん長尾線「長尾」駅 2019年2月21日>
画像は2018年7月23日に撮影したものを使いました。
最寄のJR高徳線「造田(ぞうだ)」駅へは直線距離が2.3キロ有るので、行き止まり駅になります。
小さいながら好ましいスタイルの駅舎を入ると、
構内は片面ホームと側線が1本有る簡素な造りでした。
次は終端部と、
ホーム先端から「高松築港」方をパチリ
暫くして1200形(元京急700形)2連が到着し、 出発まで2分しか無いため車掌さんは走って最後部へ向かいます。
何とか車止めとのツーショットは間に合いましたが、この後すぐ出発して行きました。
次の列車まで20分有りますので、近くの長尾寺へ...
正面に回るとなかなか立派が伽藍で
そもそも長尾線は、四国八十七番霊場のこちらへ参拝客を運ぶために出来たそうです。
振り返ったこちらの山門は
近づいてみますと
鐘楼を兼ねていました。
何と山門の外側には短パン一丁の外人男性が突っ伏しており、サイクリング中、余りの暑さに石畳で涼をとっていた様です
復路は元京急1000形の1300形2連(後撃ち)に乗り、「瓦町」まで戻りました。
因みに長尾線には専用の車両基地(四角マーク)が無く、
「瓦町」から琴平線に入り、「仏生山」でお休みします。
<JR大船渡線「気仙沼」駅 2018年12月13日>
画像は2018年6月27日に撮影したものを使いました。
最寄の三陸鉄道南リアス線(「盛(さかり)」駅へは
(左の建物がそれで、右はJR駅舎)
(「釜石」から到着した新潟トランシス製36-700形)
直線距離が23キロ有りますので、行き止まり駅になります。
ここは大船渡線と気仙沼線の接続駅でしたが、大津波によって被災した箇所がBRTに転換したため、今は大船渡線の終点になりました。
2012年にリニューアルされた駅舎を入ると
中はBRTが乗り入れられる様になっていて(配線図は概略)
1番のりばは「盛」からのバスの到着レーンの前方に、
「前谷地」方面への出発レーンが直列に並んでいました。
次は気仙沼線のBRT(「本吉」始発)が
2番のりばに到着した所です。
4番のりばには大船渡線「一ノ関」行きキハ100形2連が入線し(後撃ち)、
同じ場所から見た終端方向は
かなり前方に車止めが有りました(右端はBRT専用道路)。
次はホームを移動して同じ列車を前面から
側線のキハ100形も入れて、もう1枚
なお3番のりばは、右側の車止め見えるホームがそれです。
最後にホーム先端から見た「一ノ関」方と、気仙沼線跡のBRT専用道路(左端)を撮りました。
本稿は気動車ばかりでしたので、同日に撮った電車画像を1枚載せておきます。
(「郡山」にて東北本線「福島」行き701系4連)
<三陸鉄道南リアス線「盛(さかり)」駅 2018年11月13日>
画像は2018年6月27日に撮影したものを使いました。
最寄のJR大船渡線「気仙沼」駅へは直線距離が23キロ有り、また岩手開発鉄道は貨物線のため行き止まり駅になります。
こちらが三陸鉄道の駅舎で
JRの駅舎(右)と並んで建っていました。
JR駅舎側の改札口を入ると内部はこんな感じで、三陸鉄道は奥の3番のりばから発着し(配線図は概略レベル)、
三鉄様式の番線表示板と
「釜石」から到着した新潟トランシス製36-700形をパチリ
右手の道路は大船渡線の線路と1番のりば用ホームの跡地で跨線橋も有りますが、現在は道路を渡って行き来できます。
次は振り返って終端方向、
さらに近づいて見ますとBRTの転回場と、岩手開発鉄道が旅客輸送を行っていた当時のホーム(矢印)が残っていました。
大船渡鉱山で採れる石灰石を海辺のセメント工場へ運ぶため、構内には岩手開発鉄道のホキが沢山昼寝しています。
牽引用の釜は見当たらず、代わりに保線モーターカーを撮影。
こちらはホーム先端側で、先ほどの三鉄が動き出し(左→右)、
車庫へ入って行きました(右端線路が南リアス線の本線)。
最後はJR大船渡線について触れますが、2011年の大津波で被災し、現在「盛」~「気仙沼」間はBRTに転換しています。
(線路跡のバス専用道路)
「気仙沼」からのバスは駅舎に面した元の1番のりばに到着し
前出の転回場で暫し休憩後、時刻になると2番のりばに入線。
管理人もこのバスに乗って、「気仙沼」へ向かいました。
<JR男鹿(おが)線「男鹿」駅 2018年10月13日>
画像は2018年6月26日に撮影したものを使いました。
最寄の奥羽本線「大久保」駅へは直線距離が10キロ強有り、行き止まり駅になります。
当駅についてはこちらに過去記事が有りますが、2017年から蓄電池駆動電車が走り始めたので再訪し、アップし直しました
訪問した日はまだこちらの旧駅舎が使われていましたが、
ホーム終端側に新しい駅舎が建設中で、
1週間後の7月1日から、使用開始になったそうです。
3年前に訪れた時は、こんな配線構造だったのですが
現在は赤四角の場所に駅舎が出来、その先の線路は撤去されました(Yahoo地図は未更新のため、手修正)。
因みにgoo地図だと、こんな感じです。
改札口を抜け、構内踏切を渡って1面2線のホームへ。
1番のりばに奥羽本線直通「秋田」行き交流用蓄電池駆動電車EV-E801系2連(手前クハ+奥クモハ)が入線していました。
まず初めに終端部へ向かい
さらに近づくと、新駅舎に繋がる連絡通路が現れます。
前回(2015年6月27日)来た時は悪天候も重なり、遥か先の終端部まで行くのを諦めたのですが、
やっとリベンジが叶いました
1番のりば側の車止めがこちらで、
2番のりば(右)と留置線(左)はこんな感じです。
そこから旧駅舎方向を振り返って1枚パチリ
1番のりばには4両編成列車に対応して、充電用の剛体架線が2ヶ所設けられていました。
男鹿線内はパンタを下ろして走行して来て、
当駅に着くと早速充電を開始。
管理人が外を一回りして戻って来ると既にパンタは降りていて予想以上の急速充電ぶり(10~15分)です。
非電化の男鹿線27キロ弱の走破を可能にする蓄電池が、クハ(EV-E800形)の床下にズラっと並んでいました。
(「秋田」駅にて撮影)
次はホーム先端から「追分」方を見た所と
振り返って駅中央方向です。
ここでEV-E801系について少々(「秋田」駅にて撮影)。
JR東のこのタイプは今年3月、筑豊本線で乗ったBEC819系(「折尾」駅にて撮影)の仲間になり、
周波数を50Hzに変え、耐寒構造にして試験投入されました。
BEC819系は日立製でEV-E801系もそれに倣いましたが、日立製一般形電車のJR東への採用は24年ぶりとか...
室内がロングシートという点も同じです。
(但しJR九州の方は、シートの背もたれが木製)
最後は豆知識で、男鹿線用の蓄電池駆動電車は現在1本のみですが、管理人は時刻表から簡単に探せました
他の列車はキハ40形なので列車番号に「D]が付くのに対し、
蓄電池駆動電車の列車番号には「M]が付きます。
<長良川鉄道越美南線「北濃」駅 2018年7月25日>
画像は2018年4月6日に撮影したものを使いました。
最寄のJR越美北線「九頭竜湖」駅(Wikipedia画像)まで
直線距離が15キロ弱有り、行き止まり駅になります。
国鉄当時からの趣有る駅舎(無人)を入り
構内踏切を渡ると、1面2線のホームには「美濃太田」行き単行列車が待っていました(ナガラ500形503号)。
同じ場所で振り返り、立て看板をパチリ
線路終端は機回し線になっているためかなり先の方ですが、
車止めは構内踏切のすぐ先に有ります。
その左手には転車台が残っていましたが、時間の都合で傍まで行きませんでした。
次ぎはホーム先端から「美濃太田」方を見た所と、
振り返って駅舎方向
駅前の国道のすぐ右手は、長良川になります。
雨が強くなって来ましたので、列車の中へ...
車両は新潟トランシス製で、同鉄道の最新機種でした。
こちらが運転台
乗客は管理人ただ1人で、
左前方の人物は、郡上八幡キャラの城ゴロー君です。
彼は高校生ですが、ご当地ヒーローのGJ8マンに変身するんだとか...(イラストは、さくらももこさん)
この路線は第3セクターとしては長い方(全長72キロ)で、
「美濃太田」まで2時間以上掛かるため、旅程の都合上
「美濃市」駅近くの「旧名鉄美濃駅」だけ立ち寄りました。
他にも「郡上八幡」や
刃物で有名な「関」など見所が有り、次回は是非途中下車して散策してみたいです。
今回は車両画像が一辺倒なので、最後に別機種を...
(「美濃市」にて、最古参の富士重工製ナガラ200形201号)
<JR博多南線「博多南」駅 2018年6月25日>
画像は2018年3月7日に撮影したものを使いました。
最寄のJR鹿児島本線「南福岡」駅(Wikipedia画像)まで
直線距離が3.4キロ弱有り、行き止まり駅になります。
この駅は盛り土された新幹線の車両基地(博多総合車両所)と並んでいるため、
道路からかなり高い所に有りました(^^;
こちらは、駅ビル2階のペデストリアンデッキに繋がる連絡橋①への入り口
そして、駅舎に登る階段②を見下ろした所です。
片面1線のホームは新幹線が8両停まると一杯で、フレームに納まり切りませんでした
終端側の前方を見ると
左手が車両基地、右手の高架が九州新幹線の本線で、前方が「鹿児島中央」方になります。
こちらは反対側の先端部から「博多」方を見た所で、駅を出るとすぐ左手の本線(高架)に合流していました。
ここは山陽新幹線唯一の車両基地で、九州新幹線用の基地は熊本に有るんだそうです。
(博多南線は、車両基地への回送線を旅客線化したもの)
管理人は「博多」から往復しましたので、その乗車記を少々。
特定特急券(100円)と
18きっぷは使えませんので乗車券(200円)を買い
新幹線ホーム16番のりばで待っていると、
定刻に入って来たのは「新大阪」始発「博多」止まりの「こだま737号」で、そのまま「博多南」行きになりました
車内は両側とも2列シートで、
ドア付近は1列の部分も有り、余裕タップリです。
14時22分「博多」始発 → 14時30分、終点「博多南」着
列車はお客さんを降ろしたらそのまま車庫に入ると思いきや、清掃作業が始まり
終わるとお客さんを乗せ、14時47分に折り返して行きました。
(「博多」から「新大阪」行き「こだま746号」に変身します)
<西鉄太宰府線「太宰府」 2018年5月17日>
画像は2018年3月7日に撮影したものを使いました。
最寄の「西鉄二日市」(同線起点かつ天神大牟田線の接続駅)まで
直線距離が2.2キロ弱有り、ギリギリ行き止まり駅になります。
立派な駅舎を入ると
中は3面2線構造で、ホームは中央2番・3番が乗車専用、両側1番・4番が降車専用と分かれていました。
(2番のりばには「西鉄二日市」行き3000形5連が入線中)
終端部は2番のりばがこちらで、
隣の3番のりば側はこんな感じです。
次はホーム先端から「西鉄二日市」方を撮りましたが、標準軌の単線は普段見慣れていないので、違和感満点でした(^^;
以前2014年7月29日に訪問した(阪急)嵐山も同様で、
3面2線構造の所まで一緒です
駅舎方向を振り返って構内全景をパチリ
この3000形は太宰府観光列車の「旅人」で
乗降扉間がオール転換クロスシートでした
この列車に乗り、「西鉄二日市」へ戻ります。
太宰府線唯一の中間駅「西鉄五条」では7000形4連と交換
この2本の列車が釣瓶式に運行している様で、ロングシートの7000形ではなく、往復共3000形に乗れたのは幸運でした。
「太宰府」から7分ほどで終点「西鉄二日市」に到着
次は「旅人」がお客さんを乗せ「太宰府」へ向け出発する所と、すれ違いに「筑紫」行き5000形4連が到着する様子です。
この駅は構内が4面5線と広く(前方が西鉄福岡(天神)方面)、右端(1番のりば)に「太宰府」行きの7000形が見えました。
最後に発着列車の編成画像を載せるつもりでしたが数が多く、別途「おもしろ駅探訪」記事を書く予定です。
<名鉄尾西線「玉ノ井」 2018年4月25日>
画像は2017年12月14日に撮影したものを使いました。
最寄の名鉄本線「新木曽川」駅(Wikipedia画像)まで
直線にして2キロ強有り、ギリギリ行き止まり駅になります。
こちらが駅舎(無人)で、
今回は外側から見た様子を先に載せました。
ど逆光m(__)mの「名鉄一宮」行き6800系2連(後撃ち)
こちらが終端部で
1959年(昭和34年)に廃止されるまで、この先「木曽川橋」へ線路が伸びていたそうです。
地図(1932年(昭和7年)時点)右端の路線は東海道本線で、「名鉄一宮」「笠松」間の名鉄名古屋本線はまだ有りません。
(3年後の1935年(昭和10年)に開通)
次は中に入って終端部を撮った後ホーム先端へ移動し、
「名鉄一宮」方をパチリ
構内は片面1線のホームが有るだけの簡素な造りでした。
左手の鋸型屋根の建物は昔の工場でしょうか?最近はとんと見掛けなくなった形状です。
「玉ノ井」~「名鉄一宮」間は1編成がピストン運行しており
15時1分始発のこの列車で戻りました。
「名鉄一宮」1番のりばが尾西線ホームで、前方が「津島」行き手前が「玉ノ井」行きです(列車間隔は2~3両分)。
信号機も別々で、「玉ノ井」方面には第3
「津島」方面に第4場内信号機が設けられていました。
その中間には列車方向を示す案内(※の場所)が...
最後に2列車の同時発車動画をご覧下さい。
時刻表はどちらも15時43分発ですが実際には「津島」行きが先発し、30秒後に「玉ノ井」行きが出発します。
<JR常磐線「富岡」 2018年3月9日>
画像は2017年12月24日に撮影したものを使いました。
最寄の「浪江」駅まで
(↓「原ノ町」行き701系2連)
直線距離が16.5キロ有るため、行き止まり駅になります。
地図を見ますと、この区間は海のすぐ傍に線路が敷かれており旧駅舎は2011年3月11に大震災の津波で流失
その後再建され、2017年10月21日から営業を開始しました。
最初はホーム南端から見た「いわき」方と
そこから振り返った、駅中央方向です(駅舎は跨線橋の左)。
2015年2月27日に訪問した、当時の暫定終点「竜田」駅では跨線橋は閉鎖されていましたが、
「富岡」では普通に使えました。
その代わり「竜田」では次駅表示に不通区間の「富岡」が残っていたのに対し、
「富岡」の次駅表示はシールで隠されています。
ホームを歩いて反対側の「仙台」方に移動。
1番ホーム端に、「日暮里」起点248キロを示す甲号距離標
振り返って再び駅中央方向をパチリ
ホームから海側を見ますと人家は無く、復旧はまだまだの様に感じました。
因みに前回「いわき」~「竜田」間を乗った415系は2016年に運用を終了し、
現在はE531系付属編成5連に代替わりしましたが
一部の列車には、元・特急651系4連も使われています。
今回を含めて計4回、常磐線の暫定終点を訪れましたが、
①2014年1月 2日 「広野」
②2015年2月27日 「竜田」
③2017年4月 7日 「浪江」
次回はいよいよ、全通レポートになるかと...
<伊予鉄横河原線「横河原」 2018年2月13日>
画像は2017年10月25日に撮影したものを使いました。
最寄の「松山市」駅(画像はネットからお借りしたもの)まで
(横河原線経由高浜線直通「高浜」行き3000系3連)
直線距離が11.4キロ有るため、行き止まり駅になります。
2016年(平成28年)に建て替えられた真新しい駅舎を入ると
片面1線の簡素なホームには、高浜線直通「高浜」行き700系(元は京王5000系(初代))3連が入線していました。
終端部はこんな感じです。
次はホーム先端から駅舎方向を見た所と、
振り返って「松山市」方をパチリ
一旦、駅を出て
近くの踏切から出発する様と、
後撃ちを撮りました。
次にやって来た3000系3連(元は京王3000系)は
連結器が密自連型で、700系(密連型)とは異なります。
5000系は京王線系統なのに対し、3000系は井の頭線系統だったからでしょうか?
こちらが正面から見た所と、
運転室の機器類
振り返った車内は、平日々中とあって閑散としていました。
復路、「松山市」の1駅手前の「石手川公園」にて下車。
ここは名前の通り、石手川の上に架かる駅です。
鉄橋部分(右前方)のホームが異常に狭く
そこには銘板(赤丸)が付いていて
「土木学会選奨土木遺産 石手川橋梁」と読めました。
この橋は1893年に造られ、現役の鉄道橋で移設されていないものとしては日本最古なんだとか...
次にやって来たのは「横河原」行き610系2連。
こちらの連結器は密連型で700系と同じですが、両車で編成を組む事は無いそうです。
<伊予鉄高浜線「高浜」 2018年2月5日>
画像は2017年10月25日に撮影したものを使いました。
最寄のJR予讃線「三津浜」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用 m(__)m)
直線距離が3キロ有るため、行き止まり駅になります。
(高浜線は四国最古の鉄道で、予讃線の方がオーバークロス)
こちらが昭和初期の電化時に建てられた駅舎、
そして裏手から見た構内は片面1線のホームと側線が1本有りました。
改札口を抜け(ここは有人駅)、
まず終端部を撮影
次はホーム先端から見た「松山市」方と、
振り返ったところです。
(列車は横河原線直通「横河原」行き3000系3連)
線路は隣駅「梅津寺(ばいしんじ)」まで単線ですが、そこから「松山市」までは複線になっていました。
駅前には県道を挟んでフェリー乗り場が有り、
向かいの興居(こご)島の「由良(ゆら)」港から船が到着
(後方の山が興居島小富士)
因みに広島・呉方面のフェリーは、600m北の松山観光港から出るそうです。
帰路「梅津寺」に途中下車し、まず「高浜」方の単線
続いて「松山市」方の複線を撮りました。
(列車は「高浜」行き700系3連)
2番のりばのホーム横は海岸が迫っており、
海が荒れて高波を被る場合は閉鎖し、1番のりばを使います。
(右端のホームが1番のりば)
最後に、駅前の梅津寺公園に置かれた本物の坊ちゃん列車(但し、客車はレプリカ)をパチリ
<水島臨海鉄道本線「三菱自工前」 2018年1月9日>
(画像は2012年7月14日と2017年9月5日に撮影)
最寄のJR山陽本線「西阿知」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が6.6キロ有るため、行き止まり駅になります。
臨海工業地帯の終着駅は多々行きましたが、ご他聞に漏れずここも片面ホームの無人駅で、
以前訪問した名鉄築港線の終点「東名古屋港」と同様、駅舎は有りません。
少し「水島」寄りが事業所入り口で、ここに通う人達の出退勤に合わせたダイヤなんでしょうね。
ホームが狭いからでしょうか?ベンチは折り畳み式で
試しに坐ってみましたが、立っていた方が楽かも(^^;
その隣からは10個一遍に上がりました。
中央付近には、起点から10.5キロを示す乙号距離標が...
こちらはホーム先端から見た「水島」方で、左側の線路が本線、右は廃止された西埠頭線と思われます。
右手の駅に進入するMRT300形「ひまわり号」をパチリ
次は終端側で線路は倉敷貨物ターミナルまで続いており、この後行ってみました。
前方の線路と道路を跨ぐ通路は三菱の工場間を繋いでいて、車両か部品の搬送用の様です。
駅前の道を西へ10分ほど歩くと倉敷貨物ターミナルに着き、
広い構内には水臨の車両が沢山休んでいました。
まずキハ37形103とキハ38形104を撮り、
暫くすると少し移動してくれましたので、反対側もパチリ
次は後方の水島臨海色のキハ37形101・102
そしてこちらはキハ30形98で、100の部品取り用だそうです。
何となく親近感を覚えた車両達でしたので後日調べましたら、2012年7月14日に久留里線で乗っていました。
(記事は7月18日にアップ)
その時のキハ38形は番号不明ですが、
キハ30形の方は100で、水臨に移籍した車両です。
駅に戻る途中で見掛けたカモレのコンテナは、完成車はたまた部品を運んでいるのでしょうか?
入線して来た16時10分始発の「倉敷市」行きは、先ほど撮ったばかりのキハ37形+キハ38形でした。
乗客は管理人1人でしたが、「水島」からそこそこの乗車率に。
「水島」はこの地域の主要駅で
ここが終点の列車も多く、
また貨物専用の港東線(左カーブ、右の矢印は本線)も分岐しています。
<JR宇野線「宇野」 2017年12月9日>
画像は2017年9月5日に撮影したものを使いました。
最寄のJR本四備讃線「木見」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が12キロ有るため、行き止まり駅になります。
1994年(平成6年)に建て替えられた駅舎を入ると 、
1面2線のホームと側線が1本有るだけの簡素な造りでした。
(2番のりばは管理人が「岡山」から乗って来た115系3連)
終端部は1番のりば側がこちら
そして、2番のりばです。
(後ほど、駅外からも1枚パチリ)
次はホーム中程から駅舎方を見た所で、1番のりば(右)の先発「岡山」行き115系3連は、食パン顔の1600番台車でした。
そしてこちらがホーム先端から見た「岡山」方と、
振り返っての1枚です。
構内を撮った後は、連絡船の遺構を探しに行ってみました。
ネットからお借りしたこちらは、宇高連絡船が車両航送を行っていた当時の宇野駅で、右端に旅客ホーム、左手がヤードです。
①が船着場跡で、バースの一部が残っており、
矢印はトモ綱を掛ける係船柱で、ボラードと言うんだとか。
そして左端の説明板をアップで撮りました。
係船柱の位置から見た船着場は、今は何も残っていません
以下5枚は7月27日に京都鉄道博物館で撮ったジオラマで
(上の画像を90度右回転した構図)
件の係船柱の位置は、左上端の連絡船(赤色)の後方かと。
左上端が貨客船、中央が貨車用、右端が旅客船ではないか?と思われます。
このサイズの船なら海が荒れても貨車は大丈夫そうですが、
ハシケで瀬戸内海縦断となると、ちょっと心配...(^^;
青森で見掛けたのと同様、線路が3つに分かれていました。
四国へ渡るフェリー乗り場②へ向かう途中見掛けた看板で、
青函連絡船は確か船尾から車両を出し入れする構造でしたが、この船は船首が開く様です。
こちらが現在の高松港行きフェリーで、もちろん貨車は載せられません
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