おもしろ駅探訪(過去記事その2) [鉄道(実物)]
過去に掲載しました「おもしろ駅探訪」シリーズの閲覧場所②で2013年7月~2015年2月までの記事を集めました。
なおそれ以前の記事は、(過去記事その1)に分割しています。
<(阪急)宝塚 2015年2月23日>
(画像は2014年12月25日に撮影)
ここは宝塚線と今津線の終着駅です。
いずれ10面9線の頭端式ホームを持つ「梅田」駅の記事を書くため、その予行練習に選びました(「宝塚」は頭端式2面4線)。
「梅田」は規模が大き過ぎて、どの様にまとめたら良いか今の所アイデアが湧かないのです(^^;
「(阪急)宝塚」駅はホーム全体が建て屋に覆われ、
その構内(右から1号~4号線を終端部側から見た所)と
配線はこんな感じでした(赤丸位置から撮影)。
因みに、2012年8月28日にアップしました「(東武)柏」も似た構造ですが、
ホームの有効長が20m級6両分なのに対し「(阪急)宝塚」は19m級10両分有り、より規模が大きいです。
終端部は4号線、そして
3号線(右)/2号線(左)まで撮れましたが
日中は1号/2号線ホームは閉鎖されていて、
1号線の方は撮れませんでした
列車の発着が集中するラッシュ時は1号/2号線を今津線用、3号/4号線を宝塚線用に分離しますが日中は、
今津線は3号線(↓ 「西宮北口」行き普通3000系6連)、
宝塚線は隣の4号線(↓ 「梅田」行き急行6000系8連)を使い
乗り継ぎが便利になっています(何れも終端部側から撮影)。
次は先端部側へ移動し、両線の列車をパチリ
(左が今津線の7000系6連、右が宝塚線の同系8連)
こちらはホーム先端から「梅田」「今津」方を見た所で、宝塚線(左)の片渡り線とシーサスが合体しているのに気付きました。
駅を出てすぐ左にカーブするため、片渡り線→シーサスの順に直列に並べる余地が無かったものと思われます。
内部を一通り撮り終えてから、周辺を少し探索してみました。
①は駅の終端部で、昔は有馬温泉まで延伸する計画が有ったそうです。
②は左がJRの駅舎で、阪急駅(右手)とは立体舗道で繋がっていました。
そして③は、JR駅に到着する207系7連です。
最後にトリビアで平日の朝、今津線→神戸線経由の「梅田」行き準急が有るのですが、遠回りなのに宝塚線の準急より早い事が分かりました。
宝塚線では44分掛かるのに対し今津線回りは36分で、
「西宮北口」に今津線と神戸線の連絡線が有り、神戸線内ではバンバン飛ばせる故こんなワザも可能なんですね
<石橋 2015年2月10日>
(画像は2014年12月25日に撮影)
ここは宝塚線の駅であると共に箕面(みのお)線の起点になり、宝塚線がカーブしているため複雑な形をしています。
(分岐器の位置は想像)
箕面線の方は当駅止まり(5号線)と宝塚線直通列車のホーム(3号線/4号線)に分かれていました。
駅の周りは商店が密集していて、広場やバスターミナルは無いようです。
最初は1号線ホーム端から「梅田」方を見た所で、
箕面線の分岐ポイントの先にシーサスも設置されていました。
「宝塚」寄りに平井車庫が有るため、箕面線車両の入出庫用にシーサスが必要なのでは?と思われます。
振り返って三角形のホームを撮ってから、
1号線停車中の「雲雀丘花屋敷」行き普通1000系(2代)8連を後撃ちしましたが...
ホームがカーブしているため、折角の最新鋭車両も4両分しか写りませんでした
しかしアルミ車体に全面マルーン塗装とは!阪急らしい拘りを感じます。
同じ場所で2号線の「梅田」行き急行9000系8連と、
その後に来た「梅田」行き普通5000系8連を撮影。
次は1号線ホームを反対側の「宝塚」方末端部まで移動し、
やって来た「梅田」行き急行5000系8連を撮りましたが、
こちらも後部3両分しか写りませんでした(^^;
続いて3号線の赤丸の所に移動し、
合流部分をパチリ
折りしも、「梅田」行きの宝塚線列車がポイントに進入中です。
同じ場所から振り返って、3号線(左)/4号線(右)を撮影。
箕面線から宝塚線に乗り入れ「梅田」へ行く列車はここに停まるのですがラッシュ時を過ぎていたため、もう来ませんでした
次は3号線ホームを移動し、先端から見た「箕面」方と
振り返って、左から4号線/3号線/5号線です。
もう一度「箕面」方を振り返ると当駅止まりの列車が接近中で
ポイントを割って転線し、
頭端式の5号線ホームに入線しました。
日中は3000系4連2本が「石橋」~「箕面」をピストン輸送しているようです。
<多摩川 2014年12月4日>
(画像は2014年7月9日、10月24日に撮影)
ここは3線が集まるジャンクションで
構内は広いですが、駅前広場やバスターミナルは有りません。
地上に改札口が有って、高架上には東横線と目黒線のホーム、地下に多摩川線ホーム、と三層構造になっていました。
因みに西武多摩川線の正式名は「多摩川線」ですが、こちらは「東急多摩川線」が正式名だとか...
2面4線の高架ホーム(1番~4番線 : 「渋谷」方から撮影)は、両端の1番・4番が東横線、内側2番・3番が目黒線用です。
目黒線終点は「田園調布」なのですが「田園調布」~「日吉」の複々線を利用し目黒線の列車が「日吉」まで乗り入れるため、
ここは3線接続駅と案内されているとの事。
過去記事のパターンに拠ると、ここからホーム毎の入線画像を羅列するのですが、今回はそう旨く行きませんでした。
ホームがカーブしていたり日が当たらなかったりして、まともに撮れたのは3番線のこれだけです
(最後部まで写っていませんが...)
目黒線→三田線「西高島平」行き急行の東急5080系6連
同じく「西高島平」行き各停の都営地下鉄6000系6連
そんな訳でこの後は、2番ホームの「渋谷」方末端から各線発着列車を撮りました。
<1番線 : 東横線下り>
「和光市」始発「元町・中華街」行き急行の東急5050系8連で、副都心線→東横線→みなとみらい線を直通します。
次に来たのは回送の東武9000系10連でした。
<2番線 : 目黒線下り>
「西高島平」始発「日吉」行き急行の都営地下鉄6000系6連で、三田線からの直通です。
次は、「浦和美園」始発「日吉」行き各停の東京メトロ9000系
6連で、埼玉高速鉄道線→南北線→目黒線とやって来ました。
<3番線 : 目黒線上り>
東急3000系6連と
東急5080系6連の後撃ちです。
並走するのは東京メトロ10000系10連で、3本とも画像から
行き先を判別する事が出来ませんでした(^^;
<4番線 : 東横線上り>
「元町・中華街」始発「和光市」行き急行の東京メトロ7000系
8連で、みなとみらい線→東横線→副都心線を直通します。
次は東急5050系8連で、行き先は分かりませんでした。
冒頭の路線図からもお分かりの様に、東横線も目黒線も他線の乗り入れ車両が多いですね
撮れませんでしたが、管理人が「元町・中華街」から「池袋」まで乗って帰ったのは「飯能」行き特急の西武6000系10連で、
みなとみらい線→東横線→副都心線→西武有楽町線→
西武池袋線を直通する列車でした。
(2014年7月21日記事から再掲 「東村山」にて撮影)
こちらは反対の「横浜」方の末端部で
右にカーブ後、すぐ多摩川を渡ります。
次は、地下の多摩川線ホームに行ってみました。
左から5番・6番線で、普段は5番線のみ使われる様です。
<5番線>
「蒲田」行き東急1000系3連
次も「蒲田」行き東急1000系3連で、
こちらは東横線からの転属車(1500番台)でした。
<6番線>
「蒲田」方を撮ったのですが、多摩川線はワンマン運転のためホームに柵が有ります。
反対側のホーム終端部は行き止まりではなく、目黒線に繋がる線路が伸びていました(5番線も同様)。
これは多摩川線・池上線の車両が長津田車両工場にて重要部検査・全般検査を受ける際の回送ルートになります。
(2012年7月25日記事から再掲しました)
<会津若松 2014年10月10日>
(画像は2011年8月28日、2011年10月11日、
2014年9月8日に撮影)
この駅で磐越西線と只見線が接続、また会津鉄道も乗り入れ、磐越西線についてはスイッチバック構造になっています。
「東北の駅百選」に選ばれた駅舎を入ると、
内部は3面5線構造になっていました(図は概要レベル)。
その内1番線と2番線が頭端式ホームで、終端部はコの字型に繋がっています(左1番/右2番線で中央は留置線)。
以下に、各ホームを発着する列車をまとめて載せました。
<1番線>
当駅始発の磐越西線上り「郡山」行き快速719系4連と、
同じく当駅始発の「郡山」行き快速「あいづライナー4号」485系6連で、何れも先端部側から見た所。
<2番線>
当駅始発の磐越西線下り「新潟」行き快速「あがの」キハ110形3連(終端部側から撮影)と、
当駅始発の上り「郡山」行き普通719系2連(先端部側から)
1番線(右側)に「あいづライナー」が入線する時、上りの普通は2番線(左側)から出発する様です(終端部側から撮影)。
資料を見ますと、かの「SLばんえつ物語」号も2番線に到着し
釜の方向転換をして1番線に入り、「新潟」へ戻る運用との事。
<3番線>
当駅始発の磐越西線下り「野沢」行普通キハ47形+キハ40形2連(「小出」方の後部車両から撮影)を
跨線橋から見下ろした所と、
出発動画
<4番線>
当駅始発の只見線下り「会津宮下」行普通キハ40形2連。
(「小出」方の先頭車両から撮影)
現在この列車は「会津川口」行きですが、撮影時(2011年)は手前の「会津宮下」までしか災害復旧が進んでいませんでした。
その出発動画
こちらは会津鉄道線から乗り入れて来た「喜多方」行きの快速
「AIZUマウントエクスプレス」号2連で、
車両はAT-700形ないしAT-750形の様です。
跨線橋から見下ろした所も1枚
<5番線>
当駅始発の会津鉄道線直通「会津田島」行き単行列車
(形式は上と同じ)
さてスイッチバックについて調べました所、現在「会津若松」にて方向転換し先に進む列車は朝夕の1本ずつだけでした。
2011年に新潟・会津を巡った時は日中にも1本有りましたのでその画像を載せておきます。
「喜多方」12時39分始発の「郡山」行き普通719系2連で、
(「喜多方」駅3番線にて「会津若松」方の先頭車両から撮影)
「会津若松」では2番線に入ってから方向転換して、13時4分「郡山」に向け出発して行きました。
<河原町 2014年9月13日>
(画像は2014年7月29日に撮影したものを使用)
この駅①は京都のメインストリート四条通沿いの地下に有り
最寄の京阪電鉄本線「祇園四条」駅②とは
間に鴨川が有るため直接繋がっていませんが、
京都市営地下鉄「四条」駅③とは地下道で繋がっているため、
当ブログが決めた「近くの終着駅」条件「別線駅に構内または、地下道で繋がる所は対象外とする」に当てはまります
そんな理由から、「おもしろ駅探訪」シリーズの方に含める事に致しました(^^;
構内は1面3線(ポイント箇所は想像)で、
日中は1号線から特急(9300系8連)が
そして3号線から準急(3300系8連)が、
交互に出発するダイヤです。
阪急は〇番線ではなく〇号線と言う呼び方をするので、記事もそれに倣いました。
2号線は3号線(左側)の「梅田」方を切り欠いて作られており、
平日々中は使われない様で
ホーム(左側)の照明も落としてあります。
図の黒丸は新聞原稿入れで、京都支社の記者が書いた原稿を大阪へ電車輸送していた頃の名残だとか...
次はホーム反対側の終端部で、まず1号線
そして3号線をパチリ
こちらは赤矢印の案内板のアップ画像で、
7両編成(5300系)の場合、手前に停車しますが、
同じ準急でも次の列車は8両編成(3300系)で
奥の方まで進入して来ました。
地下駅のためまともな編成画像が有りませんので、他所で撮影したものを載せておきます。
「河原町」行き準急3300系7連(後撃ち)
「梅田」行き特急7300系8連
「梅田」行き特急9300系8連(後撃ち)
(前2つは「西京極」、3つ目は「桂」駅にて撮影)
<館林 2014年8月16日>
(画像は2012年7月22日、2013年4月13日、
2014年7月18日に撮影)
ここは東武鉄道の3線が集まるジャンクションで
周辺のJR(黒い線)と東武鉄道路線図(カラーの線)も再掲しておきました(2012年7月27日記事から)。
昔からの駅舎は「関東の駅百選」に選ばれており、改札を入ると直接1番/2番線に繋がっています。
その右手には東西の自由通路と橋上駅舎が有りました。
中は2面5線構造(図は概要レベル)で
1番線は佐野線、2番線は伊勢崎線(上り)、3番線と5番線は
伊勢崎線(下り)、4番線は小泉線ホームです。
それでは各ホームを順番に見ていきましょう。
<1番線>
佐野線「葛生(くずう)」行き800系3連(先頭側)が居り、
ここのホームは頭端式になっていました。
因みに、終点「葛生」はこんな所です。
(2012年7月27日記事より再掲)
<2番線>
当駅始発、「浅草」行き区間急行10000系8連が出発待ち
(「浅草」方から撮影)
<3番線>
当駅始発の「伊勢崎」行き普通800系3連(「伊勢崎」方)で、
漸く本形式のまともな編成画像が撮れました
偶数車両の編成が多い東武鉄道では珍しい3連なのですが、管理人の地元では走っておらず撮れなかったのです
上の列車が出発した後、当駅折り返しの伊勢崎線上り列車が入線して来ました(「浅草」方から撮影)。
「浅草」行き区間急行10030系8連です。
<4番線>
3番線の「伊勢崎」方を切り欠き、2両分のホームが設けられていました。
列車は「西小泉」行き8000系2連で、
一緒に終点「西小泉」の画像も載せておきます。
(2012年7月27日記事より再掲)
<5番線>
当駅折り返し、伊勢崎線上り「北千住」行き区間急行10030系8連が出発した後(浅草」方から撮影)、
下り「大田」行き普通10030系6連が入線・出発して行きました(「浅草」方からの出発後撃ち)。
こちらは、「伊勢崎」方から当駅止まり上り普通10030系6連が3番線に到着する所(折り返し「大田」行きになります)。
そして反対側の「浅草」方もパチリ
(上り「北千住」行き区間急行10030系8連の出発後撃ち)
この時、左手2番線に乙号距離票を見付けました。
これは「北千住」の0キロポスト(2013年5月4日記事)から、
67.5キロと言う意味になります。
<東村山 2014年7月21日>
ここは「練馬」と同じく西武鉄道の3線が集まるジャンクションで
5月16日に「練馬」をUPした際、「唯一3線が集まる」と書いた誤りを今回訂正しておきました m(__)m
構内は3面6線と「練馬」(2面6線)より広く、
西武鉄道の中では最大規模です。
(因みに「池袋」は4面4線、「所沢」は3面6線)
駅舎は自由通路と一体化していて、東口の右手には
「志村けんの木」(構内図右上の※印)が有りました
構内には新宿線のキロポストが2つ並存し、
1番線の22キロポスト(「本川越」起点)と
もう1つが4番線の24キロポスト(「高田馬場」起点)です。
新宿線のキロポストは歴史的経緯が複雑で、興味の有る方はウィキの「西武新宿線」をご覧下さい。
またここは西武園線の起点ですが、それを示す0キロポストは見つかりませんでした。
こちらは「本川越」方から見た所(右端が1番線)で、11時近くだった事も有り、一瞬全ホームに列車が居ない状態に...
ここからは発着列車のオンパレードですが1番線はこの時間帯入線が無く、2番線から始めます(^^;
「西武園」始発の「国分寺」行き2000系6連
そして、当駅止まりの国分寺線3000系6連が進入する所
3番線に移り、当駅始発の「西武園」行き新101系4連
3番線は新宿線下り列車も使用しており、「本川越」行き各停の20000系8連が特急退避後、出発して行く所を後撃ち
次は4番線で、ここが一番多くの形式が撮れました。
初めは「本川越」行き特急「小江戸」10000系7連で、右隣りの3番線に上の20000系がチラっと見えます。
その10000系の出発後撃ち
次は「本川越」行き急行6000系10連
本形式は池袋線専用と思っていましたが、2編成だけ新宿線に配備されているとの事
次は「本川越」行き各停30000系8連(後撃ち)
変わった所で、「国分寺」始発新宿線直通「本川越」行き各停2000系6連(後撃ち)
最後は5番・6番線をまとめて...
まず5番線に「西武新宿」行き各停2000系8連が入線し、
続いて6番線に「西武新宿」行き特急10000系7連が進入
客扱い後、先発して行きました。
最後は6番線を出発した「西武新宿」行き各停30000系8連(後撃ち)で
特急待ち合わせが無い場合、新宿線の上り列車は6番線側に停まる様です。
<(西武)練馬 2014年5月16日>
ここは「東村山」と同じく西武鉄道3線が集まるジャンクションで
豊島線と有楽町線の起点を示す0キロポストも有りました。
改札口とコンコースは2階、ホームは3階になり、
構内は2面6線と広いです。
線路配置は概ねこんな感じ、と言ったレベルで細部は余り自信有りません(^^;
「池袋」方の線路配置は6本で、右から
①池袋線(下り)当駅通過列車用
②有楽町線(下り)→1番線
③池袋線/豊島線(下り)当駅停車列車用→2番線
④3番線→池袋線(上り)当駅停車列車用
⑤4番線→有楽町線(上り)
⑥池袋線(上り)当駅通過列車用
と言う使い方でした。
①から順番に「池袋」始発「飯能」行き特急10000系7連が、
高速で通過する所をパチリ(↓後撃ち)
調べましたら、特急/快速急行/急行/通勤急行はこの駅を通過する様です(但し、有楽町線直通の快速急行は停車)。
②はるばる「元町・中華街」からやって来て1番線に進入する「所沢」行き各停の東急5050系10連。
③2番線に入線した「池袋」始発「保谷」行き各停3000系8連(銀河鉄道999ラッピング車)を後撃ちしました。
④3番線に入線した「小手指」始発の準急20000系10連が
「池袋」に向け出発した所(後撃ち)。
⑤4番線を出て地下に入って行く、「所沢」始発「元町・中華街」行き各停の東急5050系(後撃ち)。
最後は通過線⑥を行く、「飯能」始発「池袋」行き急行6000系10連(後撃ち)。
次は「飯能」方の線路配置で、左から
①池袋線(下り)当駅通過列車用
②1番線→有楽町線からの乗り入れ列車用
③2番線→池袋線/豊島線(下り)当駅停車列車用
④2番線→豊島線用単線←3番線
⑤池袋線(上り)当駅停車列車用→3番線
⑥有楽町線への乗り入れ列車用→4番線
⑦池袋線(上り)当駅通過列車用
となり、この先「石神井公園」駅まで高架複々線が続きます。
こちらは地上へ続く豊島線④を
「豊島園」始発「池袋」行き各停30000系8連が上って来て、
3番線に停車した所(後撃ち)。
右手2番線の新2000系8連も、「豊島園」行きでした。
次は⑥4番線に入線する、「石神井公園」始発「新木場」行きの東京メトロ7000系8連。
そして⑦を来る「「西武秩父」始発「池袋」行き特急10000系レッドアロークラシック
左手は豊島線へ降りて行く、2つ上の画像の新2000系。
⑦通過中を後撃ち
最後は2番線停車中の「池袋」始発「飯能」行き快速9000系10連ですが、これをもって西武車両の内
4000系を除く池袋線系統の全車種が登場した事になります(実は4000系も来たのですが、撮影に失敗しました)。
<塩尻 2014年2月13日>
ここは1982年(昭和57年)に駅が現在の場所に移転しましたので、旧駅の名残を追って見ました。
①現在の駅(東口)から東南方向に10分ほど歩きますと
②旧駅の場所に着き、そこにはスポーツ施設が建っています。
(階段や石垣は、当時のものかも?)
建物裏手のホーム跡(列車の中から見ると良く分かりました)
こちらは近くの商業ビル屋上駐車場から見下ろした所で、下の駐車場は駅前広場だったのかもしれませんね。
旧駅時代、名古屋と長野を結ぶ列車は方向転換を余儀なくされそれが駅を移転するきっかけになった様です。
(その頃、名古屋と東京を直通する列車は既に無かった?)
駅が北西方向に移転し、配線はこうなりました。
旧線はそのまま残され、デルタ線を構成しています。
その後、1983年(昭和58年)に塩嶺トンネルが開通し、現在のルートになりました。
③名古屋方面から見た現在の中央本線(駅は左前方)と、右にカーブする単線の旧線です。
④最後に、駅西口に戻って来ました。
次は駅構内南端から、東京方面/名古屋方面の線路がY字に分かれる所をパチリ
<東京方面>
<名古屋方面>
この駅は中央本線(東京、名古屋方面)、篠ノ井線(長野方面)、中央本線支線(辰野方面)と4方向に線路が伸びる要衝であり、構内は3面6線と広いです(右端から左へ1番~6番ホーム)。
ホームを行き来して、次々に発着する列車を撮りました。
まず1番線に到着する、「新宿」行き特急あずさE257系11連
2番線に停車中の、「松本」行き115系6連
3番線に停車中の、「辰野」行きE127系2連
4番線から出発する、「松本」行き313系2連
5番線に到着する、「名古屋」行き特急しなの383系6連です。
<和歌山市 2014年1月25日>
ここは南海以外に、JR紀勢本線の終点でもあるのですが
その乗り場は、2番線(片面1線)しか有りません。
それもそのはず、ここから「新宮」方面へ向かう列車は無く、2駅先の「和歌山」駅との間を105系が細々と走っています。
こちらは「和歌山」方ですが架線柱の形状からして、昔は右手に1番線が有ったのではないかと...
現在、紀勢本線の運行上の基点は「和歌山」駅に移ってしまい、何故そうなったのか歴史的経緯を調べてみました。
(もし間違いが有りましたら、ご容赦下さい m(__)m)
和歌山市中心部の路線図は現在こんな感じで、
調べますと「紀和」が一番古く次ぎが「和歌山市」、最後に出来たのが「和歌山」駅になります。
「紀和」は1898年(明治31年)、紀和鉄道(現JR和歌山線)の「和歌山(初代)」駅として開業
「和歌山市」は1903年(明治36年)、南海鉄道の終着駅として開業し、合わせて紀和鉄道も乗り入れました。
1924年(大正13年)に、紀勢西線の開通に合わせ「東和歌山(現在の和歌山)」駅が開業、
さらには1930年(昭和5年)、「東和歌山」駅に乗り入れ始めた阪和電気鉄道が
1944年(昭和19年)に国有化されて国鉄阪和線となり、大阪と紀州方面が国鉄のみで繋がる事になりました。
これによって「東和歌山」駅の重要度が一段と増したのに反し、「和歌山市」との間は盲腸線化して行った訳です。
総仕上げが1968年(昭和43年)の駅名変更で、「東和歌山」が「和歌山(二代目)」を襲名し、名前を譲った「和歌山(初代)」は「紀和」に変わりました。
今回電車の画像が少なかったので、「和歌山市」駅で見掛けた南海線車両の方も載せておく事に...
まず、3番線の加太線直通7100系2連
次ぎが5番線の「なんば」行き普通8000系4連(左隣が4番線)
最後が6番線です(右手側線に7000系6連が)。
<都庁前 2013年10月16日>
ここは都営地下鉄・大江戸線の起点(終点は「光が丘」)ですが、途中駅でもあります。
中は2面4線構造で、こんな配線になっていました。
1番線は、「光が丘」から反時計回りに都心へ向かう列車用
2番線は、時計回りに都心へ向かう始発列車用
3番線は、「光が丘」から出発した列車の終着ホーム
3番線に到着した列車は(2番線側から撮影)
前方の引き上げ線に入って、折り返し2番線から出発します。
4番線は、都心を回って来た「光が丘」行き列車用
という使い方になっていました。
起点駅なので、2番/3番線中央に0キロ表示が有ります。
<大垣 2013年10月13日>
東海道本線以外にも赤坂支線、養老鉄道、樽見鉄道が有り
それらのホームが皆、ちょっと面白い構造をしていました。
赤坂支線(黄色)の3番線と樽見鉄道(水色)の6番線は切り欠きホーム、養老鉄道(赤色)は平地形スイッチバック駅です。
<1. 東海道本線支線(通称「美濃赤坂線」)ホーム>
JR2番/4番線の「米原」方が切り欠きホームの3番線になり、
「美濃赤坂」行き313系ワンマン2連が居ました。
1919年(大正8年)、美濃赤坂周辺で摂れる石灰石や大理石を搬出するために建設された支線だそうです。
(日本初の内燃動車キハニ5000形が走っていたとか)
<2. 養老鉄道線ホーム>
ここはJR南口横に自前の駅舎を持ち
スイッチバック構造になっていますが
西武池袋線「飯能」の様な直通列車は無く、時刻表を見た限り「桑名」方面と「揖斐」方面の運転系統は分断されていました。
(乗継の便は考慮されている様ですが)
こちらはホーム先端からの画像で、1番線(右側)の「桑名」行き600系3連、2番線(左側)「揖斐」行き2連共々、
当駅始発です。
<3. 樽見鉄道線ホーム>
JR5番/7番線の「岐阜」方が切り欠きホームの6番線になり、
連絡改札口は設けられていません。
こちらが反対側から見た所で
ホームには、「樽見」行きハイモ295-617が居ました。
余談ですが、こちらはひたちなか海浜鉄道「勝田」駅にて撮った「阿字ヶ浦」行きのミキ300形で
両者共、廃止された三木鉄道から来た車両です。
(ここのホームも、JRのそれを一部切り欠いていました)
それから駅に纏わる話題と違いますが、「大垣」~「関ヶ原」間の貨物用迂回線のお話を...
「大垣」から「関ヶ原」に向かう下り線は最大25パーミルの上り
勾配のため、下り貨物列車用に勾配を緩和した迂回線が設け
られています。
管理人は「米原」から「大垣」へ向かう車中で、この迂回線に入る貨物列車を見掛けたのですが、撮り損ないました m(__)m
<(京急)蒲田(その2) 2013年9月10日>
京急一規模の大きい蒲田駅を取り上げる第2回目で、
ここは空港線が分岐するため運転系統が3つ有り、構内構造もそれに合わせた作りになっています。
前回は3階の下り線ホームをレポートしましたので
今回は、2階の上り線ホームに降りて来ました。
1番線/4番線は空港線方面、
2番線/5番線は緩急接続時、普通列車が退避、
3番線/6番線は本線用
と言った区分です。
この付近の4番線(左手)に空港線の分岐が有り
本線・横浜方面(右手)から到着した列車の最後部をパチリ
ここで車掌さんから運転士さんに交代し、
折り返して、空港線に入って行きました(後撃ち画像)。
列車は下段の高架を走って、羽田空港へ向かいます。
ホームをさらに横浜方面に歩くと5番線になりますが
緩急接続が無かったので、「品川」行き普通800系6連は
5番線は使わず、その先の6番線に停まりました。
これにて一通り構内のレポートを終え、後は空港線に絡んだ残り3パターンの運行形態を載せる事に致します。
<羽田空港→横浜方面へ向かう列車>
下り線に入る必要が有りますので、上段高架を走り
3階の1番線に入線した後、横浜方面へ折り返し
<品川方面→羽田空港へ向かう列車>
本線を下って来て3階の1番線に入り
そのまま前進して空港線に進入(後撃ち画像)、
上段の高架を走って羽田空港へ
<羽田空港→品川方面へ向かう列車>
上り線に入る必要が有りますので、下段高架を走り
2階の4番線に入線した後、そのまま品川方面へ前進
分かり難くかったかもしれませんがここから空港線に乗る場合、列車によって停まる階が違いますので、慣れるまでは戸惑ってしまうかもしれませんね!
空港線の次駅「粕谷」までは単線並列の形になり、シーサスが設けられていました。
最後に、「粕谷」→「(京急)蒲田」の先頭車窓動画です。
この列車は「(京急)蒲田」止まりで横浜方面へ回送となるため、3階の1番線に入りました。
<(京急)蒲田(その1) 2013年9月7日>
京急一規模の大きい蒲田駅を取り上げる第1回目です。
ここで空港線が分岐するため、運転系統が3つ有りました。
駅は3階建てで、1階が駅舎、2階が上り線ホーム
3階が下り線ホームになり
1番線/4番線は空港線方面、
2番線/5番線は緩急接続時、普通列車が退避、
3番線/6番線は本線用
と言った区分です。
想像するに、
①本線と空港線の立体交差が必要
②本線用の待避線が必要
③ホームを全て並列配置する用地が無い
などの理由から、上記の構造になったのではないかと...
3階の「品川」方から順番に、構内を巡って見ました。
<「品川」方の先端部>
<そこから「横浜」方を振り返った所>
右手の3番線は本線の優等列車が停まりますので12両分、
その先2番線は普通列車用ですので6両分、合わせてホームは18m級車両18両分の長さが有り、先端まで見えません(^^;
<1番線>
品川方面から羽田空港へ向かう、急行2000系8連最後部
<3番線>
本線を下る、「三崎口」行き特急1000系8連最後部
<空港線分岐部>
丁度この付近の左手1番線に、分岐が有ります。
羽田空港へ向かう北総鉄道7500形8連最前部
そして、出発後の後撃ち画像
続いて千葉ニュータウン鉄道からの乗入車9200形8連
<2番線>
一番「横浜」寄りに有り、
切り欠きホームになっていました。
撮影の間(平日朝6時台)ここに入線する列車は無く、もっと遅い時間帯に使われるのでしょうか?
こちらは「京急久里浜」行き普通1500系6連ですが、当駅での緩急接続が無いため、2番線ではなく3番線に停まりました。
<「横浜」方終端部>
漸く辿り着いた~っと言った感じで、残りの分は次回に...
<東武西板線界隈(その2) 2013年8月19日>
幻の東武西板線に縁の駅を取り上げる第2回目です。
西板線は大正期に東武伊勢崎線と東上線の連絡用に計画され1931年(昭和6年)「西新井」~「大師前」間が開通しましたが、その後路線予定地が急速に市街化し、経済恐慌も起きたため「上板橋」への延伸は断念された、との事
<「西新井」駅>
西板線の起点になるはずだった「西新井」駅には
大師線専用ホーム(右から1番線、2番線)が有りますが
1番線には起点から100mを示す丙号距離標しか無く
肝心の0キロポストは、駅中央部の2番線脇に有りました。
<「梅島」駅>
ここは「西新井」の一つ手前の駅で、西板線と縁は無いのですがちょっと面白いので取り上げる事に...
この駅は用地幅が狭いので、上下線のホームが一直線に配置されており
こちらが、1番線の浅草方からホーム中央方向を望んだ所で、
中央部に手前からエスカレータ、階段、エレベータが並び
その先に、2番線が続いています。
記事を書いていて気付きましたが、急行線を行く列車を入れて撮れば良かったですね m(__)m
次ぎは東上線に移ります。
<「上板橋」駅>
西板線の終点になるはずでしたが、
この辺りは着工もされませんでしたので、
駅付近に、遺構と言える様なものは見当たりませんでした
唯一残っているものとしては、操車場予定地跡地かと...
現在の「ときわ台」駅の北側に広がる住宅地が、元は西板線の操車場予定地だったそうです。
ここは「上板橋」、「ときわ台」駅の中間地点で全くの想像ですがこの付近から西板線が分岐する予定だったのでは?
西板線頓挫を受け、1935年(昭和10)年に東武鉄道が跡地を「常盤台住宅地」として分譲、「武蔵常盤」駅も新設しました。
<「ときわ台」駅>
その「武蔵常盤」は、1951年(昭和26年)「ときわ台」に改称
駅名は「ときわ台」ですが、所在地は「常盤台」になり
田園調布をお手本にした区画割りのここは、東上線を代表する高級住宅街(残念ながら、管理人は隣町の住人)です。
こちらは駅前ロータリー
調べましたら操車場予定地は一時、遊覧飛行場だったそうで、管理人はこの駅を60年ほど利用していますが、初耳でした
資料から再現しますと、こんな感じではなかったかと...
羽田や成田も滑走路は似たような方角ですので、関東近辺ではこの向きが風に対して最適なんでしょうか
<東武西板線界隈(その1) 2013年8月7日>
幻の東武西板線に縁の駅を取り上げる第1回目です。
(西板線の由来は、前出「東武西板線界隈(その2)」に記載)
<「大師前」駅>
元々は、西板線(第一期工区)の仮終端駅でした。
北側に駅名の由来になった西新井大師(総持寺)が隣接し、
こちらは反対側の南側で、ビル3階にホームが有ります。
開業当初、駅はもう少し先でしたが、
1968年(昭和43年)環七通り拡幅のため、現在の場所に後退しました。
この8000系2連1本が、隣駅の「西新井」との間をピストン運行していて
ホームは片面1線ですが、赤点線から右側は線路が敷ける様になっており、その上に蓋をしてあるのだとか...
突き当たりの窓からは、廃線跡と思われる空き地が見えましたのでパチリ
反対にこちらが、ホーム先端から見た「西新井」方です。
「大師前」は紛れも無い終端駅なのですが、
日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅が2キロ圏内に有りますので
「行き止まり駅訪問」シリーズの条件に合わない、と半ば諦めていました所、「おもしろ駅探訪」の方で取り上げられました
ここは都内では珍しい無人駅で、改札は有るもののフリーパス、パスモ・リーダも設置されていません。
券売機の所もシャッターが降りていて、
正月など多客時には開く様ですが、その場合でも改札は無人、との事
電車はワンマンですから、車内出札・改札は出来ません。
<「西新井」駅>
ではどうするかと言いますと、大師線起点の「西新井」駅に
専用ホーム(右から1番線、2番線)が有るのですが
ここと伊勢崎線ホームの間に、券売機と
連絡改札口が設けられているのです。
逆に大師線に乗る場合は、この連絡改札口で切符を回収されてしまう方式でした。
この続きは次回と致します。
<「羽生」 2013年7月7日>
ここは東武伊勢崎線と秩父鉄道の接続駅で
色々、面白い点が有りました。
<秩父鉄道の0キロポスト>
秩父鉄道の起点駅ですので、5番線には0キロポストが...
実は途中の「熊谷」駅にも0キロポストが有りまして、
元は2つの私鉄だったため、こうなったそうです。
1921年(大正10年)、北武鉄道として「羽生」~「行田市」間を開業しましたが、翌年、秩父鉄道がこれを合併した、との事
<4番線の次ぎは4番線>
現地に行って初めて知りましたが、右側の7800系が居る所が秩父鉄道の4番線で、
(秩父鉄道側の案内板)
左隣の東武伊勢崎線ホームにも、4番線が有りました。
構内配線はこんな感じになっており、
10030系が停車している2番線が元の1番線で、
その左側に待避線を新設したのに伴い番号を一つずつずらしたのですが、秩父鉄道側は変更しなかったのでこうなったとか
<東武車両の秩父鉄道乗り入れ>
秩父鉄道を経由して、東武の本線系統と東上線系統の車両が行き来する事は良く知られていますが、
図にも有ります西板線が実現していたら、秩父鉄道のお世話にならずに済んだものを...
配線図を見るとお分かりの様に、伊勢崎線の下り線浅草方から延びた側線が、秩父鉄道の本線に繋がっています。
秩父鉄道のホーム端から浅草方を見ますと、右側3本の線路が前方で左端の伊勢崎線の線路に合流していました。
記事を書いていて気付きましたが、秩父鉄道の終点「三峰口」もホームの先まで線路が延びていて
起点/終点とも、頭端式でないのは面白いですね
最後におまけで、7800系の出発動画を一つ
なおそれ以前の記事は、(過去記事その1)に分割しています。
<(阪急)宝塚 2015年2月23日>
(画像は2014年12月25日に撮影)
ここは宝塚線と今津線の終着駅です。
いずれ10面9線の頭端式ホームを持つ「梅田」駅の記事を書くため、その予行練習に選びました(「宝塚」は頭端式2面4線)。
「梅田」は規模が大き過ぎて、どの様にまとめたら良いか今の所アイデアが湧かないのです(^^;
「(阪急)宝塚」駅はホーム全体が建て屋に覆われ、
その構内(右から1号~4号線を終端部側から見た所)と
配線はこんな感じでした(赤丸位置から撮影)。
因みに、2012年8月28日にアップしました「(東武)柏」も似た構造ですが、
ホームの有効長が20m級6両分なのに対し「(阪急)宝塚」は19m級10両分有り、より規模が大きいです。
終端部は4号線、そして
3号線(右)/2号線(左)まで撮れましたが
日中は1号/2号線ホームは閉鎖されていて、
1号線の方は撮れませんでした
列車の発着が集中するラッシュ時は1号/2号線を今津線用、3号/4号線を宝塚線用に分離しますが日中は、
今津線は3号線(↓ 「西宮北口」行き普通3000系6連)、
宝塚線は隣の4号線(↓ 「梅田」行き急行6000系8連)を使い
乗り継ぎが便利になっています(何れも終端部側から撮影)。
次は先端部側へ移動し、両線の列車をパチリ
(左が今津線の7000系6連、右が宝塚線の同系8連)
こちらはホーム先端から「梅田」「今津」方を見た所で、宝塚線(左)の片渡り線とシーサスが合体しているのに気付きました。
駅を出てすぐ左にカーブするため、片渡り線→シーサスの順に直列に並べる余地が無かったものと思われます。
内部を一通り撮り終えてから、周辺を少し探索してみました。
①は駅の終端部で、昔は有馬温泉まで延伸する計画が有ったそうです。
②は左がJRの駅舎で、阪急駅(右手)とは立体舗道で繋がっていました。
そして③は、JR駅に到着する207系7連です。
最後にトリビアで平日の朝、今津線→神戸線経由の「梅田」行き準急が有るのですが、遠回りなのに宝塚線の準急より早い事が分かりました。
宝塚線では44分掛かるのに対し今津線回りは36分で、
「西宮北口」に今津線と神戸線の連絡線が有り、神戸線内ではバンバン飛ばせる故こんなワザも可能なんですね
<石橋 2015年2月10日>
(画像は2014年12月25日に撮影)
ここは宝塚線の駅であると共に箕面(みのお)線の起点になり、宝塚線がカーブしているため複雑な形をしています。
(分岐器の位置は想像)
箕面線の方は当駅止まり(5号線)と宝塚線直通列車のホーム(3号線/4号線)に分かれていました。
駅の周りは商店が密集していて、広場やバスターミナルは無いようです。
最初は1号線ホーム端から「梅田」方を見た所で、
箕面線の分岐ポイントの先にシーサスも設置されていました。
「宝塚」寄りに平井車庫が有るため、箕面線車両の入出庫用にシーサスが必要なのでは?と思われます。
振り返って三角形のホームを撮ってから、
1号線停車中の「雲雀丘花屋敷」行き普通1000系(2代)8連を後撃ちしましたが...
ホームがカーブしているため、折角の最新鋭車両も4両分しか写りませんでした
しかしアルミ車体に全面マルーン塗装とは!阪急らしい拘りを感じます。
同じ場所で2号線の「梅田」行き急行9000系8連と、
その後に来た「梅田」行き普通5000系8連を撮影。
次は1号線ホームを反対側の「宝塚」方末端部まで移動し、
やって来た「梅田」行き急行5000系8連を撮りましたが、
こちらも後部3両分しか写りませんでした(^^;
続いて3号線の赤丸の所に移動し、
合流部分をパチリ
折りしも、「梅田」行きの宝塚線列車がポイントに進入中です。
同じ場所から振り返って、3号線(左)/4号線(右)を撮影。
箕面線から宝塚線に乗り入れ「梅田」へ行く列車はここに停まるのですがラッシュ時を過ぎていたため、もう来ませんでした
次は3号線ホームを移動し、先端から見た「箕面」方と
振り返って、左から4号線/3号線/5号線です。
もう一度「箕面」方を振り返ると当駅止まりの列車が接近中で
ポイントを割って転線し、
頭端式の5号線ホームに入線しました。
日中は3000系4連2本が「石橋」~「箕面」をピストン輸送しているようです。
<多摩川 2014年12月4日>
(画像は2014年7月9日、10月24日に撮影)
ここは3線が集まるジャンクションで
構内は広いですが、駅前広場やバスターミナルは有りません。
地上に改札口が有って、高架上には東横線と目黒線のホーム、地下に多摩川線ホーム、と三層構造になっていました。
因みに西武多摩川線の正式名は「多摩川線」ですが、こちらは「東急多摩川線」が正式名だとか...
2面4線の高架ホーム(1番~4番線 : 「渋谷」方から撮影)は、両端の1番・4番が東横線、内側2番・3番が目黒線用です。
目黒線終点は「田園調布」なのですが「田園調布」~「日吉」の複々線を利用し目黒線の列車が「日吉」まで乗り入れるため、
ここは3線接続駅と案内されているとの事。
過去記事のパターンに拠ると、ここからホーム毎の入線画像を羅列するのですが、今回はそう旨く行きませんでした。
ホームがカーブしていたり日が当たらなかったりして、まともに撮れたのは3番線のこれだけです
(最後部まで写っていませんが...)
目黒線→三田線「西高島平」行き急行の東急5080系6連
同じく「西高島平」行き各停の都営地下鉄6000系6連
そんな訳でこの後は、2番ホームの「渋谷」方末端から各線発着列車を撮りました。
<1番線 : 東横線下り>
「和光市」始発「元町・中華街」行き急行の東急5050系8連で、副都心線→東横線→みなとみらい線を直通します。
次に来たのは回送の東武9000系10連でした。
<2番線 : 目黒線下り>
「西高島平」始発「日吉」行き急行の都営地下鉄6000系6連で、三田線からの直通です。
次は、「浦和美園」始発「日吉」行き各停の東京メトロ9000系
6連で、埼玉高速鉄道線→南北線→目黒線とやって来ました。
<3番線 : 目黒線上り>
東急3000系6連と
東急5080系6連の後撃ちです。
並走するのは東京メトロ10000系10連で、3本とも画像から
行き先を判別する事が出来ませんでした(^^;
<4番線 : 東横線上り>
「元町・中華街」始発「和光市」行き急行の東京メトロ7000系
8連で、みなとみらい線→東横線→副都心線を直通します。
次は東急5050系8連で、行き先は分かりませんでした。
冒頭の路線図からもお分かりの様に、東横線も目黒線も他線の乗り入れ車両が多いですね
撮れませんでしたが、管理人が「元町・中華街」から「池袋」まで乗って帰ったのは「飯能」行き特急の西武6000系10連で、
みなとみらい線→東横線→副都心線→西武有楽町線→
西武池袋線を直通する列車でした。
(2014年7月21日記事から再掲 「東村山」にて撮影)
こちらは反対の「横浜」方の末端部で
右にカーブ後、すぐ多摩川を渡ります。
次は、地下の多摩川線ホームに行ってみました。
左から5番・6番線で、普段は5番線のみ使われる様です。
<5番線>
「蒲田」行き東急1000系3連
次も「蒲田」行き東急1000系3連で、
こちらは東横線からの転属車(1500番台)でした。
<6番線>
「蒲田」方を撮ったのですが、多摩川線はワンマン運転のためホームに柵が有ります。
反対側のホーム終端部は行き止まりではなく、目黒線に繋がる線路が伸びていました(5番線も同様)。
これは多摩川線・池上線の車両が長津田車両工場にて重要部検査・全般検査を受ける際の回送ルートになります。
(2012年7月25日記事から再掲しました)
<会津若松 2014年10月10日>
(画像は2011年8月28日、2011年10月11日、
2014年9月8日に撮影)
この駅で磐越西線と只見線が接続、また会津鉄道も乗り入れ、磐越西線についてはスイッチバック構造になっています。
「東北の駅百選」に選ばれた駅舎を入ると、
内部は3面5線構造になっていました(図は概要レベル)。
その内1番線と2番線が頭端式ホームで、終端部はコの字型に繋がっています(左1番/右2番線で中央は留置線)。
以下に、各ホームを発着する列車をまとめて載せました。
<1番線>
当駅始発の磐越西線上り「郡山」行き快速719系4連と、
同じく当駅始発の「郡山」行き快速「あいづライナー4号」485系6連で、何れも先端部側から見た所。
<2番線>
当駅始発の磐越西線下り「新潟」行き快速「あがの」キハ110形3連(終端部側から撮影)と、
当駅始発の上り「郡山」行き普通719系2連(先端部側から)
1番線(右側)に「あいづライナー」が入線する時、上りの普通は2番線(左側)から出発する様です(終端部側から撮影)。
資料を見ますと、かの「SLばんえつ物語」号も2番線に到着し
釜の方向転換をして1番線に入り、「新潟」へ戻る運用との事。
<3番線>
当駅始発の磐越西線下り「野沢」行普通キハ47形+キハ40形2連(「小出」方の後部車両から撮影)を
跨線橋から見下ろした所と、
出発動画
<4番線>
当駅始発の只見線下り「会津宮下」行普通キハ40形2連。
(「小出」方の先頭車両から撮影)
現在この列車は「会津川口」行きですが、撮影時(2011年)は手前の「会津宮下」までしか災害復旧が進んでいませんでした。
その出発動画
こちらは会津鉄道線から乗り入れて来た「喜多方」行きの快速
「AIZUマウントエクスプレス」号2連で、
車両はAT-700形ないしAT-750形の様です。
跨線橋から見下ろした所も1枚
<5番線>
当駅始発の会津鉄道線直通「会津田島」行き単行列車
(形式は上と同じ)
さてスイッチバックについて調べました所、現在「会津若松」にて方向転換し先に進む列車は朝夕の1本ずつだけでした。
2011年に新潟・会津を巡った時は日中にも1本有りましたのでその画像を載せておきます。
「喜多方」12時39分始発の「郡山」行き普通719系2連で、
(「喜多方」駅3番線にて「会津若松」方の先頭車両から撮影)
「会津若松」では2番線に入ってから方向転換して、13時4分「郡山」に向け出発して行きました。
<河原町 2014年9月13日>
(画像は2014年7月29日に撮影したものを使用)
この駅①は京都のメインストリート四条通沿いの地下に有り
最寄の京阪電鉄本線「祇園四条」駅②とは
間に鴨川が有るため直接繋がっていませんが、
京都市営地下鉄「四条」駅③とは地下道で繋がっているため、
当ブログが決めた「近くの終着駅」条件「別線駅に構内または、地下道で繋がる所は対象外とする」に当てはまります
そんな理由から、「おもしろ駅探訪」シリーズの方に含める事に致しました(^^;
構内は1面3線(ポイント箇所は想像)で、
日中は1号線から特急(9300系8連)が
そして3号線から準急(3300系8連)が、
交互に出発するダイヤです。
阪急は〇番線ではなく〇号線と言う呼び方をするので、記事もそれに倣いました。
2号線は3号線(左側)の「梅田」方を切り欠いて作られており、
平日々中は使われない様で
ホーム(左側)の照明も落としてあります。
図の黒丸は新聞原稿入れで、京都支社の記者が書いた原稿を大阪へ電車輸送していた頃の名残だとか...
次はホーム反対側の終端部で、まず1号線
そして3号線をパチリ
こちらは赤矢印の案内板のアップ画像で、
7両編成(5300系)の場合、手前に停車しますが、
同じ準急でも次の列車は8両編成(3300系)で
奥の方まで進入して来ました。
地下駅のためまともな編成画像が有りませんので、他所で撮影したものを載せておきます。
「河原町」行き準急3300系7連(後撃ち)
「梅田」行き特急7300系8連
「梅田」行き特急9300系8連(後撃ち)
(前2つは「西京極」、3つ目は「桂」駅にて撮影)
<館林 2014年8月16日>
(画像は2012年7月22日、2013年4月13日、
2014年7月18日に撮影)
ここは東武鉄道の3線が集まるジャンクションで
周辺のJR(黒い線)と東武鉄道路線図(カラーの線)も再掲しておきました(2012年7月27日記事から)。
昔からの駅舎は「関東の駅百選」に選ばれており、改札を入ると直接1番/2番線に繋がっています。
その右手には東西の自由通路と橋上駅舎が有りました。
中は2面5線構造(図は概要レベル)で
1番線は佐野線、2番線は伊勢崎線(上り)、3番線と5番線は
伊勢崎線(下り)、4番線は小泉線ホームです。
それでは各ホームを順番に見ていきましょう。
<1番線>
佐野線「葛生(くずう)」行き800系3連(先頭側)が居り、
ここのホームは頭端式になっていました。
因みに、終点「葛生」はこんな所です。
(2012年7月27日記事より再掲)
<2番線>
当駅始発、「浅草」行き区間急行10000系8連が出発待ち
(「浅草」方から撮影)
<3番線>
当駅始発の「伊勢崎」行き普通800系3連(「伊勢崎」方)で、
漸く本形式のまともな編成画像が撮れました
偶数車両の編成が多い東武鉄道では珍しい3連なのですが、管理人の地元では走っておらず撮れなかったのです
上の列車が出発した後、当駅折り返しの伊勢崎線上り列車が入線して来ました(「浅草」方から撮影)。
「浅草」行き区間急行10030系8連です。
<4番線>
3番線の「伊勢崎」方を切り欠き、2両分のホームが設けられていました。
列車は「西小泉」行き8000系2連で、
一緒に終点「西小泉」の画像も載せておきます。
(2012年7月27日記事より再掲)
<5番線>
当駅折り返し、伊勢崎線上り「北千住」行き区間急行10030系8連が出発した後(浅草」方から撮影)、
下り「大田」行き普通10030系6連が入線・出発して行きました(「浅草」方からの出発後撃ち)。
こちらは、「伊勢崎」方から当駅止まり上り普通10030系6連が3番線に到着する所(折り返し「大田」行きになります)。
そして反対側の「浅草」方もパチリ
(上り「北千住」行き区間急行10030系8連の出発後撃ち)
この時、左手2番線に乙号距離票を見付けました。
これは「北千住」の0キロポスト(2013年5月4日記事)から、
67.5キロと言う意味になります。
<東村山 2014年7月21日>
ここは「練馬」と同じく西武鉄道の3線が集まるジャンクションで
5月16日に「練馬」をUPした際、「唯一3線が集まる」と書いた誤りを今回訂正しておきました m(__)m
構内は3面6線と「練馬」(2面6線)より広く、
西武鉄道の中では最大規模です。
(因みに「池袋」は4面4線、「所沢」は3面6線)
駅舎は自由通路と一体化していて、東口の右手には
「志村けんの木」(構内図右上の※印)が有りました
構内には新宿線のキロポストが2つ並存し、
1番線の22キロポスト(「本川越」起点)と
もう1つが4番線の24キロポスト(「高田馬場」起点)です。
新宿線のキロポストは歴史的経緯が複雑で、興味の有る方はウィキの「西武新宿線」をご覧下さい。
またここは西武園線の起点ですが、それを示す0キロポストは見つかりませんでした。
こちらは「本川越」方から見た所(右端が1番線)で、11時近くだった事も有り、一瞬全ホームに列車が居ない状態に...
ここからは発着列車のオンパレードですが1番線はこの時間帯入線が無く、2番線から始めます(^^;
「西武園」始発の「国分寺」行き2000系6連
そして、当駅止まりの国分寺線3000系6連が進入する所
3番線に移り、当駅始発の「西武園」行き新101系4連
3番線は新宿線下り列車も使用しており、「本川越」行き各停の20000系8連が特急退避後、出発して行く所を後撃ち
次は4番線で、ここが一番多くの形式が撮れました。
初めは「本川越」行き特急「小江戸」10000系7連で、右隣りの3番線に上の20000系がチラっと見えます。
その10000系の出発後撃ち
次は「本川越」行き急行6000系10連
本形式は池袋線専用と思っていましたが、2編成だけ新宿線に配備されているとの事
次は「本川越」行き各停30000系8連(後撃ち)
変わった所で、「国分寺」始発新宿線直通「本川越」行き各停2000系6連(後撃ち)
最後は5番・6番線をまとめて...
まず5番線に「西武新宿」行き各停2000系8連が入線し、
続いて6番線に「西武新宿」行き特急10000系7連が進入
客扱い後、先発して行きました。
最後は6番線を出発した「西武新宿」行き各停30000系8連(後撃ち)で
特急待ち合わせが無い場合、新宿線の上り列車は6番線側に停まる様です。
<(西武)練馬 2014年5月16日>
ここは「東村山」と同じく西武鉄道3線が集まるジャンクションで
豊島線と有楽町線の起点を示す0キロポストも有りました。
改札口とコンコースは2階、ホームは3階になり、
構内は2面6線と広いです。
線路配置は概ねこんな感じ、と言ったレベルで細部は余り自信有りません(^^;
「池袋」方の線路配置は6本で、右から
①池袋線(下り)当駅通過列車用
②有楽町線(下り)→1番線
③池袋線/豊島線(下り)当駅停車列車用→2番線
④3番線→池袋線(上り)当駅停車列車用
⑤4番線→有楽町線(上り)
⑥池袋線(上り)当駅通過列車用
と言う使い方でした。
①から順番に「池袋」始発「飯能」行き特急10000系7連が、
高速で通過する所をパチリ(↓後撃ち)
調べましたら、特急/快速急行/急行/通勤急行はこの駅を通過する様です(但し、有楽町線直通の快速急行は停車)。
②はるばる「元町・中華街」からやって来て1番線に進入する「所沢」行き各停の東急5050系10連。
③2番線に入線した「池袋」始発「保谷」行き各停3000系8連(銀河鉄道999ラッピング車)を後撃ちしました。
④3番線に入線した「小手指」始発の準急20000系10連が
「池袋」に向け出発した所(後撃ち)。
⑤4番線を出て地下に入って行く、「所沢」始発「元町・中華街」行き各停の東急5050系(後撃ち)。
最後は通過線⑥を行く、「飯能」始発「池袋」行き急行6000系10連(後撃ち)。
次は「飯能」方の線路配置で、左から
①池袋線(下り)当駅通過列車用
②1番線→有楽町線からの乗り入れ列車用
③2番線→池袋線/豊島線(下り)当駅停車列車用
④2番線→豊島線用単線←3番線
⑤池袋線(上り)当駅停車列車用→3番線
⑥有楽町線への乗り入れ列車用→4番線
⑦池袋線(上り)当駅通過列車用
となり、この先「石神井公園」駅まで高架複々線が続きます。
こちらは地上へ続く豊島線④を
「豊島園」始発「池袋」行き各停30000系8連が上って来て、
3番線に停車した所(後撃ち)。
右手2番線の新2000系8連も、「豊島園」行きでした。
次は⑥4番線に入線する、「石神井公園」始発「新木場」行きの東京メトロ7000系8連。
そして⑦を来る「「西武秩父」始発「池袋」行き特急10000系レッドアロークラシック
左手は豊島線へ降りて行く、2つ上の画像の新2000系。
⑦通過中を後撃ち
最後は2番線停車中の「池袋」始発「飯能」行き快速9000系10連ですが、これをもって西武車両の内
4000系を除く池袋線系統の全車種が登場した事になります(実は4000系も来たのですが、撮影に失敗しました)。
<塩尻 2014年2月13日>
ここは1982年(昭和57年)に駅が現在の場所に移転しましたので、旧駅の名残を追って見ました。
①現在の駅(東口)から東南方向に10分ほど歩きますと
②旧駅の場所に着き、そこにはスポーツ施設が建っています。
(階段や石垣は、当時のものかも?)
建物裏手のホーム跡(列車の中から見ると良く分かりました)
こちらは近くの商業ビル屋上駐車場から見下ろした所で、下の駐車場は駅前広場だったのかもしれませんね。
旧駅時代、名古屋と長野を結ぶ列車は方向転換を余儀なくされそれが駅を移転するきっかけになった様です。
(その頃、名古屋と東京を直通する列車は既に無かった?)
駅が北西方向に移転し、配線はこうなりました。
旧線はそのまま残され、デルタ線を構成しています。
その後、1983年(昭和58年)に塩嶺トンネルが開通し、現在のルートになりました。
③名古屋方面から見た現在の中央本線(駅は左前方)と、右にカーブする単線の旧線です。
④最後に、駅西口に戻って来ました。
次は駅構内南端から、東京方面/名古屋方面の線路がY字に分かれる所をパチリ
<東京方面>
<名古屋方面>
この駅は中央本線(東京、名古屋方面)、篠ノ井線(長野方面)、中央本線支線(辰野方面)と4方向に線路が伸びる要衝であり、構内は3面6線と広いです(右端から左へ1番~6番ホーム)。
ホームを行き来して、次々に発着する列車を撮りました。
まず1番線に到着する、「新宿」行き特急あずさE257系11連
2番線に停車中の、「松本」行き115系6連
3番線に停車中の、「辰野」行きE127系2連
4番線から出発する、「松本」行き313系2連
5番線に到着する、「名古屋」行き特急しなの383系6連です。
<和歌山市 2014年1月25日>
ここは南海以外に、JR紀勢本線の終点でもあるのですが
その乗り場は、2番線(片面1線)しか有りません。
それもそのはず、ここから「新宮」方面へ向かう列車は無く、2駅先の「和歌山」駅との間を105系が細々と走っています。
こちらは「和歌山」方ですが架線柱の形状からして、昔は右手に1番線が有ったのではないかと...
現在、紀勢本線の運行上の基点は「和歌山」駅に移ってしまい、何故そうなったのか歴史的経緯を調べてみました。
(もし間違いが有りましたら、ご容赦下さい m(__)m)
和歌山市中心部の路線図は現在こんな感じで、
調べますと「紀和」が一番古く次ぎが「和歌山市」、最後に出来たのが「和歌山」駅になります。
「紀和」は1898年(明治31年)、紀和鉄道(現JR和歌山線)の「和歌山(初代)」駅として開業
「和歌山市」は1903年(明治36年)、南海鉄道の終着駅として開業し、合わせて紀和鉄道も乗り入れました。
1924年(大正13年)に、紀勢西線の開通に合わせ「東和歌山(現在の和歌山)」駅が開業、
さらには1930年(昭和5年)、「東和歌山」駅に乗り入れ始めた阪和電気鉄道が
1944年(昭和19年)に国有化されて国鉄阪和線となり、大阪と紀州方面が国鉄のみで繋がる事になりました。
これによって「東和歌山」駅の重要度が一段と増したのに反し、「和歌山市」との間は盲腸線化して行った訳です。
総仕上げが1968年(昭和43年)の駅名変更で、「東和歌山」が「和歌山(二代目)」を襲名し、名前を譲った「和歌山(初代)」は「紀和」に変わりました。
今回電車の画像が少なかったので、「和歌山市」駅で見掛けた南海線車両の方も載せておく事に...
まず、3番線の加太線直通7100系2連
次ぎが5番線の「なんば」行き普通8000系4連(左隣が4番線)
最後が6番線です(右手側線に7000系6連が)。
<都庁前 2013年10月16日>
ここは都営地下鉄・大江戸線の起点(終点は「光が丘」)ですが、途中駅でもあります。
中は2面4線構造で、こんな配線になっていました。
1番線は、「光が丘」から反時計回りに都心へ向かう列車用
2番線は、時計回りに都心へ向かう始発列車用
3番線は、「光が丘」から出発した列車の終着ホーム
3番線に到着した列車は(2番線側から撮影)
前方の引き上げ線に入って、折り返し2番線から出発します。
4番線は、都心を回って来た「光が丘」行き列車用
という使い方になっていました。
起点駅なので、2番/3番線中央に0キロ表示が有ります。
<大垣 2013年10月13日>
東海道本線以外にも赤坂支線、養老鉄道、樽見鉄道が有り
それらのホームが皆、ちょっと面白い構造をしていました。
赤坂支線(黄色)の3番線と樽見鉄道(水色)の6番線は切り欠きホーム、養老鉄道(赤色)は平地形スイッチバック駅です。
<1. 東海道本線支線(通称「美濃赤坂線」)ホーム>
JR2番/4番線の「米原」方が切り欠きホームの3番線になり、
「美濃赤坂」行き313系ワンマン2連が居ました。
1919年(大正8年)、美濃赤坂周辺で摂れる石灰石や大理石を搬出するために建設された支線だそうです。
(日本初の内燃動車キハニ5000形が走っていたとか)
<2. 養老鉄道線ホーム>
ここはJR南口横に自前の駅舎を持ち
スイッチバック構造になっていますが
西武池袋線「飯能」の様な直通列車は無く、時刻表を見た限り「桑名」方面と「揖斐」方面の運転系統は分断されていました。
(乗継の便は考慮されている様ですが)
こちらはホーム先端からの画像で、1番線(右側)の「桑名」行き600系3連、2番線(左側)「揖斐」行き2連共々、
当駅始発です。
<3. 樽見鉄道線ホーム>
JR5番/7番線の「岐阜」方が切り欠きホームの6番線になり、
連絡改札口は設けられていません。
こちらが反対側から見た所で
ホームには、「樽見」行きハイモ295-617が居ました。
余談ですが、こちらはひたちなか海浜鉄道「勝田」駅にて撮った「阿字ヶ浦」行きのミキ300形で
両者共、廃止された三木鉄道から来た車両です。
(ここのホームも、JRのそれを一部切り欠いていました)
それから駅に纏わる話題と違いますが、「大垣」~「関ヶ原」間の貨物用迂回線のお話を...
「大垣」から「関ヶ原」に向かう下り線は最大25パーミルの上り
勾配のため、下り貨物列車用に勾配を緩和した迂回線が設け
られています。
管理人は「米原」から「大垣」へ向かう車中で、この迂回線に入る貨物列車を見掛けたのですが、撮り損ないました m(__)m
<(京急)蒲田(その2) 2013年9月10日>
京急一規模の大きい蒲田駅を取り上げる第2回目で、
ここは空港線が分岐するため運転系統が3つ有り、構内構造もそれに合わせた作りになっています。
前回は3階の下り線ホームをレポートしましたので
今回は、2階の上り線ホームに降りて来ました。
1番線/4番線は空港線方面、
2番線/5番線は緩急接続時、普通列車が退避、
3番線/6番線は本線用
と言った区分です。
この付近の4番線(左手)に空港線の分岐が有り
本線・横浜方面(右手)から到着した列車の最後部をパチリ
ここで車掌さんから運転士さんに交代し、
折り返して、空港線に入って行きました(後撃ち画像)。
列車は下段の高架を走って、羽田空港へ向かいます。
ホームをさらに横浜方面に歩くと5番線になりますが
緩急接続が無かったので、「品川」行き普通800系6連は
5番線は使わず、その先の6番線に停まりました。
これにて一通り構内のレポートを終え、後は空港線に絡んだ残り3パターンの運行形態を載せる事に致します。
<羽田空港→横浜方面へ向かう列車>
下り線に入る必要が有りますので、上段高架を走り
3階の1番線に入線した後、横浜方面へ折り返し
<品川方面→羽田空港へ向かう列車>
本線を下って来て3階の1番線に入り
そのまま前進して空港線に進入(後撃ち画像)、
上段の高架を走って羽田空港へ
<羽田空港→品川方面へ向かう列車>
上り線に入る必要が有りますので、下段高架を走り
2階の4番線に入線した後、そのまま品川方面へ前進
分かり難くかったかもしれませんがここから空港線に乗る場合、列車によって停まる階が違いますので、慣れるまでは戸惑ってしまうかもしれませんね!
空港線の次駅「粕谷」までは単線並列の形になり、シーサスが設けられていました。
最後に、「粕谷」→「(京急)蒲田」の先頭車窓動画です。
この列車は「(京急)蒲田」止まりで横浜方面へ回送となるため、3階の1番線に入りました。
<(京急)蒲田(その1) 2013年9月7日>
京急一規模の大きい蒲田駅を取り上げる第1回目です。
ここで空港線が分岐するため、運転系統が3つ有りました。
駅は3階建てで、1階が駅舎、2階が上り線ホーム
3階が下り線ホームになり
1番線/4番線は空港線方面、
2番線/5番線は緩急接続時、普通列車が退避、
3番線/6番線は本線用
と言った区分です。
想像するに、
①本線と空港線の立体交差が必要
②本線用の待避線が必要
③ホームを全て並列配置する用地が無い
などの理由から、上記の構造になったのではないかと...
3階の「品川」方から順番に、構内を巡って見ました。
<「品川」方の先端部>
<そこから「横浜」方を振り返った所>
右手の3番線は本線の優等列車が停まりますので12両分、
その先2番線は普通列車用ですので6両分、合わせてホームは18m級車両18両分の長さが有り、先端まで見えません(^^;
<1番線>
品川方面から羽田空港へ向かう、急行2000系8連最後部
<3番線>
本線を下る、「三崎口」行き特急1000系8連最後部
<空港線分岐部>
丁度この付近の左手1番線に、分岐が有ります。
羽田空港へ向かう北総鉄道7500形8連最前部
そして、出発後の後撃ち画像
続いて千葉ニュータウン鉄道からの乗入車9200形8連
<2番線>
一番「横浜」寄りに有り、
切り欠きホームになっていました。
撮影の間(平日朝6時台)ここに入線する列車は無く、もっと遅い時間帯に使われるのでしょうか?
こちらは「京急久里浜」行き普通1500系6連ですが、当駅での緩急接続が無いため、2番線ではなく3番線に停まりました。
<「横浜」方終端部>
漸く辿り着いた~っと言った感じで、残りの分は次回に...
<東武西板線界隈(その2) 2013年8月19日>
幻の東武西板線に縁の駅を取り上げる第2回目です。
西板線は大正期に東武伊勢崎線と東上線の連絡用に計画され1931年(昭和6年)「西新井」~「大師前」間が開通しましたが、その後路線予定地が急速に市街化し、経済恐慌も起きたため「上板橋」への延伸は断念された、との事
<「西新井」駅>
西板線の起点になるはずだった「西新井」駅には
大師線専用ホーム(右から1番線、2番線)が有りますが
1番線には起点から100mを示す丙号距離標しか無く
肝心の0キロポストは、駅中央部の2番線脇に有りました。
<「梅島」駅>
ここは「西新井」の一つ手前の駅で、西板線と縁は無いのですがちょっと面白いので取り上げる事に...
この駅は用地幅が狭いので、上下線のホームが一直線に配置されており
こちらが、1番線の浅草方からホーム中央方向を望んだ所で、
中央部に手前からエスカレータ、階段、エレベータが並び
その先に、2番線が続いています。
記事を書いていて気付きましたが、急行線を行く列車を入れて撮れば良かったですね m(__)m
次ぎは東上線に移ります。
<「上板橋」駅>
西板線の終点になるはずでしたが、
この辺りは着工もされませんでしたので、
駅付近に、遺構と言える様なものは見当たりませんでした
唯一残っているものとしては、操車場予定地跡地かと...
現在の「ときわ台」駅の北側に広がる住宅地が、元は西板線の操車場予定地だったそうです。
ここは「上板橋」、「ときわ台」駅の中間地点で全くの想像ですがこの付近から西板線が分岐する予定だったのでは?
西板線頓挫を受け、1935年(昭和10)年に東武鉄道が跡地を「常盤台住宅地」として分譲、「武蔵常盤」駅も新設しました。
<「ときわ台」駅>
その「武蔵常盤」は、1951年(昭和26年)「ときわ台」に改称
駅名は「ときわ台」ですが、所在地は「常盤台」になり
田園調布をお手本にした区画割りのここは、東上線を代表する高級住宅街(残念ながら、管理人は隣町の住人)です。
こちらは駅前ロータリー
調べましたら操車場予定地は一時、遊覧飛行場だったそうで、管理人はこの駅を60年ほど利用していますが、初耳でした
資料から再現しますと、こんな感じではなかったかと...
羽田や成田も滑走路は似たような方角ですので、関東近辺ではこの向きが風に対して最適なんでしょうか
<東武西板線界隈(その1) 2013年8月7日>
幻の東武西板線に縁の駅を取り上げる第1回目です。
(西板線の由来は、前出「東武西板線界隈(その2)」に記載)
<「大師前」駅>
元々は、西板線(第一期工区)の仮終端駅でした。
北側に駅名の由来になった西新井大師(総持寺)が隣接し、
こちらは反対側の南側で、ビル3階にホームが有ります。
開業当初、駅はもう少し先でしたが、
1968年(昭和43年)環七通り拡幅のため、現在の場所に後退しました。
この8000系2連1本が、隣駅の「西新井」との間をピストン運行していて
ホームは片面1線ですが、赤点線から右側は線路が敷ける様になっており、その上に蓋をしてあるのだとか...
突き当たりの窓からは、廃線跡と思われる空き地が見えましたのでパチリ
反対にこちらが、ホーム先端から見た「西新井」方です。
「大師前」は紛れも無い終端駅なのですが、
日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅が2キロ圏内に有りますので
「行き止まり駅訪問」シリーズの条件に合わない、と半ば諦めていました所、「おもしろ駅探訪」の方で取り上げられました
ここは都内では珍しい無人駅で、改札は有るもののフリーパス、パスモ・リーダも設置されていません。
券売機の所もシャッターが降りていて、
正月など多客時には開く様ですが、その場合でも改札は無人、との事
電車はワンマンですから、車内出札・改札は出来ません。
<「西新井」駅>
ではどうするかと言いますと、大師線起点の「西新井」駅に
専用ホーム(右から1番線、2番線)が有るのですが
ここと伊勢崎線ホームの間に、券売機と
連絡改札口が設けられているのです。
逆に大師線に乗る場合は、この連絡改札口で切符を回収されてしまう方式でした。
この続きは次回と致します。
<「羽生」 2013年7月7日>
ここは東武伊勢崎線と秩父鉄道の接続駅で
色々、面白い点が有りました。
<秩父鉄道の0キロポスト>
秩父鉄道の起点駅ですので、5番線には0キロポストが...
実は途中の「熊谷」駅にも0キロポストが有りまして、
元は2つの私鉄だったため、こうなったそうです。
1921年(大正10年)、北武鉄道として「羽生」~「行田市」間を開業しましたが、翌年、秩父鉄道がこれを合併した、との事
<4番線の次ぎは4番線>
現地に行って初めて知りましたが、右側の7800系が居る所が秩父鉄道の4番線で、
(秩父鉄道側の案内板)
左隣の東武伊勢崎線ホームにも、4番線が有りました。
構内配線はこんな感じになっており、
10030系が停車している2番線が元の1番線で、
その左側に待避線を新設したのに伴い番号を一つずつずらしたのですが、秩父鉄道側は変更しなかったのでこうなったとか
<東武車両の秩父鉄道乗り入れ>
秩父鉄道を経由して、東武の本線系統と東上線系統の車両が行き来する事は良く知られていますが、
図にも有ります西板線が実現していたら、秩父鉄道のお世話にならずに済んだものを...
配線図を見るとお分かりの様に、伊勢崎線の下り線浅草方から延びた側線が、秩父鉄道の本線に繋がっています。
秩父鉄道のホーム端から浅草方を見ますと、右側3本の線路が前方で左端の伊勢崎線の線路に合流していました。
記事を書いていて気付きましたが、秩父鉄道の終点「三峰口」もホームの先まで線路が延びていて
起点/終点とも、頭端式でないのは面白いですね
最後におまけで、7800系の出発動画を一つ
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