行き止まり駅訪問(過去記事その1) [鉄道(実物)]
過去に載せました「行き止まり駅訪問」シリーズの閲覧場所①で2013年12月以前の記事を集めています。
<三岐鉄道三岐線「西藤原」駅 2013年11月25日>
SLを模した駅舎と、後ろには客車型の公衆トイレが...
一番近くの三岐鉄道北勢線「阿下喜」駅に、直線にして4キロ半有りますので、行き止まり駅になります。
構内は1面2線のホームと側線1本が有り
(列車は元西武401系の101系2連)
その内1線は、保存車両のために使われていました。
(三岐鉄道創業時に新造されたE102号)
構内の一部は「ウィステリア鉄道」と言う鉄道公園になっていて、日曜日にはミニSLが走るそうです。
転車台まで有るとは、本格的ですね
終端部は3線が収斂して終わり
反対側の「近鉄富田」方も、前方で単線にまとまっていました。
終点から2駅手前の「東藤原」に某セメント会社の工場が有り、タキがずらっと並んでいましたので、車窓からパチリ
途中で見掛けたセメント列車は、牽引電機が重連です。
雨のため、見にくい画像ですいません m(__)m
途中の保々(ほぼ)で撮った、もう少しまともな画像がこちら
(後ろはED459で、前がED453でした)
調べました所、貨物列車の運行ルート(緑の線)はこんな感じで
JR「富田」駅にて貨車の受け渡しを行うため、構内にJR貨物のDD51が常駐しているそうです。
写っているホームは三岐鉄道のもので、昔は旅客列車もここが始発駅だったとか...(いずれもJRのホームから撮影)
その証拠にホーム上には0キロポストが、ヤードの向こう側には三岐鉄道本社も有ったのですが、暗くて撮影は諦めました
実はここと秩父鉄道は同じセメント会社が筆頭株主で、三岐は東藤原工場で作った製品を運び出すのに対して、秩鉄は原料の石灰石を熊谷工場に運ぶ、という違いが...
そのため、秩父鉄道はバラ積みホッパ車のヲキ100形ですが
三岐鉄道では密閉のタキ1900形が使われます。
副原料のフライアッシュや製品の炭酸カルシウムを運ぶためにホキ1000形も居るそうですが、見掛けませんでした。
<近鉄湯の山線「湯の山温泉」駅 2013年11月22日>
一番近くの御在所ロープウェイ「湯の山温泉」駅に、直線にして2キロ半有りますので、行き止まり駅になります。
因みに駅の案内板によると、歩いたら1時間掛かるとか...
構内は2面2線(頭端側から撮影)で、
ホームはコの字形に繋がっていました。
頭端側から俯瞰した所と
ホーム先端の「近鉄四日市」方で、左側が本線(少し下り勾配)右側が夜間滞泊用の留置線
普段は左側の1番線に発着(これは1010系3連)しますが、
夜間滞泊した列車はポイントが片渡りのため、2番線から出発するそうです。
次発の2000系3連(最後尾から撮影)は
ホームが少しカーブしているため、
先頭まで入りませんでした。
出発時刻が迫っていて、2番線に回って撮る余裕が無かった、と言うのが実情です。
こちらを撮っていて時間が無くなってしまったのですが
こんな形の転落防止具は、見た事が有りません(^^;
<名鉄知多新線「内海」駅 2013年11月16日>
ホームは3階建てになっていました。
一番近い名鉄河和(こうわ)線「河和」駅に、直線にして4キロ半有りますので、行き止まり駅になります。
構内は2面4線(「富貴(ふき)」方のホーム先端から撮影)と広く左から1番~4番線になり
3番線には、「新鵜沼」行き急行の3300系4連が出発待ちしていました。
同じ場所から振り返り、「富貴」方をパチリ
終端部はこんな感じで、まず1番線
続いて左から2番、3番線
両ホームは繋がっていませんので、延伸の予定が有るのかも
そして4番線です。
2番線に停車中の「富貴」行き6000系(鉄仮面)2連と
4番線に進入する、「金山」行き6000系(広窓車)4連
そして両者が並んだ所をパチリ
<名鉄河和線「河和」駅 2013年11月13日>
駅舎はスーパーマーケットと一体になっていました。
一番近い名鉄知多新線「知多奥田」駅に、直線にして4キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
構内は2面4線(「太田川」方のホーム先端から撮影)で、左から1番~4番線になり
ホームは8両編成まで停まれる長さが有りました。
2番線の列車は「名鉄名古屋」行き特急1000系6連で、
反対側の先頭車はパノラマカーです。
終端部はこんな感じで、まず1番線
続いて左から2番、3番線
そして4番線
3番/4番ホーム側に回って
もう1回、2番線の列車をパチリ
次は1番/2番ホームに戻り、4番ホームに「新鵜沼」行き急行(3100系+3500系)6連が入線した所を撮りました。
最後は「太田川」方面に伸びる線路で、
一駅手前の「河和口」とここの間だけ、単線になっています。
<名鉄三河線「碧南」駅 2013年11月7日>
一番近いJR武豊(たけとよ)線「乙川(おっかわ)」駅に、直線にして5キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
構内には1面2線のホーム(右奥が駅舎)と、
留置線が2本有りました(4連の6000系広窓車が滞留中)。
終端方向と
反対側の「知立(ちりゅう)」方
そして、終端部の外側から見た駅構内
以前はこの先、西尾線・蒲郡線の「吉良吉田」まで線路が延びていたそうです。
調べました所、周辺の名鉄路線網はこんな感じで
三河線は名古屋本線との接続駅の「知立」を境に、運転系統が二分されていました。
因みに、三河線のもう一方の終端駅「猿投(さなげ)」は、近くに愛知環状鉄道「四郷」駅が有るため、当ブログでは行き止まり駅扱いにならないのです
<豊橋鉄道「三河田原」駅 2013年11月4日>
一番近いJR東海道本線「豊橋」駅に、直線にして約14キロの距離が有りますので、行き止まり駅になります。
構内は片面1線ですが、
左手に新しく1面2線のホームを建設中でした。
終端部の先に新しい駅舎も出来る様で、
反対側の「新豊橋」方はこんな感じです。
<樽見鉄道「樽見」駅 2013年10月7日>
一番近い養老鉄道「揖斐(いび)」駅に、直線にして18キロ強の距離が有りますので、行き止まり駅になります。
構内は1面2線で、ホームは客車列車時代の名残で長く
終端部は、機回し用に先の方まで延びていました。
こちらが反対側の「大垣」方で
駅を出るとすぐトンネルに入ります。
「樽見」駅を出発した列車は山間を走り(列車後方を撮影)
30分ほど乗ると視界が開け始め、やがて
樽見鉄道の本社と車両基地が有る「本巣(もとす)」駅に到着
ここの少し「樽見」寄りに石灰岩を採取している山が見え
その左手にはセメント工場が有りました。
かつては工場から「本巣」駅まで線路が伸び、樽見鉄道を使ってセメント輸送が行われていたそうですが2006年に打ち切られ、経営は厳しい様です。
こちらは起点の「大垣」駅で
JR5番/7番線の切り欠きホームの6番線に停まり
ここまで乗って来ました乗客に、JRの改札を出るための切符を運転士さんが配っていました。
<養老鉄道「揖斐(いび)」駅 2013年8月28日>
一番近い東海道本線支線「美濃赤坂」駅に、直線にして8キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
構内は片面1線で
終端部は、こんな感じでした。
そしてこちらが「大垣」方のホーム先端で
右側には側線が2本有ります。
<伊豆箱根鉄道・駿豆線「修善寺」駅 2013年1月28日>
一番近いJR伊東線「宇佐美」駅に、直線で12キロ強の距離が有りますので、行き止まり駅になります。
中は3面5線構造(左端が1番線)と広く、
こちらが1番線の終端部、
ホームを挟んで左から2番線/3番線と続きますが、
2番線と3番線の間がチェーンで遮られていて、4番/5番線の終端部は撮れませんでした。
調べましたら、3番/4番線は特急「踊り子」や臨時・団体列車が停まり、5番線はホームが短く普通列車用だそうです。
(列車は、特急「踊り子」が185系5連、普通列車は3連)
こちらは「三島」方のホーム先端で
左前方に1本、引き上げ線が有りました。
<伊豆急行「伊豆急下田」駅 2013年1月24日>
一番近い伊豆箱根鉄道/駿豆線「修善寺」駅には、直線にして32キロ弱有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは2面3線構造で10両編成が停まれる長さを持ち、
西側には、夜間滞泊も出来る留置線が3本有りました。
こちらが終端部で、左から1番線/2番線
そして、ホームを挟んで3番線です。
ホーム反対側の熱海方に行きました所、
留置線に居ました251系が3番線に入線するため、一旦本線に移動中でした(入線後、1つ上の画像を撮影)。
出場改札口(入場改札口は、この右手に有ります)を出て
駅横から、特急「踊り子」185系10連をパチリ
<上田電鉄別所線「別所温泉」駅 2012年11月25日>
一番近いしなの鉄道「上田」駅には、直線で9キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは元々2面2線構造でした(終端部寄りから撮影)が、
左手のホームは現在使われておらず、レールも撤去されていました。
こちらが終端部、
そして反対側の「上田」方は、
長野電鉄「湯田中」駅と同じ様に、結構な下り勾配です。
駅の近くに、丸窓電車のモハ5250が保存されていました。
<長野電鉄長野線「湯田中」駅 2012年11月22日>
一番近いJR飯山線「上今井」駅には、直線で8キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは2面1線構造です(終端部寄りから撮影)が、
右手のホームと駅舎は使われておらず、現在の駅舎は左手に有りました。
(旧駅舎は、日帰り温泉施設になっているそうですが)
終端部はこんな感じで
反対側の「長野」方がこちらです。
写真ではさほど目立ちませんが、かなりの下り勾配でした。
<アルピコ交通上高地線「新島々」駅 2012年11月19日>
一番近いJR篠ノ井線「村井」/「広丘」駅には、直線距離にして12キロ弱有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは1面2線構造で(終端部寄りから撮影)
終端部は、引き上げ線の遥か先でした。
こちらはホーム反対側の「松本」方で、
右側の白い建物は発電所の様です。
改札口を出ますと、駅前は広いバスターミナルになっており
白骨温泉行き(左側)や、上高地行き(右側)の路線バスが発着していました。
野麦街道を歩き終端部を撮れる場所を探しましたが、線路際に行ける道を見付けられず諦める事に...
<わたらせ渓谷鉄道「間藤(まとう)」駅 2012年11月13日>
一番近いJR日光線「日光」/東武日光線「東武日光」駅には、直線にして18キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは片面1線構造で(「桐生」方から撮影)
同じ場所から振り返って、「桐生」方をパチリ
こちらが車止めから駅方向を見た所で、
反対側には廃線跡が続いていました。
最後は8時31分発上り「桐生」行き310形単行列車の、
出発動画です。
<上信電鉄「下仁田」駅 2012年10月17日>
一番近いJR信越本線の「磯部」・「松井田」駅には、直線にして10キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは1面2線構造(左から2番線、1番線)で、両側に側線が有りました(「高崎」方から撮影)。
同じ場所から振り返って、「高崎」方をパチリ
こちらが1番線の終端部(右側が駅舎)で
停まっていましたのは、9時43分先発の500系2連です。
そしてこちらが2番線の終端部で
後発の1000系2連が、入線していました。
<秩父鉄道「三峰口」駅 2012年10月8日>
一番近い西武鉄道「西武秩父」駅には、直線にして10キロほど有りますので、行き止まり駅になります。
駅舎の右手に屋根がずっと延びていて、ベンチと
木製の臨時改札口(画像最下部)が幾つも並んでいました。
行楽シーズンなどは、団体客で混雑するのでしょうか?
ホームは2面3線構造(左から1番線、2番線、3番線)で
右端には、側線と転車台が有ります(「羽生」方から撮影)。
同じ場所から振り返って、「羽生」方をパチリ
反対側の終端方向は、かなり先の方まで有り
終端部も撮りましたが、早朝のためこんな光線状態に
6時43分に1番線から「羽生」行き7500系3連が出発した後、
夜間滞泊していたと思われる6000系3連が、
7時10分発の「急行秩父路2号」として、入線して来ました。
こちらはシゴハチ用の転車台ですが、
8月に広瀬川原車両基地内で脱線事故を起こし現在運休中のため、出番が無い状況です。
<JR吾妻線「大前」駅 2012年10月3日>
一番近いしなの鉄道「中軽井沢」駅には、直線にして18キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは片面1線の無人駅で駅舎は無く、ホーム上に待合室とトイレが1つになった小屋が有りました(「渋川」方から撮影)
終端方向はこんな感じで、かなり先まで延びており
ここに、臨時列車を留置する事が有るそうです。
もっと近づきたかったのですが、道が無いので諦めました。
こちらが「渋川」方の線路です。
左端に写っていますのは一軒宿の「つまごい館」さんで、
入浴のみもOKだそうですが、
折り返し列車の出発まで18分のため、ちょっと無理でした
(13時22分着→13時40分発の115系3連)
「大前」まで来る列車は一日5本と少ないので、「1本遅らせて」と言う訳に行かないのです。
<福島交通飯坂線「飯坂温泉」駅 2012年9月25日>
最寄のJR東北本線「伊達」駅へは直線にして3キロ強有りますので行き止まり駅になります。
中は2面1線構造で、左側のホームが降車用、右側が乗車用になっていました。
上から見るとこんな感じ(前方が福島方面)で、
駅の左手に、摺上川が流れています。
ホームは川岸に有り、改札口や待合室も同じフロアですが、
駅舎は、階段を上がった地上に作られていました。
(内部は、物産館やコンビニです)
終端部はこんな感じで、
乗って来ました7000系2連は、床置式冷房装置付きでした。
こちらが車内側で、
天井には、ダクトが剥き出しに付いていますが
形はともかく、冷房が有るのは助かります。
と言いますのは、復路に乗ったラッシュ時だけ稼動するこちらの7000系3連は、非冷房車でした
<仙台市地下鉄南北線「泉中央」駅 2012年9月21日>
最寄のJR仙山線「北仙台」駅へは直線にして5キロ弱有りますので行き止まり駅になります。
因みにもう一方の終端の「富沢」は、JR東北本線「太子堂」まで直線距離が1キロ強のため、行き止まり駅になりません
内部は1面2線構造で、前方が終端部方向ですが、行き止まり部分は確かめられませんでした。
停まっていますのは、「富沢」行き1000系4連で
ホームドアが有りますのでお分かりの様に、ワンマン運転です。
調べますと、1987年(昭和62年)開業当初からワンマン運転を実施しているとの事で(福岡市地下鉄についで2番目)、全駅が島式ホームに統一され、運転席も右側に有りました。
(開業時はホームドアは無し)
25年前の車両ですがデザインは悪くなく、キノコ形の貫通路と、両開き扉の大きなRの窓が目を引きます。
「泉中央」はユアテックスタジアム仙台への最寄駅(徒歩4分)のため、駅構内にはベガルタ仙台のこんな表示も...
ホームは地下1階に有りますが、駅を出ますとすぐ高架になって進行方向左側にスタジアムが見えましたのでパチリ
<仙台空港鉄道「仙台空港」駅 2012年9月17日>
最寄の東北本線「館腰」駅へは直線にして4キロ強有りますので行き止まり駅になります。
内部は、1面2線構造(左側が1番線、右側が2番線)の有人駅でした。
1番線の終端部はこんな感じで、
こちらが2番線ですが、
両者横並びではなく、1番線の方が奥まっています。
改札口を出ますと、渡り廊下で空港ビルに繋がっていました。
「仙台」方面は左カーブの単線高架で、滑走路の下を潜る部分だけ地下になります。
流石に去年の津波の傷跡は、見当たりませんでした。
<東北本線(支線)「利府(りふ)」駅 2012年9月15日>
最寄の東北本線「塩釜」駅へは直線にして3キロ強有りますので行き止まり駅になります。
内部は2面2線構造の有人駅で
終端部は、こんな感じでした。
支線が出来た経緯を調べました所、元々はこちらが本線だったそうです。
戦争中、貨物列車用に勾配の少ない海線が建設され、その後
1962年(昭和37年)に山線の「利府」~「松島」間が廃止されたため、盲腸線になったとの事。
利府町は仙台郊外の住宅地と言った趣で、歩いて20分程の所に楽天イーグルス2軍の本拠地の利府球場も有る様でした。
利府支線と東北新幹線の間は、新幹線の総合車両センターになっていて
そこで働く人のために、「新利府」駅が後から作られたそうです。
<京成電鉄編 2012年9月11日>
京成の終点は
「上野」、「押上」、「京成金町」、「成田空港」、「東成田」、
「千葉中央」、「ちはら台」
と有りますが、
図の様に殆どが構内か至近距離に別線が有り、それらは対象外です。 そんな中で唯一「ちはら台」は、
最寄駅のJR内房線「浜野」まで
直線で約3.8キロ有りますので、行き止まり駅としました。
ここは千原線の終点で、構内は1面2線(有効長は6両分)と
保線車両用側線が1本(右端)有ります。
終端方向はこんな感じで
反対側の「千葉」方は、単線に収斂しているのですがお分かりになりますでしょうか?
駅舎は地上に有り(後方のビルは別物)、
駅前はお約束のロータリー、バス停、タクシー乗り場、交番など有りますが、人通りは少なく閑散としていました。
ここは千葉市と市原市に跨るニュータウンで、両方の一文字を取って「千原」なのですが、地名は「ちはら台」です。
陸橋の上から、切り通しの中に作られたホームをパチリ
以前仕事で、北総開発鉄道の「千葉ニュータウン中央」に通っていましたが、そこと良く似た構造でした。
しはらく歩くと終端部になり
千原線建設時は、小湊鉄道の「海人有木(あまありき)」方面へ延伸する計画も有った様ですが、進展していないとの事。
帰路乗った3000系6連は千葉線に乗り入れて、「京成津田沼」まで行く様です。
千原線は全線単線(路盤は複線分有り)で、途中の2駅に交換施設が有りました。
今まで、首都圏大手私鉄の「行き止まり駅」特集は
①都営地下鉄、②東京メトロ、③京浜急行電鉄、
④東京急行電鉄、⑤東武鉄道
とやって来ましたが、ついに今回で打ち止めに...
と申しますのは、残りの西武鉄道、京王電鉄、小田急電鉄には条件に合う駅は一つも無いのです
<銚子電鉄「外川(とかわ)」駅 2012年9月7日>
最寄のJR総武本線「銚子」駅へは直線にして4キロは有りますので、行き止まり駅になります。
内部は片面1線と機回し線が1本有り、デハ801(右側)が留置されていました。
因みにこのデハ801は、2010年に運行終了しています。
終端方向はこんな感じで、
さらに近づくと、こうなっていました。
今でも開業時(大正12年)の駅舎を補修して使っているそうで、駅員さんが詰めています。
駅前の道を下って行くと、前方に海が見えて来て
突き当たりに、外川漁港が有りました。
<ひたちなか海浜鉄道「阿字ヶ浦」駅 2012年8月30日>
最寄の鹿島臨港鉄道/大洗鹿島線「常澄(つねずみ)」駅へは直線にして6キロは有りますので、行き止まり駅になります。
(右手はSL用の給水塔でしょうか?)
終端方向はこんな感じで、崩れかけた島式ホーム(画像中央)が伸びており、昔は国鉄の急行列車が乗り入れていたそうです。
ここから阿字ヶ浦海岸まで歩いて行けるのですが、海水浴風の乗客の姿は皆無でした(今は皆さん、車なんでしょうかね?)。
終端部をカメラに収めたかったのですが、この先は私有地の様でしたので諦めました。
<JR水郡線(支線)「常陸太田」駅 2012年8月24日>
最寄のJR水郡線(本線)「瓜連(うりづら)」駅へは、直線距離にして8キロは有りますので、行き止まり駅になります。
内部は片面1線構造で
終端部は、こんな感じでした。
そしてこちらが、水戸方の線路です。
駅前広場の案内板を見ますと
右手の道をずっと行けば、水戸光圀公の隠居所だった西山荘が有る様でしたが、暑さにめげてパスしました。
今では支線ですが、年代的には「水戸」~「常陸太田」間の方が先に開通し、その後「上菅谷」から「郡山」方面に延伸していったそうです。
そのためか、「上菅谷」から先「常陸太田」方面への線路は直線なのに、「郡山」方面は左に急カーブしていました。
<東武鉄道編 2012年8月20日>
東武鉄道には多くの終着駅が有りますが殆ど別線接続を持ち、辛うじて「葛生(くずう)」と「西小泉」の2駅が条件に合います。
初めは佐野線の終点「葛生」駅で、
最寄のJR両毛線「佐野」へは直線距離で約9キロ有りますので行き止まり駅としました。
こちらが終端部で、
前方は、廃止された貨物の引き込み線です。
葛生の周辺は石灰岩の山で、今も採掘が行われており
セメント工場も操業していますが、
佐野線による貨物輸送は1997年(平成9年)までに廃止され、トラックに置き換えられました。
こちらが終端部から駅方向を振り返った所で、
(ホームは片面1線 列車は、10時10分始発「館林」行き)
当時の貨物ヤードの跡(左手の空き地)が残っています。
2番目に取り上げますのが、小泉線の「西小泉」駅で、
最寄の小泉線(太田方面への別線)「竜舞」へは直線距離にして2.2キロ有りますので、ギリギリですが行き止まり駅としました。
こちらは1番線の終端部、
そしてこちらが2番線の終端部です。
中は2面3線構造ですが、左側の片面ホームは使われていないみたいで、架線も外されていました。
2番線に停車中の8000系2連はパンタを降ろしていて動く様子が無いのですが、後で調べました所、15時52分の始発列車に充当される様です。
<真岡鉄道「茂木(もてぎ)」駅 2012年8月13日>
最寄のJR烏山線「烏山」駅へは、直線距離にして12キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
終端部はこんな感じになっていて、
道路を挟んで緑道がしばらく続いていましたが、
国鉄時代に途中まで建設しながら開業しなかった、長倉線の跡との事。
改札を入った正面に転車台が有り
その右手には、SL撮影用の通路が出来ていました。
ホームは片面1線で、ホーム内に貸し自転車置き場が有るのは珍しいかと
列車は8時15分始発の、「下館」行きモオカ14形です。
<JR久留里線「上総亀山」駅 2012年8月6日>
最寄の小湊鉄道「養老渓谷」駅へは、直線距離にして約7キロほど有りますので、行き止まり駅になります。
今秋からキハE130形への置き換えが始まるとの事で、車両の写真も撮っておきました。 まず「木更津」にて、キハ30形
そして「上総亀山」にて、キハ38系と
キハ30形を金網越しに、再度パチリ
線路終端部は、こんな感じになっていまして
同じ場所からホームの方を振り返った所です。
<東急電鉄編 2012年7月22日>
東急の終点は
「渋谷」、「下高井戸」、「こどもの国」、「中央林間」、「目黒」、
「五反田」、「大井町」、「蒲田」、「横浜」、「元町・中華街」
と有りますが、
図の様にほとんどが構内で別線接続が有り、「元町・中華街」もすぐ近くにJR根岸線の「石川町」が有りますので、対象外です。
「こどもの国」は、最寄駅の小田急小田原線「玉川学園前」まで
直線で約2.3キロ有りますので、行き止まり駅としました。
調べました所、こどもの国線の車両・施設は第三種鉄道事業者の横浜高速鉄道が所有し、運用を第二種鉄道事業者の東急が行っているとの事。
ここは片面1線の無人駅で、トイレも有りません。
列車はY000系2連で、東急3000系(2代目4扉車)をベースにしたそうですが、こちらは3扉車と言う違いが...
駅の横手はこどもの国の駐車場が広がり、5分ほど歩くと正面ゲートに着きます。
<JR青梅線「奥多摩」駅 2012年6月16日>
最寄の五日市線「武蔵五日市」へは直線距離にして14キロは有りますので、行き止まり駅としました。
こちらは1番線の末端部、
そしてこちらが2番線の末端部です。 以前はこの先迄、線路が伸びていたのでしょうか?
中は1面2線構造で、敷地の関係からカーブしていました。
有効長は1番線が4連、2番線の方は6連、と言った所です。
左手の駐車場はヤードの跡地だそうで、かつては石灰石輸送のホキが並んでいたのでしょうね。
「青梅」方はこの先、きついカーブが続いていました。
電車でさえここに来る途中は車輪を軋ませていましたが、過去軸距離の長いED16/EF15/EF64が良く入れたな、と感心してしまいます。
<JR五日市線「武蔵五日市」駅 2012年6月16日>
最寄のJR青梅線「日向和田」へは直線距離にして約6キロほど有りますので、行き止まり駅としました。
こちらがホーム末端部で、
高架になっています。
中は1面2線構造で、有効長は6連でした。
(左側4連、右側6連のE233系を「拝島」方から撮影)
「拝島」方は、高架の先で単線になります。
<首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(略称はTX)「つくば」駅2012年6月3日>
「つくばエクスプレス」と言うのは、路線名です。
最寄のJR常磐線「荒川沖」駅へは直線距離にして約7.4キロ程有りますので、行き止まり駅としました。
青い点線は、石岡近郊の柿岡に有る気象庁地磁気観測所から半径30キロのラインで、この内側は直流電化が出来ません。
「つくば」駅は地下に有り、入り口はこんな形です。
この日は竜巻が起きましたが、朝7時頃に撮影した時は平穏で風も有りませんでした。
中は1面2線構造で、ワンマン運転のためホームゲートが有り、
ホーム終端部には車止めが無いのですが、奥の様子は暗くて よく分かりません。 列車の案内表示を見ますと、約10分間隔で発着する様です。
停車中の2000系交直両用車6連は、ホーム長に余裕が無いため、正面が撮れませんでした
2000系は正面及び側面窓下にも赤帯が有り、途中の「守谷」で折り返す1000系直流電車の方は無いので区別出来ます。
(2次量産車からだそうです。 1000系は窓上赤帯のみ有り)
反対側の「秋葉原」方は、こんな感じでした。
<関東鉄道竜ヶ崎線「竜ヶ崎」駅 2012年5月21日>
住所は「龍ヶ崎」ですが、駅名は「竜ヶ崎」です。
最寄のJR常磐線「佐貫」駅へは直線距離にして約4.2キロ有りますので、行き止まり駅としました。
全線所要時間が7分と言うミニ路線(究極の1閉塞区間)で、単行列車が行ったり来たりします。
構内の左端にホーム、右手の小さな車両基地に2002と532がお休みしていました。 見づらい画像ですいません m(__)m
車両は全部で3両有り、この日は2001がお仕事中です。
調べますと、検査の時は常総線の水海道車両基地まで持って行くのかと思いきや、ここでやるとの事でした。
線路を挟んで鎮座しているグレー色の4つの機械は、気動車を持ち上げるための物でしょうか?
(構内に沿った道路からの撮影ですが、柵も有りません)
ホームは片面1線で、到着時刻が近づくと改札が始まり、
入線した2001の竜ヶ崎側の正面ですが、運転席は左側(①)に有ります。
ワンマン運転なので、「竜ヶ崎」へ来る場合ホームが全て右側になりドア扱いし易い様に、との事でした。
また、竜崎鉄道開業111周年のヘッドマーク(②)が掲出されています。 列車は12時丁度に到着、12時5分出発でした。
この車両と良く似た常総線の2200形は
中央扉だけ両開きで両端の扉は片開きですが、
竜ヶ崎線の2000形は、3つ共両開きです。
<埼玉高速鉄道「浦和美園(みその)」駅 2012年5月5日>
最寄のJR武蔵野線「東川口」駅へは直線距離にして約2.3キロ有りますので、行き止まり駅とします。
構内は2面2線で、普段は右側の1番/2番線を使用しますが、サッカー試合が有ると左端の3番線も使われる様でした。
(「赤羽岩淵」方に向かって、最後部から撮影)
180度振り返ると、車両基地が続いており、
サッカー観戦には黒フェンスに沿った歩道を、埼玉スタジアムへ向かう事になります。
1番線に入線していましたのは、7時2分発の東京メトロ南北線経由東急目黒線直通「日吉」行き普通 東急3000系6連で
(最後尾から撮影 ワンマン運転のため車掌さんは居ません)
次発は2番線の、7時12分発東京メトロ南北線経由東急目黒線直通「日吉」行き急行 東京メトロ9000系6連でした。
(先頭部から撮影)
中々、SR生え抜きの2000系が来ません
「赤羽岩淵」方のホーム端で、発車するとすぐ地下に入ります。
(と言いますか、SRの地上駅はここだけ)。
列車は6連ですが、ホームは8連に対応していました。
<岳南鉄道「岳南江尾(えのお)」駅 2012年4月17日>
最寄の東海道本線「東田子の浦」からギリギリですが2キロ圏外ですので、行き止まり駅とします。
ここは無人駅で、構内の留置線に車両の姿は無く、
ホームに、8000形2連(右側)が停まっているだけでした。
左側は、ここまで乗って来た7000形(7002)単行列車です。
日中は7000形2本が仕業に付いているそうで、当日の相方は7001でした(7000形は全部で3両在籍)。
そして7003は、「岳南富士岡」車庫でお休み中です。
<京浜急行編 2012年4月3日>
京浜急行の終点は「泉岳寺」、「羽田空港国内線ターミナル」、「小島新田」、「新逗子」、「浦賀」、「三崎口」と有りますが、
「泉岳寺」は、都営地下鉄浅草線に接続しており
「羽田空港国内線ターミナル」は、モノレールの駅が隣に有り
「小島新田」は、2キロ以内に京急空港線の「天空橋」駅が有り
「新逗子」は、JR横須賀線「逗子」駅が近くに有るため
対象外にして、
「浦賀」と「三崎口」は、最寄駅のJR横須賀線「久里浜」とは
2キロ以上離れていますので、行き止まり駅とします。
初めに訪れた京急本線終点の「浦賀」駅は1面2線構造で、
たまたま駅舎は工事中のため、写真に撮れませんでした。
こちらは先発の「品川」行き普通1000形4連で、次発列車もそうでしたが女性車掌さんです。
次に訪れた久里浜線終点「三崎口」の方は2面2線構造で、
ここも駅舎工事中のため、写真撮影は諦めました。
列車は、「高砂」行き快特1000形ステンレス車の8連で
本線の方は普通列車ばかりなのに対し、久里浜線は逆に快特ばかりでした(久里浜線内は各駅停車ですが)。
隣駅「三浦海岸」との間、及び「京急長沢」~「京急久里浜」間は単線です。
<都営地下鉄/大江戸線「光が丘」駅 2012年3月24日>
最寄の東武東上線「下赤塚」駅、西武池袋線「練馬高野台」とも半径2キロ圏外ですので、行き止まり駅としました。
中は1面2線構造で、ワンマン運転にもかかわらずホームドアは有りません(環状部の駅から順次設置中)が、その代わりホームには職員や警備員さんが、何人も配置されていました。
ここは「都庁前」方面とは反対のホーム端で、前方は地下車庫になっています。
客扱いは銀座線と同じやり方で、左側の降車ホーム(2番線)に到着した列車は、客を降ろした後そのまま前進し車庫に入って行きました(列車は、8両編成の12-000形)。
車庫内で転線した出発列車は、右側の1番線に入線します。
<しなの鉄道「軽井沢」駅 2012年3月7日>
駅舎は、新幹線開通時に建て直されたものです。
前方が「横川」方面で、線路が途切れていました。
しなの鉄道色の115系です。
<信越本線「横川」駅 2012年3月7日>
構内は2面3線と中線が有りました。
「軽井沢」駅との間は、バスが接続しています。
<都営地下鉄/三田線「西高島平」駅 2012年3月5日>
建設当初、東武東上線と繋ぐ計画が有りましたので、いかにも延伸を前提とした末端の作りになっていました。
構内は2面2線構造で
ホームドアが付き、ワンマン運転に対応しています。
<富士急「河口湖」駅 2011年9月19日>
中々立派な駅舎ですね。
構内は2面3線有り、画像右手が留置線でした。
<JR指宿枕崎線「枕崎」駅 2011年1月26日>
以前は「日本最南端始発・終着駅」だったのですが、沖縄の那覇にモノレールが出来ましたので、「JR」が追加されたそうです。
片面1線の、駅舎も改札も無人駅でした。 右手がホーム端の車止めで、左手は道路へ続きます。
<JR日豊本線「宮崎空港」駅 2011年1月26日>
485系レッドエクスプレスの3両編成です。
<ゴルナーグラート・モンテローザ鉄道(GGB)
「ゴルナーグラート」駅 2010年8月23日>
ここは欧州で2番目に高い駅(1番はユングフラウヨッホ)だそうです。
麓の駅で撮った電動車で、架線は三相交流方式でした。
軌間は1mでラックレールは日本でもおなじみの、アプト式だそうです。
<伊豆箱根鉄道/大雄山線「大雄山」駅 2010年4月5日>
「小田原」からは20分程で、金太郎がお出迎えしてくれます。
駅構内は1面2線構造で、ホームの右側が車両検査庫、左側が留置線群になっていました。
終端駅と車庫が一体化した例と言えるでしょうか。
(ホーム先端から駅舎方向を向いて、撮っています)
留置線にいた車両です。 大雄山線の車両は、この5000系に統一されている様でした。
<三岐鉄道三岐線「西藤原」駅 2013年11月25日>
SLを模した駅舎と、後ろには客車型の公衆トイレが...
一番近くの三岐鉄道北勢線「阿下喜」駅に、直線にして4キロ半有りますので、行き止まり駅になります。
構内は1面2線のホームと側線1本が有り
(列車は元西武401系の101系2連)
その内1線は、保存車両のために使われていました。
(三岐鉄道創業時に新造されたE102号)
構内の一部は「ウィステリア鉄道」と言う鉄道公園になっていて、日曜日にはミニSLが走るそうです。
転車台まで有るとは、本格的ですね
終端部は3線が収斂して終わり
反対側の「近鉄富田」方も、前方で単線にまとまっていました。
終点から2駅手前の「東藤原」に某セメント会社の工場が有り、タキがずらっと並んでいましたので、車窓からパチリ
途中で見掛けたセメント列車は、牽引電機が重連です。
雨のため、見にくい画像ですいません m(__)m
途中の保々(ほぼ)で撮った、もう少しまともな画像がこちら
(後ろはED459で、前がED453でした)
調べました所、貨物列車の運行ルート(緑の線)はこんな感じで
JR「富田」駅にて貨車の受け渡しを行うため、構内にJR貨物のDD51が常駐しているそうです。
写っているホームは三岐鉄道のもので、昔は旅客列車もここが始発駅だったとか...(いずれもJRのホームから撮影)
その証拠にホーム上には0キロポストが、ヤードの向こう側には三岐鉄道本社も有ったのですが、暗くて撮影は諦めました
実はここと秩父鉄道は同じセメント会社が筆頭株主で、三岐は東藤原工場で作った製品を運び出すのに対して、秩鉄は原料の石灰石を熊谷工場に運ぶ、という違いが...
そのため、秩父鉄道はバラ積みホッパ車のヲキ100形ですが
三岐鉄道では密閉のタキ1900形が使われます。
副原料のフライアッシュや製品の炭酸カルシウムを運ぶためにホキ1000形も居るそうですが、見掛けませんでした。
<近鉄湯の山線「湯の山温泉」駅 2013年11月22日>
一番近くの御在所ロープウェイ「湯の山温泉」駅に、直線にして2キロ半有りますので、行き止まり駅になります。
因みに駅の案内板によると、歩いたら1時間掛かるとか...
構内は2面2線(頭端側から撮影)で、
ホームはコの字形に繋がっていました。
頭端側から俯瞰した所と
ホーム先端の「近鉄四日市」方で、左側が本線(少し下り勾配)右側が夜間滞泊用の留置線
普段は左側の1番線に発着(これは1010系3連)しますが、
夜間滞泊した列車はポイントが片渡りのため、2番線から出発するそうです。
次発の2000系3連(最後尾から撮影)は
ホームが少しカーブしているため、
先頭まで入りませんでした。
出発時刻が迫っていて、2番線に回って撮る余裕が無かった、と言うのが実情です。
こちらを撮っていて時間が無くなってしまったのですが
こんな形の転落防止具は、見た事が有りません(^^;
<名鉄知多新線「内海」駅 2013年11月16日>
ホームは3階建てになっていました。
一番近い名鉄河和(こうわ)線「河和」駅に、直線にして4キロ半有りますので、行き止まり駅になります。
構内は2面4線(「富貴(ふき)」方のホーム先端から撮影)と広く左から1番~4番線になり
3番線には、「新鵜沼」行き急行の3300系4連が出発待ちしていました。
同じ場所から振り返り、「富貴」方をパチリ
終端部はこんな感じで、まず1番線
続いて左から2番、3番線
両ホームは繋がっていませんので、延伸の予定が有るのかも
そして4番線です。
2番線に停車中の「富貴」行き6000系(鉄仮面)2連と
4番線に進入する、「金山」行き6000系(広窓車)4連
そして両者が並んだ所をパチリ
<名鉄河和線「河和」駅 2013年11月13日>
駅舎はスーパーマーケットと一体になっていました。
一番近い名鉄知多新線「知多奥田」駅に、直線にして4キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
構内は2面4線(「太田川」方のホーム先端から撮影)で、左から1番~4番線になり
ホームは8両編成まで停まれる長さが有りました。
2番線の列車は「名鉄名古屋」行き特急1000系6連で、
反対側の先頭車はパノラマカーです。
終端部はこんな感じで、まず1番線
続いて左から2番、3番線
そして4番線
3番/4番ホーム側に回って
もう1回、2番線の列車をパチリ
次は1番/2番ホームに戻り、4番ホームに「新鵜沼」行き急行(3100系+3500系)6連が入線した所を撮りました。
最後は「太田川」方面に伸びる線路で、
一駅手前の「河和口」とここの間だけ、単線になっています。
<名鉄三河線「碧南」駅 2013年11月7日>
一番近いJR武豊(たけとよ)線「乙川(おっかわ)」駅に、直線にして5キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
構内には1面2線のホーム(右奥が駅舎)と、
留置線が2本有りました(4連の6000系広窓車が滞留中)。
終端方向と
反対側の「知立(ちりゅう)」方
そして、終端部の外側から見た駅構内
以前はこの先、西尾線・蒲郡線の「吉良吉田」まで線路が延びていたそうです。
調べました所、周辺の名鉄路線網はこんな感じで
三河線は名古屋本線との接続駅の「知立」を境に、運転系統が二分されていました。
因みに、三河線のもう一方の終端駅「猿投(さなげ)」は、近くに愛知環状鉄道「四郷」駅が有るため、当ブログでは行き止まり駅扱いにならないのです
<豊橋鉄道「三河田原」駅 2013年11月4日>
一番近いJR東海道本線「豊橋」駅に、直線にして約14キロの距離が有りますので、行き止まり駅になります。
構内は片面1線ですが、
左手に新しく1面2線のホームを建設中でした。
終端部の先に新しい駅舎も出来る様で、
反対側の「新豊橋」方はこんな感じです。
<樽見鉄道「樽見」駅 2013年10月7日>
一番近い養老鉄道「揖斐(いび)」駅に、直線にして18キロ強の距離が有りますので、行き止まり駅になります。
構内は1面2線で、ホームは客車列車時代の名残で長く
終端部は、機回し用に先の方まで延びていました。
こちらが反対側の「大垣」方で
駅を出るとすぐトンネルに入ります。
「樽見」駅を出発した列車は山間を走り(列車後方を撮影)
30分ほど乗ると視界が開け始め、やがて
樽見鉄道の本社と車両基地が有る「本巣(もとす)」駅に到着
ここの少し「樽見」寄りに石灰岩を採取している山が見え
その左手にはセメント工場が有りました。
かつては工場から「本巣」駅まで線路が伸び、樽見鉄道を使ってセメント輸送が行われていたそうですが2006年に打ち切られ、経営は厳しい様です。
こちらは起点の「大垣」駅で
JR5番/7番線の切り欠きホームの6番線に停まり
ここまで乗って来ました乗客に、JRの改札を出るための切符を運転士さんが配っていました。
<養老鉄道「揖斐(いび)」駅 2013年8月28日>
一番近い東海道本線支線「美濃赤坂」駅に、直線にして8キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
構内は片面1線で
終端部は、こんな感じでした。
そしてこちらが「大垣」方のホーム先端で
右側には側線が2本有ります。
<伊豆箱根鉄道・駿豆線「修善寺」駅 2013年1月28日>
一番近いJR伊東線「宇佐美」駅に、直線で12キロ強の距離が有りますので、行き止まり駅になります。
中は3面5線構造(左端が1番線)と広く、
こちらが1番線の終端部、
ホームを挟んで左から2番線/3番線と続きますが、
2番線と3番線の間がチェーンで遮られていて、4番/5番線の終端部は撮れませんでした。
調べましたら、3番/4番線は特急「踊り子」や臨時・団体列車が停まり、5番線はホームが短く普通列車用だそうです。
(列車は、特急「踊り子」が185系5連、普通列車は3連)
こちらは「三島」方のホーム先端で
左前方に1本、引き上げ線が有りました。
<伊豆急行「伊豆急下田」駅 2013年1月24日>
一番近い伊豆箱根鉄道/駿豆線「修善寺」駅には、直線にして32キロ弱有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは2面3線構造で10両編成が停まれる長さを持ち、
西側には、夜間滞泊も出来る留置線が3本有りました。
こちらが終端部で、左から1番線/2番線
そして、ホームを挟んで3番線です。
ホーム反対側の熱海方に行きました所、
留置線に居ました251系が3番線に入線するため、一旦本線に移動中でした(入線後、1つ上の画像を撮影)。
出場改札口(入場改札口は、この右手に有ります)を出て
駅横から、特急「踊り子」185系10連をパチリ
<上田電鉄別所線「別所温泉」駅 2012年11月25日>
一番近いしなの鉄道「上田」駅には、直線で9キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは元々2面2線構造でした(終端部寄りから撮影)が、
左手のホームは現在使われておらず、レールも撤去されていました。
こちらが終端部、
そして反対側の「上田」方は、
長野電鉄「湯田中」駅と同じ様に、結構な下り勾配です。
駅の近くに、丸窓電車のモハ5250が保存されていました。
<長野電鉄長野線「湯田中」駅 2012年11月22日>
一番近いJR飯山線「上今井」駅には、直線で8キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは2面1線構造です(終端部寄りから撮影)が、
右手のホームと駅舎は使われておらず、現在の駅舎は左手に有りました。
(旧駅舎は、日帰り温泉施設になっているそうですが)
終端部はこんな感じで
反対側の「長野」方がこちらです。
写真ではさほど目立ちませんが、かなりの下り勾配でした。
<アルピコ交通上高地線「新島々」駅 2012年11月19日>
一番近いJR篠ノ井線「村井」/「広丘」駅には、直線距離にして12キロ弱有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは1面2線構造で(終端部寄りから撮影)
終端部は、引き上げ線の遥か先でした。
こちらはホーム反対側の「松本」方で、
右側の白い建物は発電所の様です。
改札口を出ますと、駅前は広いバスターミナルになっており
白骨温泉行き(左側)や、上高地行き(右側)の路線バスが発着していました。
野麦街道を歩き終端部を撮れる場所を探しましたが、線路際に行ける道を見付けられず諦める事に...
<わたらせ渓谷鉄道「間藤(まとう)」駅 2012年11月13日>
一番近いJR日光線「日光」/東武日光線「東武日光」駅には、直線にして18キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは片面1線構造で(「桐生」方から撮影)
同じ場所から振り返って、「桐生」方をパチリ
こちらが車止めから駅方向を見た所で、
反対側には廃線跡が続いていました。
最後は8時31分発上り「桐生」行き310形単行列車の、
出発動画です。
<上信電鉄「下仁田」駅 2012年10月17日>
一番近いJR信越本線の「磯部」・「松井田」駅には、直線にして10キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは1面2線構造(左から2番線、1番線)で、両側に側線が有りました(「高崎」方から撮影)。
同じ場所から振り返って、「高崎」方をパチリ
こちらが1番線の終端部(右側が駅舎)で
停まっていましたのは、9時43分先発の500系2連です。
そしてこちらが2番線の終端部で
後発の1000系2連が、入線していました。
<秩父鉄道「三峰口」駅 2012年10月8日>
一番近い西武鉄道「西武秩父」駅には、直線にして10キロほど有りますので、行き止まり駅になります。
駅舎の右手に屋根がずっと延びていて、ベンチと
木製の臨時改札口(画像最下部)が幾つも並んでいました。
行楽シーズンなどは、団体客で混雑するのでしょうか?
ホームは2面3線構造(左から1番線、2番線、3番線)で
右端には、側線と転車台が有ります(「羽生」方から撮影)。
同じ場所から振り返って、「羽生」方をパチリ
反対側の終端方向は、かなり先の方まで有り
終端部も撮りましたが、早朝のためこんな光線状態に
6時43分に1番線から「羽生」行き7500系3連が出発した後、
夜間滞泊していたと思われる6000系3連が、
7時10分発の「急行秩父路2号」として、入線して来ました。
こちらはシゴハチ用の転車台ですが、
8月に広瀬川原車両基地内で脱線事故を起こし現在運休中のため、出番が無い状況です。
<JR吾妻線「大前」駅 2012年10月3日>
一番近いしなの鉄道「中軽井沢」駅には、直線にして18キロ強有りますので、行き止まり駅になります。
ホームは片面1線の無人駅で駅舎は無く、ホーム上に待合室とトイレが1つになった小屋が有りました(「渋川」方から撮影)
終端方向はこんな感じで、かなり先まで延びており
ここに、臨時列車を留置する事が有るそうです。
もっと近づきたかったのですが、道が無いので諦めました。
こちらが「渋川」方の線路です。
左端に写っていますのは一軒宿の「つまごい館」さんで、
入浴のみもOKだそうですが、
折り返し列車の出発まで18分のため、ちょっと無理でした
(13時22分着→13時40分発の115系3連)
「大前」まで来る列車は一日5本と少ないので、「1本遅らせて」と言う訳に行かないのです。
<福島交通飯坂線「飯坂温泉」駅 2012年9月25日>
最寄のJR東北本線「伊達」駅へは直線にして3キロ強有りますので行き止まり駅になります。
中は2面1線構造で、左側のホームが降車用、右側が乗車用になっていました。
上から見るとこんな感じ(前方が福島方面)で、
駅の左手に、摺上川が流れています。
ホームは川岸に有り、改札口や待合室も同じフロアですが、
駅舎は、階段を上がった地上に作られていました。
(内部は、物産館やコンビニです)
終端部はこんな感じで、
乗って来ました7000系2連は、床置式冷房装置付きでした。
こちらが車内側で、
天井には、ダクトが剥き出しに付いていますが
形はともかく、冷房が有るのは助かります。
と言いますのは、復路に乗ったラッシュ時だけ稼動するこちらの7000系3連は、非冷房車でした
<仙台市地下鉄南北線「泉中央」駅 2012年9月21日>
最寄のJR仙山線「北仙台」駅へは直線にして5キロ弱有りますので行き止まり駅になります。
因みにもう一方の終端の「富沢」は、JR東北本線「太子堂」まで直線距離が1キロ強のため、行き止まり駅になりません
内部は1面2線構造で、前方が終端部方向ですが、行き止まり部分は確かめられませんでした。
停まっていますのは、「富沢」行き1000系4連で
ホームドアが有りますのでお分かりの様に、ワンマン運転です。
調べますと、1987年(昭和62年)開業当初からワンマン運転を実施しているとの事で(福岡市地下鉄についで2番目)、全駅が島式ホームに統一され、運転席も右側に有りました。
(開業時はホームドアは無し)
25年前の車両ですがデザインは悪くなく、キノコ形の貫通路と、両開き扉の大きなRの窓が目を引きます。
「泉中央」はユアテックスタジアム仙台への最寄駅(徒歩4分)のため、駅構内にはベガルタ仙台のこんな表示も...
ホームは地下1階に有りますが、駅を出ますとすぐ高架になって進行方向左側にスタジアムが見えましたのでパチリ
<仙台空港鉄道「仙台空港」駅 2012年9月17日>
最寄の東北本線「館腰」駅へは直線にして4キロ強有りますので行き止まり駅になります。
内部は、1面2線構造(左側が1番線、右側が2番線)の有人駅でした。
1番線の終端部はこんな感じで、
こちらが2番線ですが、
両者横並びではなく、1番線の方が奥まっています。
改札口を出ますと、渡り廊下で空港ビルに繋がっていました。
「仙台」方面は左カーブの単線高架で、滑走路の下を潜る部分だけ地下になります。
流石に去年の津波の傷跡は、見当たりませんでした。
<東北本線(支線)「利府(りふ)」駅 2012年9月15日>
最寄の東北本線「塩釜」駅へは直線にして3キロ強有りますので行き止まり駅になります。
内部は2面2線構造の有人駅で
終端部は、こんな感じでした。
支線が出来た経緯を調べました所、元々はこちらが本線だったそうです。
戦争中、貨物列車用に勾配の少ない海線が建設され、その後
1962年(昭和37年)に山線の「利府」~「松島」間が廃止されたため、盲腸線になったとの事。
利府町は仙台郊外の住宅地と言った趣で、歩いて20分程の所に楽天イーグルス2軍の本拠地の利府球場も有る様でした。
利府支線と東北新幹線の間は、新幹線の総合車両センターになっていて
そこで働く人のために、「新利府」駅が後から作られたそうです。
<京成電鉄編 2012年9月11日>
京成の終点は
「上野」、「押上」、「京成金町」、「成田空港」、「東成田」、
「千葉中央」、「ちはら台」
と有りますが、
図の様に殆どが構内か至近距離に別線が有り、それらは対象外です。 そんな中で唯一「ちはら台」は、
最寄駅のJR内房線「浜野」まで
直線で約3.8キロ有りますので、行き止まり駅としました。
ここは千原線の終点で、構内は1面2線(有効長は6両分)と
保線車両用側線が1本(右端)有ります。
終端方向はこんな感じで
反対側の「千葉」方は、単線に収斂しているのですがお分かりになりますでしょうか?
駅舎は地上に有り(後方のビルは別物)、
駅前はお約束のロータリー、バス停、タクシー乗り場、交番など有りますが、人通りは少なく閑散としていました。
ここは千葉市と市原市に跨るニュータウンで、両方の一文字を取って「千原」なのですが、地名は「ちはら台」です。
陸橋の上から、切り通しの中に作られたホームをパチリ
以前仕事で、北総開発鉄道の「千葉ニュータウン中央」に通っていましたが、そこと良く似た構造でした。
しはらく歩くと終端部になり
千原線建設時は、小湊鉄道の「海人有木(あまありき)」方面へ延伸する計画も有った様ですが、進展していないとの事。
帰路乗った3000系6連は千葉線に乗り入れて、「京成津田沼」まで行く様です。
千原線は全線単線(路盤は複線分有り)で、途中の2駅に交換施設が有りました。
今まで、首都圏大手私鉄の「行き止まり駅」特集は
①都営地下鉄、②東京メトロ、③京浜急行電鉄、
④東京急行電鉄、⑤東武鉄道
とやって来ましたが、ついに今回で打ち止めに...
と申しますのは、残りの西武鉄道、京王電鉄、小田急電鉄には条件に合う駅は一つも無いのです
<銚子電鉄「外川(とかわ)」駅 2012年9月7日>
最寄のJR総武本線「銚子」駅へは直線にして4キロは有りますので、行き止まり駅になります。
内部は片面1線と機回し線が1本有り、デハ801(右側)が留置されていました。
因みにこのデハ801は、2010年に運行終了しています。
終端方向はこんな感じで、
さらに近づくと、こうなっていました。
今でも開業時(大正12年)の駅舎を補修して使っているそうで、駅員さんが詰めています。
駅前の道を下って行くと、前方に海が見えて来て
突き当たりに、外川漁港が有りました。
<ひたちなか海浜鉄道「阿字ヶ浦」駅 2012年8月30日>
最寄の鹿島臨港鉄道/大洗鹿島線「常澄(つねずみ)」駅へは直線にして6キロは有りますので、行き止まり駅になります。
(右手はSL用の給水塔でしょうか?)
終端方向はこんな感じで、崩れかけた島式ホーム(画像中央)が伸びており、昔は国鉄の急行列車が乗り入れていたそうです。
ここから阿字ヶ浦海岸まで歩いて行けるのですが、海水浴風の乗客の姿は皆無でした(今は皆さん、車なんでしょうかね?)。
終端部をカメラに収めたかったのですが、この先は私有地の様でしたので諦めました。
<JR水郡線(支線)「常陸太田」駅 2012年8月24日>
最寄のJR水郡線(本線)「瓜連(うりづら)」駅へは、直線距離にして8キロは有りますので、行き止まり駅になります。
内部は片面1線構造で
終端部は、こんな感じでした。
そしてこちらが、水戸方の線路です。
駅前広場の案内板を見ますと
右手の道をずっと行けば、水戸光圀公の隠居所だった西山荘が有る様でしたが、暑さにめげてパスしました。
今では支線ですが、年代的には「水戸」~「常陸太田」間の方が先に開通し、その後「上菅谷」から「郡山」方面に延伸していったそうです。
そのためか、「上菅谷」から先「常陸太田」方面への線路は直線なのに、「郡山」方面は左に急カーブしていました。
<東武鉄道編 2012年8月20日>
東武鉄道には多くの終着駅が有りますが殆ど別線接続を持ち、辛うじて「葛生(くずう)」と「西小泉」の2駅が条件に合います。
初めは佐野線の終点「葛生」駅で、
最寄のJR両毛線「佐野」へは直線距離で約9キロ有りますので行き止まり駅としました。
こちらが終端部で、
前方は、廃止された貨物の引き込み線です。
葛生の周辺は石灰岩の山で、今も採掘が行われており
セメント工場も操業していますが、
佐野線による貨物輸送は1997年(平成9年)までに廃止され、トラックに置き換えられました。
こちらが終端部から駅方向を振り返った所で、
(ホームは片面1線 列車は、10時10分始発「館林」行き)
当時の貨物ヤードの跡(左手の空き地)が残っています。
2番目に取り上げますのが、小泉線の「西小泉」駅で、
最寄の小泉線(太田方面への別線)「竜舞」へは直線距離にして2.2キロ有りますので、ギリギリですが行き止まり駅としました。
こちらは1番線の終端部、
そしてこちらが2番線の終端部です。
中は2面3線構造ですが、左側の片面ホームは使われていないみたいで、架線も外されていました。
2番線に停車中の8000系2連はパンタを降ろしていて動く様子が無いのですが、後で調べました所、15時52分の始発列車に充当される様です。
<真岡鉄道「茂木(もてぎ)」駅 2012年8月13日>
最寄のJR烏山線「烏山」駅へは、直線距離にして12キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
終端部はこんな感じになっていて、
道路を挟んで緑道がしばらく続いていましたが、
国鉄時代に途中まで建設しながら開業しなかった、長倉線の跡との事。
改札を入った正面に転車台が有り
その右手には、SL撮影用の通路が出来ていました。
ホームは片面1線で、ホーム内に貸し自転車置き場が有るのは珍しいかと
列車は8時15分始発の、「下館」行きモオカ14形です。
<JR久留里線「上総亀山」駅 2012年8月6日>
最寄の小湊鉄道「養老渓谷」駅へは、直線距離にして約7キロほど有りますので、行き止まり駅になります。
今秋からキハE130形への置き換えが始まるとの事で、車両の写真も撮っておきました。 まず「木更津」にて、キハ30形
そして「上総亀山」にて、キハ38系と
キハ30形を金網越しに、再度パチリ
線路終端部は、こんな感じになっていまして
同じ場所からホームの方を振り返った所です。
<東急電鉄編 2012年7月22日>
東急の終点は
「渋谷」、「下高井戸」、「こどもの国」、「中央林間」、「目黒」、
「五反田」、「大井町」、「蒲田」、「横浜」、「元町・中華街」
と有りますが、
図の様にほとんどが構内で別線接続が有り、「元町・中華街」もすぐ近くにJR根岸線の「石川町」が有りますので、対象外です。
「こどもの国」は、最寄駅の小田急小田原線「玉川学園前」まで
直線で約2.3キロ有りますので、行き止まり駅としました。
調べました所、こどもの国線の車両・施設は第三種鉄道事業者の横浜高速鉄道が所有し、運用を第二種鉄道事業者の東急が行っているとの事。
ここは片面1線の無人駅で、トイレも有りません。
列車はY000系2連で、東急3000系(2代目4扉車)をベースにしたそうですが、こちらは3扉車と言う違いが...
駅の横手はこどもの国の駐車場が広がり、5分ほど歩くと正面ゲートに着きます。
<JR青梅線「奥多摩」駅 2012年6月16日>
最寄の五日市線「武蔵五日市」へは直線距離にして14キロは有りますので、行き止まり駅としました。
こちらは1番線の末端部、
そしてこちらが2番線の末端部です。 以前はこの先迄、線路が伸びていたのでしょうか?
中は1面2線構造で、敷地の関係からカーブしていました。
有効長は1番線が4連、2番線の方は6連、と言った所です。
左手の駐車場はヤードの跡地だそうで、かつては石灰石輸送のホキが並んでいたのでしょうね。
「青梅」方はこの先、きついカーブが続いていました。
電車でさえここに来る途中は車輪を軋ませていましたが、過去軸距離の長いED16/EF15/EF64が良く入れたな、と感心してしまいます。
<JR五日市線「武蔵五日市」駅 2012年6月16日>
最寄のJR青梅線「日向和田」へは直線距離にして約6キロほど有りますので、行き止まり駅としました。
こちらがホーム末端部で、
高架になっています。
中は1面2線構造で、有効長は6連でした。
(左側4連、右側6連のE233系を「拝島」方から撮影)
「拝島」方は、高架の先で単線になります。
<首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(略称はTX)「つくば」駅2012年6月3日>
「つくばエクスプレス」と言うのは、路線名です。
最寄のJR常磐線「荒川沖」駅へは直線距離にして約7.4キロ程有りますので、行き止まり駅としました。
青い点線は、石岡近郊の柿岡に有る気象庁地磁気観測所から半径30キロのラインで、この内側は直流電化が出来ません。
「つくば」駅は地下に有り、入り口はこんな形です。
この日は竜巻が起きましたが、朝7時頃に撮影した時は平穏で風も有りませんでした。
中は1面2線構造で、ワンマン運転のためホームゲートが有り、
ホーム終端部には車止めが無いのですが、奥の様子は暗くて よく分かりません。 列車の案内表示を見ますと、約10分間隔で発着する様です。
停車中の2000系交直両用車6連は、ホーム長に余裕が無いため、正面が撮れませんでした
2000系は正面及び側面窓下にも赤帯が有り、途中の「守谷」で折り返す1000系直流電車の方は無いので区別出来ます。
(2次量産車からだそうです。 1000系は窓上赤帯のみ有り)
反対側の「秋葉原」方は、こんな感じでした。
<関東鉄道竜ヶ崎線「竜ヶ崎」駅 2012年5月21日>
住所は「龍ヶ崎」ですが、駅名は「竜ヶ崎」です。
最寄のJR常磐線「佐貫」駅へは直線距離にして約4.2キロ有りますので、行き止まり駅としました。
全線所要時間が7分と言うミニ路線(究極の1閉塞区間)で、単行列車が行ったり来たりします。
構内の左端にホーム、右手の小さな車両基地に2002と532がお休みしていました。 見づらい画像ですいません m(__)m
車両は全部で3両有り、この日は2001がお仕事中です。
調べますと、検査の時は常総線の水海道車両基地まで持って行くのかと思いきや、ここでやるとの事でした。
線路を挟んで鎮座しているグレー色の4つの機械は、気動車を持ち上げるための物でしょうか?
(構内に沿った道路からの撮影ですが、柵も有りません)
ホームは片面1線で、到着時刻が近づくと改札が始まり、
入線した2001の竜ヶ崎側の正面ですが、運転席は左側(①)に有ります。
ワンマン運転なので、「竜ヶ崎」へ来る場合ホームが全て右側になりドア扱いし易い様に、との事でした。
また、竜崎鉄道開業111周年のヘッドマーク(②)が掲出されています。 列車は12時丁度に到着、12時5分出発でした。
この車両と良く似た常総線の2200形は
中央扉だけ両開きで両端の扉は片開きですが、
竜ヶ崎線の2000形は、3つ共両開きです。
<埼玉高速鉄道「浦和美園(みその)」駅 2012年5月5日>
最寄のJR武蔵野線「東川口」駅へは直線距離にして約2.3キロ有りますので、行き止まり駅とします。
構内は2面2線で、普段は右側の1番/2番線を使用しますが、サッカー試合が有ると左端の3番線も使われる様でした。
(「赤羽岩淵」方に向かって、最後部から撮影)
180度振り返ると、車両基地が続いており、
サッカー観戦には黒フェンスに沿った歩道を、埼玉スタジアムへ向かう事になります。
1番線に入線していましたのは、7時2分発の東京メトロ南北線経由東急目黒線直通「日吉」行き普通 東急3000系6連で
(最後尾から撮影 ワンマン運転のため車掌さんは居ません)
次発は2番線の、7時12分発東京メトロ南北線経由東急目黒線直通「日吉」行き急行 東京メトロ9000系6連でした。
(先頭部から撮影)
中々、SR生え抜きの2000系が来ません
「赤羽岩淵」方のホーム端で、発車するとすぐ地下に入ります。
(と言いますか、SRの地上駅はここだけ)。
列車は6連ですが、ホームは8連に対応していました。
<岳南鉄道「岳南江尾(えのお)」駅 2012年4月17日>
最寄の東海道本線「東田子の浦」からギリギリですが2キロ圏外ですので、行き止まり駅とします。
ここは無人駅で、構内の留置線に車両の姿は無く、
ホームに、8000形2連(右側)が停まっているだけでした。
左側は、ここまで乗って来た7000形(7002)単行列車です。
日中は7000形2本が仕業に付いているそうで、当日の相方は7001でした(7000形は全部で3両在籍)。
そして7003は、「岳南富士岡」車庫でお休み中です。
<京浜急行編 2012年4月3日>
京浜急行の終点は「泉岳寺」、「羽田空港国内線ターミナル」、「小島新田」、「新逗子」、「浦賀」、「三崎口」と有りますが、
「泉岳寺」は、都営地下鉄浅草線に接続しており
「羽田空港国内線ターミナル」は、モノレールの駅が隣に有り
「小島新田」は、2キロ以内に京急空港線の「天空橋」駅が有り
「新逗子」は、JR横須賀線「逗子」駅が近くに有るため
対象外にして、
「浦賀」と「三崎口」は、最寄駅のJR横須賀線「久里浜」とは
2キロ以上離れていますので、行き止まり駅とします。
初めに訪れた京急本線終点の「浦賀」駅は1面2線構造で、
たまたま駅舎は工事中のため、写真に撮れませんでした。
こちらは先発の「品川」行き普通1000形4連で、次発列車もそうでしたが女性車掌さんです。
次に訪れた久里浜線終点「三崎口」の方は2面2線構造で、
ここも駅舎工事中のため、写真撮影は諦めました。
列車は、「高砂」行き快特1000形ステンレス車の8連で
本線の方は普通列車ばかりなのに対し、久里浜線は逆に快特ばかりでした(久里浜線内は各駅停車ですが)。
隣駅「三浦海岸」との間、及び「京急長沢」~「京急久里浜」間は単線です。
<都営地下鉄/大江戸線「光が丘」駅 2012年3月24日>
最寄の東武東上線「下赤塚」駅、西武池袋線「練馬高野台」とも半径2キロ圏外ですので、行き止まり駅としました。
中は1面2線構造で、ワンマン運転にもかかわらずホームドアは有りません(環状部の駅から順次設置中)が、その代わりホームには職員や警備員さんが、何人も配置されていました。
ここは「都庁前」方面とは反対のホーム端で、前方は地下車庫になっています。
客扱いは銀座線と同じやり方で、左側の降車ホーム(2番線)に到着した列車は、客を降ろした後そのまま前進し車庫に入って行きました(列車は、8両編成の12-000形)。
車庫内で転線した出発列車は、右側の1番線に入線します。
<しなの鉄道「軽井沢」駅 2012年3月7日>
駅舎は、新幹線開通時に建て直されたものです。
前方が「横川」方面で、線路が途切れていました。
しなの鉄道色の115系です。
<信越本線「横川」駅 2012年3月7日>
構内は2面3線と中線が有りました。
「軽井沢」駅との間は、バスが接続しています。
<都営地下鉄/三田線「西高島平」駅 2012年3月5日>
建設当初、東武東上線と繋ぐ計画が有りましたので、いかにも延伸を前提とした末端の作りになっていました。
構内は2面2線構造で
ホームドアが付き、ワンマン運転に対応しています。
<富士急「河口湖」駅 2011年9月19日>
中々立派な駅舎ですね。
構内は2面3線有り、画像右手が留置線でした。
<JR指宿枕崎線「枕崎」駅 2011年1月26日>
以前は「日本最南端始発・終着駅」だったのですが、沖縄の那覇にモノレールが出来ましたので、「JR」が追加されたそうです。
片面1線の、駅舎も改札も無人駅でした。 右手がホーム端の車止めで、左手は道路へ続きます。
<JR日豊本線「宮崎空港」駅 2011年1月26日>
485系レッドエクスプレスの3両編成です。
<ゴルナーグラート・モンテローザ鉄道(GGB)
「ゴルナーグラート」駅 2010年8月23日>
ここは欧州で2番目に高い駅(1番はユングフラウヨッホ)だそうです。
麓の駅で撮った電動車で、架線は三相交流方式でした。
軌間は1mでラックレールは日本でもおなじみの、アプト式だそうです。
<伊豆箱根鉄道/大雄山線「大雄山」駅 2010年4月5日>
「小田原」からは20分程で、金太郎がお出迎えしてくれます。
駅構内は1面2線構造で、ホームの右側が車両検査庫、左側が留置線群になっていました。
終端駅と車庫が一体化した例と言えるでしょうか。
(ホーム先端から駅舎方向を向いて、撮っています)
留置線にいた車両です。 大雄山線の車両は、この5000系に統一されている様でした。
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