行き止まり駅訪問(過去記事その2) [鉄道(実物)]
過去に載せました「行き止まり駅訪問」シリーズの閲覧場所②で2014年1月~2015年12月の記事を集めました。
なお、それ以前の記事は(過去記事その1)に有ります。
<山陽電鉄網干(あぼし)線「山陽網干」 2015年12月17日>
(画像は2015年10月13日に撮影)
最寄のJR山陽本線「網干」駅へ直線距離が3キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
「網干」は新快速の始発駅としてお馴染みですが、街の中心は「山陽網干」の辺りだとか...
改札口は駅ビル内ではなく、横に張り出していました。
画像は朝6時過ぎに撮ったもので、漸く東の空(右手の方向)が白み始めています。
構内は1面2線(終端側から見た左2番、右1番のりば)で、
1番のりばの終端部と
2番のりば側のそれは、こんな感じでした。
次はホーム先端から見た「飾磨(しかま)」方と、
同じ場所から駅舎方向を振り返った所です。
(2番のりば(右)の列車が先発して行きました)
こちらは次駅「平松」で撮った3200系3連で
網干線は、3000系と3200系のワンマン仕様車に統一されている様です。
因みに網干線起点の「飾磨」駅はこんな構造をしており、網干線ホーム(2番のりば)は頭端式でした。
網干線は駅西方の車庫の脇を通っていて
やって来た「飾磨」行き列車の正面と、
駅に進入する所をパチリ(後撃ち)。
2番のりばに到着(頭端側から撮影)すると両側のドアが開き、両方向の本線列車への乗換がしやすくなっています。
(左が「山陽姫路」方面、右が「西代」方面)
<えちぜん鉄道勝山永平寺線「勝山」 2015年10月13日>
(画像は2015年7月27日に撮影)
最寄のJR九頭竜線「北大野」駅へ直線距離が6.5キロ弱有り、行き止まり駅になります。
駅舎は1914年(大正3年)開業以来の趣の有る和風建築で、2004年(平成16年)有形文化財に登録されました。
ここの駅前にも恐竜(矢印)が居て、お出迎えしてくれます
構内は2面2線と側線が1本有り(終端側から撮影)
左の列車(MC6101形)が先に出発して行きました。
こちらが終端側で
線路は隣の工場敷地間際まで延び、
機回し構造になっています。
続いてホーム反対の先端部から「福井」方を見た所と、
駅外(「福井」寄り)から構内全景を撮りました。
(後ろの工場が雰囲気を台無しに...)
駅横にテキ6と無蓋貨車ト68が保存されていましたが、黒塗りのため良く分かりませんので
昔の走行写真を載せておきます。
ところで勝山市内の丘の上には県立恐竜博物館(緑線)が有り車窓からも銀色のドームが良く見えました。
時間の関係で訪問出来ませんでしたが、代わりに駅々で撮った恐竜達を載せておきます。
<JR「敦賀」>
この「恐竜博士」はJR「福井」や、えちぜん鉄道「福井」駅等でも見掛けました。
<JR「福井」西口>
1階入り口左側通路壁面の騙し絵です。
建て屋全面の壁画と
駅前広場には実物大のフィギュアも
<えちぜん鉄道三国芦原線「三国港」駅 2015年9月25日>
(画像は2015年7月27日に撮影)
最寄のJR北陸本線「芦原温泉」駅へ直線距離が8キロ弱有り、行き止まり駅になります。
国鉄当時の駅の建材を使い2010年(平成22年)に改修された駅舎を入ると、
内部もレトロな雰囲気でした(現在は無人駅)。
構内は片面1線ホームと側線が1本有り、列車はMC6101形(元は愛知環状鉄道300形)です。
管理人は20年以上前、出張時にしばしば愛環を利用しましたので、大変懐かしかったです
終端側のレールは、ホームの先まで延びており
こちらが車止めで、前方は九頭竜川河口
そこから駅方向を見た所で、国鉄当時はSL牽引の貨物列車が入線したため、機回し線の構造が残っていました。
最後はホーム先端から「福井」方をパチリ
前方に見えるレンガアーチの眼鏡橋は国登録有形文化財で、道路と斜めに交差しており
強度を保つため、「ねじりまんぽ」と言う捻じ曲げた様にレンガを積む珍しい工法が採用されています。
復路はMC7001形2連に乗りましたが、
この車両は元JR飯田線の119系で、アテンダントさんもお二人乗務していました。
車内はJR当時のままセミクロスシートで、
管理人は2011年9月5日に一度だけ乗った事が有り
こちらも愛環同様、懐かしかったです
「福井」へ戻る途中で北陸本線(右手)をオーバーパスする際、車両基地に居た凸形電機のML521形2両を撮りました。
車窓越しでなおかつ望遠一杯のため、ピンボケですいません m(__)m
勾配を降りて来た所からは、新しい検修庫が見えます。
<JR石巻線「女川(おながわ)」駅 2015年9月6日>
(画像は2015年6月28日に撮影)
最寄の仙石線との接続駅「石巻」へ直線距離が12キロ弱有り、行き止まり駅になります。
前の駅舎は大震災の津波で流され、今年の3月に200mほど内陸側に再建されました。
1階が駅と売店、2階は町営の温泉入浴施設、3階が展望台になっています。
その展望台から見た港と
反対側の駅構内で、
辺りはまだ復興途上と言った感じでした。
片面1線のホームは4両分の有効長が有り
こちらが終端部
そしてホームの先から駅舎方向を見た所と、
振り返って「石巻」方です。
因みに途中の「石巻」駅で接続する仙石線は
直流1500V用の205系が使われていますが、
今年5月30日から新しい列車が姿を見せる様になりました。
仙石東北ライン「仙台」行きのHB-E210系ハイブリッド気動車4連です。
この列車は「松島」付近で仙石線から東北本線(交流2万V)に乗り入れるため
(仙石線・東北本線接続線は、長さ300mの非電化区間)
本系統は仙石東北ラインと呼ばれ、「仙台」~「石巻」間が20分以上短縮されました(まあ普通と快速の違いも有りますが)。
偶々ですが、管理人が良く見ている「あおたけ」さんのブログに先月末、ここの乗車記が載っています。
最後は、ねぐらの小牛田運輸区にて休憩中の2両をパチリ
<由利高原鉄道「矢島」駅 2015年8月21日>
(画像は2015年6月27日に撮影)
最寄の羽越本線「仁賀保(にかほ)」駅へ直線距離が16キロ弱有り、行き止まり駅になります。
2002年(平成14年)に「東北の駅百選」に選ばれた駅舎と、
構内は片面1線のほか3本の側線が有りました。
こちらが終端部で、
その左手に車庫が隣接しています。
手前に有るのは「羽後本荘」起点の23キロポストで、
最後にホーム先端から「羽後本荘」方をパチリ
こちらは「羽後本荘」駅で撮った「矢島」行きYR-3000形で、
新潟鉄工所製の気動車とは一味違うと思い後で調べましたら、本形式は日車製でした。
側面には「おばこ」のイラストが描かれ、
車内はクロスシートで、テーブルまで付いているとは...
次の列車は新潟鐵工所製のYR-2000形で、
偶々ですが、管理人は鉄コレの模型(左2両)を持っています。
「羽後本荘」は特急も停まる大きな駅で
最後に、ここ始発の「秋田」行き列車(701系2連)をパチリ
<JR男鹿(おが)線「男鹿」駅 2015年8月17日>
(画像は2015年6月27日に撮影)
最寄の奥羽本線「大久保」駅へは直線距離が10キロ強有り、行き止まり駅になります。
こちらが駅舎で、
右手にはナマハゲの像が有りました。
待合室にも展示されていて、さすが本場ですね
構内は1面2線と側線が何本か有り、
振り返って終端方向をパチリ
風雨が強く、遥か先の終端部まで行くのは諦めました。
最後はホーム先端から見た「追分」方です。
男鹿線の起点は「追分」ですが全列車が「秋田」まで乗り入れ、車種はキハ40系が使われていました。
上は往路の列車(「秋田」駅6番線から出発)で、ロングシート車でしたが
途中すれ違った列車はクロスシートで、運が無かったです
復路は、「秋田」駅の1番線(切り欠きホーム)に入線しました。
こちらは4番線から出発する男鹿線の列車で、どうもホームが一定ではない様です(後撃ちで右手が「男鹿」方)。
夕方のラッシュ時には5連も登場
<JR津軽線「三厩(みんまや)」駅 2015年8月9日>
(画像は2015年6月26日に撮影)
最寄の津軽海峡線との接続駅「蟹田(かにた)」へは
直線距離が22キロ強有り、行き止まり駅になります。
津軽線と海峡線は「蟹田」の1つ先の「中小国(なかおぐに)」で分岐しますが海峡線の列車は停まりませんので、
「蟹田」の方を最寄の別線に乗り継げる駅としました。
「三厩」の駅舎は開業当時からのもので、2002年(平成14年)東北の駅百選に選ばれたそうです。
構内は1面2線で、同じ場所から振り返ると
終端部は機回し線の様に先の方まで延びていました。
最後に、ホーム先端部から「青森」方をパチリ。
津軽線は「蟹田」を境に運転系統が2分され、「三厩」までは1日わずか5往復です(「蟹田」で撮影した「三厩」行き)。
「蟹田」~「青森」間は701系電車が使われていますが、
1日1本だけ「青森」~「三厩」を直通する列車が有りました。
(上の2枚は「青森」駅で撮影)
以前訪問したJR吾妻線の終点「大前」も、
1日5本の列車しか来ない駅でしたが
「三厩」は近くに見所も多く、
観光シーズンの休日に、快速「リゾートあすなろ竜飛」HB-E300系2連が「新青森」との間を1往復しています。
<JR左沢(あてらざわ)線「左沢」駅 2015年6月25日>
(画像は2015年4月7日に撮影)
最寄のJR奥羽本線「天童)」駅へは直線距離が13キロ強有り行き止まり駅になります。
構内には、片面1線のホームと留置線が1本有りました。
終端部と、
ホームの先端から「北山形」方をパチリ
列車はキハ101形4連で、16メートル級の本形式は、左沢線専用に13両だけ製造されたそうです。
この線の愛称は「フルーツライン左沢線」だそうで、車両幕板にその文字が有りました。
左の円錐形屋根の部分は「大江町交流ステーション」で、右の平屋が駅舎になります。
交流ステーション内は自由に入れ、中には立派な囃子屋台の現物が展示されていました。
この展示室部分が、ちょうど円錐形屋根の下に当たります。
駅を出て5分程歩くと、舟運でこの町の繁栄を支えた最上川に行き当たり、
こちらは国道に架けられた新しい橋から下流側を見た所で、
川は下手の旧橋の先で鋭角的に右に曲がっていました。
最後は、キハ101形のスナップを少々...
「北山形」駅にて、上り「山形」行き2連
室内はロングシートで、トイレは有りません。
「山形」駅にて、下り「左沢」行き4連(後部側から撮影)
この列車は、切り欠きホームの6番線から出発します。
左端4番線(奥羽本線:標準軌)は右側の5番線(狭軌)と比べ、幅の広さが良く分かりますね
<名鉄広見線「御嵩」駅 2015年5月17日>
最寄のJR太多線「可児(かに)」へは直線にして6キロ有るため行き止まり駅になります。
駅舎を入ると
片面1線のホームには6000系2連が...
終端部はこんな感じで、
次はホーム先端側から駅舎方向を見た所。
最後に「新可児」に向け出発した後姿をパチリ
10分ほど走った列車は終点「新可児」に到着し、
専用の1番ホームに入線しました。
「犬山」~「御嵩」間を結ぶ名鉄広見線ですが、ここ「新可児」で運転系統が2分されており(左はJR「可児」駅)、
「御嵩」方面の列車が1番線、「犬山」方面は2番・3番線を使う様になっています。
スイッチバック構造なのは元々が、名鉄(「犬山」~「新可児」)と東美鉄道(「新可児」~「御嵩」)の接続駅だったためだとか。
こちらはホーム先端から駅舎方向を眺めた所で、
左端が1番線(「御嵩」方面):有効長2両
中央が2番線(「犬山」方面):有効長4両
右端が3番線(「犬山」方面):有効長6両
3番線からは「犬山」より遥か先へ行く列車が出ていました。
「豊橋」行き特急2200系6連(1番線から撮影)と
こちらは、「中部国際空港」行き普通5000系(2代)4連です。
(隣接するJR太多線「可児」駅ホームから撮影)
<富士急行・富士急行線「河口湖」駅 2015年4月25日>
最寄のJR中央本線「笹子駅」へは直線にして12キロ有るため行き止まり駅になります。
この駅は毎月1日の3番目記事「行き止まり駅訪問(過去記事
その1)」に掲載済みですが、内容が乏しいため今回再訪してアップし直しました。
山小屋風駅舎を入ると(逆光ですいません)、
中は2面3線のホームと留置線が何本も有り
構内踏切で繋がっています。
(左から1番線、降車用、2番線、3番線、留置線)
終端部は引き上げ線の彼方で
出庫する6000系(元JR205系)が引き上げ線に入り
折り返し、1番線に入線する所を撮りました。
6000系は3連ですが、JRのホリデー快速富士山(189系)も来ますので、引き上げ線は6連まで入れる様です。
こちらはホーム先端側から見た「大月」方と、
振り返って1番線(右)の6000系3連と2番線(左)の1200形(旧富士急塗色)2連
そして3番線(左)の1200形2連マッターホルン号をパチリ
<JR常磐線「竜田」駅 2015年4月17日>
最寄の磐越東線「小川郷」まで、直線距離にして20キロ強有り行き止まり駅になります。
最初は「いわき」方末端部から
振り返って「仙台」方をパチリ
構内は2面3線で3番線だけ使われていましたが、
「広野」が終着駅だった時は、1番線・2番線間に仮設ホームを設けていました。
跨線橋は閉鎖され、
駅舎側1番線との間に仮設通路が設けられている所も「広野」と同じです。
ホームを歩いて「仙台」方に移動し
振り返って「いわき」方をパチリ
ホーム先端部から見た「仙台」方は車止めが無く
次駅(富岡)表示も、そのままでした。
3.11以降、常磐線は3つに分断されたままで、
3月10日に発表の計画では2018年までに「富岡」~「浪江」間以外は順次復旧させるそうです。
現在「竜田」~「原ノ町」間は代行バスが走っていて、
駅前にそのバス停が有りました。
2018年に隣駅の「富岡」まで運転再開したあかつきには、また訪れたいと思います。
<山形鉄道フラワー長井線「荒砥」駅 2015年3月23日>
最寄のJR奥羽本線「中川」駅」へは直線にして13.3キロ有り、行き止まり駅になります。
駅舎は2003年にリニューアルされたもので、
入り口には「東北の駅百選選定駅」の表示が有りました。
構内は片面1線のホーム(終端部側から撮影)と側線が1本。
そしてこちらが終端部です。
車両の中からも1枚...
終端部の先には車庫が有り、
そこにはレイアウト小物に良さそうな燃料タンクと
給油スタンドも有りました。
最後に「赤湯」方先端部をパチリ
因みにこちらは起点の「赤湯」駅に
先ほどの列車が到着した所です。
隣接してJR奥羽本線の駅(東北の駅百選選定)も有り
山形新幹線も走りますので、
普通列車も標準軌仕様の特別なものでした。
<能勢電鉄日生線「日生(日生)中央」駅 2015年2月17日>
最寄の能勢電鉄妙見線「山下」駅へは直線距離にして2.2キロ有り、行き止まり駅になります。
ここは地上の橋上駅舎と
一段下の切り通し内にホームを持った、典型的なニュータウン路線駅の構造でした(終端部側から撮影)。
ホームは8両分の長さが有り、ラッシュ時は「梅田」直通の特急「日生エクスプレス」が発着します。
こちらが終端部で、
「日生エクスプレス」用に留置線が長く延びていました。
次は先端側から見た「川西能勢口」行き1700系4連で、
社章を自社のものに替えた元阪急2000系です。
写真は撮れませんでしたが、これ以外に隣駅の「山下」止まりの線内折り返し列車も有りました。
次はホーム先端から「川西能勢口」方向を見た所で、終点まで複線が続きます。
帰りに、妙見線と接続する「山下」に途中下車してみました。
左が日生線、右が妙見線でホームはY字形に広がっています。
(手前が「川西能勢口」方)
こちらは「山下」~「妙見口」の区間列車1500系2連で、
最後は、「川西能勢口」→「妙見口」行き1700系4連をパチリ
<阪急箕面線「箕面(みのお)」駅 2015年2月4日>
最寄の阪急宝塚線「石橋」駅へは直線距離にして3.6キロ有り行き止まり駅になります。
ここは阪急各駅の中で標高が一番高く、かつ最も古い駅の一つとの事でした(箕面有馬電気軌道の時代に開業)。
構内は2面2線で、日中は1号線だけ使われますが
ラッシュ時に宝塚線直通「梅田」行き列車は1号線、「石橋」行き線内折り返し列車は2号線と使い分けるようです。
その1号線の終端部と
停車中の「石橋」行き普通3000系4連をパチリ
ご覧のように、ホームは若干カーブしていました。
そして2号線側はこんな感じです。
次はホーム先端側から見た列車と
構内全景(左から2号線/降車専用/1号線ホーム)で、
有効長は8両と長めになっていました。
ホーム先端から見た「石橋」方で、箕面線は全線複線です。
残念ながら朝のラッシュを過ぎていたため、8両編成の宝塚線直通列車は撮れませんでしたが、
隣駅の「牧落(まきおち)」にて線内折り返し列車をパチリ
これは最初に「箕面」駅で撮った編成でした。
次は箕面線起点の「石橋」で、左の4号線/3号線は宝塚線へ乗り入れる列車が停まるホーム
線内折り返し列車は右端の5号線に入ります。
ネットを調べましたら箕面有馬電気軌道が開業した頃の線路はこんな形で
「石橋」のデルタ線を使い、「梅田」~「箕面」~「宝塚」の経路を運行する列車も有った事が分かりました。
当時の1形電車はこんな形で、折り返し時のポール付け替えを省くため、
「箕面」駅はラケット形ループ線になっていたそうです。
(上2枚の画像はネットから転載)
<近鉄志摩線「賢島(かしこじま)」駅 2015年1月26日>
最寄の「鳥羽」駅へは直線にして19キロ強離れていますので、行き止まり駅になります。
ここは大阪・京都・名古屋から来る特急の終着駅にふさわしく、建物も立派でした。
構内は4面5線有り5番線以外は特急が入線しまので、順番に見ていきましょう(1~4番線は8両、5番線は2両の有効長)。
まず1番・2番線の終端部側
次は先端側から見た所で、
1番線(左)は「京都」行き特急ビスタカー30000系4連
2番線(右)は「名古屋」行き特急12200系4連
1番線には「鳥羽」起点の25キロポストが有ります。
見ている前で2番線に、増結のビスタカーが進入して来て
連結完了し
8連になりました。
次は3番線の終端部と、「名古屋」行き特急50000系6連
車体に描かれた「しまかぜ」のマーク
そして「鳥羽」方の先端から見たところです。
その右側が4番(左)・5番線(右)
5番線には「白塚」行き普通9000系2連が入線中で、
ホームは2両分の短いものでした。
最後にホーム先端から「鳥羽」方をパチリ
前方で複線に収斂し、留置線は無い様です。
<名鉄空港線「中部国際空港」駅 2015年1月16日>
最寄の名鉄常滑(とこなめ)線「常滑」駅へは直線にして3.8キロ距離が有りますので、行き止まり駅になります。
2階の改札口は、空港ビルと連絡通路で繋がっていました。
構内は2面3線で
ホームドアが有るため、全景を撮るのは無理かと...(^^;
ホームに並んだ手荷物キャリアが空港駅らしいですね。
1番線は特急ミュースカイ専用で、
ガラス越しに撮った2000系の先端部がこちら。
その後終端部の車止めも撮りましたがほとんど写っておらず、載せるのは止めました。
上は「常滑」を通過する「新鵜沼」行き4連です。
次は2番(左)/3番線(右)で、
終端部はこんな感じでした。
2番線の列車は「新可児」行き準急6000系4連
その1本前は「新可児」行き準急6500系(鉄仮面)4連で、
「常滑」で撮った「空港」行き準急6500系6連もおまけに。
3番線の「名鉄岐阜」行き特急2200系6連の「岐阜」寄り4両は3扉クロスシートで特別料金不要なのに対し
「空港」寄り2扉クロスシート2両は、座席指定券が必要です。
(↑ 「常滑」を出発する「空港」行き。 先頭2両が特別車 ↑)
最後は先端部で、本土に繋がる高架橋が良く見えました。
「空港」~「常滑」の空港線は中部国際空港連絡鉄道が建設し名鉄がそれを借りて運行しているそうです。
<伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山」駅 2014年10月22日>
最寄の小田急電鉄小田原線「開成(かいせい)」駅は直線距離にして3キロ有りますので、行き止まり駅になります。
この駅は毎月1日の3番目記事「行き止まり駅訪問(過去記事
その1)」に掲載済みですが、内容が乏しいため今回再訪してアップし直しました。
「関東の駅百選」に選ばれた駅舎と
構内は1面2線のホーム(先端側から撮影)を挟み、
3本の留置線(左)と小さな車庫(右)が有ります。
次は1番線の終端部と
2番線側
留置線の列車は他と違い全面塗装(白地部分)車体でしたが
後で調べましたら、このトップナンバーだけ普通鋼で
第2編成からステンレス車になったとの事でした。
ここまで乗って来た列車はロングシートでしたが
復路は嬉しい事に転換クロスシート車で、
第5編成は中間車のみ、第6・第7編成は全車両がクロスシートだそうです。
こちらは先端部から「小田原」方を見た所ですが、
構造物が出来る前の画像も合わせて載せておきました。
(2010年4月5日記事から転載)
保線車両側線のコデ165もパチリ(右側が本線)
因みに大雄山線車両の全般検査は駿豆線「大場(だいば)」駅隣りの本社工場にて行う事から、「小田原」~「三島」間はJRが甲種輸送します。
大雄山線「小田原」駅ホームの先端部から見たJRへの渡り線(矢印)は架線が無く(点線)、
釜が乗り入れられないため、牽引する電車との間に貨車を挟むのだとか...
それに対し「三島」駅の渡り線は、
JRの特急「踊り子」が駿豆線に乗り入れるため架線は繋がっていました(2013年2月4日記事から転載)。
小さい四角部分の架線にデッドセクションが有ります。
<JR大湊線「大湊」駅 2014年9月25日>
最寄のあおい森鉄道「野辺地」駅に直線にして44キロ有りますので、行き止まり駅になります。
駅舎は「東北の駅百選」に選定された後、2010年(平成22年)リニューアルされました。
右手には昔使われた信号機などが保存されています。
構内は2面2線の頭端式ホーム(右1番線/左2番線)と、
2番線の左手に側線が2本有りました。
駅舎に面した1番線に入線しているのは
15時3分に到着した快速「リゾートあすなろ下北3号」で、
折り返し15時57分始発、「新青森」行き快速「リゾートあすなろ下北4号」になります(頭端部側から撮影)。
最後にホーム先端から「野辺地」方を撮りましたら、
前方に「しもきた克雪ドーム」(室内運動施設)の丸屋根が見えました。
駅のすぐ南側は港なのですが、
遠回りの道しか有りません
因みにこの「リゾートあすなろ」に使われている
HB-E300系ハイブリッド気動車は、
大きな窓と広いシートピッチが大変快適です
<津軽鉄道「津軽中里」駅 2014年8月23日>
最寄のJR五能線「五所川原」駅に直線距離にして17キロほど有りますので行き止まり駅になります。
駅はコープと一体化していますが、お店は現在やっていない様でした。
構内は片面1線のホームと側線が有り(列車は津軽21形)、
終端部はこんな感じです。
機回し用に見えますが、名物のストーブ列車を牽くDD35型のためのものでしょうか?(「津軽五所川原」駅構内にて撮影)
こちらはホーム先端側から見た所で、
同じ場所から振り返って「津軽五所川原」方をパチリ
因みに路線の中ほどに有る「金木(かなぎ)」駅でのみ
列車交換が行われ、タブレット交換を見る事が出来ました。
閉塞方式は「津軽五所川原」~「金木」間はタブレット、
「金木」~「津軽中里」間はスタフが使われ、
図はこんな感じ、と言ったレベルです(^^;
「金木」と言うと外せないのが太宰治の生家(斜陽館)で、
時間の都合で中は見学出来ませんでしたが、外観だけパチリ
<弘南鉄道/弘南線「黒石」駅 2014年7月17日>
最寄のJR奥羽本線「北常盤」駅には、直線で4.5キロ有りますので行き止まり駅になります。
駅舎はコープの建物と一体になっていて
構内は2面3線と側線が3本、
電車は全て元東急7000系(ここでも同形式)でした。
パイオニアⅢ形台車とスノープローをアップで...
側線でお休み中のキ100形も、今だ現役の様です。
こちらが1番線と側線の終端部で
続いて2番線側はこんな感じでした。
左端のホームは番線表示も無く、使われていない様子です。
後から1番線(真ん中)に列車が到着し
運用上ほとんどの場合出発は1番線からだそうで、
この時もそうでした(前面が非貫通に改造されていますね)。
最後にホーム先端から「弘前」方をパチリ
因みに弘南線の車両基地は「平賀」駅に隣接していて、
キ100形ラッセル車を推すED333はここに居ました。
ここの駅舎とホームは大きな農協ビルの中に有り、
ローカル駅とはちょっと違った構内の雰囲気です。
ホーム中央の張りぼて人形はラッセル君(相撲取りか?)で、
この日の夜、着ぐるみ版をテレビで見掛けました
<JR烏山線「烏山」駅 2014年4月25日>
最寄の真岡鉄道「茂木」駅には、直線にして12キロ強有りますので行き止まり駅になります。
「烏山」は毎月1日の第3番記事「行き止まり駅訪問(過去記事その1)」に掲載済みですが、内容が乏しいため今回再訪して、アップし直しました。
駅舎は2014年3月、蓄電池駆動電車システムの運用開始に伴い建て替えられています。
(こちらは2011年8月22日に撮影の旧駅舎)
構内は片面1線
終端部はこんな感じで
その先に変電整流設備(交流6600V→直流1500V)が出来ていました。
蓄電池駆動電車EV-E301系(ACCUM)がパンタを上げて、充電している所を
反対側から見るとこんな感じです。
(こちらは2011年8月22日撮影の、キハ40形2連)
最後は、ホーム先端から「宝積寺」方をパチリ
<和歌山電鉄貴志川線「貴志(きし)」駅 2014年2月22日>
最寄のJR和歌山線「船戸」駅には、直線にして4キロ強有りますので行き止まり駅になります。
駅舎は三毛猫の「たま駅長」に因んで、猫顔をしていて
入口には看板も...
「たま駅長」本人は就寝中の後姿なので、画像省略しました。
構内は片面1線と側線が1本有り
終端部はこんな感じです。
最後に、反対側「和歌山」方の先端部をパチリ
和歌山電鉄の中枢は途中の「伊太祈曽(いだきそ)」駅で、
駅待合室右手には本社事務所
そして、小さな車両基地が有りました。
待合室に居る「ニタマ駅長」は
「貴志」の「たま駅長」が高齢のため、
補佐役を勤めているそうです
車庫内の「おもちゃ電車」2270系は、窓配置がdD9D2(一部埋め込み)、客室扉は片開き(運転室側)と両開き(貫通路側)の混在、と言うユニークなものでした。
同じく22000系から改造された2200系はd2D6D2と、極めてオーソドックスな窓配置をしており
この違いは、2200系もワンマンですが運転手さんは集改札を行わないのに対し、2270系は行うためだそうです。
<南海電鉄多奈川線「多奈川」駅 2014年2月7日>
最寄の南海電鉄南海線「みさき公園」駅には、直線距離にして2.2キロ有りますので行き止まり駅になります。
構内は現在1面1線(「みさき公園」方から撮影)ですが
以前はホーム左側(1番線)にも線路が有り、また右端には昔の降車ホーム跡が残っていました。
列車(2200系2連)は元の2番線に停車し
現在、ホームの番線表示は有りません。
同じ位置から振り返って終端部をパチリ
元1番線の方は、まだバラストが残っています。
「みさき公園」方には昔のホームが伸びていますが、
柵で仕切られていました。
赤丸は2キロポストで、「みさき公園」起点かと...
こちらが「みさき公園」駅の多奈川線が停まる5番線で
この列車1本が、「多奈川」との間を行き来しています。
<常磐線「広野」駅 2014年1月28日>
最寄の磐越東線「小川郷」まで、直線距離が14.8キロ有りますので行き止まり駅になります。
中は2面3線構造ですが、何故か1番線と2番線の間に作られた仮設ホームが使われていました(前方が「仙台」方です)。
元の2つのホームは使用停止中で跨線橋にはロープが張られ、立ち入る事が出来ません。
こちらは、列車の反対側から「いわき」方を撮ったもの
「仙台」方の終端部は車止めが無く
次駅(木戸)表示も、そのままでした。
こちらは反対の「いわき」方末端で、後で気付きましたが単線に収斂しています。
地図で調べますと、「広野」~「久ノ浜」2駅間が単線でした。
この辺りは海に近い所を通っていますので、
津波の被害を受け、単線で復旧したのでしょうか?
時刻表を見ますと、概ね1時間に1本の頻度で「いわき」「水戸」方面への列車が運行されています。
「水戸」~「いわき」間はE501系10連も使われていますが、
「広野」まで行く列車は、415系4連でした。
(この列車は9時4分「水戸」始発、11時24分「広野」着)
3.11以降、常磐線は3つに分断されたままで、
「広野」から2駅先の「竜田」までの復旧が一番早い様ですので、開通したらまた行ってみたいと思います
<南海電鉄和歌山港線「和歌山港」駅 2014年1月22日>
最寄の「和歌山市」駅まで、直線距離が2.8キロ有りますので行き止まり駅になります。
道路から一段高い位置の駅舎を入り、そこから階段を上がったホームは見晴らし良好でした。
中は1面2線構造(左から1、2番線)で、1番線は余り使われていない様です(「和歌山市」方から撮影)。
こちらが1番線の終端部、
そしてこちらが2番線の終端部
列車は南海線直通「なんば」行き急行9000系6連ですが、
8両編成の特急「サザン」も来ますので、ホームはまだ2両分の余裕が有りました。
最後に、「和歌山市」方の先端部をパチリ
特急「サザン」がここまでやって来る理由がこちらで、
駅前から徳島へ渡るフェリーが出ているのです。
因みに記事冒頭に有ります「行き止まり駅」の条件②には、船で乗継ぐ事まで考えていませんでした(^^; 再検討が必要かも
2005年(平成17年)までは線内運転の普通列車が存在し、
「和歌山市」駅7番ホームに発着していたそうですが、
(当時6番線は、前回取り上げました加太線の列車が使用)
それ以降は南海線直通列車のみになったため、隣の5番線が使われています(6番線とは反対方向から撮影)。
<南海電鉄加太線「加太(かだ)」駅 2014年1月19日>
一番近くの南海電鉄/多奈川線「多奈川」駅まで、直線距離が6キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
駅は道路から一段高い丘の中腹に作られていて、
内部は段違いの2面2線構造でした。
丘の中腹を削って作ったため、こんな形になったのでしょうか?
こちらが1番ホームと
終端部(停車中の列車は、20m級4扉車の7100系2連)
そしてこちらが2番ホームと
その終端部(南海は、車止めを赤く塗る決まりの様です)
同じ場所から180度振り返ってパチリ
「紀ノ川」方先端部に行って見ましたら、ちょうど次ぎの2200系(17m級2扉車)2連が入線して来ました。
加太線の起点は「紀ノ川」なのですが、列車は「和歌山市」駅に乗り入れており、
その3番ホームはJR紀勢本線の2番ホーム(柵の向こう)と、
コの字形に繋がっています(連絡改札口有り)。
なお、それ以前の記事は(過去記事その1)に有ります。
<山陽電鉄網干(あぼし)線「山陽網干」 2015年12月17日>
(画像は2015年10月13日に撮影)
最寄のJR山陽本線「網干」駅へ直線距離が3キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
「網干」は新快速の始発駅としてお馴染みですが、街の中心は「山陽網干」の辺りだとか...
改札口は駅ビル内ではなく、横に張り出していました。
画像は朝6時過ぎに撮ったもので、漸く東の空(右手の方向)が白み始めています。
構内は1面2線(終端側から見た左2番、右1番のりば)で、
1番のりばの終端部と
2番のりば側のそれは、こんな感じでした。
次はホーム先端から見た「飾磨(しかま)」方と、
同じ場所から駅舎方向を振り返った所です。
(2番のりば(右)の列車が先発して行きました)
こちらは次駅「平松」で撮った3200系3連で
網干線は、3000系と3200系のワンマン仕様車に統一されている様です。
因みに網干線起点の「飾磨」駅はこんな構造をしており、網干線ホーム(2番のりば)は頭端式でした。
網干線は駅西方の車庫の脇を通っていて
やって来た「飾磨」行き列車の正面と、
駅に進入する所をパチリ(後撃ち)。
2番のりばに到着(頭端側から撮影)すると両側のドアが開き、両方向の本線列車への乗換がしやすくなっています。
(左が「山陽姫路」方面、右が「西代」方面)
<えちぜん鉄道勝山永平寺線「勝山」 2015年10月13日>
(画像は2015年7月27日に撮影)
最寄のJR九頭竜線「北大野」駅へ直線距離が6.5キロ弱有り、行き止まり駅になります。
駅舎は1914年(大正3年)開業以来の趣の有る和風建築で、2004年(平成16年)有形文化財に登録されました。
ここの駅前にも恐竜(矢印)が居て、お出迎えしてくれます
構内は2面2線と側線が1本有り(終端側から撮影)
左の列車(MC6101形)が先に出発して行きました。
こちらが終端側で
線路は隣の工場敷地間際まで延び、
機回し構造になっています。
続いてホーム反対の先端部から「福井」方を見た所と、
駅外(「福井」寄り)から構内全景を撮りました。
(後ろの工場が雰囲気を台無しに...)
駅横にテキ6と無蓋貨車ト68が保存されていましたが、黒塗りのため良く分かりませんので
昔の走行写真を載せておきます。
ところで勝山市内の丘の上には県立恐竜博物館(緑線)が有り車窓からも銀色のドームが良く見えました。
時間の関係で訪問出来ませんでしたが、代わりに駅々で撮った恐竜達を載せておきます。
<JR「敦賀」>
この「恐竜博士」はJR「福井」や、えちぜん鉄道「福井」駅等でも見掛けました。
<JR「福井」西口>
1階入り口左側通路壁面の騙し絵です。
建て屋全面の壁画と
駅前広場には実物大のフィギュアも
<えちぜん鉄道三国芦原線「三国港」駅 2015年9月25日>
(画像は2015年7月27日に撮影)
最寄のJR北陸本線「芦原温泉」駅へ直線距離が8キロ弱有り、行き止まり駅になります。
国鉄当時の駅の建材を使い2010年(平成22年)に改修された駅舎を入ると、
内部もレトロな雰囲気でした(現在は無人駅)。
構内は片面1線ホームと側線が1本有り、列車はMC6101形(元は愛知環状鉄道300形)です。
管理人は20年以上前、出張時にしばしば愛環を利用しましたので、大変懐かしかったです
終端側のレールは、ホームの先まで延びており
こちらが車止めで、前方は九頭竜川河口
そこから駅方向を見た所で、国鉄当時はSL牽引の貨物列車が入線したため、機回し線の構造が残っていました。
最後はホーム先端から「福井」方をパチリ
前方に見えるレンガアーチの眼鏡橋は国登録有形文化財で、道路と斜めに交差しており
強度を保つため、「ねじりまんぽ」と言う捻じ曲げた様にレンガを積む珍しい工法が採用されています。
復路はMC7001形2連に乗りましたが、
この車両は元JR飯田線の119系で、アテンダントさんもお二人乗務していました。
車内はJR当時のままセミクロスシートで、
管理人は2011年9月5日に一度だけ乗った事が有り
こちらも愛環同様、懐かしかったです
「福井」へ戻る途中で北陸本線(右手)をオーバーパスする際、車両基地に居た凸形電機のML521形2両を撮りました。
車窓越しでなおかつ望遠一杯のため、ピンボケですいません m(__)m
勾配を降りて来た所からは、新しい検修庫が見えます。
<JR石巻線「女川(おながわ)」駅 2015年9月6日>
(画像は2015年6月28日に撮影)
最寄の仙石線との接続駅「石巻」へ直線距離が12キロ弱有り、行き止まり駅になります。
前の駅舎は大震災の津波で流され、今年の3月に200mほど内陸側に再建されました。
1階が駅と売店、2階は町営の温泉入浴施設、3階が展望台になっています。
その展望台から見た港と
反対側の駅構内で、
辺りはまだ復興途上と言った感じでした。
片面1線のホームは4両分の有効長が有り
こちらが終端部
そしてホームの先から駅舎方向を見た所と、
振り返って「石巻」方です。
因みに途中の「石巻」駅で接続する仙石線は
直流1500V用の205系が使われていますが、
今年5月30日から新しい列車が姿を見せる様になりました。
仙石東北ライン「仙台」行きのHB-E210系ハイブリッド気動車4連です。
この列車は「松島」付近で仙石線から東北本線(交流2万V)に乗り入れるため
(仙石線・東北本線接続線は、長さ300mの非電化区間)
本系統は仙石東北ラインと呼ばれ、「仙台」~「石巻」間が20分以上短縮されました(まあ普通と快速の違いも有りますが)。
偶々ですが、管理人が良く見ている「あおたけ」さんのブログに先月末、ここの乗車記が載っています。
最後は、ねぐらの小牛田運輸区にて休憩中の2両をパチリ
<由利高原鉄道「矢島」駅 2015年8月21日>
(画像は2015年6月27日に撮影)
最寄の羽越本線「仁賀保(にかほ)」駅へ直線距離が16キロ弱有り、行き止まり駅になります。
2002年(平成14年)に「東北の駅百選」に選ばれた駅舎と、
構内は片面1線のほか3本の側線が有りました。
こちらが終端部で、
その左手に車庫が隣接しています。
手前に有るのは「羽後本荘」起点の23キロポストで、
最後にホーム先端から「羽後本荘」方をパチリ
こちらは「羽後本荘」駅で撮った「矢島」行きYR-3000形で、
新潟鉄工所製の気動車とは一味違うと思い後で調べましたら、本形式は日車製でした。
側面には「おばこ」のイラストが描かれ、
車内はクロスシートで、テーブルまで付いているとは...
次の列車は新潟鐵工所製のYR-2000形で、
偶々ですが、管理人は鉄コレの模型(左2両)を持っています。
「羽後本荘」は特急も停まる大きな駅で
最後に、ここ始発の「秋田」行き列車(701系2連)をパチリ
<JR男鹿(おが)線「男鹿」駅 2015年8月17日>
(画像は2015年6月27日に撮影)
最寄の奥羽本線「大久保」駅へは直線距離が10キロ強有り、行き止まり駅になります。
こちらが駅舎で、
右手にはナマハゲの像が有りました。
待合室にも展示されていて、さすが本場ですね
構内は1面2線と側線が何本か有り、
振り返って終端方向をパチリ
風雨が強く、遥か先の終端部まで行くのは諦めました。
最後はホーム先端から見た「追分」方です。
男鹿線の起点は「追分」ですが全列車が「秋田」まで乗り入れ、車種はキハ40系が使われていました。
上は往路の列車(「秋田」駅6番線から出発)で、ロングシート車でしたが
途中すれ違った列車はクロスシートで、運が無かったです
復路は、「秋田」駅の1番線(切り欠きホーム)に入線しました。
こちらは4番線から出発する男鹿線の列車で、どうもホームが一定ではない様です(後撃ちで右手が「男鹿」方)。
夕方のラッシュ時には5連も登場
<JR津軽線「三厩(みんまや)」駅 2015年8月9日>
(画像は2015年6月26日に撮影)
最寄の津軽海峡線との接続駅「蟹田(かにた)」へは
直線距離が22キロ強有り、行き止まり駅になります。
津軽線と海峡線は「蟹田」の1つ先の「中小国(なかおぐに)」で分岐しますが海峡線の列車は停まりませんので、
「蟹田」の方を最寄の別線に乗り継げる駅としました。
「三厩」の駅舎は開業当時からのもので、2002年(平成14年)東北の駅百選に選ばれたそうです。
構内は1面2線で、同じ場所から振り返ると
終端部は機回し線の様に先の方まで延びていました。
最後に、ホーム先端部から「青森」方をパチリ。
津軽線は「蟹田」を境に運転系統が2分され、「三厩」までは1日わずか5往復です(「蟹田」で撮影した「三厩」行き)。
「蟹田」~「青森」間は701系電車が使われていますが、
1日1本だけ「青森」~「三厩」を直通する列車が有りました。
(上の2枚は「青森」駅で撮影)
以前訪問したJR吾妻線の終点「大前」も、
1日5本の列車しか来ない駅でしたが
「三厩」は近くに見所も多く、
観光シーズンの休日に、快速「リゾートあすなろ竜飛」HB-E300系2連が「新青森」との間を1往復しています。
<JR左沢(あてらざわ)線「左沢」駅 2015年6月25日>
(画像は2015年4月7日に撮影)
最寄のJR奥羽本線「天童)」駅へは直線距離が13キロ強有り行き止まり駅になります。
構内には、片面1線のホームと留置線が1本有りました。
終端部と、
ホームの先端から「北山形」方をパチリ
列車はキハ101形4連で、16メートル級の本形式は、左沢線専用に13両だけ製造されたそうです。
この線の愛称は「フルーツライン左沢線」だそうで、車両幕板にその文字が有りました。
左の円錐形屋根の部分は「大江町交流ステーション」で、右の平屋が駅舎になります。
交流ステーション内は自由に入れ、中には立派な囃子屋台の現物が展示されていました。
この展示室部分が、ちょうど円錐形屋根の下に当たります。
駅を出て5分程歩くと、舟運でこの町の繁栄を支えた最上川に行き当たり、
こちらは国道に架けられた新しい橋から下流側を見た所で、
川は下手の旧橋の先で鋭角的に右に曲がっていました。
最後は、キハ101形のスナップを少々...
「北山形」駅にて、上り「山形」行き2連
室内はロングシートで、トイレは有りません。
「山形」駅にて、下り「左沢」行き4連(後部側から撮影)
この列車は、切り欠きホームの6番線から出発します。
左端4番線(奥羽本線:標準軌)は右側の5番線(狭軌)と比べ、幅の広さが良く分かりますね
<名鉄広見線「御嵩」駅 2015年5月17日>
最寄のJR太多線「可児(かに)」へは直線にして6キロ有るため行き止まり駅になります。
駅舎を入ると
片面1線のホームには6000系2連が...
終端部はこんな感じで、
次はホーム先端側から駅舎方向を見た所。
最後に「新可児」に向け出発した後姿をパチリ
10分ほど走った列車は終点「新可児」に到着し、
専用の1番ホームに入線しました。
「犬山」~「御嵩」間を結ぶ名鉄広見線ですが、ここ「新可児」で運転系統が2分されており(左はJR「可児」駅)、
「御嵩」方面の列車が1番線、「犬山」方面は2番・3番線を使う様になっています。
スイッチバック構造なのは元々が、名鉄(「犬山」~「新可児」)と東美鉄道(「新可児」~「御嵩」)の接続駅だったためだとか。
こちらはホーム先端から駅舎方向を眺めた所で、
左端が1番線(「御嵩」方面):有効長2両
中央が2番線(「犬山」方面):有効長4両
右端が3番線(「犬山」方面):有効長6両
3番線からは「犬山」より遥か先へ行く列車が出ていました。
「豊橋」行き特急2200系6連(1番線から撮影)と
こちらは、「中部国際空港」行き普通5000系(2代)4連です。
(隣接するJR太多線「可児」駅ホームから撮影)
<富士急行・富士急行線「河口湖」駅 2015年4月25日>
最寄のJR中央本線「笹子駅」へは直線にして12キロ有るため行き止まり駅になります。
この駅は毎月1日の3番目記事「行き止まり駅訪問(過去記事
その1)」に掲載済みですが、内容が乏しいため今回再訪してアップし直しました。
山小屋風駅舎を入ると(逆光ですいません)、
中は2面3線のホームと留置線が何本も有り
構内踏切で繋がっています。
(左から1番線、降車用、2番線、3番線、留置線)
終端部は引き上げ線の彼方で
出庫する6000系(元JR205系)が引き上げ線に入り
折り返し、1番線に入線する所を撮りました。
6000系は3連ですが、JRのホリデー快速富士山(189系)も来ますので、引き上げ線は6連まで入れる様です。
こちらはホーム先端側から見た「大月」方と、
振り返って1番線(右)の6000系3連と2番線(左)の1200形(旧富士急塗色)2連
そして3番線(左)の1200形2連マッターホルン号をパチリ
<JR常磐線「竜田」駅 2015年4月17日>
最寄の磐越東線「小川郷」まで、直線距離にして20キロ強有り行き止まり駅になります。
最初は「いわき」方末端部から
振り返って「仙台」方をパチリ
構内は2面3線で3番線だけ使われていましたが、
「広野」が終着駅だった時は、1番線・2番線間に仮設ホームを設けていました。
跨線橋は閉鎖され、
駅舎側1番線との間に仮設通路が設けられている所も「広野」と同じです。
ホームを歩いて「仙台」方に移動し
振り返って「いわき」方をパチリ
ホーム先端部から見た「仙台」方は車止めが無く
次駅(富岡)表示も、そのままでした。
3.11以降、常磐線は3つに分断されたままで、
3月10日に発表の計画では2018年までに「富岡」~「浪江」間以外は順次復旧させるそうです。
現在「竜田」~「原ノ町」間は代行バスが走っていて、
駅前にそのバス停が有りました。
2018年に隣駅の「富岡」まで運転再開したあかつきには、また訪れたいと思います。
<山形鉄道フラワー長井線「荒砥」駅 2015年3月23日>
最寄のJR奥羽本線「中川」駅」へは直線にして13.3キロ有り、行き止まり駅になります。
駅舎は2003年にリニューアルされたもので、
入り口には「東北の駅百選選定駅」の表示が有りました。
構内は片面1線のホーム(終端部側から撮影)と側線が1本。
そしてこちらが終端部です。
車両の中からも1枚...
終端部の先には車庫が有り、
そこにはレイアウト小物に良さそうな燃料タンクと
給油スタンドも有りました。
最後に「赤湯」方先端部をパチリ
因みにこちらは起点の「赤湯」駅に
先ほどの列車が到着した所です。
隣接してJR奥羽本線の駅(東北の駅百選選定)も有り
山形新幹線も走りますので、
普通列車も標準軌仕様の特別なものでした。
<能勢電鉄日生線「日生(日生)中央」駅 2015年2月17日>
最寄の能勢電鉄妙見線「山下」駅へは直線距離にして2.2キロ有り、行き止まり駅になります。
ここは地上の橋上駅舎と
一段下の切り通し内にホームを持った、典型的なニュータウン路線駅の構造でした(終端部側から撮影)。
ホームは8両分の長さが有り、ラッシュ時は「梅田」直通の特急「日生エクスプレス」が発着します。
こちらが終端部で、
「日生エクスプレス」用に留置線が長く延びていました。
次は先端側から見た「川西能勢口」行き1700系4連で、
社章を自社のものに替えた元阪急2000系です。
写真は撮れませんでしたが、これ以外に隣駅の「山下」止まりの線内折り返し列車も有りました。
次はホーム先端から「川西能勢口」方向を見た所で、終点まで複線が続きます。
帰りに、妙見線と接続する「山下」に途中下車してみました。
左が日生線、右が妙見線でホームはY字形に広がっています。
(手前が「川西能勢口」方)
こちらは「山下」~「妙見口」の区間列車1500系2連で、
最後は、「川西能勢口」→「妙見口」行き1700系4連をパチリ
<阪急箕面線「箕面(みのお)」駅 2015年2月4日>
最寄の阪急宝塚線「石橋」駅へは直線距離にして3.6キロ有り行き止まり駅になります。
ここは阪急各駅の中で標高が一番高く、かつ最も古い駅の一つとの事でした(箕面有馬電気軌道の時代に開業)。
構内は2面2線で、日中は1号線だけ使われますが
ラッシュ時に宝塚線直通「梅田」行き列車は1号線、「石橋」行き線内折り返し列車は2号線と使い分けるようです。
その1号線の終端部と
停車中の「石橋」行き普通3000系4連をパチリ
ご覧のように、ホームは若干カーブしていました。
そして2号線側はこんな感じです。
次はホーム先端側から見た列車と
構内全景(左から2号線/降車専用/1号線ホーム)で、
有効長は8両と長めになっていました。
ホーム先端から見た「石橋」方で、箕面線は全線複線です。
残念ながら朝のラッシュを過ぎていたため、8両編成の宝塚線直通列車は撮れませんでしたが、
隣駅の「牧落(まきおち)」にて線内折り返し列車をパチリ
これは最初に「箕面」駅で撮った編成でした。
次は箕面線起点の「石橋」で、左の4号線/3号線は宝塚線へ乗り入れる列車が停まるホーム
線内折り返し列車は右端の5号線に入ります。
ネットを調べましたら箕面有馬電気軌道が開業した頃の線路はこんな形で
「石橋」のデルタ線を使い、「梅田」~「箕面」~「宝塚」の経路を運行する列車も有った事が分かりました。
当時の1形電車はこんな形で、折り返し時のポール付け替えを省くため、
「箕面」駅はラケット形ループ線になっていたそうです。
(上2枚の画像はネットから転載)
<近鉄志摩線「賢島(かしこじま)」駅 2015年1月26日>
最寄の「鳥羽」駅へは直線にして19キロ強離れていますので、行き止まり駅になります。
ここは大阪・京都・名古屋から来る特急の終着駅にふさわしく、建物も立派でした。
構内は4面5線有り5番線以外は特急が入線しまので、順番に見ていきましょう(1~4番線は8両、5番線は2両の有効長)。
まず1番・2番線の終端部側
次は先端側から見た所で、
1番線(左)は「京都」行き特急ビスタカー30000系4連
2番線(右)は「名古屋」行き特急12200系4連
1番線には「鳥羽」起点の25キロポストが有ります。
見ている前で2番線に、増結のビスタカーが進入して来て
連結完了し
8連になりました。
次は3番線の終端部と、「名古屋」行き特急50000系6連
車体に描かれた「しまかぜ」のマーク
そして「鳥羽」方の先端から見たところです。
その右側が4番(左)・5番線(右)
5番線には「白塚」行き普通9000系2連が入線中で、
ホームは2両分の短いものでした。
最後にホーム先端から「鳥羽」方をパチリ
前方で複線に収斂し、留置線は無い様です。
<名鉄空港線「中部国際空港」駅 2015年1月16日>
最寄の名鉄常滑(とこなめ)線「常滑」駅へは直線にして3.8キロ距離が有りますので、行き止まり駅になります。
2階の改札口は、空港ビルと連絡通路で繋がっていました。
構内は2面3線で
ホームドアが有るため、全景を撮るのは無理かと...(^^;
ホームに並んだ手荷物キャリアが空港駅らしいですね。
1番線は特急ミュースカイ専用で、
ガラス越しに撮った2000系の先端部がこちら。
その後終端部の車止めも撮りましたがほとんど写っておらず、載せるのは止めました。
上は「常滑」を通過する「新鵜沼」行き4連です。
次は2番(左)/3番線(右)で、
終端部はこんな感じでした。
2番線の列車は「新可児」行き準急6000系4連
その1本前は「新可児」行き準急6500系(鉄仮面)4連で、
「常滑」で撮った「空港」行き準急6500系6連もおまけに。
3番線の「名鉄岐阜」行き特急2200系6連の「岐阜」寄り4両は3扉クロスシートで特別料金不要なのに対し
「空港」寄り2扉クロスシート2両は、座席指定券が必要です。
(↑ 「常滑」を出発する「空港」行き。 先頭2両が特別車 ↑)
最後は先端部で、本土に繋がる高架橋が良く見えました。
「空港」~「常滑」の空港線は中部国際空港連絡鉄道が建設し名鉄がそれを借りて運行しているそうです。
<伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山」駅 2014年10月22日>
最寄の小田急電鉄小田原線「開成(かいせい)」駅は直線距離にして3キロ有りますので、行き止まり駅になります。
この駅は毎月1日の3番目記事「行き止まり駅訪問(過去記事
その1)」に掲載済みですが、内容が乏しいため今回再訪してアップし直しました。
「関東の駅百選」に選ばれた駅舎と
構内は1面2線のホーム(先端側から撮影)を挟み、
3本の留置線(左)と小さな車庫(右)が有ります。
次は1番線の終端部と
2番線側
留置線の列車は他と違い全面塗装(白地部分)車体でしたが
後で調べましたら、このトップナンバーだけ普通鋼で
第2編成からステンレス車になったとの事でした。
ここまで乗って来た列車はロングシートでしたが
復路は嬉しい事に転換クロスシート車で、
第5編成は中間車のみ、第6・第7編成は全車両がクロスシートだそうです。
こちらは先端部から「小田原」方を見た所ですが、
構造物が出来る前の画像も合わせて載せておきました。
(2010年4月5日記事から転載)
保線車両側線のコデ165もパチリ(右側が本線)
因みに大雄山線車両の全般検査は駿豆線「大場(だいば)」駅隣りの本社工場にて行う事から、「小田原」~「三島」間はJRが甲種輸送します。
大雄山線「小田原」駅ホームの先端部から見たJRへの渡り線(矢印)は架線が無く(点線)、
釜が乗り入れられないため、牽引する電車との間に貨車を挟むのだとか...
それに対し「三島」駅の渡り線は、
JRの特急「踊り子」が駿豆線に乗り入れるため架線は繋がっていました(2013年2月4日記事から転載)。
小さい四角部分の架線にデッドセクションが有ります。
<JR大湊線「大湊」駅 2014年9月25日>
最寄のあおい森鉄道「野辺地」駅に直線にして44キロ有りますので、行き止まり駅になります。
駅舎は「東北の駅百選」に選定された後、2010年(平成22年)リニューアルされました。
右手には昔使われた信号機などが保存されています。
構内は2面2線の頭端式ホーム(右1番線/左2番線)と、
2番線の左手に側線が2本有りました。
駅舎に面した1番線に入線しているのは
15時3分に到着した快速「リゾートあすなろ下北3号」で、
折り返し15時57分始発、「新青森」行き快速「リゾートあすなろ下北4号」になります(頭端部側から撮影)。
最後にホーム先端から「野辺地」方を撮りましたら、
前方に「しもきた克雪ドーム」(室内運動施設)の丸屋根が見えました。
駅のすぐ南側は港なのですが、
遠回りの道しか有りません
因みにこの「リゾートあすなろ」に使われている
HB-E300系ハイブリッド気動車は、
大きな窓と広いシートピッチが大変快適です
<津軽鉄道「津軽中里」駅 2014年8月23日>
最寄のJR五能線「五所川原」駅に直線距離にして17キロほど有りますので行き止まり駅になります。
駅はコープと一体化していますが、お店は現在やっていない様でした。
構内は片面1線のホームと側線が有り(列車は津軽21形)、
終端部はこんな感じです。
機回し用に見えますが、名物のストーブ列車を牽くDD35型のためのものでしょうか?(「津軽五所川原」駅構内にて撮影)
こちらはホーム先端側から見た所で、
同じ場所から振り返って「津軽五所川原」方をパチリ
因みに路線の中ほどに有る「金木(かなぎ)」駅でのみ
列車交換が行われ、タブレット交換を見る事が出来ました。
閉塞方式は「津軽五所川原」~「金木」間はタブレット、
「金木」~「津軽中里」間はスタフが使われ、
図はこんな感じ、と言ったレベルです(^^;
「金木」と言うと外せないのが太宰治の生家(斜陽館)で、
時間の都合で中は見学出来ませんでしたが、外観だけパチリ
<弘南鉄道/弘南線「黒石」駅 2014年7月17日>
最寄のJR奥羽本線「北常盤」駅には、直線で4.5キロ有りますので行き止まり駅になります。
駅舎はコープの建物と一体になっていて
構内は2面3線と側線が3本、
電車は全て元東急7000系(ここでも同形式)でした。
パイオニアⅢ形台車とスノープローをアップで...
側線でお休み中のキ100形も、今だ現役の様です。
こちらが1番線と側線の終端部で
続いて2番線側はこんな感じでした。
左端のホームは番線表示も無く、使われていない様子です。
後から1番線(真ん中)に列車が到着し
運用上ほとんどの場合出発は1番線からだそうで、
この時もそうでした(前面が非貫通に改造されていますね)。
最後にホーム先端から「弘前」方をパチリ
因みに弘南線の車両基地は「平賀」駅に隣接していて、
キ100形ラッセル車を推すED333はここに居ました。
ここの駅舎とホームは大きな農協ビルの中に有り、
ローカル駅とはちょっと違った構内の雰囲気です。
ホーム中央の張りぼて人形はラッセル君(相撲取りか?)で、
この日の夜、着ぐるみ版をテレビで見掛けました
<JR烏山線「烏山」駅 2014年4月25日>
最寄の真岡鉄道「茂木」駅には、直線にして12キロ強有りますので行き止まり駅になります。
「烏山」は毎月1日の第3番記事「行き止まり駅訪問(過去記事その1)」に掲載済みですが、内容が乏しいため今回再訪して、アップし直しました。
駅舎は2014年3月、蓄電池駆動電車システムの運用開始に伴い建て替えられています。
(こちらは2011年8月22日に撮影の旧駅舎)
構内は片面1線
終端部はこんな感じで
その先に変電整流設備(交流6600V→直流1500V)が出来ていました。
蓄電池駆動電車EV-E301系(ACCUM)がパンタを上げて、充電している所を
反対側から見るとこんな感じです。
(こちらは2011年8月22日撮影の、キハ40形2連)
最後は、ホーム先端から「宝積寺」方をパチリ
<和歌山電鉄貴志川線「貴志(きし)」駅 2014年2月22日>
最寄のJR和歌山線「船戸」駅には、直線にして4キロ強有りますので行き止まり駅になります。
駅舎は三毛猫の「たま駅長」に因んで、猫顔をしていて
入口には看板も...
「たま駅長」本人は就寝中の後姿なので、画像省略しました。
構内は片面1線と側線が1本有り
終端部はこんな感じです。
最後に、反対側「和歌山」方の先端部をパチリ
和歌山電鉄の中枢は途中の「伊太祈曽(いだきそ)」駅で、
駅待合室右手には本社事務所
そして、小さな車両基地が有りました。
待合室に居る「ニタマ駅長」は
「貴志」の「たま駅長」が高齢のため、
補佐役を勤めているそうです
車庫内の「おもちゃ電車」2270系は、窓配置がdD9D2(一部埋め込み)、客室扉は片開き(運転室側)と両開き(貫通路側)の混在、と言うユニークなものでした。
同じく22000系から改造された2200系はd2D6D2と、極めてオーソドックスな窓配置をしており
この違いは、2200系もワンマンですが運転手さんは集改札を行わないのに対し、2270系は行うためだそうです。
<南海電鉄多奈川線「多奈川」駅 2014年2月7日>
最寄の南海電鉄南海線「みさき公園」駅には、直線距離にして2.2キロ有りますので行き止まり駅になります。
構内は現在1面1線(「みさき公園」方から撮影)ですが
以前はホーム左側(1番線)にも線路が有り、また右端には昔の降車ホーム跡が残っていました。
列車(2200系2連)は元の2番線に停車し
現在、ホームの番線表示は有りません。
同じ位置から振り返って終端部をパチリ
元1番線の方は、まだバラストが残っています。
「みさき公園」方には昔のホームが伸びていますが、
柵で仕切られていました。
赤丸は2キロポストで、「みさき公園」起点かと...
こちらが「みさき公園」駅の多奈川線が停まる5番線で
この列車1本が、「多奈川」との間を行き来しています。
<常磐線「広野」駅 2014年1月28日>
最寄の磐越東線「小川郷」まで、直線距離が14.8キロ有りますので行き止まり駅になります。
中は2面3線構造ですが、何故か1番線と2番線の間に作られた仮設ホームが使われていました(前方が「仙台」方です)。
元の2つのホームは使用停止中で跨線橋にはロープが張られ、立ち入る事が出来ません。
こちらは、列車の反対側から「いわき」方を撮ったもの
「仙台」方の終端部は車止めが無く
次駅(木戸)表示も、そのままでした。
こちらは反対の「いわき」方末端で、後で気付きましたが単線に収斂しています。
地図で調べますと、「広野」~「久ノ浜」2駅間が単線でした。
この辺りは海に近い所を通っていますので、
津波の被害を受け、単線で復旧したのでしょうか?
時刻表を見ますと、概ね1時間に1本の頻度で「いわき」「水戸」方面への列車が運行されています。
「水戸」~「いわき」間はE501系10連も使われていますが、
「広野」まで行く列車は、415系4連でした。
(この列車は9時4分「水戸」始発、11時24分「広野」着)
3.11以降、常磐線は3つに分断されたままで、
「広野」から2駅先の「竜田」までの復旧が一番早い様ですので、開通したらまた行ってみたいと思います
<南海電鉄和歌山港線「和歌山港」駅 2014年1月22日>
最寄の「和歌山市」駅まで、直線距離が2.8キロ有りますので行き止まり駅になります。
道路から一段高い位置の駅舎を入り、そこから階段を上がったホームは見晴らし良好でした。
中は1面2線構造(左から1、2番線)で、1番線は余り使われていない様です(「和歌山市」方から撮影)。
こちらが1番線の終端部、
そしてこちらが2番線の終端部
列車は南海線直通「なんば」行き急行9000系6連ですが、
8両編成の特急「サザン」も来ますので、ホームはまだ2両分の余裕が有りました。
最後に、「和歌山市」方の先端部をパチリ
特急「サザン」がここまでやって来る理由がこちらで、
駅前から徳島へ渡るフェリーが出ているのです。
因みに記事冒頭に有ります「行き止まり駅」の条件②には、船で乗継ぐ事まで考えていませんでした(^^; 再検討が必要かも
2005年(平成17年)までは線内運転の普通列車が存在し、
「和歌山市」駅7番ホームに発着していたそうですが、
(当時6番線は、前回取り上げました加太線の列車が使用)
それ以降は南海線直通列車のみになったため、隣の5番線が使われています(6番線とは反対方向から撮影)。
<南海電鉄加太線「加太(かだ)」駅 2014年1月19日>
一番近くの南海電鉄/多奈川線「多奈川」駅まで、直線距離が6キロ以上有りますので、行き止まり駅になります。
駅は道路から一段高い丘の中腹に作られていて、
内部は段違いの2面2線構造でした。
丘の中腹を削って作ったため、こんな形になったのでしょうか?
こちらが1番ホームと
終端部(停車中の列車は、20m級4扉車の7100系2連)
そしてこちらが2番ホームと
その終端部(南海は、車止めを赤く塗る決まりの様です)
同じ場所から180度振り返ってパチリ
「紀ノ川」方先端部に行って見ましたら、ちょうど次ぎの2200系(17m級2扉車)2連が入線して来ました。
加太線の起点は「紀ノ川」なのですが、列車は「和歌山市」駅に乗り入れており、
その3番ホームはJR紀勢本線の2番ホーム(柵の向こう)と、
コの字形に繋がっています(連絡改札口有り)。
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