行き止まり駅訪問(過去記事その4) [鉄道(実物)]
過去に載せました「行き止まり駅訪問」シリーズの閲覧場所④で2017年12月以降の記事を集めました。
なお、それ以前の記事は「過去記事その3・2・1」)に有ります。
(「その2・1」は、2017年9月1日に最終掲載)
当ブログで勝手に決めました行き止まり駅の条件は、
①鉄道の駅に限定し、ケーブルカーや新交通システム等は
対象外とする
②一路線の終点でも、半径2キロ以内に乗り継げる別線が
有る駅は対象外とする (別線にはケーブルカーや新交通
システムを含め、路面電車やバスは含めない)
③路面電車は駅ではなく停留所と見なし、対象外とする
と言うものでして、
<例1>長野電鉄「長野」は、行き止まり駅としません
JR「長野」駅と直接繋がっていませんが、すぐ近くですので×
<例2>「強羅」も、行き止まり駅としません
箱根登山鉄道の終点ですが、構内から同社のケーブルカーが出ていますので×
<例3>京浜急行「浦賀」は、行き止まり駅とします
最寄のJR横須賀線「久里浜」駅は、半径2キロ圏外ですので〇
(ここで言う「2キロ」とは、徒歩30分程度と言う意味です)
「続きを読む」に過去記事の中に出て来ました行き止まり駅を、最近訪問した方から逆順に並べました。
日付は訪問した日ではなく、ブログの日付です。
1月に、水島臨海鉄道本線「三菱自工前」駅を追加しました。
<水島臨海鉄道本線「三菱自工前」 2018年1月9日>
(画像は2012年7月14日と2017年9月5日に撮影)
最寄のJR山陽本線「西阿知」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が6.6キロ有るため、行き止まり駅になります。
臨海工業地帯の終着駅は多々行きましたが、ご他聞に漏れずここも片面ホームの無人駅で、
以前訪問した名鉄築港線の終点「東名古屋港」と同様、駅舎は有りません。
少し「水島」寄りが事業所入り口で、ここに通う人達の出退勤に合わせたダイヤなんでしょうね。
ホームが狭いからでしょうか?ベンチは折り畳み式で
試しに坐ってみましたが、立っていた方が楽かも(^^;
その隣からは10個一遍に上がりました。
中央付近には、起点から10.5キロを示す乙号距離標が...
こちらはホーム先端から見た「水島」方で、左側の線路が本線、右は廃止された西埠頭線と思われます。
右手の駅に進入するMRT300形「ひまわり号」をパチリ
次は終端側で線路は倉敷貨物ターミナルまで続いており、この後行ってみました。
前方の線路と道路を跨ぐ通路は三菱の工場間を繋いでいて、車両か部品の搬送用の様です。
駅前の道を西へ10分ほど歩くと倉敷貨物ターミナルに着き、
広い構内には水臨の車両が沢山休んでいました。
まずキハ37形103とキハ38形104を撮り、
暫くすると少し移動してくれましたので、反対側もパチリ
次は後方の水島臨海色のキハ37形101・102
そしてこちらはキハ30形98で、100の部品取り用だそうです。
何となく親近感を覚えた車両達でしたので後日調べましたら、2012年7月14日に久留里線で乗っていました。
(記事は7月18日にアップ)
その時のキハ38形は番号不明ですが、
キハ30形の方は100で、水臨に移籍した車両です。
駅に戻る途中で見掛けたカモレのコンテナは、完成車はたまた部品を運んでいるのでしょうか?
入線して来た16時10分始発の「倉敷市」行きは、先ほど撮ったばかりのキハ37形+キハ38形でした。
乗客は管理人1人でしたが、「水島」からそこそこの乗車率に。
「水島」はこの地域の主要駅で
ここが終点の列車も多く、
また貨物専用の港東線(左カーブ、右の矢印は本線)も分岐しています。
<JR宇野線「宇野」 2017年12月9日>
画像は2017年9月5日に撮影したものを使いました。
最寄のJR本四備讃線「木見」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が12キロ有るため、行き止まり駅になります。
1994年(平成6年)に建て替えられた駅舎を入ると 、
1面2線のホームと側線が1本有るだけの簡素な造りでした。
(2番のりばは管理人が「岡山」から乗って来た115系3連)
終端部は1番のりば側がこちら
そして、2番のりばです。
(後ほど、駅外からも1枚パチリ)
次はホーム中程から駅舎方を見た所で、1番のりば(右)の先発「岡山」行き115系3連は、食パン顔の1600番台車でした。
そしてこちらがホーム先端から見た「岡山」方と、
振り返っての1枚です。
構内を撮った後は、連絡船の遺構を探しに行ってみました。
ネットからお借りしたこちらは、宇高連絡船が車両航送を行っていた当時の宇野駅で、右端に旅客ホーム、左手がヤードです。
①が船着場跡で、バースの一部が残っており、
矢印はトモ綱を掛ける係船柱で、ボラードと言うんだとか。
そして左端の説明板をアップで撮りました。
係船柱の位置から見た船着場は、今は何も残っていません
以下5枚は7月27日に京都鉄道博物館で撮ったジオラマで
(上の画像を90度右回転した構図)
件の係船柱の位置は、左上端の連絡船(赤色)の後方かと。
左上端が貨客船、中央が貨車用、右端が旅客船ではないか?と思われます。
このサイズの船なら海が荒れても貨車は大丈夫そうですが、
ハシケで瀬戸内海縦断となると、ちょっと心配...(^^;
青森で見掛けたのと同様、線路が3つに分かれていました。
四国へ渡るフェリー乗り場②へ向かう途中見掛けた看板で、
青函連絡船は確か船尾から車両を出し入れする構造でしたが、この船は船首が開く様です。
こちらが現在の高松港行きフェリーで、もちろん貨車は載せられません
なお、それ以前の記事は「過去記事その3・2・1」)に有ります。
(「その2・1」は、2017年9月1日に最終掲載)
当ブログで勝手に決めました行き止まり駅の条件は、
①鉄道の駅に限定し、ケーブルカーや新交通システム等は
対象外とする
②一路線の終点でも、半径2キロ以内に乗り継げる別線が
有る駅は対象外とする (別線にはケーブルカーや新交通
システムを含め、路面電車やバスは含めない)
③路面電車は駅ではなく停留所と見なし、対象外とする
と言うものでして、
<例1>長野電鉄「長野」は、行き止まり駅としません
JR「長野」駅と直接繋がっていませんが、すぐ近くですので×
<例2>「強羅」も、行き止まり駅としません
箱根登山鉄道の終点ですが、構内から同社のケーブルカーが出ていますので×
<例3>京浜急行「浦賀」は、行き止まり駅とします
最寄のJR横須賀線「久里浜」駅は、半径2キロ圏外ですので〇
(ここで言う「2キロ」とは、徒歩30分程度と言う意味です)
「続きを読む」に過去記事の中に出て来ました行き止まり駅を、最近訪問した方から逆順に並べました。
日付は訪問した日ではなく、ブログの日付です。
1月に、水島臨海鉄道本線「三菱自工前」駅を追加しました。
<水島臨海鉄道本線「三菱自工前」 2018年1月9日>
(画像は2012年7月14日と2017年9月5日に撮影)
最寄のJR山陽本線「西阿知」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が6.6キロ有るため、行き止まり駅になります。
臨海工業地帯の終着駅は多々行きましたが、ご他聞に漏れずここも片面ホームの無人駅で、
以前訪問した名鉄築港線の終点「東名古屋港」と同様、駅舎は有りません。
少し「水島」寄りが事業所入り口で、ここに通う人達の出退勤に合わせたダイヤなんでしょうね。
ホームが狭いからでしょうか?ベンチは折り畳み式で
試しに坐ってみましたが、立っていた方が楽かも(^^;
その隣からは10個一遍に上がりました。
中央付近には、起点から10.5キロを示す乙号距離標が...
こちらはホーム先端から見た「水島」方で、左側の線路が本線、右は廃止された西埠頭線と思われます。
右手の駅に進入するMRT300形「ひまわり号」をパチリ
次は終端側で線路は倉敷貨物ターミナルまで続いており、この後行ってみました。
前方の線路と道路を跨ぐ通路は三菱の工場間を繋いでいて、車両か部品の搬送用の様です。
駅前の道を西へ10分ほど歩くと倉敷貨物ターミナルに着き、
広い構内には水臨の車両が沢山休んでいました。
まずキハ37形103とキハ38形104を撮り、
暫くすると少し移動してくれましたので、反対側もパチリ
次は後方の水島臨海色のキハ37形101・102
そしてこちらはキハ30形98で、100の部品取り用だそうです。
何となく親近感を覚えた車両達でしたので後日調べましたら、2012年7月14日に久留里線で乗っていました。
(記事は7月18日にアップ)
その時のキハ38形は番号不明ですが、
キハ30形の方は100で、水臨に移籍した車両です。
駅に戻る途中で見掛けたカモレのコンテナは、完成車はたまた部品を運んでいるのでしょうか?
入線して来た16時10分始発の「倉敷市」行きは、先ほど撮ったばかりのキハ37形+キハ38形でした。
乗客は管理人1人でしたが、「水島」からそこそこの乗車率に。
「水島」はこの地域の主要駅で
ここが終点の列車も多く、
また貨物専用の港東線(左カーブ、右の矢印は本線)も分岐しています。
<JR宇野線「宇野」 2017年12月9日>
画像は2017年9月5日に撮影したものを使いました。
最寄のJR本四備讃線「木見」駅まで
(↑ ↓ 画像はネットからの借用)
直線距離が12キロ有るため、行き止まり駅になります。
1994年(平成6年)に建て替えられた駅舎を入ると 、
1面2線のホームと側線が1本有るだけの簡素な造りでした。
(2番のりばは管理人が「岡山」から乗って来た115系3連)
終端部は1番のりば側がこちら
そして、2番のりばです。
(後ほど、駅外からも1枚パチリ)
次はホーム中程から駅舎方を見た所で、1番のりば(右)の先発「岡山」行き115系3連は、食パン顔の1600番台車でした。
そしてこちらがホーム先端から見た「岡山」方と、
振り返っての1枚です。
構内を撮った後は、連絡船の遺構を探しに行ってみました。
ネットからお借りしたこちらは、宇高連絡船が車両航送を行っていた当時の宇野駅で、右端に旅客ホーム、左手がヤードです。
①が船着場跡で、バースの一部が残っており、
矢印はトモ綱を掛ける係船柱で、ボラードと言うんだとか。
そして左端の説明板をアップで撮りました。
係船柱の位置から見た船着場は、今は何も残っていません
以下5枚は7月27日に京都鉄道博物館で撮ったジオラマで
(上の画像を90度右回転した構図)
件の係船柱の位置は、左上端の連絡船(赤色)の後方かと。
左上端が貨客船、中央が貨車用、右端が旅客船ではないか?と思われます。
このサイズの船なら海が荒れても貨車は大丈夫そうですが、
ハシケで瀬戸内海縦断となると、ちょっと心配...(^^;
青森で見掛けたのと同様、線路が3つに分かれていました。
四国へ渡るフェリー乗り場②へ向かう途中見掛けた看板で、
青函連絡船は確か船尾から車両を出し入れする構造でしたが、この船は船首が開く様です。
こちらが現在の高松港行きフェリーで、もちろん貨車は載せられません
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