おもしろ駅探訪(過去記事その4) [鉄道(実物)]
過去に掲載しました「おもしろ駅探訪」シリーズの閲覧場所④で2015年11月~2017年8月までの記事を集めました。
なお、それ以前の記事は「過去記事その3・2・1」に有ります。
(2017年9月1日に最終掲載)
<粟生(あお) 2017年5月21日>
(画像は2016年12月26日に撮影)
ここは①JR加古川線②神戸電鉄粟生線③北条鉄道北条線と、ローカル駅に3線も集中しているのが珍しいです。
①JR加古川線{西脇市」行き103系3550番台2連
②神戸電鉄粟生線経由有馬線直通「新開地」行き準急
1100系3連(後撃ち)
③北条鉄道北条線「北条町」行きフラワ2000-1
3線の列車は全て、ワンマン運転でした。
今の駅舎は2009年(平成21年)に出来たもので、日中窓口を休止する時間帯が有る業務委託駅です。
構内は3面4線で、概略レベルの配線図はこんな感じに...
(地図から起こしましたが、正確性は御容赦下さい)
こちらは1番のりばから南方を見た所で左端線路が神戸電鉄、中央の2線が加古川線「加古川」方面になり、
ホームの先には「加古川」起点16.5キロを示す乙号距離標が有りました。
同じ場所から振り返ってパチリ(左から1番、2番、4番のりば)
ホーム中央まで進むと、左端に隠れていた3番のりばが見えて来ます(北条鉄道のフラワ2000-1が停車中)。
次はホーム北端で、左端の線路が北条鉄道、右側が加古川線「谷川」方面になり、構内踏切も有りました。
振り返って左から右へ2番、1番、3番のりば
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
加古川線「西脇市」行き103系3550番台2連が発進した所。
<2番のりば>
加古川線「加古川」行き103系3550番台2連が進入して来て
客扱い中の図(後撃ち)
<3番のりば>
北条鉄道が国鉄支線だったころは加古川線と線路が繋がっていたそうですが、現在は分断されてしまいました。
動画は、フラワ2000-1が「北条町」へ向け出発した所です。
<4番のりば>
神戸電鉄粟生線経由有馬線直通「新開地」行き準急1100系
3連の出発後撃ち(4番のりばは、列車左側の単式ホーム)と
その動画版
神戸電鉄は専用の建て屋が有り、
中に連絡改札口が設けられていました。
現在はこの改札を経由し、新設の4番のりばから乗降する方式ですが、以前は2番のりば側から乗り降り出来たんだとか。
最後は、当駅止まりの2000系3連が到着した所です。
<(京阪)淀屋橋 2017年2月13日>
(画像は2016年12月16日に撮影)
この駅は土佐堀通に沿った地下①に有り、直交する大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅②と地下道で繋がっているため、
当ブログが決めた「近くの終着駅」条件③「別線駅に構内または、地下道で繋がる所は対象外とする」に当てはまります
そんな理由から、「おもしろ駅探訪」シリーズの方に含める事に致しました(^^;
ここは京阪本線の大阪側のターミナルですが、敷地が道路下になるので櫛型ホームを作れず(下が構内配線図)、
1番・4番のりばは縦列停車できる構造になっています。
(左1番、右4番のりばで、画像はネットからお借りしました)
以前2012年5月29日に「(西武)池袋」駅を取り上げた際も
特急と一般列車の縦列停車の様子を載せましたが、
今回は昼時の訪問だったため実物を見られなかったのは残念です(現在、平日8時台の1本だけに減少したとか)。
左手の切り欠きホームが2番のりば、右端が1番のりばですが、朝夕のみ使われる様で、
日中は閉鎖されていました。
3番のりばには「出町柳」行き準急2200系7連
4番のりばの方は「出町柳」行き特急8000系の姿が...
(8000系は7連と8連が有り、この8002Fは7連)
ここは日中、速達列車のみが入線し、普通列車は中之島線の「中之島」駅から発着するダイヤになっています。
(↓は「中之島」停車中の「萱島」行き普通6000系8連)
次はホーム終端側の様子を...
まず3番のりば側の終端部と
「出町柳」行き準急2200系7連、
そして4番のりばの方は
「出町柳」行き特急3000系(2代)8連
3年程前に「出町柳」から乗車した時もそうでしたが、この駅でも乗降分離扱いが見られました。
到着した特急8000系は、まず降車位置で乗客を降ろした後
一旦ドアを閉めてクロスシートの背もたれを一斉自動反転、
数m前進して再開扉し、待っていた乗客が乗り込みます。
こちらが8006Fの最後部で、左窓には8連を示すマークが。
最後に、京阪特急伝統の鳩マークをアップで...
毎度の事ながら地下だと良い構図で列車が撮れず、「京橋」の隣駅「野江」に移動し、思う存分、走行画像を撮りました
<下り「淀屋橋」行き特急8000系8連>
<上り「出町柳」行き準急2600系7連(後撃ち)>
<下り「淀屋橋」行き特急3000系(2代)8連>
動画も沢山撮りましたので、一本にまとめてご覧頂きます。
<辰野 2016年11月13日>
(画像は2016年9月7日に撮影)
ここはJR東日本の中央本線辰野支線と、JR東海の飯田線が接続する境界駅になります。
現在はローカル列車が停まるだけの駅ですが、
塩嶺トンネルが出来るまでは、中央本線と飯田線の乗り換え駅として優等列車もやって来ました。
以下2枚はネットからお借りした画像で、「辰野」駅2番のりばに停車中の「塩尻」方面へ向かう急行列車です。
↑の行き先は不明(「長野」or「糸魚川」?)。 ↓は「長野」行き
中央本線の旧線(赤)はトンネル経由の新線(青)に比べ、相当遠回りで当時「大八廻り」と呼ばれていました。
伊那地方出身の代議士・伊藤 大八が地元に鉄道を通すため迂回させた、と言う通説がその名の由来だとか...
一方、ここは糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)が走っていて5000m級のトンネルを通す技術力が1906年(明治39年)の開業当時は無かった、と言う説も有力です。
仙山線・仙山トンネル(全長5,361m)は1937年(昭和12年)直流電化で開通していますから、30年の差は大きかった?
駅のすぐ傍まで、山塊の末端が迫っているのが分かりますね。
南側に位置する立派な駅舎を入ると、
2面4線のホームと側線が何本も有りました。
(例によって、構内配線図は概略レベル)
次は恒例となりました各のりば毎に発着列車を羅列しますが、その前に2番3番ホーム「岡谷」方先端から構内全景をパチリ
左から右へ1番~3番のりば、側線群となります。
(0番のりばは駅舎の陰になって見えません)
<0番のりば>
ここだけ頭端式で、現在は飯田線の最終列車(翌日の始発)が夜間滞泊するだけに使われるため日中の列車は無く
再度、ネットからお借りした画像を載せました(^^;
電車はクモニ13で、右端の貨物ホームは現存しません。
<1番のりば>
7時50分発の飯田線/中央本線/篠ノ井線直通「長野」行き快速「みすず」211系3連が進入する所です。
冒頭にも書きましたが境界駅のため、乗務員さんの交代風景を見掛けました(JR東の女性車掌さんと指導員さん?)。
こちらは乗務を終えたJR東海の車掌さんで、会社によって夏服にも違いがあるんですね。
次は、列車先頭位置で待機するJR東の運転士さんと
跨線橋下の最後部位置で待機する車掌さん
やがて8時26分発、飯田線/中央本線直通「上諏訪」行き普通313系3連が到着し、
交代したJR東海の運転士さんが、引き上げて行きました。
<2番のりば>
7時47分発、中央本線/飯田線直通「駒ヶ根」行き普通313系2連が入線し、
ここまで乗務して来たJR東の運転士さん(奥)から、JR東海の運転士さん(手前)に引き継いでいる所です。
次は8時25分発の中央本線/篠ノ井線/大糸線を直通する「南小谷」行き普通E125系2連が入線する所で、
JR東管内だけを走るため、乗務員交代は有りません。
<3番のりば>
7時50分当駅始発、E125系2連が
中央本線(旧線)を「塩尻」に向け出発した所をパチリ
<直江津 2016年9月25日>
(画像は2016年9月6日に撮影)
ここはJR信越本線、えちごトキめき鉄道(妙高はねうまライン、日本海ひすいライン)が接続し、さらには「犀潟」から北越急行
ほくほく線の列車も乗り入れる上越地方の要衝駅です。
1884年(明治18年)、新潟県初の官設鉄道が開業した際に
設置された歴史有る駅で、新潟県鉄道発祥の地を示す銘板
(ゼロキロポスト)が有りました。
当初「直江津」~「 軽井沢」間の信越本線は東京と大阪を結ぶ「中山道幹線」の資材輸送のために建設されたのだそうです。
これは「直江津」から信越本線で5駅新潟寄りの「上下浜」駅の甲号距離票で、「直江津」起点14キロとなっていました。
信越本線と北陸本線の接続駅に相応しい立派な駅舎ですが、
現在は「えちごトキめき鉄道」に管理が移り、同社本社が入っています。
中は2階部分の自由通路に沿って改札口が有り、地上ホーム(3面6線)と南側に留置線&車両基地、と言う構造でした。
(構内配線図は概略レベル)
次は恒例の1番のりばから順に発着列車を羅列します。
<1番のりば>
ここだけ頭端式ホームになり、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの列車が停まる様ですが、撮り忘れました m(__)m
<2番のりば (3番のりば側から撮影)>
当駅始発、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン「市振」行きET122系気動車(単行)
全線電化区間なのですが途中で交直切り替えが有るために、高価な交直両用電車ではなく気動車を使っているそうです。
糸魚川より西が交流60Hz/東が50Hz地域のため、関西方面からの交直両用電車が50Hz対応しなくても済む様、「糸魚川」~「直江津」間は直流電化されたとか...
今もJR東の485系が「新潟」~「糸魚川」間の快速に使われていますが、60Hzにも対応しているとは知りませんでした(^^;
上は昔「新潟」駅で撮った、信越本線経由北陸本線「金沢」行き特急「北越8号」485系6連です。
<3番のりば (2番のりば側から撮影)>
信越本線「長岡」始発、当駅止まりの115系3連
<4番のりば (5番のりば側から撮影)>
当駅始発、えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン「妙高高原」行きET127系2連
<5番のりば (4番のりば側から撮影)>
当駅始発、北越急行ほくほく線「六日町」行きHK100形2連
<6番のりば>
当駅始発、北越急行ほくほく線→上越線直通「越後湯沢」行き超快速「スノーラビッド」HK100形(単行)
「超快速」は自社線内を表定速度99キロ/時で走破し、乗車券だけで乗れる列車としては日本最速だとか...
6番のりば南側には留置線群が広がり、妙高はねうまラインの車両(右手)が停まっていました(上方は自由通路)。
奥の方には115系(新潟色)の姿も見えます。
新潟方面から工臨(釜はEF81143)が接近して来ましたので
カメラを構えましたら、
なんとロングレールを運ぶチキ(ロンチキ)でした。
幸い運転停止してくれたので編成全体を撮る事が出来、大満足です
何しろ、見るのは初めてだったものですから...
<木津 2016年9月5日>
(画像は2016年7月29日に撮影)
ここは京都府最南端に位置し①関西本線を所属線としますが、②奈良線③片町線(学研都市線)の起点でもある要衝駅です。
そのため、駅北端の片町線々路脇には0キロポストが...
地上ホームと橋上駅舎を持つ構造(画像は東口)で
中は2面4線と、側線が何本か有る構造になっていました。
(下は概略レベルの構内配線図)
線路脇の数字は番線で、ホーム内の番号は「のりば」です。
調べますと、ここに集まる3線は全て元は私鉄で
1896年(明治29年)、奈良鉄道(現在の奈良線)終着駅として開業し
1898年(明治31年)、関西鉄道(現在の片町線)が乗り入れ
1907年(明治40年)、関西鉄道新ルート(現在の関西本線)が完成後、同年内に国有化されました。
また地図を見ますと片町線/関西本線は生駒山地を迂回していますが近鉄奈良線はトンネルを掘り、最短ルートで阪奈間を結んでいます。
トンネル開削には多大のコストが掛かりますから、明治時代の鉄道会社の考え方の違いが出て興味深いものが...
次は恒例の1番線から順に発着列車を羅列しますが、その前にホーム南端から見た「奈良」方と、
振り返って構内全景(左端1番~右端4番)をパチリ。
<1番のりば>
当駅始発の片町線・東西線経由福知山線直通「宝塚」行き快速207系7連と、
当駅止まりの快速321系7連が到着する所
<2番のりば>
関西本線「加茂」行き普通221系8連と、
奈良線「京都」行き区間快速221系4連の出発後撃ち
(直線の線路が奈良線で、右に曲がっていくのが関西本線)
<3番のりば>
奈良線「奈良」行き普通103系4連がホームに進入する所と、
後撃ち(左側の列車で、この2枚は2番線から撮影)
<4番のりば>
関西本線「大阪」行き区間快速221系8連がホームに進入する所(線路が右カーブしているので後ろ半分が見えません)と、
後撃ち
<伊勢中川 2016年8月20日>
(画像は2016年7月28日に撮影)
ここは①大阪線②名古屋線③山田線が接続する近鉄の要衝駅です。
(④は名阪ノンストップ特急が通過する単線の中川短絡線)
大阪線の終点なので、構内には「上本町」起点109キロを示す距離標が有りました。
地上にホーム、地下に連絡通路と改札口(駅舎は西口側)、
構内は5面6線で概略レベルの配線図はこんな感じです。
2番~4番線はホームに挟まれていて両扉扱いを行い
(手前2番線「近鉄名古屋」行き、奥は1番線「賢島」行き普通)
見ていると、3番線(左端)に到着した特急から降りたお客さんが2番線(中央)列車の中を通り抜け、1番線(右端)の普通列車に乗り換えていました
かつて名古屋線が狭軌だった頃、大阪線・山田線と乗り継ぎをスムーズにするため、この様な形になったそうです。
次は恒例の1番線から順に発着列車を羅列しますが、その前にホーム南端から見た「宇治山田」方と、
振り返って構内全景(左端6番~右端1番)をパチリ。
(列車は3番線の「宇治山田」行き急行5200系他6連)
<1番のりば(右側)>
当駅始発の「賢島」行き普通1201系2連。
(山田線 → 鳥羽線 → 志摩線)
<2番のりば(両側)>
当駅始発の名古屋線「近鉄名古屋」行き普通1201系2連。
ホームに配送用の新聞が置かれていましたが、
次に入線した「賢島」行き普通1440系2連の
最後部に積み込まれました。
<3番のりば(両側)>
「近鉄名古屋」始発「松坂」行き急行2610系他6連。
(名古屋線 → 山田線)
「大阪難波」始発「賢島」行き特急ビスタEX30000系4連。
(大阪線 → 山田線 → 鳥羽線 → 志摩線)
<4番のりば(両側)>
「賢島」始発「大阪難波」行き伊勢志摩ライナー23000系6連。
(志摩線 → 鳥羽線 → 山田線 → 大阪線)
見ていると、運転士さん側の客室扉を開けた後、反対側(左)の扉を開けるのが決まりの様です(締める時も同じ順番)。
「鳥羽」始発「近鉄名古屋」行き特急12200系4連。
(鳥羽線 → 山田線 → 名古屋線)
<5番のりば(左側)>
当駅始発の名古屋線「近鉄四日市」行き普通2800系3連。
<6番のりば>
当駅始発の大阪線「東青山」行き普通1253系2連。
最後は中川短絡線の話題で、まずはホーム北端から見た所。
①大阪線、②名古屋線、④中川短絡線のコンクリート橋梁
こちらは「伊勢中川」へ向かう名古屋線列車から撮ったもので、上り線から短絡線が分岐した所(矢印が中村川を跨ぐ橋梁)。
短絡線(右端)は分岐した後急角度で右に曲がり、
橋梁に向かって行きました。
最後は短絡線を行く「大阪難波」行きアーバンライナー6連で
列車は右から左へ進行し、手前の架線柱は名古屋線です。
<新鎌ヶ谷 2016年7月17日>
元々は駅が無かった場所に、今では東武野田線/新京成線/北総線/京成成田空港線と、4線の接続駅が出来ています。
(画像は2016年6月29日と7月14日に撮影)
駅は逆L字形をしていて
①切り通しの中に東武野田線(2面2線)
②地上に新京成線(1面2線)
③高架上に北総線と京成成田空港線(2面4線)
と3層構造ですが、駅舎と改札口は全て地上に有りました。
一番後に出来た①東武の駅舎は
②新京成線/③北総線改札口と離れているものの、高架下が連絡通路になっていて濡れずに行けます。
右手が改札口、突き当たりは建設中の新京成線高架で、
工事が終われば、駅の南北が通り抜け出来る様になるかも。
調べますとこの駅は幾多の変遷を経て、現在の形になったのは2010年(平成22年)と最近の事でした。
以下にその歴史を載せますが、図や記事の正確性についてはご容赦ください m(__)m
<1. 新京成線が開業した頃>
1955年(昭和30年)の新京成線開業時には駅が無く
この付近の線形の悪さは、てっきり接続駅を造る苦肉の策かと思っていましたが違う様です(何故か初めからこの急カーブ)。
<2. 北総開発鉄道が開業した頃>
1979年(昭和54年)、「北初富」~「小室」間に北総開発鉄道北総線が開業し、この地に新鎌ヶ谷信号所が造られました。
当時の北総線は暫定的に「北初富」から新京成線へ乗り入れ、「松戸」まで来ていたそうです。
<3. 東武野田線の信号所が出来た頃>
10年後の1989年(平成元年)、東武野田線にも信号所が出来ましたが駅昇格を前提にしないものだったとか...
<4. 漸く新駅が開業>
1991年(平成3年)、北総・公団線が「高砂」まで開通したのに伴い「新鎌ヶ谷」駅が開業、翌年新京成も駅を新設しました。
この時点で東武野田線の方は、信号所のままです。
<5. 東武野田線の駅が開業>
1999年(平成11年)、ついに東武野田線の駅が開業、3線の接続駅となりました。
因みに新京成と東武の駅開設については、地元の鎌ヶ谷市が費用を負担したそうです。
<6. 京成成田空港線が開業>
2010年(平成22年)、京成成田空港線が開業し、その時から現在の形(冒頭の路線図)になりました。
次は、「新鎌ヶ谷」~「初富」間の急カーブのお話を少々...
(「新鎌ヶ谷」ホーム東端から「初富」方を見た所)
やって来た「京成津田沼」行きの8800形(第一編成)は、
駅を出ると急角度で右へ曲がり、「初富」に向かいます。
左手高架は、「北初富」~「初富」間の新京成線連続立体化で、現在の線路に忠実に沿って建設中なんですね~これが
折角高架線にするなら点線の様にショートカットすれば線形は大幅に改善する反面、
「新鎌ヶ谷」駅で接続出来なくなるので、無理なんでしょうね~
おまけに、「新鎌ヶ谷」から「初富」までの先頭車窓動画を...
最後は恒例の各線を発着する列車の羅列ですが、記事の量が大きくなって来てますので画像枚数を絞りました。
<東武野田線>
2番のりばを出発した「船橋」行き8000系6連(後撃ち)
<新京成電鉄新京成線>
2番のりばに進入する「松戸」行きN800形6連
<北総鉄道北総線>
1番のりばに停車中の「印旛日本医大」まで乗り入れている、「羽田空港」行き都営浅草線5300形8連
<京成成田空港線>
京成は北総鉄道(第1種鉄道事業者)から線路を借りて列車を走らせている第2種鉄道事業者で、動画は「成田空港」行きの
スカイライナーAE形8連(3番のりばを通過)
スカイライナーは当駅通過ですが、成田空港と羽田空港を結ぶアクセス特急が停まります。
(2番のりばに停車中の「羽田空港」行き京急600形8連)
<姨捨(おばすて) 2016年6月17日>
ここはJR篠ノ井線に今も残る山岳スイッチバック駅で
(画像は2016年4月10日に撮影)
構内配線はこんな感じ(例によって概略レベル)になり
1番のりばに「長野」方面、2番のりばには「松本」方面の列車が停まります。
列車交換が有る場合同時進入可能ですが、出発は交差支障が起きて、「長野」方面の列車が後進して引き上げ線に入った後、「松本」方面の列車が出発していました。
こちらは同時進入の例で、右手1番のりばに「長野」行き211系3連が到着し、左手後方に引き上げ線から出て来た「松本」行き快速E127系2連(矢印)が左手2番のりばへ接近中。
図で示すとこんな感じです(橙:「長野」行き、青:「松本」行き)。
「松本」行きが到着すると1番のりばから「長野」行きが先発、
後進して引き上げ線に転線(中央奥から手前に続くのが本線)
一旦停止後前進して本線に入り、
管理人の目の前を通過して
「長野」へ向け、坂を下って行きました(駅は左上前方)。
次は時間差の有る列車交換のケースです。
初めに「長野」始発「下諏訪」行き快速いろどり「諏訪御柱祭号」485系6連が本線を登って来て2番のりばに入る動画で、
お見苦しい点も有りますが御容赦下さい m(__)m
その後、山の上から「長野」行き211系6連が下りて来て
1番線に入り、客扱い後スイッチバックするため後進で出発。
その際、運転士さんが最後部の窓から顔を出して後方確認する様子が見られました(6連ともなると大変そうですね)。
「諏訪御柱祭号」の方は運転停車で客扱いせず、「長野」行きが先発した後、発車して行きました。
その他、6時55分に「長野」を出た「松本」行き快速E257系
7時45分始発の、「名古屋」行き特急「ワイドビューしなの4号」383系など
「姨捨」に停まらない列車は、そのまま本線を行きます。
大正時代の駅舎は趣の有る佇まいですがド逆光なので、
構内側からもう1枚パチリ。
2面のホームは終端側で繋がっておらず、
先の方まで線路が延びていました。
2番のりば先端(「松本」寄り)から駅舎方向を見た所で、
右手下方の本線とはこれだけ高低差が有ります。
このホームの中央の展望台から見下ろした善光寺平(右手)は、春霞の中に...
<南小谷(みなみおたり) 2016年6月9日>
JR大糸線「南小谷」(読み方は「みなみおたり」)は
(画像は2016年4月9日、10日に撮影)
現時点ではJR東日本と西日本が接する唯一の在来線境界駅(JR東は電化、JR西は非電化路線)になり、
ここから「松本」「糸魚川」方面へ列車が発着していますが、現在当駅をまたいで運転される列車は有りません。
1番線(左端)-「新宿」行き特急「あずさ26号」E257系9連、
2番線(中央)-「糸魚川」行きキハ120形単行(JR西の車輌)、
3番線(右端)-「松本」行きE127系2連です。
構内はJR東が管轄し、みどりの窓口も有りました。
すぐ横を流れる姫川は雪解け水を集め
信越国境を越えて日本海へ注ぎます。
構内は2面3線の他に保線車輌用の引込線が1本有り、概略の配線図はこんな感じでした。
こちらは2番/3番のりばの南端から「松本」方面を見た所と、
振り返って構内全景(左端から1番~3番線)です。
次はホーム北端に移動し、「糸魚川」方面をパチリ。
振り返って構内全景を眺めますと、ホームが緩くカーブしている様子が分かりました。
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
「長野」始発で当駅止まりの、臨時快速「リゾートビューふるさと」HB-E300系ハイブリッド気動車2連。
先発の「あずさ」にホームを譲るため、一旦出発して行きました。(留置線が無いので、どこかの途中駅で時刻まで待機)
同じ長野総合車両センターには485系6連の「彩(いろどり)」も居ますが、需要からすると2連がベストマッチなのでしょうか?
(「姨捨」にて撮影の快速いろどり「諏訪御柱祭号」)
次は、冒頭の画像に出ています「新宿」行き特急「あずさ26号」E257系9連が入線して来ました。
<2番のりば>
「糸魚川」行きキハ120形単行。
<3番のりば>
「松本」行きE127系2連です。
<亀山 2016年5月5日>
ここはJR東海とJR西日本の境界に当たり
(画像は2016年1月3日と3月14日に撮影)
①「名古屋」方面の関西本線(JR東海 : 電化路線)、
②「新宮」方面の紀勢本線 (JR東海 : 非電化路線)、
③「加茂」方面の関西本線 (JR西日本: 非電化路線)と
当駅を起終点にして3方面への列車が発着していますが、現在ここをまたいで運転される列車は有りません。
①関西本線「名古屋」行き快速313系4連(後撃ち)
②紀勢本線「新宮」行きキハ25形2連(出発後撃ち)
③関西本線「加茂」行きキハ120形単行(左)が出発した所
駅舎は1913年(大正2年)からのもので、
JR東海在来線の境界駅9つ中8つは、JR東日本/西日本に所属していますが、
国府津(御殿場線) JR東日本
熱海(東海道本線) ↑
甲府(身延線) ↑
塩尻(中央本線) ↑
辰野(飯田線) ↑
猪谷(高山本線) JR西日本
米原(東海道本線) ↑
新宮(紀勢本線) ↑
ここだけはJR東海が管理しているそうです。
構内は3面5線の他に中線が1本有り、概略レベルの配線図はこんな感じで、本線は3方面とも単線に収斂していました。
(地図から起こしましたが、正確性は御容赦下さい)
こちらは2番/3番のりばから東方を見た所で、左側の線路が関西本線「名古屋」方面、右端が紀勢本線「新宮」方面です。
同じ場所から振り返って左端5番~右端1番のりばをパチリ。
立っている2番/3番のりばホームが一番幅が広く、足元には「名古屋」起点59.8キロを示す丙号距離標が有りました。
次にホーム西端へ移動し、「加茂」方面を撮影。
かつて機関区や客貨車区が置かれた名残で側線が多数有り、
地図の矢印の場所にはターンテーブル(↓中央の赤い構造物)も残っています。
昔「名古屋」と紀州方面を結ぶ列車はここで方向転換しており、SLの向きを変えるのに使われたのかも?と想像しました。
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
関西本線「名古屋」行き快速313系4連(2番線側から撮影)。
<1番のりばと2番のりばの間の留置線>
関西本線「名古屋」行きと思われる211系4連(同上)。
<2番のりば>
関西本線「名古屋」行き快速313系3連(1番線側から撮影)。
ここには紀勢本線からの到着列車も入線しますが、出発は5番のりばから(「伊勢市」始発キハ25形2連の後撃ち)で
お客を降ろした後、前方の車庫に入りました。
<3番のりば>
関西本線「加茂」行きキハ120形2連で、「名古屋」方面からの乗客が同じホームで乗り継げるのは便利です。
(4番線側から撮影)
<4番のりば>
関西本線「加茂」始発のキハ120形単行が到着し、
(3番線側から撮影)
お客を降ろした後、車庫へ戻って行きました。
<5番のりば>
紀勢本線「新宮」行きキハ25形2連で、
紀勢本線の0キロポストを入れてパチリ。
次は、出庫して来た次発の「多気(たき)」行きキハ25形4連が
入線する所(3番線側から後撃ち)と、
上の画像中央にも写っている「名古屋」起点60キロポスト。
そして上記列車の出発後撃ちです。
<犬山 2016年4月5日>
ここは犬山線/小牧線/広見線が接続し、さらには各務原線の列車も乗り入れて来る名鉄の一大拠点駅です。
(画像は2015年12月12日に撮影)
地上にホーム、2階に連絡通路と改札口(画像は西口側)と言う造りでした。
構内は3面6線の他留置線が1本有り、概略レベルの配線図はこんな感じです。
犬山線(新鵜沼方面)方は複線に収斂し単純ですが、
反対の南側は左端から順に
左にカーブして行く広見線の複線、
直進する小牧線の単線(黄矢印)、
右にカーブする犬山線の複線、
そして右端に小牧線列車の留置線と
複雑な構造でした。
次は恒例の1番線から順に発着列車を羅列しますが、その前に「新鵜沼」方からの全景(左端6番~右端1番)をパチリ。
<1番のりば>
「豊橋」発「新鵜沼」行き快速特急1000系6連(後撃ち)。
そして隣の留置線には200系6連が休憩中。
名鉄の20m級4扉車を見るのは、これが初めてです。
<2番のりば>
「新鵜沼」発「中部国際空港」行き特急2000系ミュースカイ4連
<3番のりば>
当駅始発の、小牧線経由・地下鉄上田線「平安通」行き300系4連で、こちらも地下鉄仕様に合わせた20m級4扉車。
<4番のりば>
車庫から出て来たと思われる5700系4連が入線し、
停車した後方向幕が「犬山」から「岐阜」に変わり、各務ヶ原線直通の普通列車になって出発して行きました(後撃ち画像)。
<5番のりば>
「岐阜」発・各務ヶ原線経由当駅止まりの急行3150系2連で、
この後方向幕が「回送」になって出発、入庫したと思われます。
同じく車庫へ向かう(方向幕が「回送」)2200系6連。
<6番のりば>
「中部国際空港」始発「新可児」行き準急3500系4連は
当駅で「普通」に種別変更して、出発して行きました(後撃ち)。
6番線の前方には5000系4連が休憩中で
ここは、犬山線・広見線系統の列車が留め置かれる様です。
構内を撮り終えてから東口を出て、徒歩10分ほどの所に有る犬山検査場に行ってみました。
こちらがその正門です。
陸橋の上から「新可児」方を1枚パチリ
どこの車輌基地も架線・ビーム・柱が多く撮影に苦労しますが、最新のEL120形重連を撮れたのは収穫でした
次は陸橋上から「犬山」方を見た所で、手前に広見線の複線、後ろは小牧線用の300系4連、
そして最後は駅に戻る途中で撮った1800系4連です。
<金山 2016年2月13日>
県内では「名古屋」駅に次ぐ大ターミナルで、JR東海道本線/中央本線、名鉄線、地下鉄2線が接続しており
(画像は2015年12月12日に撮影)
東海道本線と中央本線に名鉄が挟まれているのが珍しいです(JR2線に私鉄が挟まれる場所は、他に思い付きません)。
中央本線ホームの「名古屋」方から見た右隣の名鉄線ホーム、右端の東海道本線ホーム(313系が停まっている所)で
構内配線の方は概ねこんな感じ(橋上駅舎は省略)でした。
こちらは駅外から撮ったもので、名鉄4番線に「中部国際空港」行き特急ミュースカイ2000系4連が進入する所(後撃ち)
反対に「名古屋」方(左)を見て「名鉄岐阜」行き特急1000系と中央本線「瑞浪」行き快速211系がすれ違う所です。
中央本線と東海道本線が離れているので乗換はどうなの?と思いましたが、橋上駅舎はうまく出来ていました。
専用の連絡通路(オレンジ)が通っていて途中に名鉄との連絡改札口②も有り便利ですが、惜しむらくは東海道本線を降りて南口方面へ行こうとすると遠回り(改札口①経由)に...
こちらは北口から南口方向を見た所で、手前右がJR改札口①中央の凹んだ所に名鉄線西改札口③、通路を挟み向かい側が中央改札口④になります。
中央本線はここを出るとすぐ90度左カーブし、そのため東海道本線の隣に配置するのは無理だったのかもしれません。
「名古屋」駅での並びは名鉄→東海道本線→中央本線ですが次駅「尾頭橋」手前の立体交差で入れ替わっていました。
「金山」構内は大きな橋上駅舎が覆っているため暗く、ホームも少しカーブしていて列車撮影には苦労します。
(JR2番線「名古屋」行きの後撃ちで、左隣が名鉄4番線)
駅外は駅外で架線柱やビームなどの障害物が多く、思う程旨く撮れませんでした
(「豊橋」行き新快速313系6連の後撃ち)
以下に恒例の各線を発着する列車を羅列しますが、そんな訳で画質の点はご容赦ください m(__)m
<JR1番線 : 中央本線「中津川」方面のりば>
「多治見」行き普通211系4連と
その出発後撃ち
<JR2番線 : 中央本線「名古屋」方面のりば>
「名古屋」行き普通211系4連
<名鉄4番線 : 「豊橋」「常滑」方面のりば>
「豊川稲荷」に向け出発した、急行3100系2連+3500系4連
<名鉄3番線 : 「豊橋」「常滑」方面のりば>
「中部国際空港」行き特急2200系6連(右側)
<名鉄3番線の先の引き上げ線>
休憩中の3150系2連(右手方向が駅)
<名鉄2番線 : 「名鉄岐阜」「犬山」方面のりば>
「新可児」行き準急6500系4連が到着する所
<名鉄2番線の先の引き上げ線>
6800系2連が休憩中(左手方向が駅)
<名鉄1番線 : 「名鉄岐阜」「犬山」方面のりば>
「名鉄岐阜」行き特急1000系6連の後撃ち(右側)
<JR3番線 : 東海道本線「豊橋」方面のりば>
「豊橋」行き快速313系が出発した所
<JR4番線 : 東海道本線「岐阜」方面のりば>
最後は入線する「岐阜」行き普通313系です。
<橿原神宮前 2015年11月21日>
ここは橿原線/南大阪線/吉野線が集まるジャンクションで、
(画像は駅中央口 : 2015年9月5日撮影)
ホームはV字形をしていました。
本シリーズ前回UPの「大和八木」でも少し触れましたが、ここを経由して南大阪線の車両が大阪線の検修車庫へ送られます。
古市車庫→(南大阪線)→橿原神宮前→(橿原線)
→大和八木→(大阪線)→五位堂検修車庫
南大阪線は狭軌のため(画像は特急16000系2連の後撃ち)
車両はここで標準軌の仮台車に履き替えた上、モト97+98が前後に付いて「五位堂」まで移送
その際外した狭軌台車はモトの荷台に積んで行き、車体と共に全般検査・重要部検査を受けるのだとか...
こちらの台車振替場の画像を拡大して確認した所、4線軌条になっていました(車両の居る51番線)。
3線ではなく4線な訳は、車体をジャッキアップしてから、台車をトラバーサで移動・交換するため、車体が固定され横移動出来ないからでしょうか?
あくまでも想像の域ですが
次は恒例の、各線を発着する列車の羅列です。
第1回近畿の駅百選に選ばれた立派な駅舎を入ると、
左に橿原線、右に南大阪線・吉野線のホームが有りました。
例によって図は概略レベルですので、悪しからず m(__)m
これは「大和西大寺」方から2面4線の橿原線ホームを見た所で左から8番・1番・2番・3番のりばになります。
<1番のりば>
当駅始発の橿原線経由京都線直通「京都」行き特急22000系4連が停車していました。
同じホーム反対側の8番のりばは狭軌で、皇族方専用列車や団体貸し切り列車が停まるそうです。
<2番のりば>
折り返し「京都」行き急行が入線して来た所で、
列車は8000系4連+9020系2連の6両編成でした。
こちらは最後部側で、1番・8番のりばへ行くための構内踏切が見えます。
<3番のりば>
「大和西大寺」行き普通8600系4連で、
ここだけ行き止まりでした。
次はホーム先端から「大和西大寺」方を見た所で、前方踏切の先にモト97+98の姿が...
こちらは反対に構内踏切から見た「吉野」方で、右手の線路は標準軌なのに対し、車止めの所の線路は狭軌の様です。
次は南大阪線/吉野線の方ですが、4番~7番ホーム全景を撮り忘れました(^^;
<4番のりば>
「古市」始発、当駅止まり普通の6432系2連(後撃ち)。
<5番のりば>
「大阪阿部野橋」始発、吉野線直通「吉野」行き特急16000系2連です。
<6番のりば>
当駅始発、「大阪阿部野橋」行き準急6020系ラビットカー復刻塗装車4連。
<7番のりば>
4番線で撮った6432系2連が転線して来て、折り返し当駅始発「古市」行き普通になりました。
最後に、駅名の由来となった橿原神宮のスナップを少々...
ここは明治時代に建てられた官幣大社で、
神武天皇を祀っているそうです。
<大和八木 2015年11月13日>
ここは近鉄大阪線(高架)と橿原線(地上)の接続駅で、
(画像は駅北口 : 2015年9月5日撮影)
大阪線と橿原線を結ぶ連絡線が2箇所も有ります。
こちらは南口広場から見た所で、右手の高架が大阪線、左奥
ビル裏手に橿原線の地上ホーム、と言う構造でした。
内部は4面6線有り、図は例によって概略レベルです。
今回は先に各のりばに発着する列車を羅列しますが、その前に高架ホームの全景(左端1番~右端4番)をパチリ。
<1番のりば>
大阪線・山田線経由鳥羽線直通「五十鈴川」行き急行5800系デュアルシート車6連で、この時はクロスシートでした。
長距離を走るため、2両目のサ5713にはトイレが有ります。
<2番のりば>
「大阪難波」始発「近鉄名古屋」行き特急アーバンライナー21000系6連と
その出発後撃ち
<3番のりば>
「鳥羽」始発「大阪上本町」行き特急22000系2連と
後ろに付く12200系4連(出発後撃ち)
<4番のりば>
「青山町」始発「大阪上本町」行き急行2410系6連
橿原線に移る前に、ホーム両端から前方を撮りました。
まず「大阪上本町」方
そして反対側の「賢島」「近鉄名古屋」方
次は橿原線の地上ホームで左が6番、右が5番のりばです。
(「橿原神宮前」方から撮影)
<5番のりば>
京都線経由橿原線直通「橿原神宮前」行き8600系4連と
出発後撃ち
<6番のりば>
「橿原神宮前」始発「大和西大寺」行き1026系4連と
その出発後撃ち。
最後に、この駅西方の2つの連絡線について調べた所を纏め
ました。
1925年(大正14年)、大軌八木線(大阪線の前身)が畝傍線(現在の橿原線)「八木」駅へ乗り入れ
1929年(昭和4年)、八木線が「桜井」まで延伸した事に伴い、新しい「大軌八木」駅が出来、旧来の駅は「八木西口」に改名。このとき、旧線が連絡線①になっています。
昨今この連絡線①は南大阪線車両の全般検査時、
大阪線の検修車庫へ送り込むのに使われるのだとか...
古市車庫→(南大阪線)→橿原神宮前→(橿原線)
→大和八木→(大阪線)→五位堂検修車庫
1967年(昭和42年)、新ノ口(にのくち)連絡線②が完成して、現在の形になりました(②は主に、京伊特急が使用)。
こちらは以前「賢島」で撮った「京都」行き特急30000系ビスタEX4連で、
列車は「大和八木」駅を出ると②を経由して橿原線の上り線に入り、京都へ向かいます。
駅から20分ほど歩いて漸く道路からこの連絡線を撮れる所が見付かり、1枚撮りました。
(左手は保線基地で、前方が「大和八木」方面)
そしてこちらは「新ノ口」駅ホーム南端から連絡線が分かれる所(左が橿原線で、右に分岐するのが連絡線)です。
なお、それ以前の記事は「過去記事その3・2・1」に有ります。
(2017年9月1日に最終掲載)
<粟生(あお) 2017年5月21日>
(画像は2016年12月26日に撮影)
ここは①JR加古川線②神戸電鉄粟生線③北条鉄道北条線と、ローカル駅に3線も集中しているのが珍しいです。
①JR加古川線{西脇市」行き103系3550番台2連
②神戸電鉄粟生線経由有馬線直通「新開地」行き準急
1100系3連(後撃ち)
③北条鉄道北条線「北条町」行きフラワ2000-1
3線の列車は全て、ワンマン運転でした。
今の駅舎は2009年(平成21年)に出来たもので、日中窓口を休止する時間帯が有る業務委託駅です。
構内は3面4線で、概略レベルの配線図はこんな感じに...
(地図から起こしましたが、正確性は御容赦下さい)
こちらは1番のりばから南方を見た所で左端線路が神戸電鉄、中央の2線が加古川線「加古川」方面になり、
ホームの先には「加古川」起点16.5キロを示す乙号距離標が有りました。
同じ場所から振り返ってパチリ(左から1番、2番、4番のりば)
ホーム中央まで進むと、左端に隠れていた3番のりばが見えて来ます(北条鉄道のフラワ2000-1が停車中)。
次はホーム北端で、左端の線路が北条鉄道、右側が加古川線「谷川」方面になり、構内踏切も有りました。
振り返って左から右へ2番、1番、3番のりば
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
加古川線「西脇市」行き103系3550番台2連が発進した所。
<2番のりば>
加古川線「加古川」行き103系3550番台2連が進入して来て
客扱い中の図(後撃ち)
<3番のりば>
北条鉄道が国鉄支線だったころは加古川線と線路が繋がっていたそうですが、現在は分断されてしまいました。
動画は、フラワ2000-1が「北条町」へ向け出発した所です。
<4番のりば>
神戸電鉄粟生線経由有馬線直通「新開地」行き準急1100系
3連の出発後撃ち(4番のりばは、列車左側の単式ホーム)と
その動画版
神戸電鉄は専用の建て屋が有り、
中に連絡改札口が設けられていました。
現在はこの改札を経由し、新設の4番のりばから乗降する方式ですが、以前は2番のりば側から乗り降り出来たんだとか。
最後は、当駅止まりの2000系3連が到着した所です。
<(京阪)淀屋橋 2017年2月13日>
(画像は2016年12月16日に撮影)
この駅は土佐堀通に沿った地下①に有り、直交する大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅②と地下道で繋がっているため、
当ブログが決めた「近くの終着駅」条件③「別線駅に構内または、地下道で繋がる所は対象外とする」に当てはまります
そんな理由から、「おもしろ駅探訪」シリーズの方に含める事に致しました(^^;
ここは京阪本線の大阪側のターミナルですが、敷地が道路下になるので櫛型ホームを作れず(下が構内配線図)、
1番・4番のりばは縦列停車できる構造になっています。
(左1番、右4番のりばで、画像はネットからお借りしました)
以前2012年5月29日に「(西武)池袋」駅を取り上げた際も
特急と一般列車の縦列停車の様子を載せましたが、
今回は昼時の訪問だったため実物を見られなかったのは残念です(現在、平日8時台の1本だけに減少したとか)。
左手の切り欠きホームが2番のりば、右端が1番のりばですが、朝夕のみ使われる様で、
日中は閉鎖されていました。
3番のりばには「出町柳」行き準急2200系7連
4番のりばの方は「出町柳」行き特急8000系の姿が...
(8000系は7連と8連が有り、この8002Fは7連)
ここは日中、速達列車のみが入線し、普通列車は中之島線の「中之島」駅から発着するダイヤになっています。
(↓は「中之島」停車中の「萱島」行き普通6000系8連)
次はホーム終端側の様子を...
まず3番のりば側の終端部と
「出町柳」行き準急2200系7連、
そして4番のりばの方は
「出町柳」行き特急3000系(2代)8連
3年程前に「出町柳」から乗車した時もそうでしたが、この駅でも乗降分離扱いが見られました。
到着した特急8000系は、まず降車位置で乗客を降ろした後
一旦ドアを閉めてクロスシートの背もたれを一斉自動反転、
数m前進して再開扉し、待っていた乗客が乗り込みます。
こちらが8006Fの最後部で、左窓には8連を示すマークが。
最後に、京阪特急伝統の鳩マークをアップで...
毎度の事ながら地下だと良い構図で列車が撮れず、「京橋」の隣駅「野江」に移動し、思う存分、走行画像を撮りました
<下り「淀屋橋」行き特急8000系8連>
<上り「出町柳」行き準急2600系7連(後撃ち)>
<下り「淀屋橋」行き特急3000系(2代)8連>
動画も沢山撮りましたので、一本にまとめてご覧頂きます。
<辰野 2016年11月13日>
(画像は2016年9月7日に撮影)
ここはJR東日本の中央本線辰野支線と、JR東海の飯田線が接続する境界駅になります。
現在はローカル列車が停まるだけの駅ですが、
塩嶺トンネルが出来るまでは、中央本線と飯田線の乗り換え駅として優等列車もやって来ました。
以下2枚はネットからお借りした画像で、「辰野」駅2番のりばに停車中の「塩尻」方面へ向かう急行列車です。
↑の行き先は不明(「長野」or「糸魚川」?)。 ↓は「長野」行き
中央本線の旧線(赤)はトンネル経由の新線(青)に比べ、相当遠回りで当時「大八廻り」と呼ばれていました。
伊那地方出身の代議士・伊藤 大八が地元に鉄道を通すため迂回させた、と言う通説がその名の由来だとか...
一方、ここは糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)が走っていて5000m級のトンネルを通す技術力が1906年(明治39年)の開業当時は無かった、と言う説も有力です。
仙山線・仙山トンネル(全長5,361m)は1937年(昭和12年)直流電化で開通していますから、30年の差は大きかった?
駅のすぐ傍まで、山塊の末端が迫っているのが分かりますね。
南側に位置する立派な駅舎を入ると、
2面4線のホームと側線が何本も有りました。
(例によって、構内配線図は概略レベル)
次は恒例となりました各のりば毎に発着列車を羅列しますが、その前に2番3番ホーム「岡谷」方先端から構内全景をパチリ
左から右へ1番~3番のりば、側線群となります。
(0番のりばは駅舎の陰になって見えません)
<0番のりば>
ここだけ頭端式で、現在は飯田線の最終列車(翌日の始発)が夜間滞泊するだけに使われるため日中の列車は無く
再度、ネットからお借りした画像を載せました(^^;
電車はクモニ13で、右端の貨物ホームは現存しません。
<1番のりば>
7時50分発の飯田線/中央本線/篠ノ井線直通「長野」行き快速「みすず」211系3連が進入する所です。
冒頭にも書きましたが境界駅のため、乗務員さんの交代風景を見掛けました(JR東の女性車掌さんと指導員さん?)。
こちらは乗務を終えたJR東海の車掌さんで、会社によって夏服にも違いがあるんですね。
次は、列車先頭位置で待機するJR東の運転士さんと
跨線橋下の最後部位置で待機する車掌さん
やがて8時26分発、飯田線/中央本線直通「上諏訪」行き普通313系3連が到着し、
交代したJR東海の運転士さんが、引き上げて行きました。
<2番のりば>
7時47分発、中央本線/飯田線直通「駒ヶ根」行き普通313系2連が入線し、
ここまで乗務して来たJR東の運転士さん(奥)から、JR東海の運転士さん(手前)に引き継いでいる所です。
次は8時25分発の中央本線/篠ノ井線/大糸線を直通する「南小谷」行き普通E125系2連が入線する所で、
JR東管内だけを走るため、乗務員交代は有りません。
<3番のりば>
7時50分当駅始発、E125系2連が
中央本線(旧線)を「塩尻」に向け出発した所をパチリ
<直江津 2016年9月25日>
(画像は2016年9月6日に撮影)
ここはJR信越本線、えちごトキめき鉄道(妙高はねうまライン、日本海ひすいライン)が接続し、さらには「犀潟」から北越急行
ほくほく線の列車も乗り入れる上越地方の要衝駅です。
1884年(明治18年)、新潟県初の官設鉄道が開業した際に
設置された歴史有る駅で、新潟県鉄道発祥の地を示す銘板
(ゼロキロポスト)が有りました。
当初「直江津」~「 軽井沢」間の信越本線は東京と大阪を結ぶ「中山道幹線」の資材輸送のために建設されたのだそうです。
これは「直江津」から信越本線で5駅新潟寄りの「上下浜」駅の甲号距離票で、「直江津」起点14キロとなっていました。
信越本線と北陸本線の接続駅に相応しい立派な駅舎ですが、
現在は「えちごトキめき鉄道」に管理が移り、同社本社が入っています。
中は2階部分の自由通路に沿って改札口が有り、地上ホーム(3面6線)と南側に留置線&車両基地、と言う構造でした。
(構内配線図は概略レベル)
次は恒例の1番のりばから順に発着列車を羅列します。
<1番のりば>
ここだけ頭端式ホームになり、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの列車が停まる様ですが、撮り忘れました m(__)m
<2番のりば (3番のりば側から撮影)>
当駅始発、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン「市振」行きET122系気動車(単行)
全線電化区間なのですが途中で交直切り替えが有るために、高価な交直両用電車ではなく気動車を使っているそうです。
糸魚川より西が交流60Hz/東が50Hz地域のため、関西方面からの交直両用電車が50Hz対応しなくても済む様、「糸魚川」~「直江津」間は直流電化されたとか...
今もJR東の485系が「新潟」~「糸魚川」間の快速に使われていますが、60Hzにも対応しているとは知りませんでした(^^;
上は昔「新潟」駅で撮った、信越本線経由北陸本線「金沢」行き特急「北越8号」485系6連です。
<3番のりば (2番のりば側から撮影)>
信越本線「長岡」始発、当駅止まりの115系3連
<4番のりば (5番のりば側から撮影)>
当駅始発、えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン「妙高高原」行きET127系2連
<5番のりば (4番のりば側から撮影)>
当駅始発、北越急行ほくほく線「六日町」行きHK100形2連
<6番のりば>
当駅始発、北越急行ほくほく線→上越線直通「越後湯沢」行き超快速「スノーラビッド」HK100形(単行)
「超快速」は自社線内を表定速度99キロ/時で走破し、乗車券だけで乗れる列車としては日本最速だとか...
6番のりば南側には留置線群が広がり、妙高はねうまラインの車両(右手)が停まっていました(上方は自由通路)。
奥の方には115系(新潟色)の姿も見えます。
新潟方面から工臨(釜はEF81143)が接近して来ましたので
カメラを構えましたら、
なんとロングレールを運ぶチキ(ロンチキ)でした。
幸い運転停止してくれたので編成全体を撮る事が出来、大満足です
何しろ、見るのは初めてだったものですから...
<木津 2016年9月5日>
(画像は2016年7月29日に撮影)
ここは京都府最南端に位置し①関西本線を所属線としますが、②奈良線③片町線(学研都市線)の起点でもある要衝駅です。
そのため、駅北端の片町線々路脇には0キロポストが...
地上ホームと橋上駅舎を持つ構造(画像は東口)で
中は2面4線と、側線が何本か有る構造になっていました。
(下は概略レベルの構内配線図)
線路脇の数字は番線で、ホーム内の番号は「のりば」です。
調べますと、ここに集まる3線は全て元は私鉄で
1896年(明治29年)、奈良鉄道(現在の奈良線)終着駅として開業し
1898年(明治31年)、関西鉄道(現在の片町線)が乗り入れ
1907年(明治40年)、関西鉄道新ルート(現在の関西本線)が完成後、同年内に国有化されました。
また地図を見ますと片町線/関西本線は生駒山地を迂回していますが近鉄奈良線はトンネルを掘り、最短ルートで阪奈間を結んでいます。
トンネル開削には多大のコストが掛かりますから、明治時代の鉄道会社の考え方の違いが出て興味深いものが...
次は恒例の1番線から順に発着列車を羅列しますが、その前にホーム南端から見た「奈良」方と、
振り返って構内全景(左端1番~右端4番)をパチリ。
<1番のりば>
当駅始発の片町線・東西線経由福知山線直通「宝塚」行き快速207系7連と、
当駅止まりの快速321系7連が到着する所
<2番のりば>
関西本線「加茂」行き普通221系8連と、
奈良線「京都」行き区間快速221系4連の出発後撃ち
(直線の線路が奈良線で、右に曲がっていくのが関西本線)
<3番のりば>
奈良線「奈良」行き普通103系4連がホームに進入する所と、
後撃ち(左側の列車で、この2枚は2番線から撮影)
<4番のりば>
関西本線「大阪」行き区間快速221系8連がホームに進入する所(線路が右カーブしているので後ろ半分が見えません)と、
後撃ち
<伊勢中川 2016年8月20日>
(画像は2016年7月28日に撮影)
ここは①大阪線②名古屋線③山田線が接続する近鉄の要衝駅です。
(④は名阪ノンストップ特急が通過する単線の中川短絡線)
大阪線の終点なので、構内には「上本町」起点109キロを示す距離標が有りました。
地上にホーム、地下に連絡通路と改札口(駅舎は西口側)、
構内は5面6線で概略レベルの配線図はこんな感じです。
2番~4番線はホームに挟まれていて両扉扱いを行い
(手前2番線「近鉄名古屋」行き、奥は1番線「賢島」行き普通)
見ていると、3番線(左端)に到着した特急から降りたお客さんが2番線(中央)列車の中を通り抜け、1番線(右端)の普通列車に乗り換えていました
かつて名古屋線が狭軌だった頃、大阪線・山田線と乗り継ぎをスムーズにするため、この様な形になったそうです。
次は恒例の1番線から順に発着列車を羅列しますが、その前にホーム南端から見た「宇治山田」方と、
振り返って構内全景(左端6番~右端1番)をパチリ。
(列車は3番線の「宇治山田」行き急行5200系他6連)
<1番のりば(右側)>
当駅始発の「賢島」行き普通1201系2連。
(山田線 → 鳥羽線 → 志摩線)
<2番のりば(両側)>
当駅始発の名古屋線「近鉄名古屋」行き普通1201系2連。
ホームに配送用の新聞が置かれていましたが、
次に入線した「賢島」行き普通1440系2連の
最後部に積み込まれました。
<3番のりば(両側)>
「近鉄名古屋」始発「松坂」行き急行2610系他6連。
(名古屋線 → 山田線)
「大阪難波」始発「賢島」行き特急ビスタEX30000系4連。
(大阪線 → 山田線 → 鳥羽線 → 志摩線)
<4番のりば(両側)>
「賢島」始発「大阪難波」行き伊勢志摩ライナー23000系6連。
(志摩線 → 鳥羽線 → 山田線 → 大阪線)
見ていると、運転士さん側の客室扉を開けた後、反対側(左)の扉を開けるのが決まりの様です(締める時も同じ順番)。
「鳥羽」始発「近鉄名古屋」行き特急12200系4連。
(鳥羽線 → 山田線 → 名古屋線)
<5番のりば(左側)>
当駅始発の名古屋線「近鉄四日市」行き普通2800系3連。
<6番のりば>
当駅始発の大阪線「東青山」行き普通1253系2連。
最後は中川短絡線の話題で、まずはホーム北端から見た所。
①大阪線、②名古屋線、④中川短絡線のコンクリート橋梁
こちらは「伊勢中川」へ向かう名古屋線列車から撮ったもので、上り線から短絡線が分岐した所(矢印が中村川を跨ぐ橋梁)。
短絡線(右端)は分岐した後急角度で右に曲がり、
橋梁に向かって行きました。
最後は短絡線を行く「大阪難波」行きアーバンライナー6連で
列車は右から左へ進行し、手前の架線柱は名古屋線です。
<新鎌ヶ谷 2016年7月17日>
元々は駅が無かった場所に、今では東武野田線/新京成線/北総線/京成成田空港線と、4線の接続駅が出来ています。
(画像は2016年6月29日と7月14日に撮影)
駅は逆L字形をしていて
①切り通しの中に東武野田線(2面2線)
②地上に新京成線(1面2線)
③高架上に北総線と京成成田空港線(2面4線)
と3層構造ですが、駅舎と改札口は全て地上に有りました。
一番後に出来た①東武の駅舎は
②新京成線/③北総線改札口と離れているものの、高架下が連絡通路になっていて濡れずに行けます。
右手が改札口、突き当たりは建設中の新京成線高架で、
工事が終われば、駅の南北が通り抜け出来る様になるかも。
調べますとこの駅は幾多の変遷を経て、現在の形になったのは2010年(平成22年)と最近の事でした。
以下にその歴史を載せますが、図や記事の正確性についてはご容赦ください m(__)m
<1. 新京成線が開業した頃>
1955年(昭和30年)の新京成線開業時には駅が無く
この付近の線形の悪さは、てっきり接続駅を造る苦肉の策かと思っていましたが違う様です(何故か初めからこの急カーブ)。
<2. 北総開発鉄道が開業した頃>
1979年(昭和54年)、「北初富」~「小室」間に北総開発鉄道北総線が開業し、この地に新鎌ヶ谷信号所が造られました。
当時の北総線は暫定的に「北初富」から新京成線へ乗り入れ、「松戸」まで来ていたそうです。
<3. 東武野田線の信号所が出来た頃>
10年後の1989年(平成元年)、東武野田線にも信号所が出来ましたが駅昇格を前提にしないものだったとか...
<4. 漸く新駅が開業>
1991年(平成3年)、北総・公団線が「高砂」まで開通したのに伴い「新鎌ヶ谷」駅が開業、翌年新京成も駅を新設しました。
この時点で東武野田線の方は、信号所のままです。
<5. 東武野田線の駅が開業>
1999年(平成11年)、ついに東武野田線の駅が開業、3線の接続駅となりました。
因みに新京成と東武の駅開設については、地元の鎌ヶ谷市が費用を負担したそうです。
<6. 京成成田空港線が開業>
2010年(平成22年)、京成成田空港線が開業し、その時から現在の形(冒頭の路線図)になりました。
次は、「新鎌ヶ谷」~「初富」間の急カーブのお話を少々...
(「新鎌ヶ谷」ホーム東端から「初富」方を見た所)
やって来た「京成津田沼」行きの8800形(第一編成)は、
駅を出ると急角度で右へ曲がり、「初富」に向かいます。
左手高架は、「北初富」~「初富」間の新京成線連続立体化で、現在の線路に忠実に沿って建設中なんですね~これが
折角高架線にするなら点線の様にショートカットすれば線形は大幅に改善する反面、
「新鎌ヶ谷」駅で接続出来なくなるので、無理なんでしょうね~
おまけに、「新鎌ヶ谷」から「初富」までの先頭車窓動画を...
最後は恒例の各線を発着する列車の羅列ですが、記事の量が大きくなって来てますので画像枚数を絞りました。
<東武野田線>
2番のりばを出発した「船橋」行き8000系6連(後撃ち)
<新京成電鉄新京成線>
2番のりばに進入する「松戸」行きN800形6連
<北総鉄道北総線>
1番のりばに停車中の「印旛日本医大」まで乗り入れている、「羽田空港」行き都営浅草線5300形8連
<京成成田空港線>
京成は北総鉄道(第1種鉄道事業者)から線路を借りて列車を走らせている第2種鉄道事業者で、動画は「成田空港」行きの
スカイライナーAE形8連(3番のりばを通過)
スカイライナーは当駅通過ですが、成田空港と羽田空港を結ぶアクセス特急が停まります。
(2番のりばに停車中の「羽田空港」行き京急600形8連)
<姨捨(おばすて) 2016年6月17日>
ここはJR篠ノ井線に今も残る山岳スイッチバック駅で
(画像は2016年4月10日に撮影)
構内配線はこんな感じ(例によって概略レベル)になり
1番のりばに「長野」方面、2番のりばには「松本」方面の列車が停まります。
列車交換が有る場合同時進入可能ですが、出発は交差支障が起きて、「長野」方面の列車が後進して引き上げ線に入った後、「松本」方面の列車が出発していました。
こちらは同時進入の例で、右手1番のりばに「長野」行き211系3連が到着し、左手後方に引き上げ線から出て来た「松本」行き快速E127系2連(矢印)が左手2番のりばへ接近中。
図で示すとこんな感じです(橙:「長野」行き、青:「松本」行き)。
「松本」行きが到着すると1番のりばから「長野」行きが先発、
後進して引き上げ線に転線(中央奥から手前に続くのが本線)
一旦停止後前進して本線に入り、
管理人の目の前を通過して
「長野」へ向け、坂を下って行きました(駅は左上前方)。
次は時間差の有る列車交換のケースです。
初めに「長野」始発「下諏訪」行き快速いろどり「諏訪御柱祭号」485系6連が本線を登って来て2番のりばに入る動画で、
お見苦しい点も有りますが御容赦下さい m(__)m
その後、山の上から「長野」行き211系6連が下りて来て
1番線に入り、客扱い後スイッチバックするため後進で出発。
その際、運転士さんが最後部の窓から顔を出して後方確認する様子が見られました(6連ともなると大変そうですね)。
「諏訪御柱祭号」の方は運転停車で客扱いせず、「長野」行きが先発した後、発車して行きました。
その他、6時55分に「長野」を出た「松本」行き快速E257系
7時45分始発の、「名古屋」行き特急「ワイドビューしなの4号」383系など
「姨捨」に停まらない列車は、そのまま本線を行きます。
大正時代の駅舎は趣の有る佇まいですがド逆光なので、
構内側からもう1枚パチリ。
2面のホームは終端側で繋がっておらず、
先の方まで線路が延びていました。
2番のりば先端(「松本」寄り)から駅舎方向を見た所で、
右手下方の本線とはこれだけ高低差が有ります。
このホームの中央の展望台から見下ろした善光寺平(右手)は、春霞の中に...
<南小谷(みなみおたり) 2016年6月9日>
JR大糸線「南小谷」(読み方は「みなみおたり」)は
(画像は2016年4月9日、10日に撮影)
現時点ではJR東日本と西日本が接する唯一の在来線境界駅(JR東は電化、JR西は非電化路線)になり、
ここから「松本」「糸魚川」方面へ列車が発着していますが、現在当駅をまたいで運転される列車は有りません。
1番線(左端)-「新宿」行き特急「あずさ26号」E257系9連、
2番線(中央)-「糸魚川」行きキハ120形単行(JR西の車輌)、
3番線(右端)-「松本」行きE127系2連です。
構内はJR東が管轄し、みどりの窓口も有りました。
すぐ横を流れる姫川は雪解け水を集め
信越国境を越えて日本海へ注ぎます。
構内は2面3線の他に保線車輌用の引込線が1本有り、概略の配線図はこんな感じでした。
こちらは2番/3番のりばの南端から「松本」方面を見た所と、
振り返って構内全景(左端から1番~3番線)です。
次はホーム北端に移動し、「糸魚川」方面をパチリ。
振り返って構内全景を眺めますと、ホームが緩くカーブしている様子が分かりました。
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
「長野」始発で当駅止まりの、臨時快速「リゾートビューふるさと」HB-E300系ハイブリッド気動車2連。
先発の「あずさ」にホームを譲るため、一旦出発して行きました。(留置線が無いので、どこかの途中駅で時刻まで待機)
同じ長野総合車両センターには485系6連の「彩(いろどり)」も居ますが、需要からすると2連がベストマッチなのでしょうか?
(「姨捨」にて撮影の快速いろどり「諏訪御柱祭号」)
次は、冒頭の画像に出ています「新宿」行き特急「あずさ26号」E257系9連が入線して来ました。
<2番のりば>
「糸魚川」行きキハ120形単行。
<3番のりば>
「松本」行きE127系2連です。
<亀山 2016年5月5日>
ここはJR東海とJR西日本の境界に当たり
(画像は2016年1月3日と3月14日に撮影)
①「名古屋」方面の関西本線(JR東海 : 電化路線)、
②「新宮」方面の紀勢本線 (JR東海 : 非電化路線)、
③「加茂」方面の関西本線 (JR西日本: 非電化路線)と
当駅を起終点にして3方面への列車が発着していますが、現在ここをまたいで運転される列車は有りません。
①関西本線「名古屋」行き快速313系4連(後撃ち)
②紀勢本線「新宮」行きキハ25形2連(出発後撃ち)
③関西本線「加茂」行きキハ120形単行(左)が出発した所
駅舎は1913年(大正2年)からのもので、
JR東海在来線の境界駅9つ中8つは、JR東日本/西日本に所属していますが、
国府津(御殿場線) JR東日本
熱海(東海道本線) ↑
甲府(身延線) ↑
塩尻(中央本線) ↑
辰野(飯田線) ↑
猪谷(高山本線) JR西日本
米原(東海道本線) ↑
新宮(紀勢本線) ↑
ここだけはJR東海が管理しているそうです。
構内は3面5線の他に中線が1本有り、概略レベルの配線図はこんな感じで、本線は3方面とも単線に収斂していました。
(地図から起こしましたが、正確性は御容赦下さい)
こちらは2番/3番のりばから東方を見た所で、左側の線路が関西本線「名古屋」方面、右端が紀勢本線「新宮」方面です。
同じ場所から振り返って左端5番~右端1番のりばをパチリ。
立っている2番/3番のりばホームが一番幅が広く、足元には「名古屋」起点59.8キロを示す丙号距離標が有りました。
次にホーム西端へ移動し、「加茂」方面を撮影。
かつて機関区や客貨車区が置かれた名残で側線が多数有り、
地図の矢印の場所にはターンテーブル(↓中央の赤い構造物)も残っています。
昔「名古屋」と紀州方面を結ぶ列車はここで方向転換しており、SLの向きを変えるのに使われたのかも?と想像しました。
最後は恒例の、1番のりばから順に発着列車の羅列です。
<1番のりば>
関西本線「名古屋」行き快速313系4連(2番線側から撮影)。
<1番のりばと2番のりばの間の留置線>
関西本線「名古屋」行きと思われる211系4連(同上)。
<2番のりば>
関西本線「名古屋」行き快速313系3連(1番線側から撮影)。
ここには紀勢本線からの到着列車も入線しますが、出発は5番のりばから(「伊勢市」始発キハ25形2連の後撃ち)で
お客を降ろした後、前方の車庫に入りました。
<3番のりば>
関西本線「加茂」行きキハ120形2連で、「名古屋」方面からの乗客が同じホームで乗り継げるのは便利です。
(4番線側から撮影)
<4番のりば>
関西本線「加茂」始発のキハ120形単行が到着し、
(3番線側から撮影)
お客を降ろした後、車庫へ戻って行きました。
<5番のりば>
紀勢本線「新宮」行きキハ25形2連で、
紀勢本線の0キロポストを入れてパチリ。
次は、出庫して来た次発の「多気(たき)」行きキハ25形4連が
入線する所(3番線側から後撃ち)と、
上の画像中央にも写っている「名古屋」起点60キロポスト。
そして上記列車の出発後撃ちです。
<犬山 2016年4月5日>
ここは犬山線/小牧線/広見線が接続し、さらには各務原線の列車も乗り入れて来る名鉄の一大拠点駅です。
(画像は2015年12月12日に撮影)
地上にホーム、2階に連絡通路と改札口(画像は西口側)と言う造りでした。
構内は3面6線の他留置線が1本有り、概略レベルの配線図はこんな感じです。
犬山線(新鵜沼方面)方は複線に収斂し単純ですが、
反対の南側は左端から順に
左にカーブして行く広見線の複線、
直進する小牧線の単線(黄矢印)、
右にカーブする犬山線の複線、
そして右端に小牧線列車の留置線と
複雑な構造でした。
次は恒例の1番線から順に発着列車を羅列しますが、その前に「新鵜沼」方からの全景(左端6番~右端1番)をパチリ。
<1番のりば>
「豊橋」発「新鵜沼」行き快速特急1000系6連(後撃ち)。
そして隣の留置線には200系6連が休憩中。
名鉄の20m級4扉車を見るのは、これが初めてです。
<2番のりば>
「新鵜沼」発「中部国際空港」行き特急2000系ミュースカイ4連
<3番のりば>
当駅始発の、小牧線経由・地下鉄上田線「平安通」行き300系4連で、こちらも地下鉄仕様に合わせた20m級4扉車。
<4番のりば>
車庫から出て来たと思われる5700系4連が入線し、
停車した後方向幕が「犬山」から「岐阜」に変わり、各務ヶ原線直通の普通列車になって出発して行きました(後撃ち画像)。
<5番のりば>
「岐阜」発・各務ヶ原線経由当駅止まりの急行3150系2連で、
この後方向幕が「回送」になって出発、入庫したと思われます。
同じく車庫へ向かう(方向幕が「回送」)2200系6連。
<6番のりば>
「中部国際空港」始発「新可児」行き準急3500系4連は
当駅で「普通」に種別変更して、出発して行きました(後撃ち)。
6番線の前方には5000系4連が休憩中で
ここは、犬山線・広見線系統の列車が留め置かれる様です。
構内を撮り終えてから東口を出て、徒歩10分ほどの所に有る犬山検査場に行ってみました。
こちらがその正門です。
陸橋の上から「新可児」方を1枚パチリ
どこの車輌基地も架線・ビーム・柱が多く撮影に苦労しますが、最新のEL120形重連を撮れたのは収穫でした
次は陸橋上から「犬山」方を見た所で、手前に広見線の複線、後ろは小牧線用の300系4連、
そして最後は駅に戻る途中で撮った1800系4連です。
<金山 2016年2月13日>
県内では「名古屋」駅に次ぐ大ターミナルで、JR東海道本線/中央本線、名鉄線、地下鉄2線が接続しており
(画像は2015年12月12日に撮影)
東海道本線と中央本線に名鉄が挟まれているのが珍しいです(JR2線に私鉄が挟まれる場所は、他に思い付きません)。
中央本線ホームの「名古屋」方から見た右隣の名鉄線ホーム、右端の東海道本線ホーム(313系が停まっている所)で
構内配線の方は概ねこんな感じ(橋上駅舎は省略)でした。
こちらは駅外から撮ったもので、名鉄4番線に「中部国際空港」行き特急ミュースカイ2000系4連が進入する所(後撃ち)
反対に「名古屋」方(左)を見て「名鉄岐阜」行き特急1000系と中央本線「瑞浪」行き快速211系がすれ違う所です。
中央本線と東海道本線が離れているので乗換はどうなの?と思いましたが、橋上駅舎はうまく出来ていました。
専用の連絡通路(オレンジ)が通っていて途中に名鉄との連絡改札口②も有り便利ですが、惜しむらくは東海道本線を降りて南口方面へ行こうとすると遠回り(改札口①経由)に...
こちらは北口から南口方向を見た所で、手前右がJR改札口①中央の凹んだ所に名鉄線西改札口③、通路を挟み向かい側が中央改札口④になります。
中央本線はここを出るとすぐ90度左カーブし、そのため東海道本線の隣に配置するのは無理だったのかもしれません。
「名古屋」駅での並びは名鉄→東海道本線→中央本線ですが次駅「尾頭橋」手前の立体交差で入れ替わっていました。
「金山」構内は大きな橋上駅舎が覆っているため暗く、ホームも少しカーブしていて列車撮影には苦労します。
(JR2番線「名古屋」行きの後撃ちで、左隣が名鉄4番線)
駅外は駅外で架線柱やビームなどの障害物が多く、思う程旨く撮れませんでした
(「豊橋」行き新快速313系6連の後撃ち)
以下に恒例の各線を発着する列車を羅列しますが、そんな訳で画質の点はご容赦ください m(__)m
<JR1番線 : 中央本線「中津川」方面のりば>
「多治見」行き普通211系4連と
その出発後撃ち
<JR2番線 : 中央本線「名古屋」方面のりば>
「名古屋」行き普通211系4連
<名鉄4番線 : 「豊橋」「常滑」方面のりば>
「豊川稲荷」に向け出発した、急行3100系2連+3500系4連
<名鉄3番線 : 「豊橋」「常滑」方面のりば>
「中部国際空港」行き特急2200系6連(右側)
<名鉄3番線の先の引き上げ線>
休憩中の3150系2連(右手方向が駅)
<名鉄2番線 : 「名鉄岐阜」「犬山」方面のりば>
「新可児」行き準急6500系4連が到着する所
<名鉄2番線の先の引き上げ線>
6800系2連が休憩中(左手方向が駅)
<名鉄1番線 : 「名鉄岐阜」「犬山」方面のりば>
「名鉄岐阜」行き特急1000系6連の後撃ち(右側)
<JR3番線 : 東海道本線「豊橋」方面のりば>
「豊橋」行き快速313系が出発した所
<JR4番線 : 東海道本線「岐阜」方面のりば>
最後は入線する「岐阜」行き普通313系です。
<橿原神宮前 2015年11月21日>
ここは橿原線/南大阪線/吉野線が集まるジャンクションで、
(画像は駅中央口 : 2015年9月5日撮影)
ホームはV字形をしていました。
本シリーズ前回UPの「大和八木」でも少し触れましたが、ここを経由して南大阪線の車両が大阪線の検修車庫へ送られます。
古市車庫→(南大阪線)→橿原神宮前→(橿原線)
→大和八木→(大阪線)→五位堂検修車庫
南大阪線は狭軌のため(画像は特急16000系2連の後撃ち)
車両はここで標準軌の仮台車に履き替えた上、モト97+98が前後に付いて「五位堂」まで移送
その際外した狭軌台車はモトの荷台に積んで行き、車体と共に全般検査・重要部検査を受けるのだとか...
こちらの台車振替場の画像を拡大して確認した所、4線軌条になっていました(車両の居る51番線)。
3線ではなく4線な訳は、車体をジャッキアップしてから、台車をトラバーサで移動・交換するため、車体が固定され横移動出来ないからでしょうか?
あくまでも想像の域ですが
次は恒例の、各線を発着する列車の羅列です。
第1回近畿の駅百選に選ばれた立派な駅舎を入ると、
左に橿原線、右に南大阪線・吉野線のホームが有りました。
例によって図は概略レベルですので、悪しからず m(__)m
これは「大和西大寺」方から2面4線の橿原線ホームを見た所で左から8番・1番・2番・3番のりばになります。
<1番のりば>
当駅始発の橿原線経由京都線直通「京都」行き特急22000系4連が停車していました。
同じホーム反対側の8番のりばは狭軌で、皇族方専用列車や団体貸し切り列車が停まるそうです。
<2番のりば>
折り返し「京都」行き急行が入線して来た所で、
列車は8000系4連+9020系2連の6両編成でした。
こちらは最後部側で、1番・8番のりばへ行くための構内踏切が見えます。
<3番のりば>
「大和西大寺」行き普通8600系4連で、
ここだけ行き止まりでした。
次はホーム先端から「大和西大寺」方を見た所で、前方踏切の先にモト97+98の姿が...
こちらは反対に構内踏切から見た「吉野」方で、右手の線路は標準軌なのに対し、車止めの所の線路は狭軌の様です。
次は南大阪線/吉野線の方ですが、4番~7番ホーム全景を撮り忘れました(^^;
<4番のりば>
「古市」始発、当駅止まり普通の6432系2連(後撃ち)。
<5番のりば>
「大阪阿部野橋」始発、吉野線直通「吉野」行き特急16000系2連です。
<6番のりば>
当駅始発、「大阪阿部野橋」行き準急6020系ラビットカー復刻塗装車4連。
<7番のりば>
4番線で撮った6432系2連が転線して来て、折り返し当駅始発「古市」行き普通になりました。
最後に、駅名の由来となった橿原神宮のスナップを少々...
ここは明治時代に建てられた官幣大社で、
神武天皇を祀っているそうです。
<大和八木 2015年11月13日>
ここは近鉄大阪線(高架)と橿原線(地上)の接続駅で、
(画像は駅北口 : 2015年9月5日撮影)
大阪線と橿原線を結ぶ連絡線が2箇所も有ります。
こちらは南口広場から見た所で、右手の高架が大阪線、左奥
ビル裏手に橿原線の地上ホーム、と言う構造でした。
内部は4面6線有り、図は例によって概略レベルです。
今回は先に各のりばに発着する列車を羅列しますが、その前に高架ホームの全景(左端1番~右端4番)をパチリ。
<1番のりば>
大阪線・山田線経由鳥羽線直通「五十鈴川」行き急行5800系デュアルシート車6連で、この時はクロスシートでした。
長距離を走るため、2両目のサ5713にはトイレが有ります。
<2番のりば>
「大阪難波」始発「近鉄名古屋」行き特急アーバンライナー21000系6連と
その出発後撃ち
<3番のりば>
「鳥羽」始発「大阪上本町」行き特急22000系2連と
後ろに付く12200系4連(出発後撃ち)
<4番のりば>
「青山町」始発「大阪上本町」行き急行2410系6連
橿原線に移る前に、ホーム両端から前方を撮りました。
まず「大阪上本町」方
そして反対側の「賢島」「近鉄名古屋」方
次は橿原線の地上ホームで左が6番、右が5番のりばです。
(「橿原神宮前」方から撮影)
<5番のりば>
京都線経由橿原線直通「橿原神宮前」行き8600系4連と
出発後撃ち
<6番のりば>
「橿原神宮前」始発「大和西大寺」行き1026系4連と
その出発後撃ち。
最後に、この駅西方の2つの連絡線について調べた所を纏め
ました。
1925年(大正14年)、大軌八木線(大阪線の前身)が畝傍線(現在の橿原線)「八木」駅へ乗り入れ
1929年(昭和4年)、八木線が「桜井」まで延伸した事に伴い、新しい「大軌八木」駅が出来、旧来の駅は「八木西口」に改名。このとき、旧線が連絡線①になっています。
昨今この連絡線①は南大阪線車両の全般検査時、
大阪線の検修車庫へ送り込むのに使われるのだとか...
古市車庫→(南大阪線)→橿原神宮前→(橿原線)
→大和八木→(大阪線)→五位堂検修車庫
1967年(昭和42年)、新ノ口(にのくち)連絡線②が完成して、現在の形になりました(②は主に、京伊特急が使用)。
こちらは以前「賢島」で撮った「京都」行き特急30000系ビスタEX4連で、
列車は「大和八木」駅を出ると②を経由して橿原線の上り線に入り、京都へ向かいます。
駅から20分ほど歩いて漸く道路からこの連絡線を撮れる所が見付かり、1枚撮りました。
(左手は保線基地で、前方が「大和八木」方面)
そしてこちらは「新ノ口」駅ホーム南端から連絡線が分かれる所(左が橿原線で、右に分岐するのが連絡線)です。
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