行き止まり駅訪問(過去記事その5) [鉄道(実物)]
過去に載せました「行き止まり駅訪問」シリーズのアーカイブ⑤で、2020年1月以降の記事を集めました。
なお、それ以前の記事は「過去記事その4・3・2・1」に有ります。
行き止まり駅訪問(過去記事その4) 2017年12月~2019年11月
行き止まり駅訪問(過去記事その3) 2016年 2月~2017年11月
行き止まり駅訪問(過去記事その2) 2014年 1月~2015年12月
行き止まり駅訪問(過去記事その1) 2010年 8月~2013年11月
当ブログで勝手に決めました行き止まり駅の条件は、
①鉄道の駅に限定し、ケーブルカーや新交通システム等は
対象外とする
②一路線の終点でも、半径2キロ以内に乗り継げる別線が
有る駅は対象外とする (別線にはケーブルカーや新交通
システムを含め、路面電車やバスは含めない)
③路面電車は駅ではなく停留所と見なし、対象外とする
と言うものでして、
<例1>長野電鉄「長野」は、行き止まり駅としません
JR「長野」駅と直接繋がっていませんが、すぐ近くですので×
<例2>「強羅」も、行き止まり駅としません
箱根登山鉄道の終点ですが、構内から同社のケーブルカーが出ていますので×
<例3>京浜急行「浦賀」は、行き止まり駅とします
最寄のJR横須賀線「久里浜」駅は、半径2キロ圏外ですので〇
(ここで言う「2キロ」とは、徒歩30分程度と言う意味です)
「続きを読む」に過去記事の中に出て来ました行き止まり駅を、最近訪問した方から逆順に並べました。
日付は訪問した日ではなく、ブログの日付です。
9月に阿佐海岸鉄道阿佐東線「甲浦(かんのうら)」駅を追加しています。
<阿佐海岸鉄道阿佐東線「甲浦(かんのうら)」駅 2020年9月25日>
2020年3月7日に撮影した画像を使いました。
起点となるJR牟岐(むぎ)線との接続駅「海部(かいふ)」までは
(列車は「徳島」行き1200形気動車)
直線距離が7.8キロ強有るため、行き止まり駅になります。
立派な駅舎ですが後述するDMV(デュアル・モード・ヴィークル)化工事のため、管理人が訪問した時は閉鎖されていました。
駅舎の横の長い階段を上がる(エレベータは無く、お年寄りは大変)と、
3階建てくらいの場所にホームが有ります。
高架上は単式ホーム一本のみで、到着したASA-101を終端側からパチリ
管理人が訪ねた当時は、DMV化のための工事が真っ盛りでした。
画像はホームと地上を結ぶ坂路で、
車両はここから道路を走って室戸方面へ向かい、ネット情報に拠ると本年度中に営業運転開始を目指しているそうです。
なおDMVの画像は、ウィキペディアからお借りしました m(__)m
この後、近くの白浜海水浴場へ行って見ると穏やかな風景が広がっていましたが
民家横の、南海地震の大津波に備えた避難タワーの姿が厳めしいです。
当路線は短いため1本の列車がピストン運行している様で、復路も来た時乗ったのと同じASA-101でした。
内部は中央部が転換クロスシート、ドア寄りがロングシート
終端部が工事中だからでしょうか、列車は階段から一番離れたホーム先端に停車します。
11分走って、起点の「海部」に到着(左は「徳島」行き1500形気動車)
ここには牟岐線の隣駅「阿波海南」方に、不思議な構造物が有りました。
調べたら「JR牟岐線町内トンネル」と言い、小高い丘を抜けるために造られたものの、3年後に宅地開発で丘が消滅して現在の姿になったそうです。
もう一つ余談で、「海部」は敷地の関係でDMVモードインターチェンジを設けられず、一駅先の「阿波海南」駅に造る事になり、この区間がJRから阿佐海岸鉄道に編入されるんだとか。
<JR小野田線支線「長門本山(ながともとやま)」駅 2020年6月17日>
2019年12月13日に撮影した画像を使いました。
起点となる小野田線「雀田(すずめだ)」駅までは
(列車は「長門本山」始発、宇部線直通「宇部新川」行きクモハ123形単行)
直線距離が2.3キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
こちらが終端側から見た構内全景で駅舎は無く、待合室と単式ホーム1本だけの簡素な造りでした。
振り返って車止めをパチリ。 道路の先はすぐ瀬戸内海になり、昔は左手方向に線路が延びていた様です(今回は古地図が見付からず推測ですが)。
当駅(赤下線)から南東方向へ徒歩10分ほどの公園(緑下線)には海底炭田へ続く斜坑口が山陽小野田市指定文化財として残されており、
(下の画像は、ネットから拝借したもの)
石炭の搬出に当線が建設された経緯は、文献にも載っていました。
そんな訳で本来の使命を終えた今、列車は1日3本という超閑散路線に...
管理人は「宇部新川」に前泊して、6時40分始発の宇部線経由小野田線直通「長門本山」行きクモハ123形単行に乗り
(車内はオール・ロングシートで、乗客は管理人を含め鉄爺3人のみ)
7時05分、終点に到着
この列車が「長門本山」7時11分始発の初電になります。
まずは到着した列車と終端部のツーショット
そして先端部から「雀田」方面を見た所
何時もなら振り返って列車先頭部の画像を載せますが、ホームが短くフレームに収まらないため、駅外から撮りました。
ついでに終端部側からも1枚
この希少な形式に乗れるのは、この時が最初で最後になるかもしれません。
締めとして、2番列車(7時36分始発)の到着動画を載せておきます。
<JR鹿児島本線「門司港」駅 2020年6月5日>
2019年12月12日に撮影した画像を使いました。
最寄りの山陽本線「下関」駅まで直線距離が3.2キロ弱有り、行き止まり駅になります。
1914年(大正3年)に竣工したネオ・ルネッサンス様式の駅舎(重要文化財)を入ると、
構内は頭端式ホームが2本並び(先端側から撮影)、
海側(左端)から5番、4番、2番、1番のりばで、3番のりばは有りません。
(配線図は概略レベルと御理解下さい)
ホームの右手には車両基地が広がっていて、
奥の方には交直両用電車415系の姿も...
折しも415系1500番台4連×2が、「門司」方面へ出庫して行きました。
駅舎方向に戻る途中、管理人お気に入りの813系が沢山昼寝している所を1枚
こちらは終端側から見た1番2番のりばで、ホームの屋根と柱は木造です。
1番のりばに「折尾」行き415系4連が入線し、
終端部とのコラボを1枚
次は2番のりば(右)と4番のりば(左)の終端部で、矢印の場所には鹿児島本線の0キロポストが有ったのすが、撮り損ねました
続いて4番5番のりばのホームと
5番のりばの終端部です。
因みに当駅周辺は門司港レトロ地区になっていて、こちらの旧門司三井倶楽部は内部見学可能の様でしたが時間の都合で割愛しました(^^;
最後に歴史的トリビアを一つ
九州の鉄道は当駅(開業時は「門司」)を起点に延びて行ったため、その名残を「小倉」駅の線路配置に見ることが出来ます。
「門司」始発の列車は日豊本線に方向転換せず進入出来ますが、「博多」からの直通列車は折り返しが必要に...
<JR香椎線「宇美(うみ)」駅 2020年5月21日>
2018年3月8日と2019年12月11日に撮影した画像を使いました。
最寄りの西鉄天神大牟田線「春日原(かすがばる)」駅まで直線距離が5.2キロ有り、行き止まり駅になります。
2018年に香椎線を「おもしろ路線探訪」に取り上げた際、「宇美」にも触れましたが(同駅に停車中の「西戸崎」行きキハ47系4連の後撃ち)、
今回改めて「行き止まり駅」として纏めました。
近くの宇美八幡宮を模した駅舎を入ると、
構内は殆どのレールが撤去され、現在は片面1線のみでした。
今はここで行き止まりですが、
昔の地図を見ますと(黄←が駅)南方の大谷炭坑まで線路が延びており、駅前には別線(筑前参宮鉄道、後の国鉄勝田線)の駅(青→)が有った様です。
終端側から駅舎方向を振り返って1枚パチリ
(「香椎」行き、交流用蓄電池駆動電車BEC819系2連の後撃ち)
次はホーム先端から「香椎」方を撮った後、
駅外に回ってみました。
出発動画も撮りましたが、キハに比べ起動時の音が小さいかと...
列車は25分ほど走って終点「香椎」駅3番のりばに到着
ここは鹿児島本線との接続駅で、エントランスは近くの香椎宮に因んでいます。
構内は電化されており、列車は到着するとすぐパンタを上げて充電を始め、
10分ほど経つと下ろしました(これだけで90キロ走れるんだとか)。
最後は、列車が「宇美」へ向け出発して行く動画になります。
<JR香椎線「西戸崎」駅 2020年4月5日>
2017年3月8日と2019年12月11日に撮影した画像を使いました。
最寄りの西鉄貝塚線と接続する「和白(わじろ)」駅まで直線距離が7キロ強有り行き止まり駅になります。
2018年に香椎線を「おもしろ路線探訪」に取り上げた際「西戸崎」にも触れましたが(同駅1番のりばに停車中の「宇美(うみ)」行きキハ47系2連)、
今回改めて「行き止まり駅」として纏めました。
モダンな駅舎を入ると、
中は2面2線構造になっています。
1番のりばには「香椎」行きBEC819系2連(後撃ち)が入線中で、
右手には0キロポストが有りました。
こちらは駅外から見た1番(左)、2番のりば(右)と構内踏切で
2018年の画像(構内踏切上で撮影)と比べると、リニューアルした様子が感じられます。
線路はここで行き止まりですが、
昔の地図を見ますと(矢印が駅)、港まで引き込み線が延びていました。
糟谷炭田で採れた海軍向けの無煙炭を香椎線で運び、ここから船で出荷したんだとか。
駅舎に面した1番のりばに着く列車が多い中、珍しく2番のりばに入線したので1枚パチリ
そして、2番ホーム先端から「宇美」方を見た所です。
次は駅を離れて、海辺の方に行ってみました。
上の画像を撮った場所の左手は市営渡船場になっており、
博多まで行けるんだとか...
「西戸崎」では良い構図の編成画像が得られなかったため、最後に「香椎」駅で撮ったものを載せておきます(よく見ると、パンタを上げて急速充電中)。
<一畑電車大社線「出雲大社前」駅 2020年2月24日>
2019年6月26日に撮影した画像を使いました。
最寄りのJR山陰本線「出雲市」、及び一畑電車「電鉄出雲市」まで直線距離が7キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
駅舎はモダンな造りで、右手に回り込むとその奥には、
デハニ52が保存されていました。
室内と
運転台
そしてハンドブレーキです。
出発時刻の10分前に木製の改札口が開き、ホームに入ると
1番のりばに「川跡(かわと)」行き2100系2連が入線していました。
その終端部がこちらで、
反対側の2番のりばの方はこんな感じです。
次はホーム先端から「川跡」方を一望した後、
振り返って元京王5000系の2100系2連をパチリ
構内を撮り終えてから出雲大社に詣で、
さらに旧JR「大社」駅に行ってみました。
ここは1990年(平成2年)に廃止された後も、重要文化財/近代化産業遺産として保存されています。
往時は全国から参拝列車が乗り入れて来たためホームは長く
多客時用の臨時改札口が、ズラっと並んでいました。
この先が「出雲市」方になり
D51774が保存されています。
<JR境線「境港」駅 2020年1月25日>
2019年6月25日に撮影した画像を使いました。
最寄りのJR山陰本線「荒島」まで直線距離が12キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
振り返って全景(後方は「みなとさかい交流館、フェリー乗り場」)です。
一頻り構内を撮った後は、街中散策に向かいました。
少し歩くと海に出て、ここは境水道になり左手は中海、右手が美保湾・日本海
こちらの2隻(後撃ち)は良く見ますと船首に古タイヤを幾つも付けていますのでタグボートの様です。
駅に戻る途中で、鬼太郎と
ねずみ男
サラリーマン山田をパチリ
駅前には妖怪達の大壁画も有りました。
復路はラッシュ時間も過ぎたので、キハ40形単行の「ねずみ男」列車です。
なお、それ以前の記事は「過去記事その4・3・2・1」に有ります。
行き止まり駅訪問(過去記事その4) 2017年12月~2019年11月
行き止まり駅訪問(過去記事その3) 2016年 2月~2017年11月
行き止まり駅訪問(過去記事その2) 2014年 1月~2015年12月
行き止まり駅訪問(過去記事その1) 2010年 8月~2013年11月
当ブログで勝手に決めました行き止まり駅の条件は、
①鉄道の駅に限定し、ケーブルカーや新交通システム等は
対象外とする
②一路線の終点でも、半径2キロ以内に乗り継げる別線が
有る駅は対象外とする (別線にはケーブルカーや新交通
システムを含め、路面電車やバスは含めない)
③路面電車は駅ではなく停留所と見なし、対象外とする
と言うものでして、
<例1>長野電鉄「長野」は、行き止まり駅としません
JR「長野」駅と直接繋がっていませんが、すぐ近くですので×
<例2>「強羅」も、行き止まり駅としません
箱根登山鉄道の終点ですが、構内から同社のケーブルカーが出ていますので×
<例3>京浜急行「浦賀」は、行き止まり駅とします
最寄のJR横須賀線「久里浜」駅は、半径2キロ圏外ですので〇
(ここで言う「2キロ」とは、徒歩30分程度と言う意味です)
「続きを読む」に過去記事の中に出て来ました行き止まり駅を、最近訪問した方から逆順に並べました。
日付は訪問した日ではなく、ブログの日付です。
9月に阿佐海岸鉄道阿佐東線「甲浦(かんのうら)」駅を追加しています。
<阿佐海岸鉄道阿佐東線「甲浦(かんのうら)」駅 2020年9月25日>
2020年3月7日に撮影した画像を使いました。
起点となるJR牟岐(むぎ)線との接続駅「海部(かいふ)」までは
(列車は「徳島」行き1200形気動車)
直線距離が7.8キロ強有るため、行き止まり駅になります。
立派な駅舎ですが後述するDMV(デュアル・モード・ヴィークル)化工事のため、管理人が訪問した時は閉鎖されていました。
駅舎の横の長い階段を上がる(エレベータは無く、お年寄りは大変)と、
3階建てくらいの場所にホームが有ります。
高架上は単式ホーム一本のみで、到着したASA-101を終端側からパチリ
管理人が訪ねた当時は、DMV化のための工事が真っ盛りでした。
画像はホームと地上を結ぶ坂路で、
車両はここから道路を走って室戸方面へ向かい、ネット情報に拠ると本年度中に営業運転開始を目指しているそうです。
なおDMVの画像は、ウィキペディアからお借りしました m(__)m
この後、近くの白浜海水浴場へ行って見ると穏やかな風景が広がっていましたが
民家横の、南海地震の大津波に備えた避難タワーの姿が厳めしいです。
当路線は短いため1本の列車がピストン運行している様で、復路も来た時乗ったのと同じASA-101でした。
内部は中央部が転換クロスシート、ドア寄りがロングシート
終端部が工事中だからでしょうか、列車は階段から一番離れたホーム先端に停車します。
11分走って、起点の「海部」に到着(左は「徳島」行き1500形気動車)
ここには牟岐線の隣駅「阿波海南」方に、不思議な構造物が有りました。
調べたら「JR牟岐線町内トンネル」と言い、小高い丘を抜けるために造られたものの、3年後に宅地開発で丘が消滅して現在の姿になったそうです。
もう一つ余談で、「海部」は敷地の関係でDMVモードインターチェンジを設けられず、一駅先の「阿波海南」駅に造る事になり、この区間がJRから阿佐海岸鉄道に編入されるんだとか。
<JR小野田線支線「長門本山(ながともとやま)」駅 2020年6月17日>
2019年12月13日に撮影した画像を使いました。
起点となる小野田線「雀田(すずめだ)」駅までは
(列車は「長門本山」始発、宇部線直通「宇部新川」行きクモハ123形単行)
直線距離が2.3キロ弱有るため、行き止まり駅になります。
こちらが終端側から見た構内全景で駅舎は無く、待合室と単式ホーム1本だけの簡素な造りでした。
振り返って車止めをパチリ。 道路の先はすぐ瀬戸内海になり、昔は左手方向に線路が延びていた様です(今回は古地図が見付からず推測ですが)。
当駅(赤下線)から南東方向へ徒歩10分ほどの公園(緑下線)には海底炭田へ続く斜坑口が山陽小野田市指定文化財として残されており、
(下の画像は、ネットから拝借したもの)
石炭の搬出に当線が建設された経緯は、文献にも載っていました。
そんな訳で本来の使命を終えた今、列車は1日3本という超閑散路線に...
管理人は「宇部新川」に前泊して、6時40分始発の宇部線経由小野田線直通「長門本山」行きクモハ123形単行に乗り
(車内はオール・ロングシートで、乗客は管理人を含め鉄爺3人のみ)
7時05分、終点に到着
この列車が「長門本山」7時11分始発の初電になります。
まずは到着した列車と終端部のツーショット
そして先端部から「雀田」方面を見た所
何時もなら振り返って列車先頭部の画像を載せますが、ホームが短くフレームに収まらないため、駅外から撮りました。
ついでに終端部側からも1枚
この希少な形式に乗れるのは、この時が最初で最後になるかもしれません。
締めとして、2番列車(7時36分始発)の到着動画を載せておきます。
<JR鹿児島本線「門司港」駅 2020年6月5日>
2019年12月12日に撮影した画像を使いました。
最寄りの山陽本線「下関」駅まで直線距離が3.2キロ弱有り、行き止まり駅になります。
1914年(大正3年)に竣工したネオ・ルネッサンス様式の駅舎(重要文化財)を入ると、
構内は頭端式ホームが2本並び(先端側から撮影)、
海側(左端)から5番、4番、2番、1番のりばで、3番のりばは有りません。
(配線図は概略レベルと御理解下さい)
ホームの右手には車両基地が広がっていて、
奥の方には交直両用電車415系の姿も...
折しも415系1500番台4連×2が、「門司」方面へ出庫して行きました。
駅舎方向に戻る途中、管理人お気に入りの813系が沢山昼寝している所を1枚
こちらは終端側から見た1番2番のりばで、ホームの屋根と柱は木造です。
1番のりばに「折尾」行き415系4連が入線し、
終端部とのコラボを1枚
次は2番のりば(右)と4番のりば(左)の終端部で、矢印の場所には鹿児島本線の0キロポストが有ったのすが、撮り損ねました
続いて4番5番のりばのホームと
5番のりばの終端部です。
因みに当駅周辺は門司港レトロ地区になっていて、こちらの旧門司三井倶楽部は内部見学可能の様でしたが時間の都合で割愛しました(^^;
最後に歴史的トリビアを一つ
九州の鉄道は当駅(開業時は「門司」)を起点に延びて行ったため、その名残を「小倉」駅の線路配置に見ることが出来ます。
「門司」始発の列車は日豊本線に方向転換せず進入出来ますが、「博多」からの直通列車は折り返しが必要に...
<JR香椎線「宇美(うみ)」駅 2020年5月21日>
2018年3月8日と2019年12月11日に撮影した画像を使いました。
最寄りの西鉄天神大牟田線「春日原(かすがばる)」駅まで直線距離が5.2キロ有り、行き止まり駅になります。
2018年に香椎線を「おもしろ路線探訪」に取り上げた際、「宇美」にも触れましたが(同駅に停車中の「西戸崎」行きキハ47系4連の後撃ち)、
今回改めて「行き止まり駅」として纏めました。
近くの宇美八幡宮を模した駅舎を入ると、
構内は殆どのレールが撤去され、現在は片面1線のみでした。
今はここで行き止まりですが、
昔の地図を見ますと(黄←が駅)南方の大谷炭坑まで線路が延びており、駅前には別線(筑前参宮鉄道、後の国鉄勝田線)の駅(青→)が有った様です。
終端側から駅舎方向を振り返って1枚パチリ
(「香椎」行き、交流用蓄電池駆動電車BEC819系2連の後撃ち)
次はホーム先端から「香椎」方を撮った後、
駅外に回ってみました。
出発動画も撮りましたが、キハに比べ起動時の音が小さいかと...
列車は25分ほど走って終点「香椎」駅3番のりばに到着
ここは鹿児島本線との接続駅で、エントランスは近くの香椎宮に因んでいます。
構内は電化されており、列車は到着するとすぐパンタを上げて充電を始め、
10分ほど経つと下ろしました(これだけで90キロ走れるんだとか)。
最後は、列車が「宇美」へ向け出発して行く動画になります。
<JR香椎線「西戸崎」駅 2020年4月5日>
2017年3月8日と2019年12月11日に撮影した画像を使いました。
最寄りの西鉄貝塚線と接続する「和白(わじろ)」駅まで直線距離が7キロ強有り行き止まり駅になります。
2018年に香椎線を「おもしろ路線探訪」に取り上げた際「西戸崎」にも触れましたが(同駅1番のりばに停車中の「宇美(うみ)」行きキハ47系2連)、
今回改めて「行き止まり駅」として纏めました。
モダンな駅舎を入ると、
中は2面2線構造になっています。
1番のりばには「香椎」行きBEC819系2連(後撃ち)が入線中で、
右手には0キロポストが有りました。
こちらは駅外から見た1番(左)、2番のりば(右)と構内踏切で
2018年の画像(構内踏切上で撮影)と比べると、リニューアルした様子が感じられます。
線路はここで行き止まりですが、
昔の地図を見ますと(矢印が駅)、港まで引き込み線が延びていました。
糟谷炭田で採れた海軍向けの無煙炭を香椎線で運び、ここから船で出荷したんだとか。
駅舎に面した1番のりばに着く列車が多い中、珍しく2番のりばに入線したので1枚パチリ
そして、2番ホーム先端から「宇美」方を見た所です。
次は駅を離れて、海辺の方に行ってみました。
上の画像を撮った場所の左手は市営渡船場になっており、
博多まで行けるんだとか...
「西戸崎」では良い構図の編成画像が得られなかったため、最後に「香椎」駅で撮ったものを載せておきます(よく見ると、パンタを上げて急速充電中)。
<一畑電車大社線「出雲大社前」駅 2020年2月24日>
2019年6月26日に撮影した画像を使いました。
最寄りのJR山陰本線「出雲市」、及び一畑電車「電鉄出雲市」まで直線距離が7キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
駅舎はモダンな造りで、右手に回り込むとその奥には、
デハニ52が保存されていました。
室内と
運転台
そしてハンドブレーキです。
出発時刻の10分前に木製の改札口が開き、ホームに入ると
1番のりばに「川跡(かわと)」行き2100系2連が入線していました。
その終端部がこちらで、
反対側の2番のりばの方はこんな感じです。
次はホーム先端から「川跡」方を一望した後、
振り返って元京王5000系の2100系2連をパチリ
構内を撮り終えてから出雲大社に詣で、
さらに旧JR「大社」駅に行ってみました。
ここは1990年(平成2年)に廃止された後も、重要文化財/近代化産業遺産として保存されています。
往時は全国から参拝列車が乗り入れて来たためホームは長く
多客時用の臨時改札口が、ズラっと並んでいました。
この先が「出雲市」方になり
D51774が保存されています。
<JR境線「境港」駅 2020年1月25日>
2019年6月25日に撮影した画像を使いました。
最寄りのJR山陰本線「荒島」まで直線距離が12キロ強有りますので、
行き止まり駅になります。
振り返って全景(後方は「みなとさかい交流館、フェリー乗り場」)です。
一頻り構内を撮った後は、街中散策に向かいました。
少し歩くと海に出て、ここは境水道になり左手は中海、右手が美保湾・日本海
こちらの2隻(後撃ち)は良く見ますと船首に古タイヤを幾つも付けていますのでタグボートの様です。
駅に戻る途中で、鬼太郎と
ねずみ男
サラリーマン山田をパチリ
駅前には妖怪達の大壁画も有りました。
復路はラッシュ時間も過ぎたので、キハ40形単行の「ねずみ男」列車です。
“I haven’t seen you in these parts,” the barkeep said, sidling over to where I sat. “Name’s Bao.” He stated it exuberantly, as if say of his exploits were shared by way of settlers hither multifarious a fire in Aeternum.
He waved to a unanimated keg upset us, and I returned his indication with a nod. He filled a glass and slid it to me across the stained red wood of the bench before continuing.
“As a betting man, I’d be assenting to wager a adequate bit of enrich oneself you’re in Ebonscale Reach on the side of more than the wet one's whistle and sights,” he said, eyes glancing from the sword sheathed on my with it to the bend slung across my back.
http://www.google.com.et/url?q=https://renewworld.ru/data-vyhoda-new-world/
by CharlesSkelf (2021-09-11 07:41)